一話 少年の計画
幻獣―突然変異を起こし、独自の進化を遂げた生命体。生態系の頂点に君臨する屈強な肉体を獲得し、尚且つ、人間に引けを取らない知能を有する個体も存在する。
曽て、その存在は文字通り幻に等しかった。しかし、人々に認知され、その数が増大するに連れ、世界には混乱が広がった。
人間と幻獣。やがて、どちらともなく諍いが起こり、互は相容れない関係となっていく。
約半世紀前、人類は幻獣を危険生物と断定。地上からの排除を目論んだ。
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新暦198年。アクアトレイと呼ばれるこの世界の、ほぼ中央に位置するカーネル諸島。
太陽が天頂から照らす、この海域に点在する島々は、殆どが無人島だが、数少ない有人島―アマリ島―には、漁業を営む人々から成る、小さな集落があった。
この島に住む少年、登張真は島内に一つしかない中学校に通う中学三年生だ。
癖のある黒髪とツリ目に加え、サイズの大きな上着や、裾がギザギザに破れているズボンなどの服装は、あまり素行が良い印象は受けない。
実際に真は、学業に熱心ではなく、島内の漁師達の手伝いをするなど、気の利いた事をする子供でもなかった。
「なんか面白いことか、エロい写真でも載ってるのか?」
真に、白髪の少年、勝志が話し掛ける。
くたびれたランニングシャツや、ツギハギだらけの短パンと、真同様、見窄らしい格好の勝志だったが、ツンツンヘアーの頭と、子供っぽい顔立ちは、親しみやすい印象を与えた。
二人は、島の森に自作したツリーハウスに、朝からやって来ていた。真はそこで、何処からか持ってきた朝刊を注意深く読んでいる。
「このニュースを面白く捉えられるのは、僕くらいかな」
真はそう言うと、新聞を勝志に渡す。
勝志は受け取った新聞をざっと見たが、真の言った意味は全く分からなかった。もっとも彼は、活字を読むのが苦手だった。
「それにしても、ウィーグルは何してるんだろう?」
真は、今日に限って姿を現さない幻獣を心配する。
ウィーグルとは、二人が無謀な冒険の末に発見した、幻獣の名前だ。
ウィーグルは今、このアマリ島に潜伏している。あの日、幻獣発見を喜ぶ二人に対し、知的生命体であるウィーグルは「武器も持たない子供など、意に介えさない」という様子だった。
真は、そんな冷静なウィーグルに、既に無法者のハンターがウヨウヨし始めた無人島よりも、敢えて人が暮らす島に隠れる事を提案した。
アマリ島の山林には人家がなく、島民も殆ど訪れない。無人島と見紛うほど手付かずの自然は、隠れるのに便利で、何より裏をかけるだろう、という判断だ。
見付けた宝を、家に持って帰ろうとする子供の魂胆も、賢い幻獣は見抜いているようだったが、以外にもその提案に乗ってくれた。
幻獣を匿うなど、当然違法だ。二人は、ウィーグルが誰かに見られないよう、漁船に乗せ、シートで覆い隠し、漁に出ていた船を装う、徹底工作を行った。
見事、危険な冒険を成功させ、ウィーグルを島に連れ帰った時、二人は歓喜に酔いしれた。小さな島で暮らす真は、まだあの興奮を忘れられずにいる。
――ウィーグルがいなくちゃ始まらない。
少年は、次なる冒険を求めていた。
真の心配を他所に、ウィーグルは午後になると、ツリーハウスの側の大きな木の枝に、音もなく留まった。
ここは幻獣の特等席であり、ウィーグルは何時も、そこから真と勝志がサバイバルの訓練をしたり、チャンバラごっこをしたりするのを眺めていた。
日中の陽光の下で、ウィーグルの大きな翼にある綺麗な羽根が、木漏れ日のように光っている。数枚混じるその羽根は、美しい銀色をしており、光りを受けると七色に輝いた。
「よう、ウィーグル! お昼食べたかー?」
ツリーハウスの吹き抜けの窓から、勝志がウィーグルに話し掛ける。丁度、持ってきたおにぎりを食べている所だった。
「私に食事は不用だ」
ウィーグルは嘴を動かさず、穏やかな声で答えた。
幻獣には、食事の必要がない個体がいることを、真は勝志に何度も話しているが、性懲りも無くまた勧めていた。
「たまには食べたくなるかもしれねぇだろ? うめーし」
そう言って勝志は、ウィーグルの為に余分に持ってきたおにぎりも食べ始めた。
「食べなくていいなんて、逆につまんなそうだなぁ」
「今日は何処行ってたの? まさか島から出てないよね?」
真が勝志を押し退けて、ウィーグルに聞いた。
この島に連れてきた当初、真も勝志も、毎朝、島内に潜むウィーグルを探し出すのを日課にしていたが、この幻獣を見付け出せたのは奇跡だったと思う程、手間が掛かった。結局「匿ってやってるんだから」とこじつけ、毎日顔を出させるスタンスになった。
