世界一可愛くて欲張りな私の妹について
私の妹、グリーディアは、幼い頃から他人のもの、特に私が持っているものを見ると、すぐに羨ましがる癖がありました。ですが、私は彼女のことが嫌いではありません。むしろ大好きですし、彼女のそんな無邪気な姿が可愛らしくて堪りません。
なぜなら彼女は、ただ我儘に甘えて与えられるのを待つのではなく、欲しいものを自ら努力して手に入れようとするからです。残念ながら、その努力の方向性が大抵斜め上なことだけは否めませんが。
グリーディアが5歳の頃、私が誕生日に母から貰ったドレスを、彼女は羨ましそうにじっと見つめていました。
「どうしたの、グリーディア? あなた、もしかして、このドレスが欲しいの? でも、これはアネモネへのプレゼントですし…」
「大丈夫ですわ、お母様! 私は全く気にしませんよ! グリーの天使のような笑顔こそ、私にとって一番素敵な贈り物ですもの!」
「はあ…お母さまもお姉様も何を仰っているの!? 全く…少しも私の気持ちを分かっていらっしゃらないのだから!!」
妹の予想外の反応に、二人とも驚いて固まってしまいました。
「私が欲しいのは、お姉様のドレスではありません! 亜麻色の生地は、お姉様の艶やかな髪によく似合っていますし、ウエストリボンとメッシュグローブの差し色は綺麗な瞳と同じ薄紫でとても素敵だわ。それに純白のフリルはお姉様の雪のように美しい肌のようじゃないですか」
「…艶やかな髪に綺麗な瞳、雪のように美しい肌…えへへ…」
「折角お母様から抜群のセンス溢れる素晴らしい贈り物を頂いたというのに、お姉様はなんてことを言うの? 私が求めているのは自分に似合った世界に一つだけの、私のために仕立てられた最高のドレスなの!!!」
「…抜群のセンス溢れる素晴らしい贈り物…うふふ…」
そう言い放って屋敷を飛び出したグリーディア。ですが、私は容姿を、お母様はプレゼントのセンスを、それぞれ大好きな彼女から褒められたことで、すっかり惚けてしまっていたので反応するのが遅れてしまいました。
てっきり家出をしたのかと思って慌てて追いかけたのですが、彼女が飛び込んだのは街の洋裁店でした。そして、あろうことか店主に対して自分を住み込みで働かせてくれるよう、必死に頼みこみ始めたのです。相手も突然5歳児にそんなお願いをされて混乱していましたが、最終的にはあまりの熱意とその巧みな弁舌に丸め込まれてしまいました。
「型紙の縫い代線と出来上がり線は、これで良いでしょうか?こちらの地直しと、かがり縫いも終わりました」
「教えた通り完璧にできているわ! 本当に上手ね! 一を聞いて十を知るとはあなたのためにある言葉よ! この子は、ひょっとすると千年に一人の逸材かもしれないわ!!」
私達家族は当然心配して毎日交代で何度も様子を見に訪れていたのですが、グリーディアのてきぱきとした仕事ぶりに店主も店員達も驚きつつ、彼らの持つ技術を熱心に教え込んでいるようでした。
そして半年後、既に従業員の誰よりも、いえ、恐らくは王国でもトップクラスに優れた技術を身に付けた妹は、店に残ってくれるよう泣いて取り縋る店主を素っ気なくあしらい、我が家に帰ってきました。
「私は自分のためにドレスを仕立てる技術が欲しかったの。顔も知らない他人のために服を作るなんてまっぴらごめんだわ!」
ツンと澄まして突き放すような口調で喋るグリーディア。
ですが、私は知っているのです。自分に洋裁のことを一から十まで教えてくれた彼らへの感謝の気持ちとして、毎月彼女が仕立てた沢山の洋服を匿名で送っていることを。そしてその服が洋裁店で大人気のブランドとして注目され、王国中から顧客が殺到していることも。
勿論、彼女自身も自分のために仕立てた世界で唯一のドレスにご満悦のようでした。私達もさらに磨きがかかった妹の美しさに見蕩れて頬が緩みっぱなしでした。
