十四話 幽世の憂い
空がオレンジ色に染まる頃、真は入隊試験を受けた、白兎隊が野営しているテントへやって来た。ランジはまだ来ていなかったが、暫くすると幻獣のように高速で飛来し、真の近くに着地した。
「それ、どうやってやるの?」
「追々、教える」
ランジは持っていた槍をテントに仕舞い、真を裏手の森へ連れて行く。
「お前が力に目覚めた以上、最低限の事を教える義務がある」
ランジが、森の少し開けた場所まで来て言った。相変わらず険しい表情なので、真は「本当は教えたくないのでは?」と思った。
「まず、その力についてだが―」
「幽世って言うんでしょ?」
真がニヤ付いた。
「……アルタイルが教えたのか?」
「うん。だけど、細かい事は教えてくれなかった」
真は、ラーラの秘密を守る為、嘘を吐いたが、ウィーグルが何も教えてくれなかったのは事実だ。
「幽世は危機的状況になる程、入りやすい。お前のような奴に教えると、どんな危険を冒すか分からないからな」
ランジは当然だと言うように腕を組んだ。
「一般的に幽世の才があるものは、それを学ぶ組織に所属する決まりがある」
「僕も白兎隊に入るって事ですか?」
「お前の国にはその組織がない。他国の組織か、プロヴィデンスの軍か……それは後々、自分で選択しろ」
「一度、門前払いを受けたからなぁ」
真は悩んでるフリをした。
「落第とは一言も言っていない。あの試験はあくまでお前達に、幽世の才があるかを見極める為に行った」
「僕には才能があったって事ですか?」
真は幽玄者が希少だと判断している。命の危機に瀕したとはいえ、誰にでも成れるとは思えない。
「才能は生まれ持っている場合が大半だ。多少は心当たりがあるのではないか? それ故に、お前はアルタイルを見付けられたに違いない」
ランジの言葉に、真は心当たりある。
確かに、自分には、危機的状況で高まる特殊な感覚があった。経験で得た、勘のようなものだと思っていたのだが……。
真は、そこでもう一つの事実に気付く。
「勝志も幽世に入れる?」
「その可能性は大いにある」
ランジが言い切った。
辺りが暗くなり始め、ランジが焚き火を起こした。空には一番星が輝き出し、月々が朧げに見え始める。
燃える火の前に座った真に、ランジは幽世の詳細な説明を始めた。
「幽世は魂の領域、空間とも言われ、この世の常識が通用せず、あらゆる物理現象を無視できる」
「魂?」
「そうだ。幽世に入ると昼間でも夜空を認識できるのは、それがこの世の真の姿だからといわれている……。そして、幻獣はその真の姿……魂を変化させた故に、生物の概念を超越したとされる」
幻獣の事を、ランジは「忌々しい」といった感じで付け足した。
「幽世の才がある者……幽玄者は、まず領域内で出来る三つの基本の力を学ぶ」
火の向こう側で、ランジが三本、指を立てた。
「一つ目は、他の存在に一方的に干渉できる力―空蝉。二つ目は、五感に頼らず周囲の物を認識できる力―森羅。三つ目は、自らを自在に操作できる力―神足。……先程の飛行能力は三つ目に当たる」
「一つ目は力が強くなる訳じゃないの?」
真が質問した。
「幽世では力……つまり筋力が増す事はない。だが、空蝉を使えば相手という存在そのもの、即ち魂に攻撃できる」
ランジが付近にあった大岩に手を当てた。人間の腕力ではビクともしないサイズだ。
「幽世に入っている者に対し、現実にいる人や物は無防備に等しい……僅かな圧を加えるだけで―」
バリバリッと音がし、大岩に亀裂が入ると、呆気なく一部が砕けた。ランジの手には、サッカーボール大の岩が握られる。
「―一方的に干渉し破壊できる。逆に現実の物で幽世に入っている物に圧を加えようとしても―」
ランジが手の岩を簡単に二つに砕くと、片方をもう片方の岩に叩き付けた。同じサイズであったが、幽世に入っていない岩は、粉々になってしまった。
「―干渉できず、圧を加えられない」
真はランジの手から零れ落ちる砂粒を見ながら、漸く、幻獣の恐るべき力と耐久力を理解した。彼らは幽世に入る事で、岩盤や建物を安易に破壊し、倒木や銃弾を無効化していたのだ。
ランジが真に向き直った。
「では、訓練を開始する前に、お前が再度幽世に入れるかを確認する」
「何をすれば?」
「簡単だ。手を伸ばせ……! 幽世に入れれば物理現象は無視できる」
「……!」
真は言われた通り手を伸ばす。
目の前には、燃え盛る焚き火の、赤い炎が揺らめいていた。
――――――――――――――――――――――
ラーラは中庭からグレイス邸の自室に戻った。
父親との休暇が無くなってしまったラーラは、あそこで勉強をするのが日課になっていた。しかし、今は心配事が出来てしまい、勉強も捗らない。
「ママ……わたし―……」
ラーラが首から下げたペンダントの鏡を見つめた。不安そうな自分の顔が映っている。
果たして本当に、幽世の事を真に喋ってしまって良かったのか? そればかりを考えた。
ラーラは秘密を喋った事や、秘密をばらされてしまう可能性を気にしている訳ではなかった。幽世の事を知った真は、幻獣と戦おうとしている。それが彼女を不安にさせた。
真が、対幻獣戦闘組織に入れば、命の保証はない。万が一、母のような事になれば、自分は絶対後悔するだろう……。
