2.5 零 『思い出したら』
──囁かれた言葉が、頭の中で反芻している。
思わず頷いた自分への後悔が止まらない。どれほど懺悔しても仕方が無いことは知っている。
そもそも、懺悔の対象がいないのだ。だから何も出来ないのだ。
自分は、ただ呆然とその場に立ち尽くす事しか出来ないのだ。
──しかし、それさえもそろそろ危うい。
それに、何となく既知感を覚える。
「え、おい。ルビア? ルビア! 大丈夫か?! おい! おい!」
そんな少年の声が聞こえる。男らしくないな、なんてふと考える。けれどそこに嘲笑はない。ただ、親しみの念があった。
自分へ掛けられる心配言葉。一体どれほどの人間がそれを掛けてくれたのだろうか──そんなものいちいち数えられる訳が無い。
ただ、一つだけ言えるのは、
──本当に掛けて欲しかった人からは「一度も無かった」と言うことだけである。
──
──母に棄てられ、飢餓に飢えたルビアはエル婆を殺害し、復活したエル婆によってこの『始まりの村』に連れていかれた。
それが、ルビアが思い出しては切なくなる思い出だ。
けれど、ルビアが思い出すべきは、それよりもさらに前のこと。
──彼女の母と彼女の罪についてだ。
「ねえ、お母さん」
その日も、ルビアは花摘みに出掛けていた。
彼女の種族では、花を何より大事にする。何れは使役するのだから、と大人達は子供に花摘を推奨させていた。
男の子達はそれを嫌い、剣技の練習ばかりしていた。しかし少女達の大半はそうではなかった。
皆、喜んで花摘みに出掛け、自分に合うと思えた花を摘んでは、母親に見せていた。
それは、ルビアも同じ。少々男勝りな少女ではあったとはいえ、やはり彼女だって花摘みが好きだった。
それは、彼女がいつも通り花摘みを終え、その手に持った花を母親に見せようとした時だ。
「ねえ、お母さん?」
二度目の、無邪気な声が母の耳に入る。それ以外の全てがまるで見えていないかのように、母はルビアにこう言った。
「いいかい。今、起きた事は夢なんだ。だからルビア、もう忘れてしまって、寝てしまいなさい」
その声は、優しかった。少々震えていたとは言え、宥めるようなその声に悪意はなかった。それだけは、確信を持って言える。
けれど、ルビアは震えていた。震える体を止められず、ただその場に立ち尽くしていた。
「お、お母さん……?」
三度目の問は、今度こそ不安と怯えでいっぱいだった。
普段は男勝りな性格を装っているものの、やはり彼女も子供。普段とは違う母の姿に、終始怯えていた。
「ルビア……お願いだから、もう自分の部屋に戻って。──お願いだから」
──お願いだから。
──お願いだから。
──お願いだから。
小さな少女の脳内で、その言葉が三度繰り返される。頭がクラリとしてしまって、足元が覚束無い。
怯えて立ち尽くすことさえも出来ないのだ。そんなふうに思いながら、ルビアの意識は遠のいていく。
深く深く、意識の深淵へと誘われていく。それはつまり、彼女が強制的に眠らされたということであり──、
「──っ!」
次の記憶は、突然自室となっていた。
ルビアは何を思ったのか、飛び起きると階段を飛び降りる。それで、彼女は母の姿を探し始めた。
母の部屋は二階にはない──というか、そもそも二階にはルビアの部屋と物置しかないのだ。一階で、探す他にない。
ルビアは埃まみれになりながら、そこら中を探す。
いるはずもないのに、ソファの下を確認したり、テーブルの下を見てみたり。
んその行動には年相応の稚拙さで満ちていたものの、その心意気だけは立派なものだった。
──なんとかして母を見つけて、昨日の出来事を問ただそう。
ルビアは、別段頭の切れる方ではない。この年相応の頭で、この年相応の行動しか出来ない。
それは、この時のルビアと現在のルビアとの共通認識であり、他者からもそれは認められる事だ。
しかし、頭の回転は遅けれど、その頭の柔軟性では大人に負けていない──そんな自負があった。
だから今回も、彼女は直感的に、あの出来事が夢ではないと悟っていた。
だから探す。探して探して探しまくる。同じ場所だって探してやる。
同じ場所を探している時点で、頭の柔軟性はさほど良くないのだろうが。
と、
「──あれ?」
「おはよう、ルビア」
いつも通り、柔らかな笑みで母が言葉を掛ける。途端、何を言いたかったのか分からなくなってしまった。
ああ。きっとそうだ。あれは夢だったのだろう。
あんな光景──母が父を殺していた、なんて事、ないに決まってる。
そもそも、ルビアに父はいない。今までずっと、母が一人でルビアを育ててきた。