それからほとんど同様の経緯を辿り、靴、バッグ、アクセサリーを私がプレゼントされる度に、妹は靴職人、革細工職人、宝石加工職人としての一流のスキルを手に入れていきました。その度に、彗星のように現れた匿名大型新人の噂で国中持ち切りになったことは言うまでもありません。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
グリーディアが10歳になった頃、王都で行われた鑑定の儀により、私に聖女の力が宿っていると判明しました。幸いなことに、軽い病気を癒す程度の力を持つ聖女は、そこまで珍しくありませんでしたので、ほとんど今まで通りの暮らしをすることができました。時折訪ねてくる町の病人達に、手をかざして治療を行う私の姿を見て、いつものように羨ましそうにする妹。
「どうしたの、グリーディア? あなた、もしかして、聖女になりたいの? でも、これはアネモネにしか出来ない事ですし…」
「大丈夫ですわ、お母様! お姉ちゃんは、あなたのためなら聖女の役割なんていつでも交代してあげるわよ! …そうだわ! 二人羽織をして服の中に隠れている私がこっそり患者を癒すという作戦はどうかしら! 愛しのグリーと密着して共同作業するなんて夢のようね……あらまあ、どうしましょう……ちょっと妄想しただけなのに…」
「二人ともいつものことですが、何を的外れなことを言っているの! …あと、お姉様! 早くこれで鼻血を拭いてください!」
グリーディアの遠慮ない叱責にしょんぼりしてしまう私達。…このハンカチは、きちんと洗って一生の宝物にしますね。
「私が欲しいのは肩書ではないわ! そんなもの何の役にも立ちません! 皆に感謝され讃えられるような癒しの力を手に入れたいの!!!」
そう言い放って、屋敷を飛び出したグリーディア。それから彼女は王国内の名医、著名な薬学者、博学な錬金術師達の元を訪ね歩き、弟子入りしました。
『今日は、顔面多発骨折変形治癒矯正術について学びました。お土産を送ります』
『今日は、ブドウ果汁から酒石酸を結晶化し、単離する方法を学びました。お土産を送ります』
『今日は、アランビック蒸留器による高純度アルコールの精製方法について学びました。お土産を送ります』
私達は妹を心配して毎日手紙を出しました。妹からは味気ない返事しかありませんでしたが、各地の素敵なお土産をいつも山のように送ってくれました。
それから三年ほど経つと、王国中で『どんな病気も魔法のようにたちどころに治してみせる謎の天才美少女名医、ドクターS』の噂が流れるようになりました。「私、失敗しなかったら褒めてほしいので」が決め台詞とのことです。ちなみにSは聖女のエスだとか。しばらくして承認欲求が十分満たされたのでしょう、グリーディアは我が家に帰ってきました。
「全く…かすり傷やただの風邪ですら、すぐ私に頼ろうとするのだから、困ってしまうわ。今後は治療なんてそう簡単にしてあげるものですか」
溜息をつき呆れたような口調で話すグリーディア。
ですが、私は知っているのです。学園が休みの日には、いつも各地を転々として医者から手の施しようがないと言われている患者達を無償で治療して周っていることを。その誰でも見惚れてしまう容姿と並外れた服装のセンスと慈悲深い善行から、今では『2000年に一度の美少女すぎるオシャレ天使な謎の名医ドクターS』というごちゃごちゃした異名で呼ばれていることも。
「お姉様! また転んで擦りむいたのですか! 子供ではないのですからいい加減気を付けて下さいよ!」
「わ、わざとではないのよ! …それで…また治療してもらってもいいかしら? 聖女の力は自分に使うことができないから…」
かくいう私も三日に一度はわざと派手に転んで妹に治療してもらっています。呆れながらも優しく手当てしてくれる彼女と過ごす至福の時間が恋しくて、これからも止められそうにありません。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
グリーディアが15歳になった頃、私の婚約者が決まりました。彼を見て妹が羨ましそうな表情をするのは自明の理、火を見るよりも明らかでした。
