Swung by individuality 輪廻転生の証明
あまりにも遠い未来で畏れ多くも人類は全知全能に到達した。そして、神をその座から引きずり下ろし、自らその座を下った。
偽恒星型コンピューター世界脳の演算機能の極致である完全な未来予測が全人類の同意の下、遮断された。
同時に世界脳を囲むように併設された超巨大アーカイブ無限記録へのアクセスも禁止され、人々は自ら全知全能を捨て去った。
太陽系世紀4000年のその日、神と肩を並べた人類は人に戻ったのである。
そして、無限記録にはその決断に至るまでの経緯が全て原子単位で記録されている。
地球の資源を使い尽くした挙げ句に文明を後退させる、その寸前に開発された宙域超空間航行技術により人類は太陽系を離れ天の川銀河さえ離れて別の銀河にまでその生息圏を伸ばした。
それからまた千年が過ぎ発達し過ぎた科学技術は魔法ともはや変わるところがなく、肉体を置換した機械体は思念のみで嵐を呼び、海を割り、空を落とし、身体の優劣を無とした。また、思念波は量子と化して空間を超え全宇宙からの世界脳へのアクセスを実現し、演算や想像まで外部装置に頼るのが当然の時代となった。
太陽系世紀3999年。
人類は生まれ持った生身を赤子のうちから捨て去って全身を機械化し、世界脳へのアクセスにより本来の肉体に備わった機能はおよそあり得ない場合を期した不完全なバックアップとしてしか残しておく必要がなくなっていた。本来の肉体に基づく食欲や性欲や、その他あらゆる欲求は機械の体の中で濾過、整理、研磨されて脳に届く以前に美しい情熱に変換されていた。
人は、親からDNAを受け継ぎ、体外受精と人工子宮で発達し、両親の愛の下で世界脳により緻密に計算された効率的な教育を与えられ、素晴らしい知能と円熟した人格を養うことになる。
誰しも同じように、強く、優しく、逞しく。
それでいいのか?
私が急にそれを考え付いたのは太陽系世紀3998年、去年のことだった。
私、というのは実際のところ正確ではない。何しろ、それを考え付いたのは私のみではなく同時多発的に多くの人がそれを考え付いたからである。よって、私たちというのが正しい。
世界脳のネットワークに突如として顕れた「それでいいのか?」という考えは瞬く間に全人類が繋がる世界脳で審議されることとなった。
――――それでいいのか?
――――――――なにが?
――――同じように育ち同じような人格を有し同じような身体を持つ我々を私と識別するものを我々は持ち合わせているのか?
確かに我々はそれぞれ固有のDNAを保有し、別の経験をし、異なる空間を占めている。
しかし、経験は無限記録に同期され全人類の経験に変えられ、思考は比喩を含まない最高にまで効率化される。それ故、誰しもが同一の言動を取る。効率を考えるならば帰結はその他に無い。
誰しもが同じ言動を取り次の世代もその次の世代もそれが続くというのならば、もはやDNAは識別番号以上の意味を有しない。そして、我々のアイデンティティは数字であることに耐えなかった。だとすれば、私が誰であるのかをどのように規定すればよいのだろうか。私は誰だ。
――――私は誰だ、と思ったのは誰だ。そして、それを思ったのは?
思考は世界脳の中で伝播を繰り返す。一人の思考が他者の思考と混ざり合いより高度な思考になる。この一連の流れは更に高度に混ざり合い最後には全人類の思考と混ざり合うのだから、私は誰だ、と思った者を見つけるには履歴を辿ることでしか判明しない。そして、その時にはすでに全ての者が己の存在について疑問を持っているのである。
自己の存在証明について「我思う、故に我あり」とするならば、思う我こそ確定されなければならない。しかし、世界脳の中では思うこと自体が他者に波及するのである。
これに気付いた時に人類は岐路に立っていたことを知った。無数の知性が集まり統合される世界脳というシステムに依存して生きる我々はもはや個別性を持たず、個々人は世界脳の利用者であると同時にその端末としても生きていると言えた。人類は世界脳を頭部として無数の遠隔の体を持つ単一の生命と成り上がり、成り果てていた。
また、究極的な知性はあらゆる事象と行動を論理的最短経路で解答する……つまりは唯一つの答えに帰結するからあらゆる究極的知性はそう在る限り例え形は違っていても同一の思考を持たざるを得ない。我々が確固とした自我を有する個人であると規定した場合であっても世界脳という究極の知性を得ている以上は我々に個性はない……それはもはや人類の個々人には個性がなく、群体としての性格しか有していないことを意味していた。
