3話 壱 『酒の味に載って』
──帰宅したレイを迎えたのは、唐突な賑やかさだった。
「えーと、まず初めに聞きたい。──いったいこの騒ぎはなんだ!」
その賑やかな光景を瞳に、レイはまずそう口にした。それしか言わざるおえない状況だったのだ。仕方がない。
少し、状況を整理しよう。
今、レイの眼前でどんちゃん騒ぎをしているのは酒場の常連客、シンドロ。そしてドワイト。本来なら犬猿の仲であるシンドロとドワイトが肩を組み合って叫び回っているのがそもそもおかしいし、まずなんだこの汚れようは。
まさか──『来訪祭』の前祝いとかなのか? 確かに、店に飾り付けられた紙の殆どに何らかの文字が書かれているし、もしかしたらそれがこの世界の言語で『来訪祭』なのかもしれない。
これは本気で文字を習得しないとな、とレイはそこで心に決める。とは言え、話せはするので、さほど難しくはないだろうが。
──しかし、それだと辻褄が合わない。尚もどんちゃん騒ぎをするドワイトとシンドロを見詰め、レイはそんなふうに思う。
今朝、確かにドワイトは言っていたはずだ。自分は『来訪祭』が大嫌いだと。あんな祭り無くなればいい──とまでは言わないにしろ、確かにそうわな雰囲気だった。ならこんな所でどんちゃん騒ぎをしてる。有り得ない。こいつはバカなのか? しかし事実はそうなのだ。ドワイトは今、どんちゃん騒ぎの渦中にいる。本当に、奇妙極まりない。
「あー! レイくん! いやぁ、『来訪祭』って良いですね! 皆がご飯奢ってくれるんですよ!」
「ほらほらードワイトちゃん! こっち来てこれでも食いな!」
「ええ、こいつマジでやべえな」
と、レイは引き気味にそう呟く。確かに、彼女のあのサイコパスさは知っている。初対面のあの変貌のしようは確かに、覚えている。というか印象としてはあれしかない。とは言っても、これはないだろう。こんな好悪が付きそうな事柄で、サイコパスが意見を変えるのだろうか。
そもそもサイコパスというのは拘りが強く、そんな柔軟に思考を切り替えられないと聞いたことがある。ならば何故? と疑問符。しかし事実は変わらない。曖昧な知識では参考にならんな、と反省して、レイは額をペチリと叩く。長めのため息を吐いた。
「あの! 一個聞いていい?」
「何ですか?!」
「何?! あんたら仲直りしたの?!」
「してませんよ!」
「じゃ、何で肩! 肩組んでんの?!」
「成り行きです!」
「てか大声で話すのやめね?!」
「何でですか?!」
「喉が痛いからに決まってるだろ!」
と、一連のやり取りを日頃の三倍近い声量で交わす。喉が痛い。レイは喉を抑えて咳き込んで蹲った。チラとドワイトを見るが、見る限り何ら影響がないようだ。
どうやら、ここにいる衆はみんな酔っ払っているらしい。
この独特の──引っ掻くような臭いは、明らかに酒のそれだ。
どこの世界でも酒は酒なんだよな……とふと、アルコールという概念に対する不思議が浮かぶ。否、それはこの世界の物質的な所への疑問に近い。
それは、一体どうして、この世界での人間と地球人の容姿は酷似しているのだろう。と近しい問だった。
とは言えそんなふうに疑問視した所で、レイの頭はそこまで優秀ではない。思うだけ止まり。言ってしまえば提案は出来るが、解決は出来ないという訳だ。
「レイくん! ちょっとこっち来てくださいよ!」
「はいはいなんだなんだ」
ドワイトの呼びかけに渋々応え、レイはそちらへ向かう。酒臭い男衆に囲まれている彼女もやはり臭く、レイは鼻を摘みながら進む。臭いな、と通りすがる度に呟いているが、彼らは一人も振り返らない。酔っ払いすぎて聴覚を失ったのか、既に開き直っているのか。
「レイくんもー、飲んで下さいよー」
と、語尾を伸ばして妖艶な雰囲気を醸し出すドワイト。彼女は一瓶の酒をこちらに差し出した。カラカラと振る。
さて、どうしようか──レイの思考にそんな言葉が現れる。未成年だが、飲んでもいいものだろうか。いや、この世界にはそもそも未成年という概念がない。だから飲んでも罰せられない。しかし……酒による悪影響は周知の事実だ。やめておいたほうがいいだろう。
と、そこまで結論付け、レイは断りの文句を考える。と、そんな彼の頬に冷たい瓶が当てられる。
「冷た!」 と叫んで振り向いたら、案の定ドワイトだった。
彼女は何度か瓶を揺らして、一言。
「どうしたんですかー? え、まさか怖気付いちゃったりとかぁ?」
ほくそ笑むような、馬鹿にするような表情。明らかに犯罪者予備軍のそれに、流石のレイも苛立ちを隠せない。思い切り舌打ちすると、レイはその瓶を奪い取った。
「良いだろうよ! 飲んでやるよ! ほら──」
といって、瓶の口からのラッパ飲み。喉へと流れてくる熱い何かにレイは噎せそうになる。しかし何とか堪えて最後まで飲み切る。絡みつく痰を、咳払いで取り除き、息を大きく吐いて、深呼吸。ドワイトの方を見て一言。
「こんなの全然余裕じゃ──」
──ないか。
と、それを言い終えるかそれよりも前に、レイは全身の感覚が消えていくのを感じた。途端、頭に衝撃が走る。
──どうした? 何が起きた? 何故、地面がこんなにも近い?