「どうしたの、グリーディア? あなた、もしかして、モブリン様の事が気になるの? でも、彼はアネモネの婚約者ですし…」
「グリー! その願いだけはたとえ大好きなあなたが望んでも叶えてあげられないわ! 勿論、世界一可愛いあなたが本気を出せば、モブリン様なんて赤子の手をひねるように、あっという間に篭絡されてしまうでしょうけれど…。どうしてもというのならば、まず私を倒してからにしなさい!」
「二人とも、いい加減にして下さい! あと、お姉様はちゃんとモブリン様に謝って下さい! 涙目になっていらっしゃるではありませんか!」
私と愛する婚約者と妹が三角関係になることを恐れるあまり、冷静さに欠けていたことを心から反省し、酷く傷ついた顔をなさっているモブリン様に深く頭を下げました。
「私はお姉様の婚約者に横恋慕するような、はしたない人間ではありません! 自分自身に相応しい最高のパートナーを求めているだけです!!!」
そう言い放って屋敷を飛び出したグリーディア。それから彼女は王国中の名だたる教育指導者の元を訪ね、彼らの知識と理論をみるみるうちに吸収していきました。そして、幼児期からの英才教育、少年期における情操と学問の基礎教育、青年期における応用学問と職務に関する専門教育をエスカレーター式に身に付けるための、幼少青一貫教育機関の設立に向けて動き出しました。
三年後、学園開校の目途が立つ頃には、彼女の理念に共感した教育者達、そして他学園の生徒達から寄せられた編入希望が王国各地から殺到することになりました。
いよいよ誰もが待ちに待った開校の数日前、私達夫婦は膝から崩れ落ちて嘆いているグリーディアの姿を偶然見つけてしまいました。
「…ああ…お姉様…私、大変なことに気付いてしまったのです…」
震える声で呟く彼女。とうとうこの日が来てしまったのですね。思えば彼女が「最高の教育機関を創る」と宣言して家を飛び出した時から、こうなる運命は避けられなかったのでしょうけれど。
「…苦労して三年も掛けて、せっかく世界一の素晴らしい教育機関がついに完成したというのに…実際に18年間の教育課程を修了して、生徒が理想のパートナーとなる頃には……私は…とっくに…適齢期を」
「もうそれ以上言わなくていいのよ、グリー! 大丈夫…あなたがいくつになったとしても、たとえ一生独身だとしても、私達が一生養ってあげるから…ねえ、モブリン様」
「ああ、アネモネ。愛する君の頼みならばもちろんさ…」
「…ううう…うう…うええええええん!!!」
私は、子供のように泣き出したグリーディアを優しく抱きしめ背中を撫でました。最近では『一万年に一度の天才美少女』、『王国の空に輝く一等星』と国民から呼ばれている彼女。
でも実際は、泣き虫で、甘えん坊で、ちょっとポンコツな、ただの可愛い妹だということを私は知っているのです。勿論それだけではありません。
彼女が職人並みの技術を身に付けたのは、自分に似合う衣装を身に付けるためだけではなく、父親を病気で早くに亡くした私達の家計を支えるためだということも。
彼女が聖女顔負けの医術を身に付けたのは、彼女の承認欲求を満たすだけではなく、父親のように家族が病気で苦しまないようにするためだということも。
彼女が世界一の教育機関を創り出したのは、自分に相応しい伴侶を育成するためだけではなく、もうすぐ産まれてくる私とモブリン様の子供のためだということも、私は知っているのです。
妹は総学園長の役職を、副学長に譲り教育界から姿を消しました。
「なんてことだ…歴史に残る超一流の教育機関を完成させたというのに、その功績も学長の座も放り出すなんて…まさか! あなた様は野に下り王国の隅々まで、ご自身の放つ知恵の光で照らそうとなさっているのですか…!! まさにあの方こそが教育者の鑑であり生ける伝説だ!!!」
残された教育者達は、まるで神を拝むかのように学園に飾られた彼女の肖像画の前でひれ伏したと聞いています。
「…ああ…私はこうやって独り寂しく生涯を終えるのかしら…」
