5話 壱 『信頼の理由へ』
──初めから、わかっていた。どれだけ繕っても、自分はこの世界に馴染めないのだと。自分は、どう足掻こうと異物でしかないのだと。
慣れたつもりになっていた。やってやれるつもりになっていた。けれど、そんなことはなかった。ただ、自分はずっと周りに流されていただけだった。
何もしない。何も出来ない。笑ってしまうほどに情けない。助けたいと思った彼を、救うことすら出来なかった。そして、また、同じ過ちを繰り返ろうとしている。
「いいか、レイ。この人らを連れて、村長の家へ行け。──あそこなら、障壁が残っているはずだ!」
別れ際、シンドロはそう言って飛び出した。そのまま、まるで空を飛ぶかのようにして狼の元へ向かった。見届けておきたい。そんな気持ちはあった。けれど、体はそっぽを向いて、村長の家へと向かってしまう。それに人々が着いてくるのを見て、安堵してしまう。それはきっと逃げだ。それはもう分かっていた。
後ろから聞こえる爆発音や破裂音。叫び声、断末魔。それが一体誰のもので、一体何から発せられているのか。考えることが怖い。振り返ることが怖い。だから走る。何もかもを真っ白にして、走る。それだけが、その時のレイにあった。それだけしか出来なくて、それ以外はもう何もしたくなかった。
──気付くと周りから、見知った人はみんないなくなっていた。
シンドロもドワイトもチャートでさえも。みんながみんな行ってしまった。きっとみんな、誰かを救いに向かったのだろう。あのひ弱なチャートでさえ、「自分にも出来ることが」とか何とか言って、ドワイトについて行った。
「本当に、大馬鹿だな……」
そうだ。本当に馬鹿だ。本当に阿呆だ。どうしてわざわざ、戦う力もないのに立ち向かう? どうしてわざわざ、自分が向かう? そんなの、死んでしまうのが当たり前だと言うのに。レイには全く理解できなくて、頭が真っ白に──そんなわけが無い。
──ただただ、自分が情けなかったのだ。自分の弱さが、悔しかったのだ。
……気付いくと、レイは周りの人々と共に村長の家に辿り着いた。青白い障壁の中に飛び込んで、レイは肩で息をしていた。
耳元で聞こえるそれは、しかし徐々に落ち着いてくる。
どれほどの大人数が、この場所にいるのだろう──塀に囲まれたその場所をレイは見渡して思った。ざっと見えるだけでも、百は優に超えている。きっと、村の大半がここに居るのだろう。もう意味がわからないほどの人口密度だ。
レイは頬を叩いて、必死に頭を働かせる。なんて自分は臆病なのだと、涙を流して頬を叩く。
「どうして……俺は動けなかったんだよ……」
頭を抱えて、レイは呟く。髪を大袈裟に掻きむしった。ムシャクシャした気持ちが溢れて止まない。
やらなくてはならないこと。それは今、明確に示されている。そのはずだ。なのにレイはどうして動けない? ゾロゾロと、塀から飛び出し、戦いにいく男達についていけない?