半ばパニックとなった思考が、そんなことを考えているうちに、だんだんと視界が朧気となっていく。まるで水の中にいるみたいだ、とレイは一瞬思った。そこからの記憶はもうない。
──レイはそのまま、眠り込むようにして意識を失った。
──
グラグラグラグラ。視界がまるで水を通して見たかのように揺れている。チカチカと、と朧気な光が視界に映る。しかしやはりそれは朧気で、色が少し判別出来る程度。あとは完全に揺れている。
頭が痛い。脳裏で何かが蠢いているように感じる。黒く痛みを伴うそれは、レイの脳髄でグルグルグルグル回っている。
「──正直、お前俺のこと嫌ってるだろ?」
ああ、どうしてあんな言葉を吐いたんだっけか。──そうだ。少し不安だったんだ。確かめたかったのだ。けれどそれで、ルビアが倒れてしまった。夢でうなされているルビアの姿は、何処か妖艶で、レイは意識を保つのに精一杯で。
ふと握り締めてしまったあの手の温もりが忘れらない。触れてしまったら、邪な心が、急に洗われたかのように消えた。あの感触が、未だこの左手に残っている。
──どうして、なのだろう。
徐々に回帰する意識の中で、レイはそんな言葉を考えていた。何が言いたいのか、自分でもサッパリわからない。けれど何だか、必要なことはそれくらい小さなことな気がする。何事も、そうなのかもしれないと思った。そうだ。だからきっと、あの時レイは動きを止めたのだ──。
「──! ──すか?! ──くん!」
聞こえた。音が聞こえた。キンキンと、そへは脳髄で反響していく。それは徐々に、脳内で大きくなっていく。と同時に、意味を帯びていく。
「──レイくん! ……大丈夫ですか?!」
聞こえたのは、どうやらドワイトの声だ。安堵に、頬へと雫が流れる。冷たい涙が零れた。しかしレイはそれには気付かず、開けたばかりの司会で、ドワイトの方を見た。何故か、彼女が天にあって、何故か、彼女の表情には恥じらいが含まれている。
そうか! と、レイはそこで納得する。
どうやら、自分は膝枕をされているらしい。この角度からの目線はやはりそれ以外有り得ない。正直昔母からやってもらった程度だが、きっとそうだ。あの恥ずかしそうなドワイトの表情も、きっとそれが原因なのだろう。
「いったい、何が……?」
「はあ、勢いで酒を飲んで、ぶっ倒れたんですよ」
クスリと笑って、ドワイトはそう応える。レイはそれで、今までの記憶を取り戻した。そう、レイはラッパ飲みか何かをして、ぶっ倒れたのだ。なんとも阿呆なことをしたと自嘲。
と、重たい体にレイは気付く。きっと未だにアルコールが抜けきれていないから、重たいのだろうと推測してみる。いわゆる脱力感、というのがこれなのかもしれないな、とレイはふと思った。そこまで考えた後、何処かシリアス気にレイは呟いてみる。
「みんなは? みんなはどうなってるんだ?」
「どうしてそんな戦場の中みたいな雰囲気だしてるのかわかりませんが……まあ皆さん帰りましたよ。今日は泊まっていく客はいますが、彼らも寝ているようですし……ああ、ちなみにですけどシンドロくんは色々片付けをしています」
「なあ、マジでなんでアンタらあんな仲良かったんだ?」
それが、本当に不思議で仕方がない。あんなにも忌み嫌いあっていた──訳では無いけれど。正直、シンドロ側からの一方的な憎しみだったけれど──どうしてシンドロは、ドワイトを許したのだろうか。それが不思議で堪らないのだった。
「あー、あれはですね……なんと言うか……その場のノリ? みたいな?」
「え? ノリ?」
せっかくシリアスな雰囲気なのに、『ノリ』とは、何たる安易さ、何たる肩透かしか。と、レイは少しだけ、ガッカリして、ガックリと肩を落とす。
「んー、レイくんが何を期待しているのかは、正直わかります。多方、ちゃんとした理由があって、ちゃんとそれを話し合って、お互いに認めあった……みたいな話でしょう?」
