十六話 友達
カーネル諸島の空に、暗雲が垂れ込めている。このアキナ島でも、海から時折、強風が吹き付け、嵐が迫っている事を予感させた。
真は、アマリ島で育った為、嵐には慣れている。そして今は、それを完全に無視する事を可能にする為の力の修行を続けていた。
真は、その力の一つ―幽世の神足を使い、素早く木に登り、枝から枝へ飛び移る。まだまだ加速とコントロールに難があったが、得意のターザンロープで補い、縦横無尽に森を駆けた。風の影響や着地の衝撃は、空蝉の力で無視できる。
今日の訓練にランジはいない。幽玄者に当て嵌まる事は、幻獣にも当て嵌まる。分厚い雲の上の星月を、森羅で認識できるのと同じく、彼らは天災の影響を受けない。幻獣軍が動くのなら、嵐に紛れてやって来る。白兎隊と軍はそう確信し、警戒体制に入っていた。
勝志の方は、エプロン姿のリズ姉に捕まってしまった。グレイス邸を抜け出す時に「こらっ! どこ行くの!? 朝ごはんできてるわよ!」と声を掛けられ、どうしても誘惑に勝てなかったようだ。
昨夜、真と勝志は、白兎隊に入る事をリズに打ち明けた。リズは、誰からか事情を聞いたのか、渋々、納得してくれた。しかし「うるさく言わなくなっただけ」だと真は思った。何故なら、食事や、訓練で負った怪我の手当てなどで、何やかんや世話を焼く為、監視しているように感じたからだ。
そんな訳で、さっさと監視を逃れた真は、森を駆け抜けビーチに出た。この時期、この砂浜は観光客でごった返すが、今はその客も殆ど残っていない。代わりに多数の戦艦が、嵐から島を守ろうとするように、海上に配備されているが、実際は、嵐以上の脅威に挑まなければならない為、荒波に揺れる艦は頼りなく見えた。
真が、波の向こうに見えるアマリ島を、複雑な気持ちで見ていた時、人の気配を感じ取った。真の居るビーチから、荒れた海に入ろうとしている人物がいる。遠目からでも分かるピンクの髪と、つんつるてんのミニスカートは、間違いなくラーラだ。
真は、せっかく観光に来たのだから、海で泳ぐつもりなのかと思った。しかし、色々足りない娘だとは思っていたが、流石に服のまま飛び込むのは、奇行にも程があった。
幽玄者だから、溺れはしないだろうと思いながら、真は彼女が飛び込んだ場所に向かう。暫くして、ラーラが砂浜に打ち上げられるように戻ってきた。
「うぅ……しょっぱい」
ぐしょぐしょになったラーラが、舌を出して呻く。真は、そんな姿を下目にして声を掛けた。
「何やってんの? こんな所で」
「はあぁ……真! お、おはようっ」
突然、現れた真に驚きつつも、ラーラは挨拶をした。何時も、胸元に入れているペンダントが飛び出している。真にはそれが、微かに光っているように見えた。
「変わった物が流れ着いてて……ほら、綺麗でしょ?」
ラーラが、真に拾った物を見せる。真は、どうせ貝殻かシーグラスだろうと思ってそれを見たが、ラーラが手にしていたのは、鳥類の羽根だった。
かなり大型の物であろうそれは、美しい銀色をしている。ラーラが手首を返し、光りを当てる角度を変えると、七色に輝いた。
「こ、これは……!」
真が驚愕する。この羽根を持つ生き物は、世界で一体しかいない。
真は、羽根を見つめたまま立ち竦んだ。
島に嵐の到来を告げる雨が降り始めた。
真とラーラは、大きな木の洞に避難して、雨宿りをした。優れた幽玄者は、雨に干渉されないようにする事も可能なのだが、まだまだ今の真には難しい。
洞の中は、雨の音が低く響いて、外と隔離された、別の空間にいるような気分になった。真は、何でも彼んでも入れてある上着のポケットから、ライターを取り出し、慣れた手付きで焚き火を熾す。
「すごーい!」
ラーラが歓声を上げる。
