05.林間学校の幕開け
そうして迎えた林間学校。
八時に学校に集合……なのだが、
「おーい、六花。そろそろお屋敷出ないと……」
なぜか六花が自室から出てこない。
朝食をとって、「鞄持ってくる」と言って自室に戻って以降、六花は姿を見せていない。
僕は呼びかけながら、もう一度扉をノックする。
「おーい。六花?」
「……」
相変わらず返事は無い。
着々と集合時間が近づいている。
これ以上長引くと、間に合わなさそうだ。
(六花には申し訳ないけど……)
そう心の中で、あらかじめ謝罪をしてから、僕はドアノブに手をかけた。
その手に力を込め、扉を開ける。
「入るぞー」
六花の部屋に踏み入ると、可愛らしいベッドの上で、すぅーすぅー、と寝息をたてている六花の姿が目に入った。
彼女の頭の近くには学校の鞄が置いてある。
とにかく、だ。
起こさなければ、一生に一度の林間学校に遅れてしまう。
僕も、六花も。
僕は申し訳なく思いながらも、六花の体を優しくさする。
「ん……ぅん……」
聞こえてくる、妙に生々しい呻き声。
基本的に六花はオンオフの差が激しいお嬢様だ。
メリハリがついている、と言えば聞こえは良くなるか。
僕はもう一度、六花の体をゆする。
「おーい。おーい」
「ん……おはよう、優希」
「ん、おはよう。二度寝にしてはよく寝てたね」
「にど……あ!!!」
パッとベッドから勢いよく起き上がる六花。
どうやら今日が林間学校だということを思い出したみたいだ。
僕もベッドから起き上がる。
「じゃあ、行こうか」
「う、うん……って一緒に行っていいの?!」
確かに、いつもは時間をずらして屋敷を出ているが、
「今日は林間学校だし、たまたま遅刻しかけたって言えば不思議には思われない……はず」
「ま、まあそれもそうよね……」
「そんなに心配なら、僕があとで猛ダッシュして行こうか?」
「いや大丈夫よ?!そう、大丈夫……なはず」
「ならいいんだけどさ」
そう言って、僕はドアを開け、六花を先に部屋から退出させるのだった。
学校の前には四台のバスが停まっていた。
左からA組、B組、C組、D組のバスらしい。
ということで、僕と六花は左から二番目―――すなわちB組のバスに乗り込む。
もちろん少し時間をずらして。
六花がバスに乗り込んだ三十秒後くらいに僕が乗り込む予定だ。
なので駐車場から少々離れたところで、ぼーっと立っていると、
「おはようございます、優希くん」
横から優しい声が聞こえた。
昔から聞き慣れている声だ。
僕はその声の方を向き、
「おはよう、恵美」
挨拶を返した。
そこには、長く伸びた綺麗な銀髪、小動物のような小柄な体、そして天使のような微笑みを浮かべている、僕の幼なじみ―――西園寺恵美がいた。
恵美は僕や六花とは違うC組なのだが、出発までまだ時間があるので、話しかけてきたのだろう。
「林間学校楽しみですか?」
「それはまあな……楽しみだよ。一生に一度の大イベントだからな……って何でニヤニヤしてるんだ?」
僕がそう聞くと、恵美は相変わらず可愛く微笑みながら、
「だって、昔の優希くんはこういうときでも、笑顔の一つも零しませんでしたから……なんだかな、って」
いや、今も笑ってはいないからな?
でも。
空を見上げながら、僕は昔を懐かしむように言を零す。
「そういやそうだったな……」
「はい。昔の優希くんは働いている時はもちろん、私と遊ぶときでさえも笑いませんでしたから」
だから、今も笑ってはいないからな?
