2話 壱 『色んな人の色んな事情』
──容疑者探しは、案の定難航しているようだ。
忙しなく行動するルビアやシンドロの様子を眺めながら、レイはそんなふうに思った。『案の定』と言うのはそのままの意味で、そんな条件下での捜索は無理──とは言わなくても、成功確率は限りなく低いという訳だ。
だってそうだろう。
レイも『預言』とやらを又聞きでしか知らないが、それがエル婆と呼ばれる村長の声のみであることは知っている。
ちなみにその『エル婆』と言うのは愛称らしい。決して名前ではないと言っていた。当たり前だろうとしか言えない。
どうやら、ドワイトはそのエル婆と面識があるらしい。
たまにふらっとそこに向かおうとし、シンドロに止められ──を繰り返している。ただ、なかなかに信用している様子だった。どちらがどちらを、とは癪なので言わないが。
ちなみに、レイもそのエル婆と面識はある。ただ、それは面識があるだけ。しかもそれは一方通行の可能性が高い。だって、一度も話したことがないのだから。もし村の中ですれ違って、話し掛けても、無視されるか引かれるかのどちらかだろう。
「──まあともあれ、今日も働かないとなんだけどな」
そんなふうにボソリ呟いて、レイは止まっていた手を動かし、掃除を再開する。やはり三日目だからか、慣れがある。レイは少しだけ掃除の手を早めることにした。
人生で初めての清掃業。否、そもそも働くのが初めてだったか。バイトの経験なんて勿論──と言っていいのかわからないが──ないし、そもそも働こうと思ったことがなかった。これは立派なニート道、と言うが何とかそれは回避に成功。とは言え、望んだものとは随分違うが。
一日前、その夜中の頃。シンドロに放置をかまされたレイはドワイトとの対話の結果、この宿屋で働くことになった。まあ理由は簡単なものだ。ただ──金が足りない。だから働く。何処で働く? ここでいいんじゃね? ──それだけが理由だった。
酒場にいた人々に尋ねると、やはり銀貨三枚で一ヶ月は厳しい──というか無謀……と言うよりも不可能らしいので、金を稼ぐしか手段がなかったのだ。
勿論、その一ヶ月と言うのは、文化的に三食キッチリと食べれるような生活の話だ。それを除外すれば、当たり前のように生活出来るらしい。しかし、こんなところで文化人としての意地を棄ててたまるか、という思いがレイにはあった。ドワイトは知らん。やはりそれだけは捨てては行けないとレイの本能が言っていた。おそらくそれが人間の社会性の根底なのだろう。なんとも愚かなものである。と自分で評価してみる。
とは言え、その思いのおかげで、レイは今も働けている。やはりエネルギーというのは負であれ正であれ、必要になってくるものらしい。ちなみにシンドロにつくか、ドワイトにつくか、という話は既に保留となっている。ぶり返しても仕方がないので放置。
──という訳で、異世界召喚から三日日。ヤマシタ・レイはテンプレ展開から大きく逸れて、ただただ掃除をする従業員と化していた。
掃除を終えたレイは、欠伸混じりに厨房へ向かう。そろそろ買い出しに行かなくてはならないのだ。昨日シンドロと共に行っていたからわかるが、この世界には市場というものがある。そこは本当にちゃんとした市場らしい市場で、言うなら江戸時代とかの商店街はあんな感じだったのではと思うほどだ。
ともかく、下手に店舗がバラバラの場所にあるより、固まってくれた方が楽に決まっている。ただ市場に向かえばいいのだから、楽なこと限りなし、という訳だ。
厨房へ向かうと、そこではドワイトが芋を切っていた。タンタンタンタンとリズムが刻まれ、芋がぶつ切りにされていく。その横にはグツグツ消えたトマトスープがあった。どうやらそこに入れるらしい。ドワイトはこちらを一瞥すると、グルリと厨房全てに目を回す。それで口を開いた。