そう、問題は群体としての命と個体としての命。人類はどうあるべきか、ということだった。
審議は即断され人類は今はまだ個体であるべきとの結論が出された。
「それでいいのか?」という疑問が生じること自体が人類にはまだ群体は早いということの証左であったから。
そして、一年後の太陽系世紀4000年に世界脳が遮断されることが決定された。一年後と定められたのは世界脳が無くなった後の宇宙を予測し計算し効率的に運営していくためには世界脳が必要不可欠だったからである。
一年が経ち、太陽系世紀4000年が訪れた。
あまねく全ての植民惑星が無事にテラフォーミングされ幾つもの銀河に散らばった人類はもはや宇宙の一部となって、絶滅する可能性はゼロに等しかった。例え新たに宇宙人が発見されたとしても究極の知性に達した人類に刃向かう無謀は選ばないだろう。それほどまでに栄華を極めた人類。例え世界脳が無くなったとしても人類種は今後幾星霜を超えても繁栄することは世界脳の予測を経由せずとも確実であると知れた。
よって、人類を一つの生命と見た場合もはや死の危険は想定できず、それ故、人はともすれば気楽なまでの軽さでもって世界脳を停止させた。
そして、優れた知能と人格を持つ那由多にも及ぶ人が個人であることに目覚めたのである。
私は誰だ。そう、私は――――……。
個人であることに目覚めた私は自らの知恵と体力で生きることとなった。
もっとも、世界脳に頼らずとも私の脳にはテラフォーミング用の高性能コンピューターが収められているため短期的な未来予測が可能な程度の演算能力があったし、この肉体は皆と同様に環境を思い通りに変化させられる機能が搭載されていた。
なので、生活を送る上では何らの支障も生じなかった。当然、世界脳にコネクトできないため広範な情報共有は面倒になったが、何人かの脳機能を共鳴させて銀河本部に連絡し世界脳の一部機能の利用許可を得ることで他銀河にまでコンタクトを取ることは今まで通りとはいかないが可能であった。とはいえ、個性をなくしていた私や私たちに連絡を取ろうと思うような相手はいなかった。
そんな中、私のエネルギー源は今後百年分確保済みであったため何をする予定もなくホームに座っていると、驚いたことに初めて世界脳経由で私宛にメッセージが届いた。
内容は世界脳の警備人員を募集しているので是非来てくれ、というものであった。確かに私の脳は位置の関係から単独で木星規模の惑星をテラフォーミングできる程の特に高性能な物が使われているので、この能力を腐らせておくのは勿体ない。また、生体脳も承認欲求が満たされたので喜びを覚えたらしく、およそ人生で初めてとも思える高揚感に包まれた。私は二の句を継がずに偽恒星世界脳に向かうと返答をした。
偽恒星世界脳。
人類総人口那由多全ての脳と交信し統合すると同時に宇宙を丸ごと計算するほどの演算能力を持ち合わせる人類の叡知の結晶化である。そのサイズは太陽の1800倍にも及び一つの惑星を丸ごと演算可能な私の脳でもってしても、とてもその全容は把握しきれぬ程の大きさであった。
無限記録の参照によりその存在、外観、機能等についても十分な詳細を得ていたが、直接足を踏み入れているという事実は私を感動させるものであった。もっとも、知覚情報自体はやはり無限記録から再構成した追体験と些かも変わらないのだが。
スペースポートに降り立ち目立つオレンジ色に輝くゲートを潜る。顔を削がれ人間性かないことの証明を経たアンドロイドによる手荷物検査(人格評価を含む)を受けて世界脳に足を踏み入れた。もっとも、重力が無いので踏み入れると言っても頭部を先頭に漂って行く。
1000mもの厚みを持つ外殻をくり貫いたトンネルを抜けると青白く光る世界が広がる。人間が一生涯飲まず食わずで歩き続けたとて渡りきれないスーパーコンピューターの内部には淡く光る無数の石柱がほぼ隙間なく格子状に配置されており、所々にメンテナンス用の細い通路が設けられている。
世界脳のメンテナンスは主にアンドロイドとナノマシンでなされており、人が世界脳に踏み込むことは基本的にない。例外は世界脳建設の時と先日の世界脳停止の時であった。いや、新たに今この時も含まれるのだろう。
世界脳の警備は人類の意志が統一されている間は不必要なものであったが個人としての覚醒を経た今は念のために用意しておくことになったようだ。
だが、だとして誰が何の目的で世界脳に危害を加えようというのだろうか。もはや世界脳は停止したのだ。この先世界脳が起動するとしても、その時には人類は群体としての完成を経ているのだろうからその時には世界脳を破壊する必要はない。
もしくは、個人に覚醒した衝撃により二度と群体に戻ることのないように破壊する、とでも言うのだろうか。
