後書き 『そして始まる日常紀』
冷たい瞳、蔑んだ瞳。そこには侮蔑があった。そこにはきっと嘲笑も含まれていた。そこにはきっと憤怒も含まれていた。そこにはきっと、失望が含まれていた。
道行く人々が向けるそれら。きっとそれらは一人の少年に向けるには過分なものだった。だから彼は、心の奥を蝕まれた。けれど、自分が悪い事はわかり切っているから、何も言えない。
障壁の消えた空を見上げる。それはきっと自分のせいだ。それらはきっと、自分が犯した過ちのせいだ。そんな事はわかり切っている。だから心が苦しくて。だから世界が醜く見えて。
信頼していた人々に──否、信頼されていた人々に──否、信頼してくれていた人々から向けられる視線が痛い。痛くて堪らない。心の全てが病んでしまって、レイの瞳からは泪がずっと流れていた。
けれどそれは所詮泪だ。水に目では何も変わらない。水に戻なら、きっと何か変わっていたように思えるのに。
レイは、自分の無力さに泪を流した。濡れたベンチで、しりが冷たかった。
──
雪で濡れた道を、人々が歩いていく。それを目で追って、ヤマシタ・レイは長く息を吐いた。白い息がどこかへ飛んでいく。
空をふと見上げる。そこには既に障壁がない。そりゃそうだ。維持する者が居なくなったのだから。
今、人々は喪にふくしている。その衣装は皆黒だ。この世界でも喪服は黒なんだなと笑ってしまう。やはり、異世界召喚者の影響があるのだろう。
レイは手を何度か握って、頭を降った。白い雪が頭から落ちる。それを目で追って──けれど虚しくなって、レイは長く息を吐いた。
「ねえ」
そんな時だ。隣から、温もりを感じた。
「なん、だよ」
思わず、そんなぶっきらぼうな言葉でかえす。少女は、レイの隣に躊躇なく座った。このベンチは濡れてるぞ、なんて言う余裕はなかった。
「出席しないつもりなの?」
「────」
「こんな所でしょげてるぐらいなら、線香の一つでも」
「──お前は! お前は何も分かってねえんだな」
レイは思わず、そんな言葉を吐いた。ルビアの瞳を睨み付ける。その琥珀色が揺れる揺れる。レイはそこから目を逸らした。言葉を続ける。
「俺がやった事は、そう簡単に許されていいものじゃない。お前だって、俺に関わらない方が良いんだ。そうだよ、関わったら、お前だって」
「──レイ」
「お前だってきっと酷い目に逢う。俺が向けられてる目と同じ目で向けられちまう」
「──レイ」
「もうさ。この話は俺が悪いんだよ。俺が全部悪いんだよ。だからさ、もう、お前は──」
「──レイ」
「全部が全部俺が悪かった。何度でも言ってやるよ。そうさ。俺が俺である限り、この世界は俺に味方しない。だから、ルビア。お前は俺から離れてくれ」
そうだ。初めからそうだったのだ。ヤマシタ・レイはどうやったって異邦人なのだ。どうやったって、この世界の人々には追いつけない。そんな事分かっている。
今日、弔っているあの二人も、レイでなければ救えたかもしれないのだ。けれど、その場に居たのは自分だった。力を得たのも自分だった。だから助けに向かった。だから救おうとした。けれど、どうしたって無理だった。どうやったって、間に合わなかった。
「──レイ!」
レイの頬に、ルビアの掌が炸裂する。鈍い音がして、レイは痛みに驚く。目を見開いた。そのまま、ルビアの瞳を見る。彼女は──、
「何を、何を言ってるの?!」
「────」
「何、一人だけ寂しく居ようとしてるの?!」
「────」
「何、一人だけで責任を背負ってるの?! そんなの、そんなの……」
──涙を流した彼女は、そこまで言うと、レイの肩を叩いた。弱々しく、叩いた。
「──ズルいよ、卑怯だよ」
彼女の声はまるで蛇のようだった。喉が上手く機能していないのだろう。声が上手く聞こえない。けれど、その激情は、何となく理解出来る。違う。何となくではない。触れた肩から、彼女の想いが溢れだしている。
「あなただけが、悪い分けじゃないの! わたしだって、そうだった!」
「──なら!」
「ごめんなさい! わたしが、わたしが愚かだった! もっと早く、この言葉を吐いていれば良かった! そうすれば、レイがそんなに傷付くことはなかった!」
「────」
