5話 参 『非御都合主義的』/ 5.5話 零『事の顛末としては』
まるで全てが自分の味方をしているように感じる。アドレナリンが体を循環している、というのがよくわかった。
目の前で唸る狼。まるで口に火を含んでいるかのように、その鼻からは煙が噴き出している。ただ、レイはそれでビビるほど臆病者ではない……一分前から。
レイと狼の睨み合いは、約一分ほど続いている。その間も、ルビアが負傷した足を引き摺り引き摺り、ネイブルを救い出そうとしているのが見える。
──下手に動けないのか。
この一分間で、能力について色々考察してみたのだが、やはりこれは受動的過ぎる。どうしたって、完全にこちらが後手に回ってしまう──それが、レイの考察結果である。この能力を、未来視と同類と考えれば、その仕様は仕方がないと言えるだろう。
だから、レイは待つことしか出来ない。発動条件がわからないから、とにかく待つしかない。唾を飲む。心を落ち着かせる。頭はずっと警鈴を鳴らしている。
「さあ、来いよ……」
喉を鳴らして、レイは挑発の笑み。しかしそれでも狼は襲ってこない。ゲームでもそうだが、敵キャラが中々攻撃してこないと不安になる。大技でも溜めているのでは? となるのだ。
ジリジリジリジリと、狼の爪が地面を鳴らす。徐々にこちらとの距離を詰めてきているのだな、と理解。レイは構えをとる。息を長く吐いて、調息する。
──来た!
世界が青白く変色。ジュワリ、とそれはまるで泡が展開するかのようだ。体の動きが完全停止するのを認識し、レイは綻ばない頬で無理矢理喜ぶ。
──さあ、どう来る?
レイは狼の様子を見詰める。しかし何も無い──違う。狼は大口を開けてこちらに迫ってきた。反射的に目を閉じようとするも、それは無理。ただ現実を見せ付けられるのだ。
──え、火?
開かれたその口から、轟々と炎が見えた。レイは目を見開く──と言うか、驚いて、「あ」と声を出す。狼はそのまま火を口から噴き出す。まるでそれは蝋燭を吹き消すように軽い動作だった。その炎は、レイの顔面へと一直線に飛んでくる。レイは息を呑む。
丁度その時、青白い世界が弾けた。まるで泡のようなそれに、レイは少し驚く。しかしすぐ様立て直して、狼の動作を観察する。先読みどおり、開かれたその口から、メラメラと炎が顕現する。きっと魔法的な奴だな、とそこは一々気にしない。レイはそれを回避する行動──スライディングで、狼の懐に飛び込んだ。
「──オラっ!」
意表を突くようなレイの行動に、狼の顔が歪む。余程炎の生成に集中していたのだろう。滑り込んだその先で、レイは狼の顎にパンチを食らわせる。しかし反動はでかい。
「──痛っ!」
と、痺れるような痛みに驚き、レイは左手を抱える。これはアカンやつやと、震える。一体どうしてプロレスラーはこんなことを平気で出来るのだろう、なんてことを考えてしまう。
顎を殴られた狼は、口に溜め込んでいた炎を上空に放出。割と高い所まで飛んだそれは、空中で爆発した。「汚ねえ花火だぜ」と汗を拭う余裕もない。とりあえず逃げないとやばい、とその場から急いで逃げ出す。しかしその時足が縺れて倒れた。そのまま尻もち。アタフタしているうちに狼が近づいてくる。
「ちょ、ちょっと待ってくれませんかね……」
と、言ってみるも駄目だ。降伏の笑みを浮かべてみるが、やはり霊長類でないから効かない。クソ、と悪態を一つ吐いて、レイは尻を滑らす。そのまま後方に逃げる。
──きた!
