3話 弐 『風呂屋での語り合い《表》』
「いやぁ、騒いだあとの風呂はサイコーだな!」
そう言って、緑髪の大男は、レイに同意を求めてくる。距離感のあまりの近さに、レイは少しだけたじろいで、反応に遅れる。
「確かに」
こんな軽い言葉しか返せなかった。情けないなと考えてから、顔を風呂のお湯で洗う。温かい。体に沁みる。心に染みる。
「いやぁ、サイコーだな!」
と、シンドロは何度も何度もそう叫ぶ。さすがに狂気だ。酔いが回っているとはいえ、こんな大声でよく叫べる。近所迷惑なんて気にしない、とばかりのその様子に、レイは呆れため息。額を何度か叩いて、顔を風呂にドップリと付ける。
──あいつらはどうしているんだろうか。
ふと、そんなふうに思って、レイは二重で掛けられ柵に目を向ける。その向こうは女湯だ。あの二人が、そこで全裸で浸かっている。ふと想像してしまって、レイは顔面が赤くなるのを感じた。自分はまるで変わっていない。中学生から何も変わっていない。この初心さが恥ずかしい。
そんなふうに思ってたら、シンドロがニヤニヤしながら近寄ってきた。
「何だ? 覗きたいんか? おお?」
「辞めてくださいよ! そ、そんな訳ないじゃないですか」
「いやいや、オレにはわかるよ。この歳頃なら、そうなっちまうのが当たり前だ」
腕を組み、そう頷くシンドロ。何だか勘違いされているようなされていないような、おかしな気分にさせられる。正直な所、覗きたいか、と尋ねられればYesと応えたい。しかしこの男にそう応えるのは何だか嫌だ。
こんなにも距離感の近い大人はまるで初めてだから、少し恐怖がある。一歩引いて見ている分にはいいかもしれないが、零距離で来られるとキツイ。かなりキツイ。
レイは肩を組んでこようとするシンドロから少し離れて、お湯に肩まで浸かる。これで完全防御だ、とばかりに泡を吹かせた。
「まあまあ恥ずかしがんなって! てか、今覗かなきゃ後悔するかもだぞ?」
『覗き』に関するワードが出てくると小声になるのが尚タチの悪い。レイはそんなふうに思って、ため息。思えば、女湯側から何やら騒がしい声が聞こえる。おそらくルビアだ。どんだけ熱の入った議論をしているのだろうと呆れてしまう。
レイは、「具体的に言うと?」と問い返した。
「まあ、オレも色々後悔してるからな……。例えば、好きな子に告白出来なかった、とか? あともう少しで間に合わなかった……とか。あとは……まあ、その子との約束を未だに忘れられねえとかな!」
「まあ、初めの二つはあるあるですけど……最後は後悔に含まれるんですかね?」
「まあ、な。普通は後悔じゃないのかも知んねえけどな、オレにとっては後悔何だよ。『やらかしたな!』って最近になって思うしな!」
ゲラゲラと、シンドロは笑う。どうしてこんなに笑えるのだろうと、不思議で仕方がない。やはり、思春期の頃の思い出は、笑い話になってしまうのだろうか。ふと、レイはそんなふうに思った。
何だろうか。それは少し寂しいような、悲しいような。何とも言えない感情になる。さっきの話も、きっと彼の後悔なのに、それを彼はまるきり受け入れてしまっている。それが、所謂『成長』なのだろうか。ふとそんなふうに考えてしまう。まあ今考えたところでわからないのだが。
「まあ、思春期ってのはある種、夢みたいなもんだからな! まあ頑張れ!」
ゲラゲラと笑って、シンドロはレイの背中を叩く。裸だから痛い痛い。ヒリヒリする皮膚を摩って、レイは息を吐く。
──そうだ。思春期というのは、ある種、夢のようなものなのだ。まるで触れれば弾けるような泡のようなものなのだ。
だからもしかしたら、この世界も全て夢なのかもしれない。
ふと思い出した、この状況の非日常性に、レイはそんなふうに考える。けれどやはり、これは夢ではないのだろう。頬を抓っても、何度眠ろうとも、現実に戻ることは決してなかったのだから。