「なにを考えていたのか……それすら私には分かりませんでした」
「あのときは、悪かった。僕も……」
「知っていますから……ですから謝らないでください」
「知っていたのか。分かってくれていたのか……」
「ええ、分かっていました。優希くんがどれほど悲しんでいたのか、とか。全部事情も、優希くんの気持ちも分かっているつもりでした……なので」
「……ああ。もう冷たく接したりしない」
「ふふっ、前会ったときにそれは知っていますから」
恵美は笑った。
あんなに素っ気ない態度を示してしまっていた僕を、許してくれていた。
昔から許してくれていたのだ。
正直、僕はもう嫌われていたのかと思っていた。
だから二週間程前に久しぶりに会った際に、あんなに優しくしてくれたのが信じられなかった。
―――優希、最後のお願いです。
―――あなたの周りに居る人は、必ずあなたのことを分かってくれています。
―――だから、その人たちを大切にしなさい。分かってあげなさい。
途端、脳裏に懐かしい、けどもう聞くことの出来ない声が再生された。
眼前の恵美は何かを察したのか、一礼して、固まっている僕の前を去って行った。
今、この場においては、一番嬉しい行動をとってくれた。
僕は、その重々しい気持ちを入れ替えるように、深呼吸をする。
そしてバスに向かっていくのだった。
バスに乗り込むと、やけに騒々しかった。
その声は僕が姿を見せると、一層大きくなった。
その光景にぼーっとしていると、筒井が駆け寄ってきた。
「聞いたぞ、優希。お前、本当は橘と付き合っているんだってな?!」
「いや誰から聞いた。誰がそんなデマを流したんだよ……」
と僕が筒井に続いて通路を歩き始める。
ちなみにだが、バスの座席は班ごとに分かれており、僕たちの班は後ろ側をとることが出来た。
先ほどから通路を歩いていると、両側の座席からやけに視線を感じる。
本当にあんなデマを流したやつがいるんだな、と感心しながら僕は筒井に続いていく。
それらの視線を防ぐこと無く受けながら、僕は自分たちの班の席に着く。
一列四席なので、加藤と椿が仲良く(?)僕らの後ろに座ることになっている。
そして今も変わって無く、僕と筒井が右側、柊と楪が左側に座り、僕の後ろに加藤と椿が座るらしい。
僕が通路側に座ろうとしていると、
「お、優希君。おはよう」
「い、一君……おはよう……」
「おはよう、優希」
左側の席から柊が、僕が座る席の後ろから椿と加藤が、先に挨拶をくれた。
なので僕は挨拶を返す。
「皆、おはよう」
気のせいか、皆からやる気が感じられた。
のはともかく、僕は柊の隣が空いていることに気付く。
そんな僕の怪しげな動きに気付いたのか、一度僕の方に目を遣って、不安がかった声音で、
「ほのか?」
「ああ。楪が一番この林間学校を楽しみにしていたからな」
「ふーん……」
「……どうした?」
じーっとこちらを向いてくる柊に、思わずそう問いかけた。
すると、柊は微苦笑しながら、
「いーや、なんでも無いよお?」
「キャラがブレてるぞ、柊さん」
適当に言葉を返し、僕は顎に手を添えて思案する。
(別に楪がいなくても困ることは無いんだがな……)
我ながら、なかなか辛辣なことを思ってるな、と思う。
だが、そう思う反面。
「……あいつがいないと……なんか寂しいよな」
「お?そんなにほのかのこと、想ってくれてるの?私は嬉しいぞ、優希君」
「声に出てたか?」
「ん。でっかい独り言だったよ!」
なんでこいつはこんなにも喜んでいるんだ?
