五十五話 大樹の影㊂
十兵衛は、暗殺事件捜査の任務に就いてから、ルテティアのほぼ中心にある高い塔の天辺を陣取り、瞑想を行いつつ、森羅で街の様子を探っていた。
食料や定期連絡はバディに任せ、集中し切った十兵衛は、まるでオブジェクトのようで、塔に訪れる観光客などが見上げても、全く気付かれない程だった。
森羅によって、街を俯瞰し続けた十兵衛は、一日の人々の流動を大まかに把握してみせた。一人一人の動きは追えなくとも、大通りには多くの人が行き交い、朝昼夕などの決まった時間には人の移動が激しくなる。時と場所で、決まった流れが存在した。
十兵衛は、その基本の流れを把握する事で、違いを過敏に捉えた。違いは、事件や事故、トラブルから起こり、そうなると人の流れは乱れ、平穏とは違う空気が流れる。
「ム!」
この日の昼過ぎ、街の東の一角から、十兵衛はその違いを感じ取った。
そこの人の流動は、普段通りで穏やかだったが、突如、そこを流れる空気が、殺伐としたものに変わったのだ。続いて、そこから道に沿わずに去っていく気配も、十兵衛は感じ取った。
十兵衛は、これを異常と判断し、愛刀、太刀魚を取り、現場へ一直線に神足で向かった。去っていく気配は、同じように人間離れした速度で動いている。
「俺だ。新たな殺人が起こった。犯人を追跡する!」
十兵衛は小型無線で、捜査本部のアベルに連絡を入れた。現場や仲間への連絡は彼に任せ、十兵衛は追跡に専念した。
――一、二……三か……!
犯人は、どうやら複数のようだ。幽世を移動しているだけあり、微かな気配しか感じない。高速で移動する相手を視失わない為にも、増援を待つ猶予はないだろう。
十兵衛は、単独で追跡を行う事になると覚悟した。しかし、彼の後を追随してみせた者が、一人だけいた。
「僕も行きます」
真だった。
真は、十兵衛のような常軌を逸したやり方で異変を察した訳ではない。彼が、この事態に素早く対応できたのは、その十兵衛を一目置いている故であった。
真は、未だ自分よりも優れている幽玄者は、やはり、十兵衛とガイだと感じている。その十兵衛が、突然、行動を起こした。それ事態が異常事態の合図だ。
真は、より強力な幻獣と戦う為には、十兵衛やガイを超えるのが必須だと思っている。腕前は、視て盗む。強く十兵衛を意識しているからこそ、付いて行く事ができた。
「ふん」
十兵衛は、自分以外にもこの微かな異常を感知できた者がいたと勘違いし、若干不服といった表情で真を一瞥した。
二人は程なくして、事件現場の上空を高速で通り抜けた。
ここで殺人が起こったのは確かなようだ。血まみれになったスーツ姿の人物が、路上に突っ伏している。異変に気付いた人々が、近くの、教会と思われる建物からやって来て、救助を呼んでいる。
そちらは任せるしかない。自分達が病院に運んであげれば、助かる見込みがあるかもしれないが、それで犯人を逃がしてしまっては意味がなかった。
真は、ふと疑問を抱き、十兵衛に確認した。
「犯人に追い付いたら、どうするんですか? 捕まえるんですか?」
白兎隊は幻獣との戦闘組織。殺人犯とのやり取りは専門外だ。
「いや……斬る……!」
十兵衛が、バッサリ言った。
真も「まぁ、それしかないだろう」と思った。相手が幽玄者ならば、事は簡単には運ばない。だからこそ隊士は全員、この任務中はフル装備なのだ。
犯人グループは、二人よりも一キロほど先を移動していた。既に森に入ってしまい、姿は目視できない。
真は、再び小型無線を取り出した。街から出れば、無線の中継点から離れてしまい、通信は不可能になる。
「こちら登張。犯人は東へ逃走中。僕らも間もなくルテティアから出ます。以降、追跡用のマークを残します」
真は、この手の任務の経験はないが、幻獣の追跡任務を参考にした。戦争再開以前の幽玄者は、しばしば発見された幻獣を始末する為、夜通し追跡を行い、その後を援軍が追尾するというやり方を取っていた。
この追跡が、長時間に及ぶのは確実だ。その覚悟を真に問うかのように、十兵衛が聞いた。
「真。お前は白兎隊の法度を知っているか?」
「?」
真は、入隊以降、訓練ばかりしていた為、白兎隊の掟など知らなかった。しかし、法度を定めているのなら、それなりに見聞きする機会もありそうなものだが、全く心当たりがない。
「いえ。……そんなのありましたっけ?」
「まぁな。前隊長が思い付きで定めた、無茶苦茶な掟ばかりだからな。それに、破った際の咎めは決め忘れたらしいから、有って無いようなものだ。……俺も殆ど忘れた」
「あ、そうですか」
真は、ルールに縛られるのは嫌いだが、これには何故か拍子抜けした。
「だが、一つだけ……法度その壱だけは覚えている……」
十兵衛が言う。真は無茶苦茶らしい法度に、逆に興味を持った。
「その一、白兎隊士たるもの―」
十兵衛は「これが父の残した唯一の教訓」と思う事があり、それを伝えた。
「死んではならない……!」