自問してみるけれど、答えなんて出ない。ただ自分の両手が震えているのがわかって終わりだ。
「そうだ、初めから、分かってたのに……」
自分は弱い。どうしたって弱い。それがこの世界の人々との違いだ。自分は弱い。立ち向かう勇気がない。駄目だ。なにを考えても、頭は悪い方向に向かってしまう。レイは自分が垂れ流す泪を拭う。何度も拭う。それすら辞めてしまえば、もう人ではないような気がして、レイはずっと、泪を拭っていた。
──
──シンドロが連れ帰った人数は、十五人程だった。
彼らはやはり、古民家の住民が殆どだった。その表情は、総じて悲しみと後悔だ。泥まみれになった自分は顧みず、死した身内に向けて黙祷と涙を捧げていた。
村長の家は、既に満員状態だった。故にやはり人口密度は高い。障壁の広さもこれが限界だそうだ。不幸中の幸いで、民度の高さのおかげで、文句を言う者は一人として現れなかった。けれど彼らに不平不満が募っていることは事実だ。変えようがない。
──ヤマシタ・レイはそんな中、一人蹲っていた。
「──っ!」
右頬に冷たい何かが当てられる。反射運動で左に逸れて、レイは右頬を撫でる。それに若干の苛立ちを覚えながらも、右側に目を向けた。
「よお、レイ」
そこには、シンドロが立っていた。彼は無邪気に目を細めて、手を振り上げた。殴られるのでは、と腹の底が冷える。
「これでも食って、一回落ち着けや」
シンドロは手に持った林檎をレイに手渡すと、レイの横に座った。砂埃が立つ。
「────」
「なあ、あの狼共の間抜け面見に行かねえか?」
「────」
ふとした沈黙の合間に、シンドロがそんな問を発する。馬鹿な問だ。わかり易過ぎる。どうして、こんなにも易しくて優しい問を発するのだ。
レイはそれに沈黙で応え、シンドロには見向きもしない。するとシンドロは「悪かった」と素直に謝罪を口にする。少し驚いて目を見開くと、シンドロは自分の胸を叩いて、
「いつかオレ言ったよな。ほら。──今やらなきゃ後悔するって」
「────」
「今がそれなんじゃねえのか? レイ。ルビアの話は聞いただろ?」
黙りこくるレイに、シンドロは畳み掛けるように言葉を紡ぐ。
「いいか。これはただのオレの──いや、つまらん兵士の話だ」
シンドロはふと、レイの横で淡々と語り始める。それの意味をレイは理解出来ない。わからなくて泣きそうになるので、それはもう考えないようにした。
「オレも……まあ、若かったからな。自分ならなんでも出来ると思ってた。完全に調子に乗ってた」
「でもな」 とシンドロは続ける。その胸を抑えて、そこから何かを取り出した。それは鉄のプレートらしきものだった。
「結局その時オレが見つけれたのはこれだけだったんだ。これ、そいつの地元でも珍しい言葉で書かれてるらしんだが……まあ言っちまえばそいつはオレの恋人で、家族がいねえオレからしたら大事な存在だった」
「────」
「その時のオレは、今のお前みたいな感じで、別に自分以外の誰かがすくえばいいなんて思ってた。何でだったか忘れちまったけど、戦うのに夢中になってたんだろうな。──でも、その時オレが頼った奴は、今のオレみたいに──完全なエルネ不足で、もう手足も動かせなかったんだよ」
「────」
「オレはその事にホントに遅まきに気付いて、走ったよ。彼女の元に向かうために。たぶんあれが全力疾走だったんだろうな。もうあれ以上には走れない。死んでも良いってくらいに駆けたよ。でも」
──見つけれたのは、これだけだった。
そう言って、シンドロはプレートを胸ポケットに仕舞う。
ことの始まりも終わりも一切語らず、ただ今とその昔を重ね合わせたその話。レイは意味がわからなくて困惑に顔を歪ませることしか出来ない。
シンドロは、きっとレイにルビアを救い出させたいのだろう。それは何となくわかった。確かに今、この村の主な戦闘要員は疲弊を極めている。だからルビアは救いに向かえるのは自分だけなのかもしれない。
シンドロやドワイトもこの調子だし、それの助力となった、ピート・ピクス率いる自衛団もボロボロだそうだ。エル婆でさえ、障壁の維持にエルネを常時消費しており、身動きの取れないと聞く。チャートに関しては、未だに帰って来ていない。