「まあ…グリーがまた悩まし気な顔をして溜息をついている…超可愛い…だけどすごく胸が痛いわ…」
私は知っているのです。本当はグリーディアが途轍もなく凹んで屋敷に引き籠っているだけであることを。今まで王国中を飛び回ってきた妹と一緒にゆっくり過ごすことが出来て、私はとても嬉しかったです。それでも何事に対してもやる気を失ってしまった彼女の姿を見るのは、喜びを遥かに上回るほど悲しいものでした。いっそのこと妹の興味を引き出すために私の抱えている秘密を暴露してしまおうかとも思っていたのですが…
ある日、新聞を読んでいた彼女は突然血相を変えて屋敷を飛び出しました。そして一ヶ月後、彼女は何事もなかったかのように、ふらっと帰ってきました。隣にどこの馬の骨だか分からない、みすぼらしい身なりの男を連れて。
「…把握したわ。お姉ちゃんがその男を排除すればいいのね!」
「びぇえええええ!!!」
「お姉様、今すぐその猟銃を降ろしてください! メイリスが驚いて泣いているではありませんか!」
「あらあら、ごめんなさいね、メイリス。いい子ですね~。ママは今、グリーにつきまとう悪い害虫を駆除しようとしているだけですからね~」
「誰が害虫ですか! この人は私の未来の夫になるべき人間です! こんな見た目でも隣国から追放された元王子なのですよ!」
「そんな! 使い古したボロ雑巾みたいな男と結婚するなんて! しかも追放されたということは、ろくな人間ではないということでしょう? あなた、この自称元王子にきっと騙されて…」
「そんなことはありません! 陰謀に巻き込まれただけで彼は無実です! まだまだ教育は必要かもしれませんが、私が必ず一人前の立派な紳士にしてみせます!」
そう言ってあの男と共に屋敷を飛び出したグリーディア。宣言通り、半年後には見違えるような麗しい姿になり、堂々とした立ち居振る舞いをする元王子を連れて妹が帰ってきました。彼女のことを知る私達でなければ、どう考えても別人を連れてきたと思ったでしょう。それにしても妹から直々に教育してもらえるなんて…羨ましいにも程があります!
「お義姉様、グリーディアは私が必ず幸せにして見せます!」
「アラン…」
「当り前よ! 万が一妹を泣かせでもしたら承知しないわ!」
幸せそうに潤んだ瞳でアランに熱い視線を送る妹の姿を見れば、きっとそんな日が訪れることは永遠にないと分かっていたのですが、仕方がないではありませんか。頭で理解していてもどうしようもないのが姉心というものなのですから。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
それからこれは、ほんの数週間前の出来事なのですが、私が転生者であることを妹にうっかり知られてしまいました。その時の妹が羨ましそうに私を見る熱っぽい眼差しに、すっかり歓喜で打ち震えました。…ああ、この日のために私は産まれてきたのですね。ありがとうございます、神様。そう心を込めて感謝の祈りを捧げました。
その日以来、彼女は古い文献を読み漁り、転生陣を組み立てる研究に没頭しています。そちらに転移することで、異世界転移者として思う存分ちやほやされたいのでしょう。ついでに夫が統括するに相応しい領土も手に入れたいと言っていました。おそらく近いうちに日本を侵略するために、妹がお邪魔することになると思います。
彼女は決して口には出しませんが、私は知っているのです。おそらく前世における私の家族を見つけ出すことも、転移を行う目的の一つだということを。そこで、この手紙を妹に託しておくことにしました。お父さん、お母さん、お元気ですか? 避けられようのない事故だったとはいえ、二人を残して先に旅立つことになってしまい、本当にすみませんでした。
でも、異世界に生まれ変わった私は、愛する夫と共に、とても幸せに暮らしています。転移の安全性を確かめることが出来たら、私達家族も連れて行ってもらえるそうです。グリーディアは世界一可愛い欲張りで大切な私の妹です。いろいろとお世話をお掛けするかもしれませんが、どうか何卒よろしくお願いします。