「服、乾かしなよ」
真が言う。火は、ずぶ濡れのラーラの為に熾した。
ラーラは、よりによって白のワンピースを着ていた為、濡れて服が透け透けになっていた。
「きゃっ! ……は、恥ずかしい……っ」
今更、隠しながら、ラーラが顔を真っ赤にする。服越しに、ピンクのパンツが透け、おへその形も見て取れる。その上、薄ら乳首まで見えてしまっているから一大事だ。これが雑誌やビデオなら★マークが隠してくれるが、現実はそうはいかない。
恥ずかしがるくせに、どうしてそんなに際どい長さのスカートを着たり、ブラジャーをしないのか、真には疑問だった。
真は、あたふたするラーラから視線を逸らしてあげ、代わりに、受け取った羽根を改めて確認した。
やはり、ウィーグルの物で間違いない。あのビーチは、自分と勝志が流れ着いた海岸の近くだ。それならこの羽根は、ウィーグルがラウインにやられた際、抜け落ちた物かも知れない……。
「どうして、わざわざこれを?」
何故、海に入ってまで、ラーラがこれを拾おうとしたのか、真は気になった。そもそも、こんな日にビーチへ来るのもおかしい。
「ふ、不思議な感じがするでしょ? これで見付けたんだけど……」
服を乾かそうと、火の側で屈んでいるラーラが、首から下げている、御守りのようなペンダントを真に見せた。
「これで?」
真が怪訝な顔をする。ラーラはしっかり体を隠しながら、ペンダントを真に渡した。
「幽世に入ってみて」
真は、歪な形のペンダントを受け取り、幽世に入る。すると片面が、鏡のように輝き出した。
「……!?」
「その鏡は幽世の物なんだって。不思議な力で遠くの物を映すの。自在に使うことは出来ないけど、時々わたしに見せてくれて、映った物まで導いてくれるの」
真は鏡を覗いてみたが、特別な物は映らない。だだ、視線を向けないよう、そっぽを向いていた所為で、シースルー姿のラーラが映り込んでしまう。油断していたラーラが、慌ててまた体を隠した。
――幻獣が幽世で進化するように、物も特殊な力を持つのかな?
真には原理が分からなかったが、邪な事に使わないよう、鏡をラーラに返した。
「この鏡があの朝、真と勝志にも会わせてくれたんだよ」
「僕らの姿が?」
「うんん。あの時は光っただけで、何となく海で何かあったのかなって……。でも、きっと二人に反応したんだって、わたしは思ってる」
ラーラが鏡を見ながら言った。まだ顔が赤い。
しかし、次第にその表情が、悲しげな物に変わる。
「元々はママの物なの。本当はもっと大きな鏡だったんだけど、ママが行方不明になった時、これしか見つからなくて……」
真は、こういう時、励ます言葉を言うべきだと思ったが、到底、思いつかないので、気になっていた事を聞いた。
「幽玄者だったんだよね。白兎隊?」
「うんん。ママはガリアの特殊部隊。けど戦後、幽玄者が殆どいない状況で、一人で任務をしていたみたい」
任務とは主に、単独行動をしてる幻獣の討伐だろう。ランジがウィーグルを追っていた時のように、数名の軍人がサポートに入るが、いざ幻獣と戦うのは幽玄者だ。
「ママが任務中に消息を絶ったって報せが入った時、わたし、一人でママを探しに行ったの」
母親の悲報を知ってしまったラーラは、食事すらできない程、塞ぎ込んでしまったらしい。その後、任務に向かった場所すら知らないにも関わらず、彼女は母親を探しに家を出た。
「その時、わたしは五歳だったけど、すごい距離を歩いて、導かれるようにこの鏡の破片を見付けたの。ずっと幽世を移動して……」
制御ができないまま幽世に入ったラーラは、母親の最後の地に辿り着いたが、そこで力尽き、やがて救助された。
政治家の父親は、この出来事を揉み消し、ラーラが幽玄者に目覚めた事を隠蔽した。
