06.バスの中の乙女の戦
これはとある少女の、ただ一人による戦いの一部始終である。
バスの中はうるさかった。
だが、それが逆に助けになっているのも事実だった。
その少女―――椿桜子と、椿の隣に座っているイケメン―――加藤小波の間に会話は無かった。
唯一あった会話といえば、朝交わした短い挨拶。
それも「おはよう」と「おはよう」が交錯するだけの味気ないものだった。
椿はそれを軽く、否、とてつもなく後悔していた。
(なんでただ『おはよう』って言うだけなのに詰まっちゃったんだろう……)
思わず頭が垂れそうになる。
おそらく今の彼女は、後悔と軽い自己嫌悪が混じった形相をしているに違いない。
それを椿自身が自覚しているかは別だが。
「あ、あの椿さん……?」
「ふぇッッ!!?」
不意にそんな間抜けな声が出てしまったのは、隣に座っている想い人である加藤に声をかけられたのと同時に、肩を優しく叩かれただろう。
その間抜けな声で、椿の顔が熟したリンゴのように真っ赤になる。
とにかく、恥ずかしい。
しかし、これはこれで僥倖。
何せ、向こうから声をかけてくれたのだ。
椿は、すっと顔を加藤に向ける。
「……椿さん、大丈夫?めっちゃ顔赤いけど……」
「え?だ、大丈夫だよ?」
余計怪しいじゃないか!、と内心叫んでしまうが、椿は恥ずかしい気持ちを必死にこらえながら返事をすることが出来た。
成功したことを心の中で喜んでいるのも束の間、
「ちょっと失礼―――」
「え?!ちょっ!か、加藤君?!」
なんと加藤の右手が椿の額に、そっと触れたのだ。
加藤は表情を変えず、左手で自身の額をさわっている。
どうやら加藤は、椿の顔が真っ赤だったことを案じて、熱を測ってくれているらしい。
その光景に気付いたのか、周りの女子からの視線が痛い。
(さすが加藤君だなあ。やっぱりモテるんだなあ……やっぱ私には遠い存在なのかな)
椿桜子は、自他共に認める弱気な少女である。
確かに加藤小波はモテる。
ただ面がイケているだけでなく、誰に対しても優しいところが人気の理由であったりする。
椿は前者よりも後者に惹かれた。
内気で、自信の無さでなら日本代表になれるのではないか、というほど自信がない自分に、彼はあの爽やかな笑みで話しかけてくれた。
それだけで、椿は嬉しかった。
この性格のせいで、今まで男性とは話したことがなかった。
せいぜい父親や兄などの身内くらいだ。
そんなに閉じてしまっていた椿の心を、加藤小波は容赦なくこじ開けた。こじ開けてくれた。
特に加藤が何かをした訳では無いのだけれど、加藤がいなければこうして男子と話すことは生涯無かっただろう。
もちろん、柊や楪の気遣いも間違いなくあった。
彼女たちは、椿が加藤に恋していることを知り、度々彼と話す機会を設けてくれた。
その度に、椿は嬉しかった。
「……ちょっと熱くない?熱あるっぽいけど」
「え、あ、大丈夫だよ。こうやって林間学校に行けるのが嬉しくて……」
これは決して嘘じゃ無い。加藤と話せることの方が嬉しいのだけれど。
手を前に出し、フリフリして全力でごまかしていると、
「それなら良いんでけど……にしても楽しみだね、林間学校」
「う、うん」
「何せ二年B組の皆と行けるのが嬉しくてさ。昨夜もなかなか寝付けなかったよ」
「そ、そうなんだ……」
「椿さんも眠れなかったりした?」
「……寝付けなかったよ。変に緊張しちゃって」
「その気持ち、分かるよ。運動会とかでよくあるやつだよね」
首をコクコクと縦に振り、肯定の意を示したとき、椿は気付いた。
……話が、話題がないっっ!!