とふと腕時計に目を落とすと、あと数分で集合時間だった。
未だに笑顔を浮かべている柊に、僕は通路越しに話しかける。
「楪……来るといいな」
「来ると、じゃないんだぞ。ほれ」
その言葉の後に、柊はバスの先頭に指を指す。
そこに目を向けると、
「あ、危なかった~~。置いて行かれると思ったよ~~」
「おはようさん。なんとか間に合ったね」
クラスで一番遅くバスに乗り込んだというのに、呑気に通路を歩いてくる楪の姿があった。
先に柊が挨拶を交わす。
僕たちもそれに倣うように、順々に挨拶を交わしていく。
「おはよう。で、なんでこんなにギリギリだったんだ?」
「……優希、女子には聞いてはならないこともあるんだよ?」
「そうだぞ、優希」
「なんで筒井は分かったように言ってるんだよ……まあ聞かないことにする」
「まあ、本当は寝坊しただけだけどね」
「大丈夫だ、知ってたから」
てへぺろ、と可愛らしい仕草を見せる楪に、僕は分かりきっていたこと淡々と述べる。
朝からこんな感じで、姦しい車内のまま、バスは出発したのだった。
バスの中はいつもの授業風景からは、想像しがたいほど騒々しかった。
トランプなどの遊戯に勤しむ者もいれば、この非日常感に便乗するように談笑を交わす者達もいる。
僕たちは間違いなく後者の過ごし方をしている。
他愛の無い雑談だ。
いくら勤勉な生徒が集う学校と言っても、この生徒達もれっきとした高校生なんだな、と感じる。
そんなこんなで、一時間過ごしていると、
「あぁぁぁ~……んむぅ」
「ほのか、眠くなってきた?」
楪のあくびに、隣の柊が楪の肩を叩きながら聞いた。
ちなみに筒井に関しては、出発直後にすぐ寝てしまった。
なんやかんや一番騒ぎそうなやつが、一番初めに寝たのに驚いたのは別の話。
「ううん、大丈夫だよ……うぅ……」
「おいおい、そんなに眠いんなら早く寝ろ。到着までまだ結構あるし」
「お!優希君がほのかを甘やかしてる」
「え、そんなにおかしいことか?」
結構奢らされたりしてるんだけどな。
まあ、僕も楪も誰にも言ってないから、知らなくて当然なんだけども。
「おかしいというか……なんか珍しいなあ、って」
「そうか……って、楪寝たな」
「お、本当やね……」
柊のその言葉とともに、少し沈黙が続く。
もちろん、車内は相も変わらず姦しいんだけども。
先に沈黙を破ったのは、僕だった。
「なあ、柊」
「ん?」
「どうして関西弁もどきをやめたんだ?」
それはずっと気になっていたことだった。
初対面の時と、今の柊の口調は変わっている。
少しどころではない。
なので、こんな時だからこそ聞くことにしたのだ。
すると柊は座る体勢を変えて、
「それは、まあ……仮面や、仮面」
「仮面?ようはキャラ作りってことか?」
「ん。それもあるし、単に初めての言葉がそれっぽくなってしまったから……」
「取り返しがつかなくなった、と」
いや、なにやってるんだ、この子。
「で、本当の柊はどんな感じなんだ?」
「え?本当の私?」
「『うち』は何処行ったんだよ……そうそう、素の柊だよ」
これは僕の単なる好奇心の延長線上のものに過ぎない。
なので、答えなくてもいいのに。
柊は、教えてくれた。
「じゃあ……ごほん。初めまして、一優希君。私は柊小雪と言います。よろしくお願いします」
「お、おう。改めまして、よろしくな」
なんか変な会話だな、と思いつつ、僕はそう答えた。
でも―――
「その『ですます口調』、なんとか出来ないか?今までの柊の口調の方がいいと思うんだけど」
そう提案すると、柊は驚いた顔を見せて、
「そうですか……では」
まるで人が変わったように、柊の雰囲気が変わるのが分かった。
大人しい高校生から、常にはっちゃけてそうな高校生へと。
さっきまで、落ち着いていた口調から一変、元気な声で、
「じゃあ、これからもよろしくね!優希!」
「ああ、よろしく……いつの間にか『君』も取れているし」
「あ、いやだった?戻そうか?」
「いやそうじゃなくてな……」
変にギャルっぽいんだよな。
だが。
「いいや。僕のことは『優希』って呼んでくれ」
「わかった!じゃあ、さ……」
「?」
「私のことも名前で呼んでくれないからな?『小雪』って……」
躊躇う必要なんてない。
「ああ。そうさせてもらうよ、小雪」
そう呼ぶと、柊―――小雪は満面の笑みで、力強く首を縦に振るのだった。
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