ああ、きっと。とレイは思った。それは何となく知っていたような、理解していたような言葉だった。けれど、それは敢えて口にはしない。そうしてしまえば何だか、味気なくなってしまうから。
──現在、レイはシンドロと共に男湯に浸かっている。それはまあ、読めばわかる話なので、省略。ここまでの経緯を話そう。
まず、膝枕から転げ落ちたレイとドワイトの元に、シンドロが現れた。どうやら酔っているようで、彼は千鳥足でこちらに近付いてきた。それで、彼は一言。
「風呂、風呂屋行くぞ」
それに、まずドワイトがそれに同意。文句タラタラのレイを二人で黙らせ、三人は風呂屋へと向かった。風呂屋へと向かう一行は、何故か村長の家に到着してしまった。気付くと村長の家。驚きのあまり声を失った。おそらくその原因としては、シンドロの泥酔。ドワイトの忘却。そしてレイの視力の悪さであると推測される。
正直、シンドロに関しては馬鹿としか言い様がないし、そうなるなら外出するな、と言いたいところである。ちなみにそれが原因で、レイは一度帰宅しようとしたのだが、忘却のドワイトによって首根っこを掴まれ確保。そのまま村長の家に侵入することになった。
村長の家への侵入──何故かその日に限って、ピート言う名のドワーフもどき野郎はおらず、ガラガラだった。普通なら、普段と違うその様子に、違和と恐怖を感じるはずだが、泥酔状態のシンドロは何故か高揚。それに乗っかるようにドワイトも調子に乗り、レイは渋々それに引っ張られて行った。
と、その時である。泥酔状態のシンドロに先導され、侵入した村長の家にて、彼らは一つの影を発見する。その影は、警戒心丸出しでこちらに近付いてきた。「何者だ」とピカリと一筋の光。途端、シンドロとドワイトが吹き飛ばされた。
先に言うと、それがルビアである。彼女は何らかの魔法を行使して、シンドロとドワイトを吹き飛ばしたらしい。魔法的要素を引っ張り出されると、正直レイの管轄外なので何も言えないが、どうやらドワイトがそれの威力を軽減したらしい。咄嗟の判断で、デカい盾が空中に浮かんだ。それはちょうど三人全員を隠すように出来ていた。
ちなみに、そこから数分魔法バトル的な展開があったのだが、視力の悪さと暗闇に対する耐性の無さのせいで、レイにはただただピカピカ光っているようにしか見えなかった。ということで特に語ることも無い──と言うか語れないので割愛。非常に勿体ないことをしたのは自覚している。
それはともあれ、バトルの数分後にはお互いを認識──魔法の色で誰かわかるらしい──して、和解。そのまま『ノリ』とやらでルビアまで風呂屋についてくることになった。
どうやら、ルビアはずっとドワイトと話してみたかったらしい。ルビアは風呂屋までの道中で、何度も何度もドワイトに話し掛けていた。
それにはドワイトも嫌な顔はせず、と言うか非常に嬉しそうな顔で──何でも、『仙術』と魔法の違いを理解してくれている事が嬉しかったらしい──何やらこ難しい理論を説明していた。
と、言う訳で、ルビアとドワイトがファンタジーな対話をしている間、一人暇を持て余したレイは同じく暇を持て余した酔っ払いの相手をしていた。これでは異世界に来た意味ないではないか、と少し不満はあった。
しかし正直あの二人の会話に参加しても、「おお、すげえなそれ」くらいしか言えないのでまあ仕方がない。ただ、こんな酔っ払いの相手をするのは、地球だけに留めておきたかったと、レイは自分の夢が崩壊するの感じ取っていた。
それから、風呂屋に到着した一行は、その店主らしき好青年に挨拶をして、風呂に浸かることになった。この時、この風呂屋が日本のそれとまるきり同じであるとレイは気付いたものの、そんなものだろうと意識から除外。ちなみに暖簾も男が青で女が赤であった。不思議な偶然である。
ともあれ、思春期について冗談交じりで語られたレイはまた、水中で泡を吹いていた。ふと、鼻歌を歌うシンドロを見遣る。
