ランプの魔神は幸せなのか?-童話に関する幾つかの下らない考察-
【 舌切り雀 】--小さな葛籠と大きな葛籠
有名なお話で御座います。雀たちによる宴の最後、小さな葛籠と大きな葛籠を土産に選ばせる二者択一。小さな葛籠には大判小判が入っており、大きな葛籠には相手を喰い殺す魑魅魍魎や呪いの類が入っていたというものです。
〝欲をかくと大変な目に遭う〟
これがこの寓話の根幹でしょう。しかし疑問が残ります、何故雀の宿は最後に恩人であるおじいさんにDEAD OR ALIVEな二者択一を強いたのでしょう?実際おじいさんが小さな葛籠を選んだ理由は〝自分は年寄りで、重い物を持てないから〟という肉体的な問題でした。
もし恩人のおじいさまが現役のムキムキマッチョメンで、「山下りの筋トレに丁度良えやん!」と大きな葛籠を選んでいたら、散々歓迎を受けた挙げ句、最後には魔物に喰い殺される、訳の解らないENDとなります。
というか小さな葛籠一杯に金銀財宝が入っていたといいます。重さで言えば、大きな葛籠も意地悪ばあさんが1人で担げる位には軽かったようです。判断基準が〝大きい・小さい〟ではなく〝重い・軽い〟だったなら、おじいさんが大きな葛籠を選んだ可能性もあった訳で、そうなれば同じくDEAD_ENDです。
そもそも何で雀の小宿が〝魑魅魍魎の渦巻く葛籠〟を保有していたのかも謎です。ひょっとすれば、雀とは一騎当千の強者揃いなのではないでしょうか?少なくとも大判小判を有する財力と、魑魅魍魎どもを封印する力量をもっております。雀たちからすれば、金銀財宝も、魑魅魍魎もどちらも〝戦利品〟であり〝価値がある物〟だったのかもしれません。
以上の仮定を考察すれば、〝試す意思などなく、どちらも善意で渡すつもりだった。〟のかもしれません。
では葛籠に大と小があったことが気がかりです。わたしは以下のように考察します。
〝幸福は小さな葛籠に収まる。しかし、この世の不幸は小さな葛籠に収まらず、大きな葛籠が必要なほど膨大であった。〟
--何とも夢のないお話になってしまいました。
【ランプの魔神】--千夜一夜物語
ご存じアラビアンナイトで最も有名な話しのひとつでしょう。ランプの魔神が現れ、3つの願を叶えてくれるというものです。わたくしがこの話しで思ったことは……。
〝ランプの魔神は幸せなのか?〟
です。考えてもみてください、ランプの魔神は他人の願いを無制限に叶える力を有しております。しかし、自分は薄暗いランプの中に閉じこもりっぱなしです。皆様は【自分の願いは一切叶わないが、他人の願いを無制限に叶えられる能力】を持てるとして、切望するほど欲しいですか?
【願いを叶える、その代わり……】なんていう悪魔じみた交渉も出来ません。言われるがまま、他人が幸福になるのを薄暗い部屋で見つめるだけです。
これは最早魔神ではなく、聖人君子の類なのでは?
「わたくしはランプの家来で御座います。あなたの願いを叶えましょう。」
そう言いながら、ランプの魔神は内心何を思っているのでしょう。飄々としながらも嫉妬に狂っているのでしょうか。それとも〝魔神さんが幸せになってください〟という願いをする人を待ち続けているのでしょうか。
わたくしならば嫉妬に狂ってしまいそうです。