十九話 反撃
ラーラの予想通り、シェルターの緊急出口は、グレイス邸近くの森に繋がっていた。丁度、真と勝志が、初めてラーラと出会った崖下付近だ。
勝志は、そこから真が向かったと思われる方向へ急ぐ。
体が軽く、何時も以上の速度で走れる。幽世にいるからなのだろうが、勝志は、それを余り意識しないようにした。頭で考えると、逆にこの状態を保てなくなりそうだと感じたからだ。
――待ってろよ。真!
勝志は気分が高揚する。
また友人とサバイバルができる事を、楽しんでいるかのようだった。
真は、沼地を泳ぐように移動する首長竜幻獣の体当たり攻撃を、神足で水面を滑るように動き、回避する。素早い動きだが、小回りが効かず、一旦、沼に浸かっている倒木に着地した。
一方、幻獣は、体格に見合わない見事なUターンを決め、間髪入れず真を狙う。そして、海から飛び出すクジラのように泥沼から跳ね上がり、倒木を下から突き上げた。
真は、木端となった足場と一緒に、高々と空に打ち上げられる。
「ぐっ……!」
衝撃で幽世から弾き出されたが、地面に落ちる前に再び重力の影響を無くし、辛くも落下の衝撃を空蝉で和らげる。しかし、泥から顔を上げた時、こちらを噛み砕こうと迫る敵の姿が見えた。
――躱せないなら―
真は相討ち覚悟で刀を構えた。
その時、どこからか自分に呼び掛ける声が聴こえる。
「真!」
――!?
真は、声が聴こえた窪地の上を見た。人より大きな岩が、こちらに向かって来るのが見える。
岩には、人の足が生えているようだった。地面から少し浮いて、軽快に木々を回避しながら走って来る。
「うおおおおおー!!」
それが窪地の直前で、雄叫びを上げながら高くジャンプし、真っ直ぐ首長竜幻獣に飛んでいった。
真は同時に、一か八か幻獣に飛び掛かった。横合いから来た大岩は、幻獣の長い首にぶつかっても、ダメージにはならなず、粉々に砕けた。しかし、僅かだが、真を噛み砕こうとする牙の狙いが逸れた。
真は擦れ違い様に、渾身の空蝉で刀を振るった。
「グオオオオオォ!!」
幻獣が、首筋から身体の側面を斬り付けられ、沼に倒れた。
真は、大岩を投げ込んだ者を振り返った。
「勝志……!」
真は岩を運んで来た人物の正体に気付いていた。着地に失敗し、窪地に転落して泥だらけになっていたが、そんなミスを仕出かすのも、勝志しかいない。
――幽世に入れたのか……!
勝志が幾ら怪力とはいえ、腕力であれ程大きな岩を運び、飛び上がって投げ付けるのは不可能だ。
「半人前共が……! 二人になった所で敵ではナイ!」
幻獣が泥と血を跳ね上げながら起き上がった。
「勝志!」
真は、近くに生えていた竹を二本、素早く刀で斬り取り、一本を顔に泥パックをした勝志に投げ渡す。
「訓練通りだ! 行くぞ!」
――――――――――――――――――――――
戦いの潮目が変わった。
「……!?」
トリケラトプスを思わせる幻獣は、異変を感じた。
二本の刀で角を防御するニンゲンを、ゆっくりと押し込んでいた筈だったのだが、何時の間にか足が止まる。決して、力は抜いていない。にも関わらず、今度は此方の身体が徐々に後退し始めた。
「バ、バカな……オレが押されるだと……!?」
「ハハッ」
不敵な笑みを浮かべるガイの身体が、押し込められていた崖から離れ、体制を立て直す。それと同時に、ガイの持つ二本の刀が、赤々と輝き出した。
輝く刃は、まるで高熱を帯びているかのように、幻獣の角を徐々に焼き斬っていく。
やがて、完全にそれを切断してみせた。
「炎龍―大熱刃!!」
ガイは、そのまま二本の刀で、敵の頭から胴を叩き斬った。
十兵衛は敵の姿を捉えた。
