1話 弐『反社会的演技』
──透き通る藍の髪。煌めく理智を灯した瑠璃の瞳。纏うローブは髪色と揃えられ、その杖は身長を軽く超えている。
顔のパーツ全てが整っており、少し丸すぎるかと思える顔型も、まるで宝珠のように見える。
言わば美少女。現実には確実に居ないほどの美少女だ。
正直ラノベでの既読感は拭えないものの──青っぽい髪や瑠璃の瞳などまさにそうだ──、やはり美少女は美少女である。
そしてそれにプラス、ややポンコツそうな雰囲気が合わさって、レイにとってはもうデッドボールである。戦力外通告だ。
おそらくこの少女が自分のヒロインになるのだろうな……という下心がやはりそこにはある。ワクワクは止まらない。
──そんな彼女は出会ったばかりのヤマシタ・レイにこう言った。
「──どうして私の事が見えてるんですか?」
「はい?」
流れる沈黙。心で広がっていく焦燥感。
何だろう。今になってラノベの主人公の異常さがよくわかった。
こんな状況でよく喋り出せる。こんなの、無理だ。流れていく沈黙そのままでいるしかない。けれど、何か口にしなくてはならない。それはわかっている。せめてわかっているつもりでいたい。
ドワイトは、こちらの瞳を真摯に見詰めている。ここで逸らせば後悔する──そんな気持ちがあるから逸らさず見返せているが、いつその決意が揺らぐかどうかはわからない。自分で自分の危うさ──と言うか脆さは知っている。だから息を大きく吸い込んだ。大量の冷気が肺に流れ込んで来て、連れ込んだ酸素を体中に巡らしてくれる。
頭がシャキリとする感覚があった。冷気なことも相まって、心が洗われたのような気分になる。レイはようやっと口を開いた。
「どうして、とか言われても、正直わかんないというか……」
「そ、そうですか。そ、そうですよね?! そんなの普通、わかんないですよね?!」
そうしたら、ドワイトは明るげな声でそう返してきた。「ごめんなさい」と謝罪を口にし、頭を下げる。それは何だか妙に明るげで──否、そう繕っているように見えて、レイは唐突に声を出さなくてはならない衝動に駆られた。
けれど出ない。声が出ない。どうして? どうして? どうしても何も怖がっているからだろう? そんなふうな声が聞こえた気がした。それは自分の声だった。頭の中で反芻し出すその言葉を心に刻んで、レイは息を吸った。
「ま、まあそういう事なら、その辺で……」
「お暇させて頂きます」とそんな言葉。そんな台詞。ここで別れては行けない。引き留めなくてはいけない。そんな言葉が頭の中でグルグル反芻する。レイは、手を伸ばした。
「ちょっ、ちょっと待って下さい!」
ドワイトの後ろ姿にそう声を出す。手は彼女の裾に届かない。しかし彼女歩みは止められた。
「何、ですか?」
笑ったような表情。けれど笑っていない瞳で、ドワイトはレイを見る。そこには何があるのだろう。不信感、警戒心……否、そこには確実に──。
「助けて下さい」
そこにあった拒絶の感情。それをレイは瞳で知ったし認識出来た。けれど、
「助けて下さい。俺にはあなたが必要だ」
そんな愛の言葉のような台詞を吐いてまで、彼女を引き留めたいと思えた。
──
レイと同じくベンチに座ったドワイトは淡々と語り始める。
勿論両者の間には一定の距離感がある。しかしドワイトの声はちゃんと聞こえた。
「まあそんな大層な話ではないんですよ」と、そんな言葉を枕に置いて、ドワイトは語り始めた。
「私、一応自分の隠蔽術に自信があるんです。戦闘系統はてんで駄目なんですが、それだけは……」
「────」
「その、さっきもやっぱり人混みとか落ち着かなくて、隠蔽術を使っていたんですね。まあそのせいで人とぶつかったりして怖かったんですけど……て言うかそもそも隠蔽術使ってなかったら人とぶつかることもなかったのでは……?」