「あー、とりあえず全部買ってきてください。今日の消費量が半端じゃないです。まあ、予想通りと言えば予想通りなんですが」
「何だよ予想通りって、何? 『預言』関連?」
「いや、直ぐに『預言』に回さなくても……ほら、前に言っていたじゃないですか、『来訪祭』。年に一回、MR.ムーンライトの来訪を祝う祝日──それの現地ですからねここ」
「ちょーっと待った! 情報量が多い多い。まずMR.ムーンライトってのが誰か知らないからそこから教えて貰っていい?」
「え? MR.ムーンライトですよ? 本当に知らない……?」
「いやごめんその人そんな有名人なん? ガチで知らないんだけど」
MR.ムーンライト、なんて言われて思い付くのはビートルズくらいだが、あれもレイの世代ではなかなか知らないだろう。自分でもあれを何故知っているのかわからないほどだ。
「まあ、簡単に言うとですね? 千年前に存在した大英雄ですよ。亜人の殆どを滅ぼすと同時に、魔物と呼ばれる存在を駆逐した『大英雄』ですよ」
──私は大嫌いですけどね。
ドワイトは『英雄』の部分を強調して、やけに嫌味ったらしく言った。
「亜人を滅ぼす……差別があったってことか」
「ええ。昔──いえ、今もですね。MR.ムーンライトの来訪から千年経った今でも、亜人差別は続いていますよ。かく言う私も、亜人ですしね」
ドワイトは芋をタンタンタンタンと切りながら、そんな言葉を吐く。タンタンと言うのが、淡々なのか嘆々なのか、それとも堪々なのか。それはわからないけれど、そこには確かな憂いがあった。
「まあ、私は一見すると亜人のようには見えませんが、この髪──青色でバレちゃうんですよね。基本的に、人間って言う種族に青色は存在しませんからね。まあ言ってしまうと、白も存在しませんから、あのルビアって子もきっと亜人なんでしょう」
「────」
そんなふうに言って、ドワイトは明後日の方向に目を向ける。そこには下手な変装で隠れた気になっているルビアがいた。マスクにサングラスは異世界でもそうなのか! とレイは一人戦慄する。
「その……なんかこんなこと聞いていいのか知らねえけど……お前はなんて種族なんだ?」
「種族名ですか? 私は……物真似族と言います」
「物真似族?」
「ええ。物真似が得意だから、物真似族。安易でしょう? でも昔は本当に色々な種族に化けられたらしいんですよね。今は無理ですけど」
そんなふうに語るドワイトは何故か、嬉しそうに笑っている。死んだ瞳を隠すように、笑っている。一体、彼女は何の為にここにいるのだろう。ふと、レイの頭にそんな言葉が過ぎる。
前に、ドワイトはこう言っていた。──自分は、世界を巡り歩いていると。しかしレイはその目的を知らない。彼女が何故世界を巡り歩いているのか。その理由を知らない。もしかしたら、その亜人差別に関連があるのではないだろうか。
「────」
内容が、気になる。気になって気になって仕方がない。けれど、尋ねてしまえばそれは嫌な奴だ。嫌な奴にはなりたくない。
そもそもこの質問をされるドワイトも辛いだろう。きっとそうだろう。きっとそうだ。──そんなふうに目を逸らした。レイは彼女の事情から目を背けることにした。
「まあ、とりあえず『来訪祭』の準備が必要です。ここに書いてあったので、よろしくお願いします」
そう言うと、ドワイトはポケットから一枚の紙を取り出した。その手は震えている。息が詰まりそうになるのを感じた。ここで、「大丈夫か?」なんて言えたらいいのに。言えたらいいのに──。
「じゃ、行ってきます」
「──はい」
──言えなかった!