宙を舞う幻獣は、燕程の大きさで、棒状の体に波打つ羽を複数枚持っている。羽は、まるで鋭い刃物のようで、それが周囲の物を、擦れ違い様に斬り付けていた。
「視えたか? 幽玄者。だが、ワタシを攻撃するなど不可能!」
幻獣の声が、十兵衛に届いた。それは、虚空から発せられているかのように、周囲に響く。
辛うじて目で追えても、筋状の影にしか映らない敵。幻獣の言うように、攻撃する事はもちろん、触れる事すら不可能に思えた。
十兵衛は、冷静に仕込み刀を鞘に戻し、順手で持ち手を握り直す。
幻獣が、周囲の木々や逃げ遅れた兵を斬り付け、己の肩を掠めても、彼は、居合の構えを崩さない。
十兵衛は勝負の瞬間を待った。
「水虎次元流、壱の太刀―」
幻獣が、背後の大木を斬り付けた後、蜻蛉返りを決め、速度を落とさず十兵衛を狙った。
目を伏せたままの十兵衛に、剃刀のような羽が迫る。
「死ね―」
刹那、虚空からの声が響く。
しかし、十兵衛は、声の出所を正確に捉えていた。
「驟雨!!」
十兵衛が振り向きざまに、仕込み刀を抜き放つ。それは人の目では追いきれない幻獣の飛行速度すら上回る、神足を使った、神速の居合斬りだった。
十兵衛の刀の刃は、敵を捉えた瞬間、水気を帯び、光り輝く雫を宙に舞わせた。その場にいた兵士達の目には、十兵衛の体の後ろに、突如、片翼を全て散らした棒状の生き物が、転がり出てきたように映った。
「外した……」
十兵衛は、目にも止まらぬ居合抜きとは反対に、非常にゆっくりとした動作で刀を鞘に戻しながら、冷静に自分の未熟さを認めた。
もっとも、細い身体の中心を外されても、羽の付け根を斬り裂かれた幻獣は、既に瀕死だった。
――――――――――――――――――――――
「ぐ、軍曹……アレも白兎隊なのでしょうか!?」
「幻獣に立ち向かっているんだ。当然だろう……!」
首長竜幻獣から辛くも逃れた兵士達が、窪地の上から、疑念を抱きながら、二人の少年の戦いを見守っている。
救援に現れた二人目の少年は、白兎隊を示す羽織や、それらしい武器を持っていなかったが、大岩を運んできた事から、幽玄者なのは間違いない。
しかし、初めに現れた少年もそうだが、二人の戦いぶりは、かなりお粗末に見え、兵士達は気を揉んだ。足場の悪い中、銃弾すら効かない幻獣に、竹槍で対抗しているのは、大したものだったが、しばしば反撃を受け、沼に突っ伏している。
「おりゃー! ……うわっ!」
今も、白髪の少年が、渾身の刺突で幻獣を攻めたが、尾の振り払いで、刺さった竹槍を敵の身体に残したまま、吹き飛んだ。その間に、もう一人の、黒髪の少年が追撃を加えようとするが、泥を跳ね上げながら、首やヒレを振る幻獣に攻めあぐねている。
次第に、二人の少年の姿が泥塗れになり、兵士達の眼前は、暴れる大きな泥の塊を、二つの泥の塊が追い回す、奇妙な光景になっていった。
「兎に角、今のうちに負傷者を運べ! 隊列を整えろ!」
軍曹が無事な兵に指示を出す。
どれほど無様な戦い方をしていても、勝敗は、あの少年達に掛かっているのである。
真と勝志は、体格で優る幻獣に、一人が囮になり、もう一人が隙を突つ、という泥臭い戦法で、刺傷を与えていく。
首長竜幻獣の攻撃は、ランジの長槍よりも、リーチと破壊力があったが、スピードで劣る。更に、首の振り回しに対し、尻尾の攻撃は精度が低く、背後を取れば攻め易い。徐々に敵の身体は、竹槍が何本も突き刺さった、痛々しい姿になっていった。
しかし、幻獣の抵抗は激しく、今一つ致命傷を与えられていないようだ。槍の刺さっている深さが、中途半端なのがその証拠だった。真も勝志も、幽世で出せる最大の力を使っているが、相手がそれ以上の干渉を許さない。
――このペースじゃ息切れする……!
