十話 ラーラ・グレイス
朝靄が立ち込める港に、複数の人影が揺らめく。全員が靄に紛れるような、靡く羽織りを着ていた。対幻獣戦闘組織、白兎隊だ。
彼らを率いる副長のバン・ランジは、険しい表情で周りの隊士と現状を話し合っていた。
「カズ島と隣国のフィジックでも監視下に置かれた幻獣が逃亡した。間違いなく中心へ向かっている」
「ラウイン・レグルスは全ての幻獣を招集する気か?」
「やはり、昨日のアレは気の所為じゃない……」
隊士達は神妙な面持ちだ。
ラウインが率いた幻獣軍―死祖幻獣軍が、カーネル諸島に侵攻し、世界中の幻獣達に決起を呼び掛けたのは明白だった。それにより、アクアトレイに散在する幻獣達が、動きを見せていた。
「こちらから仕掛けるのは厳しいと思うか?」
「レグルス相手に今の人数でですか?」
「直にプロヴィデンスが派遣した軍が来ます。それまでこの島の防衛に専念しましょう」
ランジの提案に、部下達は「とてもではない」といった反応を示した。それを見てランジも「やはりリスクが高すぎるか……」と考えを改める。
「隊長は何と?」
「隊長はアキナ島には来れない。国内の幻獣の始末に当たっている。……いいか? 逃走した幻獣による被害が既に出ている。血に飢えた奴らだ。くれぐれも警戒を怠るな!」
ランジの指示に隊士達は「はい」「分かりました」と応え、既に見張りに着いている隊士がいる、靄の中へと消えて行く。
一人の残ったランジは、港から海の方を見た。
ウィーグル・アルタイルを追い、この海域へ来たが、とんだ大事になった。
白兎隊は今、軍と協力し、何時攻めてくるか分からない幻獣を、二十四時間体制で警戒している。港には戦艦が数隻、物々しく停泊しているが、今朝のように、ろくに視界も取れない状況では心許ない。自分達が、この島と住民を、何としてでも守り切らなくてはならなかった。
ランジは、靄の向こうにいる敵に、睨みを利かせる。その表情は何処か、やり切れない想いを感じさせた。
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街は閑散としている。アキナ島は世界的にも有名な観光地であり、普段は白い浜辺やお店が、溢れんばかりの人で賑わう。しかし、今回の幻獣騒ぎで、観光客は、慌てて島を去るか、ホテルに引き籠ってしまった。
真と勝志は、そんな街を適当に歩いていた。金の無い自分達には、元々、縁のない場所だ。
二人は昨夜、結局サンゴの家の先輩エリザベスこと、通称リズ姉を頼った。白兎隊の男ランジには、グレイス邸で世話になるように言われたが、彼に従うのは癪だった。
オリーブ色の髪のリズ姉は、働いている夜のお店に真と勝志が尋ねて来ると、初めは「いらっしゃいませー」と甘い声で現れたが、二人に気付くと「何でここにいるのよ!?」と金切り声に変わった。
しかし、お店に客がいなかった事もあって、リズ姉は直ぐに二人を自分のアパートに連れて行き、文句を言いつつも、何やかんや世話を焼いてくれた。
「本当、小さい頃から悪いことばかりして! 全然、成長して無いんだから!」
干してあった下着を急いで仕舞いながら、事情を聞いたリズ姉が言った。
温厚な院長に比べ、リズ姉は昔から(かなり)口うるさいのが難点だった。それでも食事と着替えを用意し、狭い部屋に泊めてくれる器量と面倒見の良さを発揮してくれ、二人は大変助かった。
朝になるとリズ姉は、スーツを着て何処かへ出掛けて行った。真は、どうにかして院長と連絡を取るつもりなのだろうと予想した。
二人は、出掛ける前にリズ姉と「部屋からは出ないこと!」「絶対にタンスを開けないこと!」を約束させられた。
街のベンチに座り、真は今後の事を考えた。
軍にも対幻獣戦闘組織にも入れないのなら、潔く、リズ姉と一緒に、この島から出る避難船の順番を待つしかない。
しかし、今だにやり切れない想いが、真の中で渦巻き、それを解放する手段を探している自分がいた。
少女が一人、道を挟んだ先のお店に訪れて、店先にある花を眺めている。定員が現れると「お花をください!」と少女は明るく言った。
「あいつ……」
勝志が呟く。
真も少女が昨日、森で出会った娘である事に気付いた。麦わら帽子を被り、昨日とは違う服装だったが、幼い声とピンクの髪は間違いない。
「あいつ、その辺に生えてる花、買ってるぜ?」
勝志が指摘する通り、少女が選んでいる花は、カーネル諸島の島に自成する花ばかりだった。
「観光客には珍しいんだろ」
少女の日焼けしていない白い肌見て、この辺りの住民でないと、真は判断していた。
しばらくすると、少女が大きな花束を抱いてお店から出て来る。真は昨日の礼をするべきか迷ったが、勝志が「おーい!」と声を掛けた。