何の歌だろうか。かなりの音痴に聞こえるが、果たしてどうなのだろう。原曲と比較してみたい欲に駆られる。
「そう言えば」ふと思い出してレイは声を出す。シンドロがこちらを振り返った。「俺って、仙術の才能あるんですよね?」
「あー、らしいな」
「教えてくれません?」
「あ? ドワイトの奴、まだ教えてねえのかよ」
シンドロはそう応えると、しばらく頭をかきはじめた。どうやら、考え事をしているらしい。考え事をするとか、シンドロは頭をかくのだな、とそこで覚えておく。なんの役に立つかは不明である。
──シンドロとドワイト。彼らは確か、魔法使いではなく、仙術師なのだそうだ。仙術師について、詳しく聞いたことは無い。そもそも語ってくれないのが現状である。ただ、少し知っていることと言えば二つ。一つは、効果としては魔法と一緒だが、原理が違うこと。二つは、魔法よりも古い時代から存在する『エルネ』活用術であること。
まずこの『エルネ』と言うのが謎だ。当たり前のようにルビアとドワイトの会話に出てくるものの、サッパリわからない。予想では、魔力とかMPみたいなものかなと思っているが、果たしてあっているのか。
まあそれはいいとしてだ。
レイには、どうやらその仙術の才能があるらしい。らしい、と言うのは、ドワイトにそんなことを告げれてからの三日間、何の指導もされていないからである。三日前、というと異世界召喚された当日のことである。
前にも後ろにも進めないような、いわゆる前後不覚の状態のレイに、ドワイトはこう告げたのだ。──君には仙術の才能がある、と。理由は何だったろうか。確か、本来隠蔽術で隠れているはずのドワイトを見つけられたから、とか何だったかのような気がする。どうでも良すぎて今まで忘れていた。──と、それはどうやら、ドワイトも同じらしい。
昨晩のことだったか、ドワイトに、「俺って、仙術の才能あるんだよね?」と尋ねると、「え? あ。あー、そんな話も有りましたね。ところで──」と話を変えられた。
もうこれは完全にあれだ。どうでもいいと思っていやがる──そんなふうに思い、眉を上げて、
『勝手に才能があるとか言い出して引っ張り出したのお前だろ! 』
と叫びたくなったのは事実である。とは言え、そんなことを言えるはずがない。どうして? と尋ねられても、怖いから、としか応えられない。 何ともまあ、情けない話である。
と、シンドロが頭をかくのをやめて、こちらを見てきた。どうやら考えがまとまったらしい。ワクワクしながら、レイはシンドロの瞳を見詰める。綺麗な翠だった。
「そうだな……まあ、オレでも教えれるとは思うんだぜ? たぶんな。でも──やっぱり確証はない。正直オレは殆ど勘でやってるかんな」
「いや、それそんなドヤ顔で言うことじゃないと思うんですけど」
「んなのどうでもいいだろ。ま、とにかく、だ。やるとなったらもうとことんやってやるからな! おお?」
と、妙にやる気になり始めたシンドロ。何故かパキパキと指を鳴らしては首を鳴らして、を繰り返している。よくあれで痛くならないものだ。そんなふうに思っていたら、案の定首元を抑え始めた。
「痛え、痛えぞ、何だこれ」
本当に、この男はいったい何なのだろう。今まで出会った大人とは、まるで違う。まるで子供のような大人だ。昔は、将来こんな大人になりたいと思っていたものの、やはり間近で目にするとキツイ。というか痛々しい。
これは将来の目標を路線変更して正解だったな、と一人呟く。
ただ、こんな大人も、一人二人居れば楽しいのかもしれないな、とレイは思った。
「さぁて! 始めるか!」
そう言って、シンドロは首を鳴らした。どうやら痛む方とは反対側を鳴らしたらしい。スッキリした表情で、こちらを見る。
「ま、まあよろしくお願いします……」
正直不安しかないが、レイはそれに頷いた。シンドロが、自信満々に頷き返す。
──ここから、ヤマシタ・レイの仙術特訓が始まった。