未熟な幽玄者である真でも、己の限界は分かる。今は翻弄していても、魂そのものが疲弊し、幽世にいられなくなれば、一巻の終わりだ。
「くっ!」
打開策を見出せずにいる中、首長竜幻獣の噛みつきで、真の竹槍がへし折れた。真は、直ぐに新たな竹槍を調達に行こうとする。
一方、勝志は訓練通り、その隙に敵の背後に回っていた。しかし、いい加減この戦法を見抜いた幻獣が、素早い反転を見せ、勝志の攻撃を躱す。
「うわっ!」
背中を狙っての突撃が外れた勝志は、そのままの勢いで沼に突っ込んでしまう。
沼に突き刺さった勝志を、今度は幻獣が狙った。真は竹を諦め、上着から石を括ったロープを取り出すと、正確なコントロールで投げ、幻獣の長い首に巻き付けた。
「こんなモノで……!」
首長竜幻獣は「ロープ如きで自分を止められるものか」と言うように、反対に真を引き摺ろうとした。力で勝る幻獣を引っ張るのは、不可能に思えた。しかし、それは真も承知の上だ。
付近にある大木が、雨で緩んだ地面から引っこ抜ける。幹には、真が幻獣に巻き付けたロープの、反対側が括られていた。
「!?」
首長竜幻獣は、それでも軽々、大木を引き摺って見せたが、首に繋がったままなのは流石に鬱陶しい。ロープを切ろうと沼地を暴れ回る。
「今だ!」
真は、ここが勝負所と読んだ。刀を抜き、暴れる敵に、一か八か再び飛び掛かる。
ロープが切れ、大木が彼方へと飛んで行ったが、その間に真は、敵の背に乗り、渾身の空蝉で長い首に刀を振り下ろした。
「ギャアアアアァッ!!」
幻獣が血飛沫と共に悲鳴を上げる。
「うおおおー!!」
武器を失っていた勝志も、半端に刺さったままの竹槍の一本を掴み、それを幻獣に押し込もうとした。
「オノレ……!!」
幻獣が取り付いた真を、首を揺すって振り落とそうと踠いた。その際に、ヒレの一撃が勝志に当たる。
「ぐあっ!! ブクブク……」
勝志は沼に倒れ、更に幻獣の下敷きになってしまう。
「勝志っ……うあっ!」
真は、後一息で首を斬り取れる! という所で、遂に振り落とされてしまった。神足での身体操作も誤り、沼地に墜落する。
真が起き上がると、首の皮一枚繋がった幻獣が、沼に脚を取られながらも、此方を狙っていた。
「くっ……!」
勝機を逃した真は、唇を噛んだ。
「今だ。一斉射撃!!」
その時、隊列を立て直した援軍が、窪地の上から幻獣に発砲した。
幻獣は、この銃弾を無視できず、身体のあちこちから血を吹き出し悶えた。真と勝志の攻撃で、魂そのものが弱り、既に幽世にいられなくなったのだ。
ありったけの銃弾を受け、遂に首長竜幻獣が、沼地に沈むように倒れた。
衝撃で泥水が真に掛かり、下敷きになっていた勝志が流れ出てきた。どうやら無事らしい。
「……」
窮地を救われた上、止めを持っていかれた真は、暫く拍子抜けしたような表情で佇んだ。
しかし、文字通りの泥試合を制した。