「ママがいなくなって寂しかった……。その悲しみが、わたしを幽世に導いたんだと思う」
その後、ラーラは父親に、幽世の事を誰にも話さない事。力を使わない事。幽玄者である事がバレないよう、なるべく他人と関わる事を禁止にされた。
「でも、わたし、もしもの時は幽世の力を使おうと思ってる」
ラーラが鏡を強く握った。
「パパはこの島にいる人達が全員避難するまで、国に帰らないみたい……。わたしは直ぐにでも帰るように言われたけど、パパが島を出る日まで、ここに残る。何かあったらわたしがパパを守るの!」
真は、ラーラの決意を感じ取った。そして、その前向きな姿勢を見て「自分はどうだろうか?」と考えた。
真もウィーグルを失い、幽玄者となり、幻獣と戦う決意を固めている。だが、この羽根を見ていると、何故だか憤りを覚えた。
「……もしかして、それは真と勝志が仲良くなった幻獣の物?」
真は驚いてラーラを見た。彼女が的確な事を言ったからだ。
「か、勝志が教えてくれたの。自分達には幻獣の友達がいたんだって」
真が急に振り向くので、また赤面してラーラが言った。
「友達……」
――勝志め。余計な事を喋って……。
だが「果たしてそう言える関係だっただろうか?」と真は思った。正直ウィーグルが、此方をどう思っていたのかは良く分からない。
ただ、真は―
「僕はあいつと一緒に冒険に出たかった。幻獣がいる広い世界を見てみたかった……」
それが、真の正直な気持ちだった。
しかし、それは叶わなかった。
「でも、あいつは死んだ……! 同じ幻獣に殺された! 生きているなら会いに来るはずだ……」
そう、友達だったのなら、きっと戻って来る。
真は自分勝手にそう思った。そして、少し感情的になった。
「あいつがいれば、どこにだって行けるのに……っ。お陰で僕はまだこんな所にいる。全て幻獣の所為だ……!」
きっと、ラーラが自分の事を何でも話すので、饒舌になるのだろう。しかし、結果的に真は、自分の憤りの正体が分かった。
全ては、夢を砕かれ、道を断たれた事だと―。
「真は幻獣が好きだったんだね」
真を見て、ラーラが率直に言う。今度は、真の顔が赤くなった。
「好きだった。だから会って見たかった。一緒に冒険したかった。……そうでしょう?」
ラーラがまた的確な事を言う。
真は、自分に素直になれていないだけだった。
「ウィーグル……って言ってたかな。きっと同じ気持ちだったと思うよ!」
「そうかな……? あいつはただ、僕に興味があったからって……」
「じゃあ、きっと同じだよ!」
ラーラは確信を持ったようだ。
真は、まさかと笑ったが、心当たりがある。幽玄者となった今、最初にウィーグルを見付けられたのは、有り得ない事だった、と思い始めている。それだけ、幽世にいる相手を探すのは難しいのだ。
真が、そんな事を考えていると、ラーラが今までで一番顔を赤くしながら真に言う。
「ね、ねぇ、わたしのパパは、人と付き合ったり、親しくなっちゃいけないって言うけど……。でも、真はもうわたしの秘密を知っちゃっているから……か、構わないよね……?」
ラーラが真に片手を差し出した。
「わたしも真と友達になっていい?」
それは、しばしば父親との約束を破る少女の、更なる冒険だった。
真は、ラーラ同様、顔が赤くなったが、素直にその手を取った。
「いいよ」
真が微笑し、ラーラはにっこり笑った。
真は、約束事を破る常習犯なので、おてんばな彼女の行動を気に入った。
雨が激しさを増し、遠くで雷が鳴り始める。しかし、外の嵐がどれ程強くなろうとも、二人のいる空間には干渉できず、影響を与えられないかのようだった。
真とラーラは、間もなく本当の嵐がやって来る事を、暫くの間、忘れた。