十三話 少女の秘密
カーネル海にある海底洞窟―中央に、二体の幻獣が辿り着いた。
何れも身体に傷を負い、血塗れている。しかし、どちらの幻獣も平然としており、尚も闘志に溢れているようだった。
ラウイン・レグルスと共に中央に入った側近の幻獣―ウヴァルが、二体を空間の中心にいるラウインの下へ案内した。
「ラウイン。ジャージャーとオカナガンが参陣したぞ」
「ラウイン・レグルス。共に戦ってくれると言うのならば、ミーもキサマの軍に加わってやるネ」
ジャージャーと呼ばれた、顔に生傷がある黒い馬のような幻獣が、前置きもなくラウインに告げる。
「ここに来るまでに街を二つ壊滅させた。アキナ島には白兎隊が駐在している。ヤツらを倒してこそ我らの実力を誇示できる!」
白兎隊にやられた傷がかなり深い様子のもう一体が、ゴポゴポとした音を発しながら言った。こちらは蛇のように長い身体をしていたが、やはり頭部は馬に似ていた。
ラウインは彼らを見留め、静かに言う。
「無論、白兎隊は旗揚げに相応しい相手だ。雪辱の機会は必ず与える。歓迎しよう同志よ」
ラウインは彼らを仲間に迎え入れた。
来るべき戦いに備え、傷を癒すよう指示した後、ラクダに似た姿をしたウヴァルが言う。
「逸って勝手な戦をしてきた奴らだ。大した戦力にはならと思うが……」
既に、ラウインの下には、新たな戦力が集結しつつあった。しかし、その多くは、血の気が多く、粗野で、無鉄砲な連中だった。
「分からんぞ。連中はニンゲンに虐げられ燻ってきた。怒りが……思わぬ力を発揮するかも知れぬ」
ラウインはそう言い、再びこの世の中心で、幻獣達の動向を見据えた。
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「―んっ……真っ!」
真は、長い夢から覚めたのだと思った。朝起きると、子供の頃よく自分を起こしていた、リズ姉の声がするからだ。
しかし、どうも体を起こそうにも動かせない。自分という存在を動作させるエネルギーそのものが、枯渇しているような感覚だった。
そう感じた時、真は自分が幻獣と戦ったのは夢ではないと気付いた。
漸く目を開けると、真の目に、色っぽくなった今のリズ姉が映った。どうやら、どこかの部屋のベッドに寝かされているらしい。
「リズ姉……ここは?」
「グレイス邸だぜ。真」
青ざめた顔のリズ姉の横から、勝志が顔を出した。
「ここは?……じゃ、ないわよ。もうっ」
リズ姉が安堵したように言った。昨日、出掛けた時と同じ、白地のスーツに、ミニのタイトスカートという格好のままで、どうやらアパートには戻っていないようだ。
二人の話によると、真は幻獣に襲われ気絶し、ここに運ばれたらしい。体に大きな怪我などはなかったものの、半日以上眠っていたとの事だ。
「本当、子供の頃から心配ばかり掛けるんだからっ」
リズ姉が涙ぐみながら言い、真に布団を掛け直した。
「リズ姉、その下着もお店のなのか? 昔はそんなの持ってなかったよな?」
勝志が、前屈みになったリズ姉を、後ろから見た感想を述べた。
「こらっ、変なトコ見ない!」
慌てて大人っぽい下着を隠し、リズ姉が怒った。真の意識が戻った事もあり、顔に血色が戻る。
「この島はもう長くはいられないわ。いい? 二人は私の避難の順番になったら、一緒に船に乗るのよ!」
「リズ姉、お店はいいのか?」
「こんな状況でやってるワケないでしょ。それにあそこは変なお店じゃないわ!」
勝志にリズ姉がキツく言う。心配性のリズ姉は、真と勝志を連れ、直ぐにでも避難したいようだ。
リズ姉は、真の体調に問題がないかを確認した後「二人は部屋にいなさい」と言って出て行った。去り際に「ここって電話があるらしいじゃない。何とか院長に連絡が取れれば……」と聞こえた。