図星である。グウの音も出ない。今までレイが読んできた小説でも、見た映画でも、とりあえずそんな物語の中では、やはり登場人物に信念があった。そしてそれは、彼らの行動一つ一つに付きまとっていた。それ故に──お互いに信念があるが故に、やはりその信念同士がぶつかりあっての仲間割れとか、喧嘩とかみたいな対立エピソードがよく起こる。
そして、そのエピソードはやはり何かしらの理由をもって解決する。例えば誰かが妥協したり、誰かが折衷案を提示したり。そうやって、ちゃんとした理由や根拠を元に物語を進む──そう、レイはずっと思っていた。
それなのに、『ノリ』での仲直り。もしかしたら、彼らにとってはそれが理由や根拠だったのかもしれない。けれどやはり納得は出来ない。それは、自分の中に、その経験がないからかもしれない。けれどとにかく、レイにはそれがどうしてと納得出来ない。
──「でもね」と、ドワイトが続ける。膝枕だからか、彼女の息が逐一かかる。とてもいい匂いだが、何だか下腹部に違和感。これはやばいと何とか抑え込む。
「きっと、人生って、そんなものなんだと思うんですよ。『ノリ』とか、『雰囲気』とか、そんな曖昧な言葉が、きっと全ての人生の共通点なんだと思うんですよ」
「────」
「だって、そうでしょう? 確かに、人は死んでしまうから、物を食べないといけない。水を飲まないといけない。でも、それをちゃんとその度その度に、『死んでしまうから』と認識して行っている人間なんて、いないと思うんです」
「────」
「そう……だから、まあ今回シンドロくんが私を許して──くれたかどうかは怪しいけれど──ああやって飲みの場に誘ってくれたのだって、辿っていけば、理由はあるはずなんですよ。きっと。許したいと思える何かが、彼の中に現れたのだと、私は思っています。でもね──」
そこで一泊を置いて、ドワイトはニッコリと笑った。その表情は、日頃のそれとはまるきり違う、何処か遠くの世界の人間のそれのように思えた。
「きっとそれを、シンドロくんは理解してないんですよ。彼はきっと、理解して、考えて動いていないと思うですよ。たぶん、ですけどね?」
「────」
「だからまあ……なんと言いますか。これは、君よりもちょっとだけ長く生きている私からの言葉です。あんまり重くは受け取らないで欲しいです。だって、私もこんな感じに適当に生きてきましたから。でも──考えるよりも先に体が動く。そんなことが、きっと一番大事なことなんだと、私は思います」
長い、長い台詞。ドワイトと出会ってから、彼女がここまで長く長い台詞を吐いたことがあっただろうか。そしてヤマシタ・レイが、ここまでの長台詞の間、一言も発さないということがあっただろうか。
それほどに、レイは圧巻していた。舌を巻いていた、と言ってもいい。どちらにしろ、レイは今、心が震えるのを感じていた。けれど、何だかそれを口にするのは嫌で。レイはただ頷くと、体を横に転がす。それで、彼女の膝から滑り落ちた。
「すまねえな、ドワイト」
「良いですよ、別に。言ってくれれば何時でもしますし」
「いやぁ、そういうのは、まあ無しにしとこう。緊急時だけで」
そうしないと、精神が持たない。こんな美少女に──否、それ以前に同年代の少女に膝枕をしてもらう。その事実が、心を締め付けては離れない。何故か、ドワイト今までよりも──と、そこで気付いた。
「あ、あのさ?」
そう、思えば違和感は初めからあったのだ。明らかに年上のシンドロを、『くん』付で呼んだり、エル婆とタメ口で話していたり、あとは……そう、先程の発言。
『──君よりもちょっとだけ長く生きている私からの言葉です』
そう、こんなの明らかに違和感しかない。
「もしかして、だけど……ドワイトって、超長寿な種族だったり?」
薄く笑みを浮かべながら、そう尋ねてみる。怖い。その返答がどうなるかが、本当に怖い。震える親指を押さえつけて、レイは咳払いをつく。すると、三秒ほど経って、ドワイトが口を開いた。どんな言葉が飛び出る? とレイは身を構える、
「女の子にそんなこと聞いちゃいけませんよ!」
「痛っ!」
と、結局その問は、彼女のビンタで迷宮入りすることになった。