青白い泡が展開。狼がレイを襲うヴィジョンが浮かんぶ。泡が崩壊し、色が回帰。レイは狼のコースから避けるように左へと避ける。しかし──、
「動きを読んできた?!」
狼はレイの逃げた方へと飛び出してくる。ヤバい、と目を伏せるその瞬間。またもや体が固定。青白い泡が展開し、弾ける。狼の動きは先読み出来た。しかし、避けられない。
──どうする、どうする。
飛び掛ってくる狼を見つめながら、レイは必死に何か案を探す。思い出せ、何か思い出せ。頭を捏ねくり回して、考える。そして、
「──っ!」
何も思いつかない間に、レイの肩に狼が飛び付いた。そのまま、牙がレイの肩に食い込む。
痛い、なんて言葉もない。ただ焼けるような痛みが──否、それは実際に焼けている。牙から放出されている炎が、レイの肩を燃やしていた。
「────っ!」
声も出ない。いや出ているのかもしれない。もう自分では訳が分からない。痛くて痛くて堪らない。
痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い──!
ライトノベルでよくある、『痛い』とか『苦しい』とかの連呼。あれは本当だった。痛すぎて何も考えられない。頭の中が真っ白になる。下ネタ的な意味ではなくて、本当に。
今、何をすれば自分が助かるか、なんてことは考えられない。頭はもう痛い痛いとしか言わないし、心に関しては既に諦めている。頭と心で全く別のことを考えるというエマージェンシー。この世界に来てから一体何度あったことか。
「──くっそ!」
何なんだ、この世界は。一瞬の希望を見せておいて、結局これか。もう何なんだ。どうしてこの世界は甘くない。どうしてこんな在り来りな世界観で、厳しめになっているんだ。こんな在り来りな、ただヤマシタ・レイが馬鹿みたいに生活しているだけの小説なのに。どうして、どうして……!
痛みはもうない。なんだろうか。慣れた。違う。意識が遠のいているだけだ。ああ、とレイはふと思い出す。
昔、自分が主人公の小説があったら、みたいなことを考えたことがあった。もしもこの世界がそうならどうなんだろうか。きっとつまらない話になっていそうだ。異世界転移なんて在り来りな話なんて、いっぱいあるし、そもそもレイが主人公な時点でそうなるに決まっている。
自嘲して、レイは自分の意識が遠のいていくのを認識した。あれ? いつの間にか肩の牙が外れている。誰か取ってくれたのだろうか。そんなふうに思って、ヤマシタ・レイは意識を失った。誓った決意など何もかもを諦めて。
──最後、満月の紋章が見えたような気がした。
──
「──さて、一体何が起きてるんですかね、これ」
固く冷たい声でそう言った女は、レイの傷付いた体に触れる。光が見えて、傷が一瞬で消えた。──治癒魔法か。それもとてつもない、とルビアは感嘆して、息を吐く。
散々格好つけたヤマシタ・レイは、結局こんな感じだ。狼に殺されかけて気絶。馬鹿みたいだな、とルビアは思う。こんな男を一体誰が好きになれるというのか。と、それはいい。
「──あなたは?」
レイから狼を引き剥がした女に、ルビアはそう尋ねる。何だか気色の悪い瞳の色をした女だった。柔らかい翠、とでも言うのだろうか。何だか昔そんな果実を見たことがある。
「ああ、自分ですか? 自分は、MR.ムーンライト団、第七部隊副団長、リーフ・ガーディンです。以後お見知り置きを」
女は──リーフは、ペコりと会釈をすると、構えていた剣を鞘に戻した。その冷たい目が、こちらに向けられる。ルビアはその時、心が震えるのを感じた。こんなにも美人なのに、どうして萌えないのだろう。ああ、わかった。きっとこちらを人間と認識していないのだ、この女は。きっと自分以外は虫けらのようにしか認識していないのだろう。だから、こんな表情が出来るのだ。
「それで? この男……大変情けないですが、どうします?」