少女は直ぐに此方に気付き、声を掛けられたのが嬉しかったのか、ふわふわ駆け寄って来た。
「こんにちは! 昨日、森に居た二人だよね」
「そう、森の二人だ! 昨日は助かったぜ」
「ううん、ぶつかってごめんね。それにわたしってば、直ぐ行っちゃて。用があった訳じゃないんだけど……」
澄んだ瞳で少女が言う。やはり、言動に反して大人っぽい体型の娘で、ギリギリの長さのミニスカートから覗く太ももが眩しい。
真は外身と中身を差し引きして、同じ歳くらいかもしれないと思った。
「花を買いに来たの?」
「うん、パパにあげるの!」
それを聞き、真は「もしかして」と思って聞いた。
「君はグレイス……さん?」
「わぁ、そうだよ。良く分かったね」
「何となくね」
真は彼女が地元の人間ではない事と、昨日、グレイス邸の方向から来た事から推測した。
「ラーラっていうの。わたしはラーラ・グレイス!」
少女が元気よく名乗った。
「僕は真」
「おれは勝志だぜ!」
真と勝志が言った。
「じゃ、君のお父さんが……」
「うん、ゼフィール・グレイス。ガリアの大臣をしているの」
ラーラが自慢するように言った。この娘が言うと嫌味がない。
森で出会った時も感じたが、この少女には人の邪気を払う、不思議な力があると真は思った。それは、丁度、彼女が抱いている花が持つ力と、同じかもしれない。
立ち話も何。……というより、お昼を食べたい勝志の提案で、三人は近くのお店に入った。
飲食店の店主は「こんな非常時に店なんかやってられるか」と不機嫌な様子で現れたが、ラーラの姿を見ると、あっさり態度を軟化させ、店を開けてくれた(それでも真と勝志には冷たかった)。
真は、サバイバルに使う道具なら、上着に色々入れていたが、お金は大して持っていない。勝志に至っては、ポケットに入れた自分の似顔絵一枚が、唯一の所持品だった。
二人はやむを得ず、外国の大臣の娘の経済力に期待する事にした。
「二人はこの島の人? いいなぁ、綺麗なビーチがあって」
政治家の娘だけあって、お行儀良く料理を食べながらラーラが羨ましがる。
「おれ達はアマリ島出身だぜ」
品なく食べ物を片っ端から口に詰め、勝志が言う。
「半分無人島みたいな、つまらない島だよ」
アキナ島へ来る観光客は、大概、アマリ島の存在など眼中にない為、真は付け足した。
ラーラは「でも、海は綺麗でしょ!」と微笑んで言い、この島へ来た理由を話してくれた。
ガリア国の大臣であるラーラの父親は、他国の政治家と、しばしば別邸であるグレイス邸で会談する事があるらしい。今回はラーラが夏休みなので、親子は休暇を兼ねてアキナ島にやって来た、との事だった。
「お仕事が終わったら、一緒に遊ぼうって言ってたんだけど……」
残念ながら海に一度も出る事なく、この度の騒動になってしまったらしい。
ラーラの父は、国には戻らず、別邸を軍や報道機関に開放し、自国の観光客も多いこの島を守る為に尽力している。
ウィーグルがカーネル海に来るのがもう一日遅ければ、親子の休暇もあったかもしれないと、裏を知る真は思ったが、黙っていた。
「忙しいのは仕方ないから海は諦める……。でも、せっかく来たからパパにお花でもプレゼントしようかなって!」
ラーラはめげずにそう言ったが、少し寂しそうに見えた。
勝志が遠慮なしに食べまくったツケを、ラーラは気前良く支払ってくれた。それをいい事に、真は彼女に、父親に会わせてほしいと頼んだ。
ラーラはこの件に対しても、特に迷惑がらず「じゃ、一緒に行こ!」と寧ろ喜んで承諾してくれ、三人は揃ってグレイス邸へ向かう事にした。
ショッピング街からグレイス邸への道を、真と勝志はラーラに付いて行った。前を歩くラーラのギリギリのミニスカートは、後ろから見ると、お尻のラインが覗く程の短さだ。
それを眺めながら、勝志が真に聞いた。
「何であいつの父ちゃんに会うんだ?」
「何……。ただ、僕らも何か手伝える事はありませんか? って聞くだけさ」
真は、それが殆ど無理なお願い、と分かってはいたが、これが最後の伝だと思った。
疚しい考えをしていると、ラーラが歩みを止めている。漸く、後ろの男子の失礼な視線に気付いたのかと思われたが、道に蛇がいるのを見付けたかのように固まっている。
「どうした?」
ぶつかりそうになった勝志が、声を掛ける。真は一体、何があるのかと警戒した時だった。
「!」
妙に落ち着かない感じがした。嵐の海や暗い夜道で、波や障害物が分かる、あの感覚だ。
しかし、それらより遥かに危険な何かが近づいて来るのが分かる。真はそれが何か、直ぐに理解した。
止まっているラーラが、小さく呟いた。
「幻獣―」
その瞬間、けたたましいサイレンの音が、島中に響いた。