見付けづらいのは結構だが、あまりに見付からないと「島外に出ているのではないか?」と言う疑念を真に持たせた。
「今日は寝過ごした。それだけだ」
ウィーグルが言い訳をしたが、真は嘘だと思った。食事だけでなく、睡眠も不用な幻獣がいる事を、知っているからだ。
しかし、食べ物を入れないこの幻獣の腹の内を、真は中々、見抜く事ができないでいた。
「怪我の具合はどう?」
「問題ない」
真は、ウィーグルの左前足を見て言った。
この怪我は、出会った時には既にあった。軍隊かハンターか、銃で撃たれたものなのか、詳細をウィーグルは言わなかったが、中々深い傷に見えた。
幸い今は、勝志が治療として巻いてあげた、ピンクのハンカチが不要になる程(実際は捨てたのだろうが)良くなっているようだ。
「じゃあ、そろそろおれを背中に乗せて飛んでくれよ!」
透かさず勝志が、島に連れて来た直後から、散々頼んでいる事を口にした。人がニ、三人乗れそうな、広い背中を見れば、誰もが思う事だ。
しかし、ウィーグルは勝志が頼むたびに「足が痛いから駄目だ」と断るのだった。
真は、これも嘘だと思っていた。飛ぶだけなら、足の怪我は関係ない。実際に、木の枝に乗る程度の飛行を、何時もやっているのである。人が乗ると荷重が掛かるからか、着地の心配か、どちらにしろ怪我が治れば、この言い訳は使えない。
「駄目だ。飛べば誰かに見付かる危険性がある。面倒事は御免だ」
言い訳上手のウィーグル。「低くていいからよー」とせがむ勝志に「それで満足するのか?」と返してる。
真は二者のやりとりを見ながら、今日も幻獣の腹の内を探った。
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昼過ぎ、たらふく食べた勝志が昼寝をし始めた頃、真はツリーハウスから見える港に、見た事のない船が停泊しているのに気付いた。一見、唯の漁船に見えるが、この辺りの漁に適した設備がない。
「ウィーグル……ハンターだ……!」
「!」
真は確信した。
「どこだ? どこだ?」
「乗組員は見えない……もう島に入ってるね」
飛び起きた勝志が窓から身を乗り出すが、船の様子を見て、真はそう判断した。
「じゃ、ウィーグルは得意の隠れん坊だ。行こう、勝志!」
「おっしゃ!」
真と勝志は、島にハンターがやって来た時の為、事前に対策を練ってあった。
ウィーグルは大きな体からは考えられない程、静かに飛び上がり、ふわりと森の奥へと消えた。二人はそれを見送った後、それぞれ木の枝で作ったエクスカリバーを手に、ツリーハウスから飛び降りて港の方角へと駆けた。
アマリ島の人間は、海には出れど、山には見向きもしない。それをいい事に、真と勝志は森中に罠を仕掛けていた。
さっそくカランコロンという音が、侵入者の位置を知らせる。
「な、何んなのよコレ!?」
二人は、森の入ったハンターの一団を発見した。リーダー格と思しき女が、部下の男三人を引き連れている。空き缶を通したロープに引っ掛かり、困惑している様子だった。
「ライフル装備か。まあまあだね」
「巨乳だな」
真がハンター一団の装備を確認する一方、勝志の双眼鏡のピントはズレていた。
「猿避けか何かじゃないっスか?」
部下の一人が言う。余り緊張感のない声だ。
「しっかし、姉御。この島本当に幻獣がいるんスか? 人住んでまっせ」
「知らないわよ……。無人島だと思って上陸したら違ったの! ……でも、案外こういう所に隠れているかもしれないじゃないっ」
部下のやれやれといった態度を他所に、勝ち気な女リーダーは、開き直って森の奥を目指し始めた。「仕留めれば一攫千金よー!」と息巻いている。
真は「対した連中じゃない」と感じたが、女の勘はいいと思った。何せ、幻獣がこの島にいるのは事実だからだ。
ハンター一団を罠に嵌める為、真は手近な木に素早く登り、予め枝に括ってあるロープを使って、ターザンのように木から木へと乗り移る。そうして、森を進む彼らの頭上にコッソリ移動すると、エクスカリバーを抜き、大きな蜂の巣をはたき落した。
「え!?」
ハンター一団は、足元に落下してきた蜂の巣に驚くが、出所を確認する間もなく、ブーンという音と共に飛び出してきた蜂の群れに襲われ、悲鳴を上げた。
「ぎゃぁあああああああああああ!!」
一団は防弾チョッキを着ていたが、蜂には無力だった。
「いでー! 首刺されたっ!!」
「何で急に蜂の巣がっ!!?」
「きゃああっ!! ふ、服に入ったあぁ!!」
「姉御、脱がなきゃ駄目っスよ!!」
「ちょっと何するのよ!!」
不幸に見舞われたリーダーを、部下が助けようとしたが「変態っ!」と殴られ、順序が逆だが泣きっ面に蜂となる。