ラーラは沈んだ気持ちになったが、取り敢えず着替えようとビキニを脱ごうとした時だった。窓の外に、人の気配を感じ取る。
「だ、だあれ?」
うっかりカーテンを閉め損ねていた。しかし、この部屋は二階にありベランダもない為「変だなぁ」と思いながらラーラは窓を開ける。
すると窓の横の壁に、泥棒のように唐草模様の風呂敷を背負った男が張り付いていた。
「勝志……!」
ラーラが泥棒の名前を呼ぶ。
「おお! この部屋かぁ。やっと見付けたぜ」
勝志が言った。どうやら窓からラーラの部屋を探していたようだ。
「すごい。どうやって登ったの?」
ラーラは感激し、脱ぎ掛けたビキニを直してから勝志を部屋へ入れてあげようとする。
「高いヤシの木に比べたらこれくらい簡単だぜ。まぁ、何度か落っこったけど、うあっ」
ドジな勝志は、窓枠の幅を見誤り、風呂敷を引っ掛けてしまった。幸い今度は部屋の中に転落したが、ラーラが巻き添えを受け押し倒される。
「ううっ」
「悪りぃ! 大丈夫か!?」
勝志が慌てて起き上がり、ラーラを心配する。
ラーラは幽世に入り、圧力を受けていなかった。幽世は、こういった危険が迫った際は咄嗟に入れたり、殆ど自動で力が働く、便利な物である一方―
「大丈夫……」
ラーラは勝志に無事を伝えたが、勝志の手がラーラの胸に置かれているのに気付く。
「あっ……きゃ!」
ラーラは思わず勝志の手を払う。―胸を触られる程度では役立たずの代物だった。
「わ、悪りぃ!」
勝志が再び謝った。
顔を赤らめ気まずい様子のラーラを前に、暫く、部屋に来た理由を忘れ、自分の手の平を見ていた勝志だったが、転落の原因を思い出して風呂敷を広げる。
「コレお詫びだぜ。本当はさっき、おれがラーラのジュースを飲んじまったから持って来たんだけど……。あげるぜ」
勝志が持って来た風呂敷の中身は、バナナやココナッツなどのトロピカルフルーツだった。
ラーラは切り替えてフルーツを手に取る。
「買ってきたの?」
「いや、採ってきた。これなんかデカイぜ!」
そう言い勝志はココナッツを叩き割り、半分をラーラに差し出す。ラーラは物珍しそうに受け取り、中身を飲んでみた。
「おいしい!」
ラーラの胸が弾む。甘くて冷えたココナッツジュースが、彼女の沈んでいた気分を取り戻す。
「だろ〜!」
勝志が、それを見ながら嬉しいそうに言い、自分もジュースを飲む。
二人で美味しい物を飲んだり食べたりした事で、ラーラは少し不安が和らいだ。思い切って、勝志に気になっていた事を尋ねてみる。
「ねぇねぇ。真はどうして幻獣と戦いたいの?」
「え? うーん……」
ラーラの質問に、勝志はバナナを頬張りながら考えた。ビキニ姿のままのラーラは、前のめりな姿勢で、視線がついつい谷間にいってしまう。
「ウィーグルのことがあったからなぁ……」
勝志は我に返るように、バナナを飲み込んで答えた。
「うぃーぐる?」
「幻獣だ。おれ達と仲良くなったやつがいたんだ」
「幻獣と仲良くなったの!?」
ラーラが興味を惹かれ、益々前のめりになった。
――――――――――――――――――――――
ランジは、真が再び幽世に入れる事を確認すると、最初の訓練を開始した。
真は、ランジが大岩から抉り取った岩を渡された。
「それを強く握りながら幽世に入れ」
真は言われた通り、幽世に入る。すると、握力ではびくともしない岩に、ヒビが入った。
真が更に深く幽世に入ると、一方的な圧力に岩が抗し切れず、粉々に砕けた。
「それが空蝉……! もう少しコントロールして手頃な礫にしろ」
ランジが言い、まるでパンを千切るように、大岩を次々に抉って真に渡す。真は幽世に入り込む深さを、岩の大きさの毎に変えて、それを砕いていった。
石礫が大量にできた後、ランジは次の訓練に移った。真は、今度はランジが拾った木の棒を渡される。
「これから俺が投げる礫を、それで全て受け切れ。森羅を使ってな」
日は沈みかけ、森の中は焚き火の明かりだけが頼りだった。そんな中、ランジが投げ付ける豪速球を見切るのは、不可能に近かった。しかし、真は幽世に入り、視界に頼らず礫を正確に捉え、全て防いで見せた。
その後、真は再び座らされ、幽世の身体操作、神足を習う。座禅を組んだまま重力を無視して浮き上がり、そのままの姿勢で身体を移動させる。この訓練を、周囲が完全に闇に包まれるまで続けた。
「忠告しておくが、幽世では肉体が疲労する事は無い。だが、力を使えば己を構成する魂そのものが疲弊していき、やがて死を招く。くれぐれも長時間、力を使うのは控えろ」
真に、一日目の訓練終了を告げたランジが、最後に言った。
真は、満ち足りた気分で帰路に付いた。真っ暗になった道を、今や苦もなく進む事ができる。
――これで幻獣と戦える……!
同じ土俵に立ち、渡り合う事ができるかもしれない。困った事に、真は益々、無鉄砲になっていた。
ランジは、そんな危うい真の後ろ姿を見送りながら、果たしてこの少年を「このまま鍛えても良いものか」と考えた。
幽玄者になった以上、最低限の事を教えるのは問題ないだろう。それに、訓練の内容をあっさり熟した、真自身の才能は高いと見た。しかし、この非常時に、実戦的な訓練まで行うのはやり過ぎではないだろうか?
「……これも取り引きだ」
言い訳するように、彼は呟いた。
それに、目的の為には、容赦なく火の中へと挑んでいく少年の姿が、昔の自分と重なって見えた。