部屋に残された真は、ようやく体が動くようになってきて、自分の身に起こった事を振り返る。
突然、幻獣に負けない力を出せたのは何故か? 周囲の物を正確に捉えられる、あの不思議な感覚は何なんだろう? と。
恐らく、対幻獣戦闘組織である白兎隊は、あの力を使って幻獣と渡り合うのだろう。そうなると秘密を知るには彼らに聞くしかない……。
「あの力を自在に使えれば、僕も戦える……!」
真は、逸る気持ちを抑え切れなくなってきた。
「力って、ウィーグルに乗った時みたいに体が軽くなるヤツか?」
勝志が言った。
「それなら、ラーラも不思議なことが出来たんだ。凄い力でおれを引っ張って、幻獣の攻撃にも耐えたんだぜ」
真は驚いて勝志を見た。勝志は馬鹿な所はあったが、嘘は吐かない。
「ラーラが……?」
真は、秘密を探れる意外な相手を得た。
真と勝志は、グレイス邸内で、リズ姉に見付からないようにラーラを探した。
ラーラの部屋はどこかと考えていたが、彼女は簡単に見付かった。邸内の中庭にプールがあり、パラソル付きのテーブルにいる彼女が廊下の窓から見えたのだ。
真と勝志は、こっそり中庭に出る。
「おーい、ラーラ!」
「か、勝志……真……!」
ラーラはフリルの付いた、可愛らしいビキニを着ていた。普段は服の胸元に入れているペンダントが、太陽の光をキラキラと反射させている。どうやら勉強をしていたようだ。
勉強などどうでもいい真と勝志は、お構いなくパラソルの下に入った。
テーブルの上には、教科書やノート、トロピカルなドリンク(勝志が興味を持った)の他に、茎のない花が、水の入った平皿に浮かんでいる。アマリ島の学校と比べると、勉強の難易度が高そうだったが、教科書からラーラが中学二年生だと分かった。しかし、露出すると、ウエストのくびれや腰つきの良さがより分かり、ラーラのカラダが早熟なのは明らかだ。
ラーラはプライベートに男の子が急に現れ、少し恥ずかしそうにした。
「勝志に聞いたんだけど……君は幻獣が使う不思議な力を使えるんだね?」
真が話を切り出す。ラーラは、その事を聞かれるのを予想していたのであろう、小さく頷いた。
勝志の話では、ラーラは幻獣に捕まってしまい、普通なら死んでもおかしくない状況になったらしい。しかし、真の見る限り、水着姿のラーラに怪我はなかった。
「あの力は何? どうすれば使えるの? 僕も昨日、その力を使ったんだ。でも、今は体が重いだけで、同じようにできない」
真は、何となくもう一度力を使おうと試みていたが、さっぱり手応えがなかった。
ラーラが俯く。側から見ると、ビキニの女子に言い寄る男二人組に見えかねないと思ったのか、真は向かいのイスに座った。
「あの力はね……幽世って言うの……」
左手に持っていたペンを置き、ラーラがそっと言った。真と勝志が首を捻る。
「カクリヨ……?」
「正確には力じゃなくて、あの空間のことだけど……」
ラーラが説明する。
「この世界には目や耳、体じゃ感じ取れない真実の世界があるの。……それが幽世。幽世は普通のこと……常識が通用しない場所で、凄い力が出せたり、速く動けたりするの」
真は、自分が遥かに重い幻獣を振り払ったり、空気の抵抗を受けず素早く動けた事を思い返す。
「このことは誰にも喋っちゃだめだよ。それとわたしが幽世に入れるのも内緒にして」
「何でだ?」
ラーラのお願いに、もう一つのイスに座った勝志が理由を聞いた。
「わたしは幽世に入るのをパパに禁止されているの。……だから、今回のことも凄く叱られちゃって……」
ラーラが水に浮かべた花を見ながら、悲しそうに言った。
「どうして幽世に入るのが駄目なの?」
真も聞いた。
「あれは幻獣の場所だから……。幻獣は幽世に入ることで動物から進化したらしいの」
「ずっと居れば、人も幻獣になるって事?」