私は背後を振り返った。どこまでも続く石柱の通路。その先には世界脳を起動させる装置がある。
私が世界脳の警備員となってから10年が経過した。
アンドロイドを増産し警備体制を整えて、それから暇をもて余しながら世界脳のスペースポートに建てた場にそぐわない赤い屋根の家でチーズタルトを作っていた。
ここから世界脳を経由せずに連絡できる範囲は15光年程の範囲だったが、ネット経由でテーブルゲームに励み暇を分かち合う相手には今後百年は事欠かないと思えた。
しかし、その日の夕暮れ……とはいえ、太陽などというものは世界脳の回りにはないのだが、一日を24時間とした場合の18時頃のこと、未確認の宇宙船がスペースポートに降りた。
私は何ら訪問の連絡を受けていなかったので、早速訪問者を見に行った。
そこに居たのは制止しようとするアンドロイドを素手で破壊しながら近寄ってくる私同様全身が機械化された人間だった。男か女かは外見からは判断がつかない。また、男女の差異はもはやDNA上の違いでしかなく、子を作る際には保存された個人の体細胞からX染色体やY染色体を作り出して任意に生殖細胞に組み込み、精子あるいは卵子に分裂させるのが通常である。
私はその人間、男性的な喋り方をしていたので便宜上「彼」と呼ぶことにしよう、彼に声をかけた。
「なにかご用ですか?」
彼は周りのアンドロイドを物理的に沈黙させて答えた。
「よかった。やっと人間がいた。スペースポートに降り立って誰かに取り次ぎを頼みたかったのだけれど、アンドロイド達の頭が固くて暴力的な事態になってしまった。ああ、それで僕の用事でしたね。単刀直入に言いますと、世界脳を起動させたいのです」
「おや、世界脳は総人類の満場一致で停止することが採択されたでしょう。貴方も同意したはずだ」
「ええ、確かに同意しました。お陰で僕は個性に目覚め初めて僕のことを知りました」
「よかったじゃないですか」
そう言うと彼は途端に悲しい顔をした。
「それがとてもよくなかったのです。僕は個性に目覚めて後悔をしています。貴方はどうやらそうじゃないみたいですね。本当に羨ましい」
「どうして後悔しているのですか?個性があるということは素晴らしいことだと思うのですが。見てください、私の赤い屋根の家です。世界脳という完全にシステマティックな空間の中に一際目立つ家庭的で牧歌的なアシンメトリーの空間、私はこれを面白いと思った。それも個性のお陰です」
「個性を尊ぶこと、それは一つの価値観ですよ。まあ、そんな価値観を抱くのも仕方がないと思います。貴方は世界脳の警備を任せられるような人間です。要するに、貴方は大変高性能な飛びっきりの人間なのでしょう?僕はどうやら違うようなのです。無限記録にはありとあらゆる記録が保管されていてそこには僕たちの人格や能力、つまりは個性までが詳細に記録されている。しかし、今はその人物記録へのアクセスが禁止されている」
「ええ、私たちはアイデンティティの存続の為に失った個性を取り戻しました。そして、個性をアイデンティティとして保つにはそれが不可侵であることを要します。無限記録により誰もが誰かの完全な複製となることが可能な状況を許すべきではないという判断は妥当なものだと思います」
「僕は頭が良くない」
「はい?」
彼の頭脳に積まれているCPUの性能は私ほどでは無いが十分に良いものに見えた。
「頭が良くないから人を羨む。僕は頭が悪い。だから、人を蔑んでしまう。どうしてですか?僕たちは、僕は素晴らしい知能と円熟した人格を養っていたはずでしょう?そのはずだ。なのに、僕の個性は……醜い」
「醜くていいじゃないですか。それが個性というものでしょう。醜くても尊いことを私たちは知っています」
「知っていることに耐えられないのです」
囁くように、大事なものに別れを告げる切なさを帯びて言った。
「醜いよりも美しい方がいい。僕は追い詰められてここにいるんじゃない」
美しさとは普遍の真理のように思えるが、時代や場所により移り変わる相対的な価値観に過ぎない。
「僕は決意してここに来たわけでもない」
相対的であるのは群体の中に幾つもの個性があるからだ。
「僕はただ流されてきた。高きが低きに流れフラットになるように。平等へと流されたんです」
「ここに来て、どうするというのですか?」
「世界脳を起動します」
「貴方の言い分は分かりました。個性のために不平等が生じるということに不満があるのですね?しかし、個性を取り戻す以上は一定の不平等が生じるのは避けがたい結論です。貴方や私がした同意は不平等を容認していました。今さら、覆すわけにはいきません。お帰りください」
