十二話 幽世
真は、自分が新たな世界に足を踏み入れたと感じていた。
目に映る、破壊されたアキナ島の街並みは、先程までと変わらないが、砂埃が舞う中でも、それらをクリアに認識できる。
ずっと鳴っていたサイレンの音が消え、変わりに風や波といった、自然の音や、逃げ惑う人々の声を聴き分けられた。
一番異質だったのは、昼間にも関わらず、五つの月が空に浮かび、煌々と輝いている事で、そして、その光を浴びている幻獣が、同じような光を放っている事だった。
真は、ここがこの世界の真実の姿である事を、直感的に理解した。
「キサマ……ナニモノダ……!」
先程まで人語を発しなかった幻獣の声が、真に届く。真は、自分が五感とは違う感覚で、あらゆるものを認識している事に気付いた。
「何者でもないさ。……唯―」
真は幻獣に伝える。
「―君の敵だ!」
勝志は、クラーケンから斬り離された触手から、ラーラを助け出す。医療の知識は皆無の勝志だったが、彼女の体に大きな怪我はないように見えた。ラーラも荒い息遣いをしていたが、それでもめくれていたスカートを直すだけの余裕を持てていた。
勝志は地面に刺さった槍を、改めて見た。「天から降りてきた」にしては、質素な造りだ。光の槍に見えたのも、あまりの速さで飛んで来た所為だろう。
勝志が出所を確かめようと上を見る前に、槍の横に男が着地する。白兎隊のバン・ランジだ。羽織りを靡かせ、空を飛んで来たかのように天から現れたランジは、槍を引き抜くと、それを素早く構える。
呆然としている勝志に、ランジが「下がれ」と静かに言った。それが合図のように、脚を斬られたクラーケンが攻撃を再開した。
イカ幻獣は、明らかな強敵が現れた事で、本気になったようだ。先程より遥かに激しく、九本になった脚を乱舞させる。
しかし、ランジはその全てを、人間離れした動きで躱し、槍で弾き返す。そして、地を蹴る事なく接近し、槍で幻獣の胴体に強烈な突きを加えた。
「爆竹槍!!」
槍の穂先が、敵を突いた瞬間、起爆する。クラーケンの胴が一瞬で爆ぜる、凄まじい威力だった。
下足だけになったイカ幻獣が地面に崩れ、残された脚がウネウネ動き続ける悍ましい姿を晒した。
勝志が目を丸くしていると、軍の援軍が駆け付けていた。ランジが兵にこの場を任せると、何時もの険しい表情のまま宙に舞い上がり、去って行った。
「すげぇ……」
感心している勝志の隣りで、ラーラがランジの向かった先を不安そうに見つめた。
「真……!」
ラーラは、一人の少年が、こちら側に来てしまった事を感じ取っていた。
真は、巨大トカゲ幻獣に素早く接近する。空気の抵抗を受けない今の真は、幻獣との距離を瞬く間に詰め、そのままサーベルを振り下ろす。
幻獣の硬質な皮膚が、易々と斬り裂かれた。真は立て続けにサーベルを振り回し、敵の鮮血を舞わせる。
「グアァ!」
幻獣は苦痛に悶えたが、今度は逆上したよう体を回転させ、真に尻尾の一撃を加えた。
「くっ!」
真は咄嗟に防御したが、十数メートルの距離を吹っ飛んだ。建物や車両を破壊する幻獣の攻撃だったが、真の身体は耐え切り、殆ど無傷で立ち上がる。
まるで、この世界における、真自身を構成する何かに、敵が干渉できなかったかのようだった。
真は、身体の感覚がなくなっている事に気付く。重力を感じない為、上下も分からなくなってきた。最早、この不可思議な世界で通じる、特殊な感覚だけで、物を感知し、身体を動かしていた。
極限状態の中、真は、これ以上この空間にいるのは危険な気がしてきた。しかし、引き下がる訳にはいかない。
目の前の幻獣を覆う、月明かりのような光が、強さを増す。それは、より深くこの世界に入り込み、真自身に対してダメージを与える事が出来るようにしているかに見えた。
真も負けじと、更に深く、この空間に入り込む。
真と幻獣の身体が、重力を無視し、宙に浮く。
睨み合った両者が、同時に相手に突撃した。
「真―」
突然、真は、誰かが自分に呼び掛ける声を聴いた。
「―遠くへ行ってはだめ……!」
真の動きが止まる。幻獣には聴こえなかったのか、敵の勢いは止まらない。
棒立ちの真に幻獣が迫った。
「!?」
その時、幻獣の前に、羽織りを着た男が立ち塞がった。
男は両手に、柳葉刀のような大振りな刀を携えている。その一本を盾のように横にして構え、広い刃の側面で、幻獣の突進を受け止めてみせた。
「チッ、ハデに暴れやがって!」
男は白兎隊のガイだった。入隊試験で勝志を遇らった際にも相当な怪力を見せたが、それとも比にならない、驚くべき力だ。
ガイは、そのまま刀を振り幻獣を押し返す。幻獣の前足が浮き、巨体が起き上がった。間髪入れず両手の刀を交差させるように振り下ろす。
真から受けた攻撃よりも、遥かに強烈な斬撃を受けて、幻獣は仰け反り倒れた。
真は状況を把握しつつも、身体の動かし方を忘れてしまい立ち尽くした。そんな真の背後に、何処からともなくもう一人の白兎隊士、十兵衛が現れる。
真が振り向くよりも速く、十兵衛は無言のまま真の首の後ろに手刀を加えた。
「……!」
真は先程までいた空間から、現実に引き戻される。
空に浮かぶ月が消え去る。
体に感覚が戻った事を認識する前に、真は意識を失っていた。
――――――――――――――――――――――
「―どうなってやがる」
トカゲ幻獣を倒した後、十兵衛が安全の為に気絶させた真を見て、ガイが言った。
「幽世を知らなかったヤツとは思えねぇな」
十兵衛は、無線で他の白兎隊士と連絡を取っている。彼も刀を所持しているが、ガイのような大振りな刀ではなく、持ち手に白い麻布が巻かれた、鍔のない杖のような形状だ。
幻獣の脅威が去った周辺では、軍が負傷者の救助をしたり、事態の説明を求めて殺到する人々を抑制している。
そんな人々を飛び越え、ランジが現れた。軍に「まだ警戒を解かないように」と指示を出し、救護隊に倒れている真を運ばせる。
「ちょっと! 私、その子の知り合いですっ!」
軍の静止を振り切り、十六、七の女性が、運ばれる真に駆け寄って来る。
スーツ姿の女性は、人混みを掻き分けて来た所為か衣服が乱れ、容態を見ようと真に覆い被さるような姿勢を取った時、ブラチラした。
ガイが、女を値踏みするように見ながら、ランジに嫌味を言う。
「しっかし、本当に才有りとは。……ああ、あんたの目利きじゃなかったか」
ランジは何も言わない。十兵衛が無線を切り、現状を報告する。
「確認できた幻獣は全部で五体。一体は海岸で仕留め、二体は逃げたそうです」
「中心の方角だな」
ランジが確認した。
「監視下から脱走し、集落を所構わず襲撃していた連中だろう。……お前達は海岸へ行き見張りに付け。まだ油断するな。隊長には俺が報告する」
「あいよ」
ランジの指示で、二人は海岸へと飛び去った。
ランジは、ガイが殺した幻獣に目を向ける。
幻獣には、致命傷であるガイの刀傷の他にも、真が付けた無数の傷跡がある。
それは、思い通りにならない現実に抗う少年の、執念の痕跡に映った。