「ううん。そんな例は見付かってないけど……。幽世に入るのは幻獣に対抗できる唯一の方法。それが出来る人は幽玄者って呼ばれてて、幻獣と戦うことを強制されるの……」
真は白兎隊のガイが、幻獣の攻撃を易々と受け止めたのを覚えている。彼らこそが、幽玄者なのだろう。
「……わたしのママもね、幽玄者だったの。だから、ずっと幻獣と戦ってた……。でも……わたしが小さかった頃に……」
ラーラが胸のペンダントを握った。歪な長方形をした、御守りのような物に見える。
「ママのことがあったから、パパはわたしが幽世に入れることを秘密にしたの。絶対にバレたりしないように、なるべく人と関わらないことをわたしに約束させて……」
それは大臣の家族であっても、幽世に入れるだけで、対幻獣戦闘組織に所属しなければならない事を意味している。真は、それだけ幽玄者が希少で、大きな力を持つのだと予想した。
「それに……例えそうじゃなくても、幽玄者なのは人に知られない方がいいよ。……聞こえないはずの声を聞けたり、凄い力を使えたりしたら……みんなが怖がるでしょ…?」
ラーラが忠告する。人懐っこそうな彼女にとっては大きな問題かも知れない。
「でもおれ、ラーラのお陰で助かったんだぜ?」
何時の間にか、ドリンクに付いているフルーツを摘んでいる勝志が、正直に言った。
一方、真はラーラとは違う考えだった。
「そうかな? 僕なら進んで力を使うよ。周りの人間なんて気にしない」
ラーラは言葉に詰まった。
真は、余りこういう事はしたくなかったが、交換条件を出した。
「君が幽玄者なのも、幽世の事を話したのも秘密にするよ。ただ、代わりに幽世への入り方を教えて欲しい」
ラーラは少し驚いたような表情をしたが、やむを得ないように「いいよ」と言って立ち上がった。
ラーラは中庭にあるプールの側まで歩いた。真と勝志が見守る中、ラーラは少し深呼吸をして、あちら側へ向かう。
「幽世はね、怖かったり、悲しかったり、心が不安定な時の方が入り込み易いの。わたしも小さい頃は全然コントロールが出来なかったんだけど……」
自分の様子を第三者に見られていないかどうかも幽世で確認したラーラは、二人が視覚的に分かるようにプールに入る。
「!」
真と勝志は驚いた。
プールに入ったラーラは、沈む事なく水面に爪先立ちで浮かんでいる。そして、そのまま波紋を作りながら、プールの真ん中へ滑って行った。
ふわふわした印象を与えるラーラだが、完全に重量がないかのようだった。
「大切なのは、それでも自分を見失わないこと」
プールの中央でこちらを振り向き、ラーラが言った。
真はラーラを見て考えた。
自分が幽世に入れたのは何故か? 心を不安定にしていた物は何か?
――恐怖? 絶望?
いや、なんとなく原因は分かっていた。
真は目を閉じた。
――怒りだ。
幻獣に対する怒り。何もできない自分に対しての怒り。それが自らの精神を乱し、著しく無謀な行動を起こさせていた。
その結果だ―
真はそれを自覚し、未だ自分の中に燻る火を見つめる。
「真……!」
ラーラが声を掛ける。
目を開けると、真は輝く星と月の下、真実の世界― 幽世に佇んでいた。ラーラを覆う、儚げな光も見て取れる。
「真……幽世は深く入り込むと、戻って来れなくなってしまうの。そうなると……」
ラーラが、命の危険がある事を警告する。
真は、幻獣と戦っていた時、ラーラが自分を引き戻してくれた事に気付いていた。倒れて眠っている間、心配して部屋へ訪ねて来てくれた事も聞いている。
「ありがとう。……これで僕は、幻獣に近付ける……!」
力を渇望し、その先へ向かおうとする真を見て、力を望まないラーラは、寂しげな表情をした。
真はその日の夕方、白兎隊のランジに呼び出され、再び軍の野営地へ向かった。