唐突に過去の自分の行動を疑いだすドワイト。何だかこれはなかなか話が進まなさそうだと、「それで?」と催促をする。止めなければ永延続いていたかもしれない。
「そう、それで私は隠蔽術を行使していました。だから──あなたと目が合った瞬間、正直心臓がひっくり返されたかのように錯覚しました」
「そんなに──いや、そんなもんなのか……」
そんなにショックだったのか? と尋ねようとして、レイは途中で辞める。何だ、考えてみれば当たり前の話だ。自分の得意分野で負けた、とかそんな感覚に陥っているということなのだろう。
それはきっと本人にとっては簡単で片付けられないようなものだったろうが、他人から見ればそんなものだ。現実は甘くないなと思い知らされる。
「そんなことで、引き留めてしまい申し訳ないです……ただの私の勉強不足なものなんで……」
それは違う──とは言い切れなかった。だってそうだろう。レイはこの少女と出会ってまだほんの数分。たったそれだけの関係だ。感情移入なんて露ほどもできないし、慰めの言葉なんてなおのこと掛けられない。ただ『もしかしたら』と言う可能性があるだけだ。
『もしかしたら』この隠蔽術を看破したことが、レイのこの世界での能力なのかもしれない。異世界召喚ものなら当たり前のように存在する、チート能力。『もしかしたら』これはそれなのかもしれない。
そうだとしたら、彼女の努力不足とは言えない。それはただのこちらのいかさまでしかない。だから今吐くべき言葉はきっとこうだ。
「その……そう言うのはやめましょうよ。俺に悪気はなかったし、あなたも別にそんな気持ちはなかった。言ってしまえばこれはただの偶然の産物で……その……」
なんと言えばいいのか。言葉がまとまらない。しかしドワイトが真摯にこちらを見つめるものだから、レイは何とかして言葉を引っ張り出す。
「だから、あたなが変な劣等感を──違うな、上手い言葉が出てこないんだけど、とにかくそんな事を感じる必要は無いって言いたい。その……言ってしまえばこっちの責任の方が大きい訳だし……」
自分は、何を言っているのだろう。言葉が上手くまとまらない。言葉が上手く発せられない。言いたいことは決まっているのに、乏しい語彙力のせいで伝わらない。
これが真摯に待ってくれているドワイトで良かったが、普通なら聞き流されて終わりだろう。だからきっと今回はと運が良かったのだ。
ただ、今言った言葉は全部本当だ。悪いのはきっとドワイトじゃない。きっと誰のせいでもない、というのが一番綺麗な応だろう。しかし敢えて誰かの責任とするのなら、それは自分だ。勝手に見付けて無責任に人を傷付けた、自分だ。
「そう、ですか……」
俯き加減でドワイトはそう呟くと、杖を握り締めた。プルプルと震え出す。その様子に、レイは唐突な違和感に襲われる。
ドワイトが頭を上げた。その表情は笑み。けれどそれは──。
「ハハハハ! ハハハハ! 良いですね! 良いですね! その自己犠牲の心! 気に入りましたよ!」
突然、そんな大声で手を叩き始めた。それに辺りの人々は見向きもしない。そうだ、彼女には隠蔽術が備わっているのだ。とそこで実感する。
しかし──とレイはどうしてか冷静な心で、今なお手を叩いて笑うドワイトを見た。その表情は本当に無邪気で、顔立ちの幼さと身長を加味した後、声を減味すると、それはまるで幼子のよう。しかし幼子はこんなゲスい声で笑ったりしない。
「いやぁ、本当、ビックリしちゃいましたよ、初めはねえ! で、でも! 私は君になら、レイくん、君には教える価値があると思えました! ハハハハ! こんな気分一体何時ぶりでしょう。久しぶりにサブイボが立ってますよ。……触ります?」
「いや遠慮──っていうか人のサブイボ触りたいとか思う人なんていないでしょ」