「だから、だから……」
──だから、本当にごめんなさい。
彼女はそう言って、レイの頬に手を添えた。涙が溢れ出している。ふざけるな、なんて言葉が頭を過ぎる。どうして、彼女がわざわざレイの罪を背負おうとしている? どうして──けれど、それに納得している自分が居た。それが、どうしようもなく嫌だった。
「ねえ、レイ……」
しばらくの沈黙の後、ルビアが口を開いた。レイの瞳を見詰める。潤う世界は美しくて、レイは思わず息を呑んだ。
「──一緒、償っていきましょう」
彼女は、そう言って、フッと笑った。どうして笑うのかわからなくて、レイは彼女の瞳を見ていた。気付くと、レイはその手を握っていた。
──首は、どうしてか縦に振られていた。
──
納得した訳ではなかった。心を揺さぶられた訳でもなかった。けれど首を縦に振ったのは、きっと自分の甘えなのだろう。一人で居ることが、怖かったからだろう。
隣で涙を流すルビアを見詰めて、レイはふとそんなふうに思った。
立ち上がり、レイは大きく息を吸う。首を鳴らして、息を吐いた。ルビアが、キョトンと目を丸くしている。それにレイは笑いかけた。自分がするべき事は、何となく分かっていた。
「──じゃ、行ってくる」
「う、うん」
困惑した表情の彼女。レイはそれに少しの愛おしさを感じた。けれど後ろ髪には引かれない。レイはそのまま、前へと進む。雪で濡れた道へと、進んで行く。人混みをかき分けて行く。
時より、レイへの侮蔑の目が向けられる。『エル婆の期待を裏切って』とか、『ネイブルの事を忘れるなよ』とか。けれどそんな連中に構ってやる必要は無い。ヤマシタ・レイには、今、やるべき事があるのだから。
エル婆とネイブルが埋葬された場所。そこに辿り着くと、レイは長く息を吐いた。暫く瞑目してから、もう一度目を見開いた。
「──エル婆! ──ネイブル!」
大声を張り上げ、手を挙げる。目を見開いて、涙が零れないように、必死に堪える。
「──いつか! いつか必ず! 二人への恩を返すから! それまで、待っててくれ!」
そこまで吐くと、レイは手を下ろす。何だか、言い足りない。何だか、これでは駄目な気がする。だからレイは、思い切り振り返った。
さっきまで関心の欠片も持とうとしていなかった人々に目を向ける。
「──村のみんな! 本当に、本当に申し訳ない事をした! けれど……違う、だから! 俺に、俺に償うチャンスを……償う機会を下さい! お願いします!」
そう言って、頭を下げた。蔑んだ瞳に晒されている。それが分かった。けれど、頭をあげることは無い。これはヤマシタ・レイの誓いだ。そうだ。ヤマシタ・レイには、これが必要だった。
──この世界に来て、ヤマシタ・レイには何の目的もなかった。ずっと、惰性で生きてきた。
そんな彼が、ようやく見つけた一つの目的。それが、汚名の返上だなんて、笑ってしまう。けれど、それも立派な目標だ。これを叶える為に、レイはガムシャラになれる。
どんな異世界召喚ものでも、やはり目的があった。それがようやく見つかったのだ。嬉しさはないけれど、心は満ち足りていた。
そうだ。この、侮蔑に満ちた視線を、全て信頼へと変換していくのだ。そうするには、どうすればいいのか。そんなの──ヒーローになるしかないだろう。
ふと気付くと、ルビアが隣に立っていた。彼女が頭を下げる。下げる必要なんてない。そんな言葉を吐こうとして、レイはそれを止めた。それは、ルビアに恥をかかせることだと気付いたからだ。
──ヤマシタ・レイは、ルビアと共に頭を下げた。ここから、彼の日常紀が始まる事となる。
しかし、その道程は長い。きっと険しいものになる。それはわかり切っている。けれど、日常紀なんてそんなものだ。人生なんてそんなものだ。初めから成功するだなんて、つまらない。
ヤマシタ・レイの決意が固まる。ルビアの手を握り締めた。何となく、握り締めなくてはならない気がした。
──異世界の洗礼が終わり、ここから、レイの日常紀が始まる。
かなりのごたつきがありましたが、ここまで読んでいただきありがとうございます。
とは言え、まだここからやっと第一章にはいる形となりますので、また長くお付き合い頂ければ幸いです。