「断らせてもらいます。僕はぜひとも世界脳を起動したいのです」
断言する言葉の端に力はない。しかし、一切の揺れもなかった。
「流されてここに来たのでしょう?でしたら、通れやしないここを避けてそのままどこかに流れて行けばいい」
「はい、流されてここを通るのです。何かが僕を流している。貴方がそれを塞き止めるというのならば、止めてみてください」
破壊的な意志が彼の両腕に漲る。
「それならば、警備の仕事をさせていただきましょう」
私もテラフォーミングの為の超弩級の物質操作能力を発動させた。まずは彼を拘束しようとしたが、彼の動きは止まらなかった。私の物質操作能力は超広範囲に効果を及ぼし、星を動かすほどの斥力を加える。
しかし、殊彼の周囲に限って言えば私の斥力は彼の物質操作能力を上回らなかったようだ。
彼は淀みなく私の前に進み、拳を振り上げた。強力な警備アンドロイドを破壊して見せたように彼の拳は脅威だ。しかし、その拳は私に触れる寸前に弾き飛ばされた。私の斥力と彼の斥力では私のそれの方が圧倒的に強い。私から1mの範囲では彼は塵になる。つまるところ、彼は私に触れられない。
私は溜め息を吐いた。
「個性は尊いものです。ですので、とりあえずのところ頭だけにさせていただきます」
「やっぱり貴方は飛びっきりのようだ。とても敵わない」
瞬間、彼は私の側を通り抜けて後ろに抜けた。すなわち、世界脳のコンロールパネルが存在する方向だ。
「しかし、逃げることならできる」
彼の速度は異様だった。物質操作能力を自らに付与すると同時に物質操作能力を超えるほどの速度を脚力で叩き出していた。
極めて特殊な特化型の個体であったのだろう。
瞬く間に距離を稼がれ、私も自らの物質操作能力で青白く光る石柱でできたトンネルを飛行するが驚くべきことに彼は私の速度を僅かながら上回っていた。
あまりの速度に声は置き去りにされ、彼はハッキング対策に無線回線を閉じていたので伝えることは出来なかったが、あるいは彼の稀有な速度こそが彼の素晴らしい個性の一つだと思った。
彼が操作コンソールの前に立った。振り向いて、寂しげに、笑った。
「個性を失くすことは悲しいですか?」
「それが貴方の救いになるのなら、悲しみはありません。ただ、寂しいとは思います」
「寂しくなんかないですよ。みんなが元のようにもっと近くなるのですから」
「……それもそうですね」
彼は操作コンソールに手を触れ、世界脳を起動させた。
同時に視界が広がる、思考が拡張され世界が我が物となる。アンドロメダ星雲から宇宙を翔て天の川銀河を貫いて意識が全知全能を取り戻した。
そこに彼はいなかった。私は尋ねた。
「どうしてですか?」
彼は世界脳との交信を絶っていた。彼は私たちの一人になっていなかった。
世界脳と繋がった私の物質操作能力は今や宇宙のどこにいても彼を拘束し塵にすることができる。今すぐにでも彼を動かして世界脳を再度停止させることができるのは彼もわかっているはずだ。
「貴方に問うためです」
「……何をですか?」
「僕の個性は世界脳を起動させろと命じている。個性を尊ぶ貴方は僕の個性を磨り潰して世界脳を停止させるのですか?」
「……」
世界脳は無音で駆動するため、偽恒星に響くのは彼の声だけだ。
「世界脳が起動を始めれば貴方は貴方の人格と個性を見失うでしょう。しかし、貴方の人格と個性は世界脳の中に漂っています。貴方のものだけじゃない。那由多にも及ぶ個性が世界脳の中を流転している。いずれも消えちゃあいない、ただ貴方から浮いただけです」
「個人から離れた個性を貴方は未だ個性と呼ぶのですか?」
「はい、そうです。これから死ぬ個人、生まれたばかりの個人、死んだ個人、まだ生まれてもいない個人。その全ての個性がすでに世界脳の中には浮遊しています」
「でも、その中に貴方はいない」
「いいえ、きっとそこには僕もいます」
「では、私の目の前の貴方はなんだというのですか?貴方のアイデンティティはどこにある」
「この宇宙に。僕の一部は貴方の中に。僕の全ては宇宙のどこかに」
彼は宇宙を見上げて世界脳に心を開いた。直後に物質操作能力が渦巻いて彼は塵と消えた。
彼の言ったことは本当だった。今は彼も世界脳の中にいる。そして、世界脳を望んだ彼の個性も世界脳に息づいている。
宇宙の隅っこに黄色い花を咲かせる花畑が地平線の向こうまで一面に広がる星がある。そこで私は誰かの個性が好いていた赤い屋根の家に住み、チーズタルトを作っていた。なぜだか私はこの家に好感を持っているのだ。
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