今はなんとか(加藤のお陰なのだが)続いてるが、いつか底をつくのは目に見えている。
かといって、無理に話を続けようとしても、椿は未だに加藤との距離感がつかめていない。
故に、今現在話せているのが椿にとっては、夢のようなのだ。
そしてこの夢のような時間を、なんとかして続けさせたい。
なので恋する乙女は勇気を振り絞り、ぎゅっと密着していた上唇と下唇を分かれさせた。
「あ、あのっ!」
声に多少びっくりしつつも、加藤は椿の方を向いてくれた。
それだけで、目と目が交錯するだけで、椿の心臓が嬉しい悲鳴をあげる。
男の子らしい、だけども優しさが滲み出している顔立ちが、椿の視界の大部分をお構いなしに覆ってくる。
「どうしたの?椿さん」
「えっ……と、その……」
耳を直接撫でるような柔らかい声のせいで、勇気も呆気なく散ってしまい、口ごもってしまう。
さすがクラス一、いや学年一のイケメンだ。
その顔と声をもってすれば、どんな女性でも気付かぬうちに恋に落ちるだろう。
気を抜くと思わず見惚れてしまい、かたまってしまうので、頑張って何を言いたかったのかを思いだす。
(……言うだけだから、言うだけだから)
眼前の加藤は何気ない顔をしている。
何気ない顔なのだけれど、椿には効果抜群、会心の一撃にしかならない。
ますます鼓動が早くなる。
頬が紅く染まりかける。
それを察知し、息を静かに整える。
深く深呼吸をし、椿は口を開く。
「わ、私と―――」
いつの間にか、あんなに姦しかった空間は無かった。
大半の人は寝息をたてている。
言うなら今だ。
先ほどよりも小さな声で、頼みを言う。
「―――散策しませんか!!」
この林間学校の目的は、自然と接し、関心を深めるというものだ。
某県で三日間、近くの平野や山を散策し、その結果をレポートにまとめて提出することになっている。
故に、ここで椿が言っていたことの趣旨は
(加藤君と二人っきりで散策したい!!)
頼みを言って目をつぶりながら、本望を内心で叫ぶ。
間もなく加藤からの返事があった。
「何言ってるの?椿さん」
「……え?」
その声に目を開け、想定外の返事に驚いてしまう。
椿の予想であれば、椿では無く、加藤が言葉が出ないほどに「そ、それは?」などと初々しい反応をする―――はずだった。
だったのだ。
なのに今の状況ときたら!
(なんで私が恥ずかしくなってるの……)
既に恋に落ちているのにも関わらず、また恋に落ちたような。
罠の奥に罠があったような不意打ちのように。
心臓を貫かれた。
制御もきかず、頬が紅くなっていく。
けれどそれも気にせずに、加藤は淡々と返事の続きを述べる。
「だって班同じなんだからさ、散策するときはいつでも言ってよ」
「あ……」
……何か違うな、と椿は何の引っかかりも無く思った。
否、そもそも一番伝えたいことを言い忘れていた。
(二人で、二人っきりで散策したかったんだ!!そういやその部分言えてなかった……)
加藤が言っていることは、確かに当初の目的とは外れている。
しかし、視点を変えて見てみると、
(え、でも……散策って頼んだら、いつでも一緒に……)
「つ、椿さん……?」
しばらくの間、心の中でとんでもない事実に気付き、ぼーっとしていたのだろう。
思い人が手を振っている。
それで現実に戻されて、また口ごもる。
「あ、か、加藤君。ご、ごめん」
「本当に大丈夫?体調。先生に伝えようか?」
「い、いや大丈夫だよ!!」
「でも……」
「だ、だいじょっぶっっ!!」
「わ、分かった」
(い、言い過ぎたあああああああああああああああああああああ)
会話が成り立ったとは思えない上に、後悔を残しながら、そのまま変な空気の中、椿を乗せたバスは旅館に着いたのだった。
新年あけましておめでとうございます。
……はい、そこの君!もう二月だとか言わない!!分かってるから!!
というわけで、未だに六話ですが、早くも実質番外編です。
短めですが、たまには乙女側の感情も見てみたいなと思いまして………。
あとあと、一月中に何個か没を作ってました。
いつか出してみたいあ、と。
ではまた二月中に会いましょう!