──なら、どうして自分はあんな夢を見てしまったのだろう。
それが何だか不思議で、ルビアは疑問に思ったけれど、母の笑顔で全て忘れてしまう。そのまま、ルビアは母の胸に飛び込んだ。
それで、母の服の香を嗅いだ。
──いつもよりも、それはいい匂いがした。
──
──目覚めたルビアを襲ったのは、堪え切れないほどの寒気だった。
あまりの寒さに、ルビアは身を震わす。頭は直ぐに覚醒した。
ルビアは辺りを見渡し、その騒然さに驚きを隠せない。
「い、一体何が?」
記憶の最後はあの少女、パンドラの言葉に頷きで応えた所だ。だから急な場面展開に、思考が置いてけぼりにされてしまう。
──遠くに見える破壊された家々。逃げ惑う人々。流血沙汰にはなっていないようだが、それでもその被害は大きなものだ。
まるで三ヶ月前のそれのようで、ルビアは身体を震わせる。
「まさか、また……」
そんな思考が過ぎる。確かに、あの柵だけでは不十分だったと言える。あれでは、何時でも獣が侵入して──違う。思い出した。
「一角獣だ……」
ルビアにしか従えない、一角獣。獰猛な獣であることに変わりないあれが、ルビア無しで村に放たれた場合、どうなる。
持ちいる憎悪の全てでもって、村を破壊し尽くすのでは無いだろうか。
「また、わたしの……」
人々は押し合いを繰り返しながら、波のように村の南へ向かう。きっと北側に一角獣がいるのだろう。
そんな彼らの口々は、やはり愚痴だ。きっとまだ状況を理解していないが故のものもあるだろう。
しかし──、
「くそ! 俺は見たぞ! やっぱりあの男が!ヤマシタ・レイが疫病神だ!」
そんな声が聞こえて、「そうだそうだ」と同調の声を上げる。それにルビアは心臓を締め付けられるような思いを抱いた。
また、ルビアの失態をレイが拭うのか。レイはそれを知らないけれど、全てはルビアの責任なのだ。
ただ、始まりの信頼関係があったか否かの話なのだ。
「わたしは、また……また……」
ポタポタと涙が零れ落ちる。大人気ないな、なんて自分で思う。強がっていた自分への羞恥心が、止まらずに心を締め付ける。
そんな時だ。
「おう、嬢ちゃん起きたか」
「ネコ、さん……?」
ネコが、ルビアの肩を叩いた。思わず振り返って、ルビアは困惑の声を上げる。一体、どうなっているのだろうか。
そもそも、ルビアにレイを追わせたのはこのネコだ。何やら、嫌な予感がする、なんて事を言っていた。
その時、確か彼は、村の外にある『ソーゼンの洞穴』へ向かったはずだ。本当なら、自分がレイを追いたいが、それは無理なのでルビアに頼みたい、と言っていたことを覚えている。
「ホントに、何が起きたんです?」
そんな彼が、今この場に居て、ルビアを心配げに見つめている──それが意味する事に気付いて、ルビアはまたも涙を流す。
それに気付いて、ネコが後頭部をかいた。
「あーもうとりあえず泣くな。お前が悪い訳じゃ無いんだからよ」
「──はい」
「おう、それでいい。泣いてない方が余っ程綺麗だ。──まあ、それは良いとして、だ」
ネコはルビアに向けて人差し指を立てる。それの意味がわからず、ルビアは首を傾げた。
「どうして、オレがお前をここまで連れてきたのか──それに関してはどうでもいいがとにかく! 今、一角獣が暴れていることは分かっているな」
「はい」
「なら、オレらも助けに行かなくちゃならねえ。今、レイやウィルディ兄弟……後、月明かりの連中が戦ってる。だから──んん! ──助けに行くぞ」
そこまで言って、ネコは人差し指を直す。一体どんな意味があったのか分からないが、彼はこに悩むような様子を見せていた。だからこちらは無視するべきなのだろうか。
そんなふうに思っていると、ネコが吹っ切れたかのように人差し指を立てた。その表情から葛藤は消え去っていた。
「すまんが、とりあえず今は何も質問はしないでくれ。オレだってこれ以上犠牲は増やしたくないし……からな」
「え、え、はい」
タジタジでルビアは目を丸くするも、何とか首肯。途中聞こえなかったことは敢えて言わない。
そうしたら、ネコが満足げに頷いた。ルビアの瞳を見詰める。
「──思い出せたら、真っ先にオレに教えろ」
そんな言葉を吐いて、ネコはその場を去る。向かうは、村人達の方。おそらく避難させるのだろう。
だがしかし。
置いてけぼりにされたルビアは、ただ目を丸くしていた。
「思い出したら……って、どうして……?」
困惑は深まる。謎ばかりが広がっていく。
けれどもそれは後回しだ。今は、レイを助けに向かわなくては。
──今度こそ、ルビアがルビア自身の罪を受け入れられるように。