「いやぁ、それがいるんですよねえ……まあ正直気持ちが悪いとしか言えませんが。彼は女のサブイボに触れることで興奮するとかいう奴でしたよ。いやぁ、思い出すだけでも気持ち悪いですね」
「ちょっ、ちょっと一旦いい? ──その変わりようは何? どっちが本当だ?」
「どっちが本当も何も、どっちも本当ですよ。私は私。ドワイトはドワイトで変わらずここにいます。だか安心して下さいね」
「────」
駄目だ、ついていけない。何だこの変わりようは、て言うかそもそもこの女は一体何に対して笑って──いやそれはわかっている。レイのあからさまな自己犠牲を嘲笑っているのだろう。
それは本気で腹が立つが、今それはどうでもいい。そんなことよりもこの女、さっき『教える価値がある』と言っていた。その『教える」内容が一体何なのか、それが知りたい。
それがこの宛など何も無いこの異世界における必須技術かもしれないのだ。こんな狂ったような奴でも、それを教わる価値はあるだろう。
と、ようやっと、ドワイトが笑い終えた。抱えていた腹を戻し、涙が溢れた瞼を拭う。呆れてレイは額を叩いた。
「ふう、落ち着いきました、と。さて、レイくん。今君は現状を全く理解していない──そうですよね?」
ニヤニヤと薄気味悪い笑みに、レイは首肯。ドワイトは満足気に頷くと、言葉を続ける。
「ま、とりあえず『ドワイト』という名前で大体察してくれていると思いますが、私はこの大陸でたった四人しかいない仙術師の一人、ドワイトです!」
言えない。異世界人だから正直アホっ子かなとしか認識していなかったとか言えない。正直今も若干厨二病を疑っていたりするが尚更そんなこと言えない。
「ハッハ! 聞いて驚け見て笑え!」と騒ぐドワイトに、レイは申し訳ない気持ちでいっぱいになり始める。と言うかそれって完全に嘲笑されてはなかろうか。と、ともあれ黙って置くことにした。言わぬが花、と言う奴だ。
「その! 大仙術師ドワイトから、レイくん! 君は大陸でも最高峰の隠蔽術が学べるという訳です! どうしですか? どうですか? 素晴らしいでしょ?」
ニコニコと、本当に嬉しそうにそう尋ねてくるドワイト。一応相槌と首肯は繰り返しているものの、心中では、
──こいつ大仙術師とか言っちゃってるよ。
と思っていたりする。なんだが申し訳ない気持ちでいっぱいだ。さっきまでのシリアスな雰囲気の方がまだ良かった、と心の本音がポロリと現れる。
「まあ、その話は良いんです! と・に・か・く! 今日からヤマシタ・レイ! 君は私の弟子です! 旅に着いてくるように!」
そう言って腰に手を添え空に指を指す。何だかカブトみたいだな……とふと思う。と、そこら辺で、何故か自分がいつもの間にかこの女と一緒に旅立つことになっていることに気づいた。いや、別に嫌な訳では無い。宛なんて皆無のこの世界では、寧ろそっちの方がいい。ただ──と、レイはドワイトを見詰めて思う。
──この溢れ出るサイコパス感を何とかして欲しいよな。
ただそれはおそらく彼女に一生届かない願いだった。
「ではまず! 旅立ちたいと思います──と言いたいところですが、この村に用事があるので、しばらくは滞在しまーす」
「大体どれくらい?」
「まあ来訪祭までだから……一ヶ月くらいですかね。それまでは宿で生活しつつ、仙術を教えて行くことになると思います。──じゃ、宜しくお願いします」
ドワイトはそう言って、手を差し伸べた。さっきまでのサイコパス感は少しだけ抑えられている。レイはその手に応えるように重ねると、一つだけ問を発した。
「それで……その『来訪祭』っていうのは一体?」
マジかと口をアングリと開けられた。そんな表情をする人をレイは初めて見たように思う。
「ま、まあとりあえず宿に行きましょう……」
完全にはぐらかされた。