そんな後悔を載せて、レイは取手に手を掛ける。ここがラストチャンスだと心が言った。
「な、なあ、ドワイト」振り返り、レイはぶっきらぼうに声を出す。「手、大丈夫か?」
「──っ! だい、大丈夫ですよ?」
薄く笑って、ドワイトは手を振る。その表情は心底嬉しそうで、こっちまで嬉しくなってしまう。そうしたら「ありがとう」なんて声が聞こえてきて──、
「──クソ! なんて臆病なんだよ俺は!」
と言う、夢を見た。
バスケットを太股に打ち付け、レイは一人声を噛む。滲んだ汁が口元から零れてしまう。自分が情けない。自分の臆病さが、情けない。こんなにも心が締め付けられるくらいならば、一言だけでも何か言えば良かった。何故、言わなかった。
「逃げて、ばっかだな……」
タンタンと、レイは市場へと向かう。そのタンタンが何であるかは明白だった。
──
市場に着いたレイは、そこでルビアに尾行されていることに気付いた。意気消沈しているところだったから、正直どうでも良くなって、無視することにした。
気付いた理由は、鏡である。商人の一人──見慣れない厳つい顔だったのでおそらく行商人だろう──が売っていた鏡である。
やはり中世のクオリティ。特に縁のあたりの婉曲が強く、そこだけ見ると世界がグチャグチャだ。大も小も遠も近もない。アリス・イン・ワンダーランド症候群、だったろうか。彼らはきっとこんな世界を見ているのだろうなと思いながら、レイはそれを見ていた。
すると、その鏡にルビアが写ったのだ。さすがに、あの真っ白の髪は目立つ。どれだけ帽子を被ろうとも、サングラスにマスクを付けようとも、やはりどうしても目立ってしまう。どうせ隠すなら髪からにしろよ……とルビアの阿呆さ加減にため息。とは言え美少女だからそのポンコツ具合がちょうど良い。
と、無視無視と意識していること早十分。慣れてきたのか距離が近い。たまに横に立っていたりするから、こいつは本当に阿呆だ。まだ馬鹿になっていないだけマシと思え! とか言ってやりたい。勿論言えるほどの関係ではないのは理解しているが。
「まあそろそろ帰るかな」
ルビアのことはもう完全に無視でも良いだろう。別にそこまで仲がいい訳でもないし。と言うかそもそもルビアはレイを容疑者として疑っているのだ、親密になれるかどうかなんて自明の理だろう。彼女にどんな事情があろうと、それはレイに関係ないのだから。
レイはそんなふうに締めて、帰路に着く。その足取りは少しだけ重たい。やはりドワイトへの後悔が残っている。こんなふうになるのなら……と後悔ばかりだが、終わった話をしても仕方が無い。振り返らないと決めたから、前へ進まないといけないのだ。
それの理由が一体何故なのか、そんなこともわからない自分が情けないと思った。と、そんな時である。
「あのーすみませんが、村長さんの所まで連れて行ってくれんかしらね?」
癖のある赤毛に茶色の継ぎ接ぎ服を着込んだ老婆が話しかけて来た。見るからに貧乏そうな老婆だ。ここで恩を売っておくのもありだろう──なんて考えている思考を振り払う。やらない善よりやる偽善とは言うが、やはりそれは納得出来ないレイだった。
「えーっと、村長の家ですよね……」
ともあれ、そんな言葉を吐きながら辺りを見渡す。──いた。ルビアとちょうど視線が合った。彼女は驚いた調子でサングラスを外して、こちらを見る。自分の胸を指さして一言、「わたし?」と口パク。そうだと首肯し、手招くレイの元に渋々とした様子でやってきた。
「何? ていうかどうしてバレたの?」
腰に手を当て、ルビアはそんな言葉をサラリと吐く。いわゆるモデルポーズのルビアに大してレイの感想は二つ。英語で言うとThank you and You're so foolish──だ。多分これだけ切り取られたら訳分からんだろうな、などと考えてしまう。