ちなみにMR.ムーンライト団だが、シンドロ・ドワイト・エル婆・ピートの総意で、「戦う力はない」と判断。実際にそれは立証され、彼らの無能さは完全に露見した。ただ威張り散らすだけの無能達は、塀の中で震えている。それはレイも同じだった。
一応、複数人の戦闘員はいたものの、彼らの数も少ない。おそらく五人もいないだろう。そんな彼らも、増援を呼びに行ってしまっているため、今は助けにならない。
言ってしまえば、詰み。もうこの村でルビアを救い出せるものはいない。レイの考える、自分以外理論はもう展開されないのだ。だから、シンドロは言ったのだ。レイがルビアを救えと。
けれど、そんなの。そんなのは……、
「シンドロさんは、力があったから! だから、助けに行こうか否か迷えたんでしょう?」
そうだ。彼には力があった。だから迷う事ができた。レイには、それが出来ない。力がないから、迷えない。戦うか否かの決める権利すらないのだ。
「俺だって、俺だって出来るなら、助けに行きたいですよ……!」
身も心も震えて、もう逃げ出したいと思っていても、やはり少女を助けにいく──そんな在り来りな英雄のようになれたら、どれほどいいだろう。例えどんなものでもいい。払う代償は大きくてもいい。ただ、力を──誰かを救い出せる力が欲しいのだ。
チートだ。不正だ。ご都合主義だ。そんな言葉で、罵られようとも。誰かを救う力を持つものは、英雄となれるのだ──成らなくても、成れないことは無いのだ。
「だけど、力がないから! 助けに行きたいけど、力がないから!」
そうだ。自分は、何とも愚かだ。なにをのうのうと日常に浸っていたのだ。こんなことなら、戦う力の一つや二つ、会得しておけばよかった。そう考える。
「──おい、いい加減にしろよ」
太く低い声が聞こえた。それはシンドロの声のはずだった。けれど質も、重みもまるで違う。まるで石のようだと、レイを目を見開く。シンドロの顔が映った。
眉間に皺を寄せたその表情は──、
「いいか! オレだって、阿呆だが馬鹿じゃねえ。無理なやつに無理なことを頼む訳がねえ!」
「なにを言って……」
「お、オレは! オレとドワイトはお前に言ったはずだ! ──お前には仙術の才能があるって! 戦う力があるって!」
「──っ! そ、そんなのただの冗談でしょ? あ、あんなちゃちい手品なんかで……」
レイがこの一ヶ月で会得した仙術はたったひとつ。小さな黄金色の石ころを顕現させること。それだけだった。そんなもので、狼に敵うはずがない。有り得ない話なのだ。
「お、オレはふざけてなんかいねえぞ! これでも人を見る目はあるほうだ! だから──」
「だから! だからなんですか?! 俺に、俺に本当にルビアを救い出せるって、そう──」
「言うんだよ! 言ってるんだよ! 今は意味がわからないかもしれねえけど! 訳わかんねぇこというオッサンにしか見えないかもしれねえけど! いつか! きったいつか! お前もわかる日が来る! 悟る日が来るから! だから!」
──だから、頼むからルビアを救い出してくれ。そう言って、シンドロは泣いた。訳が分からなくて、レイは縋り付くシンドロを切り離し、その場から逃げ去った。
──困惑だけが頭に残っていた。
──
一体、シンドロの信頼は何を起因としたものなのか。わからない。きっとちゃんとした理由があるのだろうと、思えば思うほど、全くわからなくなる。
泣き縋ったシンドロから逃げた先で、レイは一人軽率だった自分の行動を戒める。ちゃんと、話していればよかった。けれどあそこに戻る勇気はない。
「すみません? ヤマシタ・レイさん、ですか?」
ふと、肩を叩かれて、レイの名前が呼ばれた。振り返ると、そこには見た事のある顔。けれど名前が出てこない。確かエル婆の元で働いていた給仕だったように思うが──。
「村長が、あなたを呼んでいます」
「──え?」
そんなふうに言って、レイは困惑気味に笑みを浮かべる。何故、このタイミングで? と疑心暗鬼になる心だった。
すると、奥からエル婆が現れた。その歩みは遅々としたもので、その身にのしかかっている重みが見えるような気がした。
「すまんすまん、エルダ。わし自ら行くべきじゃった」
「そんなこと! 村長はちゃんと休息をとってください」