あたふたしているハンター一団を、次の悲劇が襲う。突如、足下の地面が崩れ、森の窪地に転落したのだ。真と勝志が仕掛けて置いた、落とし穴だった。
「痛い……何よコレ……!? 誰がこんな物を……」
最後に真は、止めとばかりに、勝志に合図を出した。
勝志は森の高い位置に移動している。そこには、大きな丸太が積み上げてあり、ロープで固定されてる。
真の合図を確認した勝志は、エクスカリバーでロープを切断。……には失敗ったので、代わりに怪力でロープを引き千切ってみせた。
積み重なっていた重い丸太が崩れ、派手な音を立てながら窪地へと転がって行く。
「ぎゃぁああああああああああああああ!!!!」
転がり落ちてくる丸太に気付いたハンター一団が、再び悲鳴を上げ、懸命に落とし穴から這い出て、我先にと逃げて行く。
「な、何なんだこの島はぁ!?」
「撤収! 一旦、撤収よぉー!!」
ハンター一団が、半べそを掻きながら森から逃走するのを見て、真と勝志は大笑いだった。
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「何かあったの?」
真と勝志は、逃げたハンター一団を追い、港へ来ていた。蜂に刺され、落とし穴で尻を打ち付けたハンター一団は、船内に乗り込み「薬! 薬!」と叫んでいる。
そこへ、騒ぎを聞き付けて、茶髪の少女がやって来た。偶然、港にいたらしい、真と勝志のクラスメイト、カレンだった。
「さぁ」
「また二人でイタズラしてたんでしょ?」
真が無関係を装うが、二人の悪戯の被害によく遭うカレンは信じていない。
「なぁ、今日は魚余ってねーの?」
「余ってても、あげない!」
勝志にカレンが冷たく言う。水を掛けられた事を、根に持っているのであろう。
更に、運悪く(良く)潮風が彼女のミニスカートをはためかせてしまい、怒って帰ってしまった。
「今日はハズレみたいだね」
チラリと見えたパンツの色が白だったので、真は、色々、残念そうな勝志にそう言った。
腹癒せという訳ではないが、二人はその後、ハンター一団が船内にいるうちにエンジンを細工し、係留ロープを解いた。
真と勝志が森に戻ると、ウィーグルが待っていた。驚いた事に、嘴に魚を咥えている。
「食べないんじゃなかったの?」
真はその為ではないと分かっていたが、面白がってそう聞いた。
「食べられない訳ではないが……欲しいのならくれてやる」
ウィーグルも捻くれた言い方をし、魚を放って寄越す。
それに対し、勝志だけが「マジで? サンキューいただきまーす!」と素直に食い付いた。
勝志が焚き火で魚を焼き始めると、香ばしい香りが漂ってくる。
真はツリーハウスから、潮目の関係で予想より沖に流された、ハンター一団の船を眺めていた。一団は動かないエンジンを、必死に掛けようとしている。
「本当におれが全部食っていいのか?」
下にいる勝志の声が、煙に乗って届いた。
「いいよ。お礼の癖に二匹捕まえない奴が悪いんだ」
真は大きな木を横目で見ながら魚を譲る。もっとも真は、勝志ほどお腹が空かない体質だった。
「……でも、折角ハンターから守ってやったんだ。僕も何か欲しいな」
真がわざとらしい言い方をする。枝に留まっているウィーグルが、今度はこちらを見た。
「さっき、誰かに見られるから飛べないって言ってたけど……」
真が提案する。
「じゃあ、夜ならどう? 夜ならそうそう見付からない。何なら、そのままどこか別の地域に飛でったっていい」
アイシャドウを描いたようなウィーグルの独特な目が、細目になった。
真は今朝方、知り得たニュースを話す時が来たと思った。
「今朝までに軍の大部隊がアキナ島に着いた。明日にはこの島にも入ると思う」
真の発言にウィーグルは表情を変えなかった。一方、既にこの記事を見た筈の勝志が、何故か驚いた顔でこちらを見上げた。
アキナ島は、アマリ島からそれほど離れていない距離にある、この海域で一番大きな有人島だった。軍は、そこを拠点に、カーネル海の島々を調査する予定である事を、真は掴んでいた。
ウィーグルを駆除するのか、捕まえるのかは分からないが、見付かっていい事は何も無いだろう。
「今夜にはアマリ島を抜け出して、新しい隠れ家を探した方がいい。この島は別に……いい所じゃないしね……」
最後は真の主観だったが、脱出した方がいいのは確かだった。
「そうか……」
ウィーグルは呟くと地理が分かるのか、アキナ島のある方角を見た。木々の隙間から見える海に、薄っすらと島を確認できる。
真は、いよいよ新たな冒険の計画を打ち明ける。
「島を出る時、一度でいいから背中に乗せて欲しい。君が新天地を見付けるまでの間だけ……!」
「……!」
真の言葉に、ウィーグルが此方に向き直った。
「僕は君と一緒にこの島を出る!」