「まあルビアの返送の下手さの話はともあれ、この人を村長さんの所まで連れて行って行ってくれないか?」
「え? 何? 下手? わたしの変装下手?」
「あー、今はそういうの言いんで。とりあえずこの人を」
そう言って赤毛の老婆をルビアに差し出し、レイはその場を離れる。「では、よろしくお願いします」と、老婆が言うのを聞いてほくそ笑む。これで面倒事に関わらずに済むぞ、なんて考えていた。レイはそのままゆっくりと足音を忍ばせながら帰路に着く。
「あ、はい、こちらこそ。ではまあお荷物お持ちしましょうか──ってヤマシタ・レイ」
しかし、世間はそんなに上手くいかないようで。硬い表情、硬い声でルビアはレイの肩を掴む。「掴まれた!」と声を上げて振り返ると、そこには見るからに作り笑いなルビアが立っていた。タハハと後頭部をかいて、レイは苦笑い。逃げ場を探し辺りを見渡すも、誰もが無視を貫いている。
「世間は冷てえなぁ」
「何呟いてるの? 気持ち悪いから辞めてもらってもいい?」
「お前今サラッと気持ち悪いって言いよったな。酷いわぁ、傷つくわぁ」
「あら? あなたに傷つく心があるだなんて。意外だわ」
「とにかく酷いな! おい! てかお前ちょっとキャラ変わりすぎじゃね?! 俺お前とそんな関係性変わったつもりは無いんだけど──」
「あなたに無くても、わたしにはあるの。──まさか、昨日のこと忘れたとは言わせないからね」
「昨日のこと……? あー、あれね」
昨日のことである。屋根の上を掃除する際、レイとドワイトはルビアに間一髪で救われた。レイは社会的に、ドワイトは身体的に。どちらがどちらかはこの際どうでもいいのだが、その後のことである。
監視のため、とか何とか事情を付けて、ルビアはレイとドワイトの元に再び現れた。初めは、普通に監視をしていた。こちらの主観で言うとされていた。しかし一時間くらい経った頃だろうか、ルビアが唐突に、レイを呼び出した。
「何だ?」
と、若干緊張しながらレイは問い掛けた。あんな感情今なら阿呆らしいと言える。しばらくして、ルビアは耳元でこんなふうに言った。
「わたしね、実は好きなの」
「え?」
「……女の子が」
「はい?」
『実は好きなの』まで止まらなかったドキドキがそれ以降の言葉で違う意味のドキドキに変わる。今何を言われた? と自分の思考停止を認識。しかし畳み掛けてくるのがルビアだ。そのまま妖艶に舌を出すと、
「それでね、わたしね、あの、ドワイトちゃんのことが好きなんだ……」
「え?! アイツ?」
「いやそんな『え』に濁点付けたような驚愕のされ方しても……確かに、おかしいのはわかり切ってるんだけどね」
「いや、別に大歓迎よ?! 百合とか素晴らしいからね?! いやでもだよ、でも! あの! あのドワイトを?!」
まあ本性さえ分からなければ別にただただ可愛らしい少女なのは事実だ。実際、彼女は働き出すと決まると否や看板娘と化していた。そろそろファンでも出来るのではないか? と少々不安はある。杞憂で終わらない気しかしないが。
「まあという訳なので、暫くあなた達を尾行します。なのでよろしく」
「つまり下心丸出しで監視すると?」
「その通り」
「そんな堂々と言われると断りずらいな」
「でしょ? よろしくね」
「へいへい」
……と言う訳である。簡単に言うと、百合でドワイトに近付きたいからよろしく頼む──と言うか暗に邪魔をするなとでも言っているのだろう。では何故レイを尾行しているのか、と甚だ疑問だが、もうどうでもいい。
ジッと待つ赤毛の老婆にさすがに申し訳ないので、レイはとりあえずルビアに向けて指をさした。
「行くならお前も着いてこいよ!」
「分かってるわよ」
と、そんな茶番劇をして、レイとルビアは老婆を村長の元に案内することにした。──勿論、赤毛の老婆の内心を悟ることなく。