「どうする──って、助けてくれないの?」
「え? あ、助けた方がいいですか? 自分的にはどっちでもあなたには損害はないかと……」
「確かにそうだけど……でも恨むほどじゃないわ、助けて上げて。次いでに、わたしと、この子も」
そう言って、ルビアは自分の負傷した足とネイブルを指さす。すぐ様リーフはルビアの足に触れる。途端、泡が発生して景色が霞む。と、それが晴れた頃には完全に治っていた。
「す、ごい……」
「それはどうも。あー、あの、どうします?」
急に、リーフが疑問符を投げかけて来た。ルビアはそれに「何?」と応える。
「この子、たぶんもう無理ですよ?」
「……はい?」
「え、いや、だから、もう助からないんでここから出さなくてもいいですか?」
「は、え、ちょ、え? あ、あなたの治癒魔法があれば……」
「あー、自分のそんなに万能じゃないんですよね。なんて言うか、外傷は行けるですけど、内臓まで行ってるのは、無理なんですよね」
「え、じゃこの子は」
「ええ、おそらく」
「ふ、ふざけ──」
淡々としたその良いように、ルビアは思わず手を振り上げる。しかしそれをリーフは掴み取った。そのまま練り上げ、関節技を掛けてくる。痛みに悶え、ルビアが地面を叩く。リーフは侮蔑の瞳を向けてから、無造作にそれを離した。
「それを自分に言われてもどうしようもありません。恨むなら……そうですね、あの男を恨んだ方が良いのでは?」
「────」
「正しい判断も出来ず、ただ醜態を晒しただけの男──名前も知りませんが、自分の評価はそれです」
「────」
「でも、あなたもそうでしょう? もし少しでもあの男に救いようがあるなら、他の良い点が見つかるはず。でもそれも見つからない。──きっと、嫌われることが怖くて怖くて、人に何も与えられない人間なんでしょうね?」
そこまで言うと、リーフは立ち上がった。ネイブルの元に向かう。何かをその耳元で囁いてから、こちらに向かってきた。
「それでは、自分は村長の家に行きますが──どうします? 同行しましょうか?」
「結構よ」
「そうですか。──では」
そう言って、リーフは飛び去った。比喩ではなく、飛んで去っていった。一体どんな技術を駆使しているのだろう。そんなふうに思う。ルビアはネイブルの元に向かった。額に手を添える。──冷たい。それでも、ルビアの頬に涙が伝うことは無い。そこで、ルビアはようやっと、この状況が最悪なことに気付いた。
ルビアは、レイの重い体を引き摺り、村長の家に戻ることにした。
「──ふざけてんじゃないわよ」
レイを引き摺りながら、ルビアは流れる涙を必死に拭う。はち切れそうな心を必死に抑えながら、呟く。
「なんで、こんな奴に……!」
──ありがとう、なんて思えるのだろう。恨むべき相手の筈だ。違う。違う? 何が違う。だって、恨むなら自分もそうだ。あの女はまるでレイが全て悪いように言葉を吐いたが、それは違う。そもそもルビアがあの時、突き飛ばさなければ、こんなことにはならかった。それに──、
「何よあの女、何が、嫌われることが怖くて人に何も与えられない、よ。見透かしてんじゃないわよ!」
それはまるで、ルビアを嘲笑っているかのような言葉だった。だから、心の底から憎悪を吐く。あの女は一生許せない。もう、許せないのだから。
──助けに行ったレイがルビアに助けられ、しかもネイブルを失うという最悪の結果。
家に戻ったルビアには安堵の瞳が、ヤマシタ・レイには失望の瞳が向けられた。
──事の顛末としては、ネイブルに関しての責任がヤマシタ・レイに行き、そして結果としてそれを負わせたルビアの心が壊れた、という訳である。
これで序章は終了です。ヤマシタ・レイが『やらかした』までの部分がこことなります。
ようやく始まる本編は、後書きを挟んでから投稿していきます。
よろしくお願いします。