「クックック。大丈夫じゃよ。──すまんが、レイ。わしと一緒に来てくれんか」
エル婆は杖をついて、レイを先導する。その間、振り向くことは一度もない。緊張感に、レイは腹痛さえ感じていた。
やがて着いたのは、どうやら村長室のようだった。本棚に囲まれたその場所には、ただ一つの接客用のソファと、事務処理用のテーブルと椅子があるだけで、他は何も無い。贅沢な嗜好品なんてものは無い。言ってしまえば、簡潔で清潔なその部屋は、エル婆の特徴を全くと言っていいほど表していた。
「すまんな、突然」
そう言って笑うと、エル婆はソファに座る。向かいに、レイも座った。差し出されたお茶には手を付けない。
「それで、話は聞いたか?」
「──っ!」
またか、と露骨に顔に出てしまった。少し後悔した後に、レイは首肯する。エル婆は、何故か満足気に頷いた。
「わしはもう駄目じゃ」
「はい?」
「『預言』でも言った通り、わしはもうすぐ死ぬ。おそらく持って今日一日じゃろう」
「は、はい? いきなり何を言い出して──」
「わしにとってな、ルビアは行きずりの孫と言うやつなんじゃが……まあ勿論初めは、あんまし好きじゃなかった。寧ろ嫌いだったように思う。でも今は、心の底から愛してる」
だからまた、レイに託そうと言うのか。ルビアを救い出してくれなんて言うつもりなのだろうか。レイは予測した彼女の言葉に、拒絶反応を示す。
「だからな、レイ。お主に、ルビアを助けれる力を授けたいと思う」
「はい?」
一体、急になにを言い出すのだ、この老婆は。レイに、力を授ける? 一体全体、どうしてこの流れでそうなる? 訳が分からず、レイは困惑に頭をかく。震える手が、よく分かった。
「簡単な話じゃよ。わしの有する力を、次の世代に託す──それだけじゃ」
「い、いや! それはおかしいでしょ?!」
「一体何がおかしいと言うんじゃ?」
「だ、だって?! 俺とあなたが話したのなんて、本当に数回じゃないですか?! ど、どうしてそんな接点も少ない野郎に託そうなんて……」
そうだ。意味がわからない。現状、確かに力を授けてくれるのなら最高だ。ルビアを助けることが出来る。他にも使い道があるかとしれない。けれどその理由がわからない。一体何を根拠に、エル婆はレイにその力を託そうと言うのか。その薄ら笑いからは、それを看破することなどできない。ただ、レイは困惑して、心の底から恐怖していた。
「今、この瞬間にもルビアは危ない。でも誰も助すけに行けない。だから力無きものに力を託す──これの何がおかしいのじゃ?」
「いや! おかしいことだらけでしょ? 俺は言ってしまえば、たった一ヶ月この村にいただけの、異邦人ですよ? そんなやつに、どうして……」
「──その時になれば、わかるはずじゃよ」
「──っ!」
その言葉だけは、聞きたくなかった。それだけは聞いていけないと思っていた。これで三度目になるその言葉に、レイは激情を奮わせる。
「どうして! 何奴も此奴も訳分からないことを言うんだ?! お、俺はただ平凡な奴なのに! そんな訳の分からない期待を背負わせないでくれよ!」
ソファから立ち上がり、レイは思わず叫ぶ。頭に血が登っているのが、自分でもわかる。ふざけるな、なにを戯けたことを! そんなふうな言葉は頭で詰まってしまって、言葉にならない。もどかしくて、レイは頭をムシャクシャにかいた。
「本当に、訳わかんねえよ! 何だよ、その都合の良さは! あ?! ご都合主義万歳って奴かよチキショウ!」
ご都合主義万歳でいいではないか。使える時は使う。使えない時は使わない。それでいいでは無いか。どうして、この千載一遇のチャンスを無下にしようとする? ──それは自問だった。答えなんて返すつもりは無い。ただ、レイは息を吐いてみる。
「まあ、お主がなんと言おうとも、ルビアには危機が迫っとるし、わしはもう死ぬ。だから、選べ。お主には選ぶ権利がある」
──選ぶ権利。それはレイがさっきまで、喉から手が出るほど欲しがっていたものだ。だと言うのに、今はそれが悲しいほどに醜く思える。
「どう、して……」
それは、最後の問い掛けだった。この次の言葉で、決めよう。そうして、考えよう。決めてから考えるなんて馬鹿げているけれど、今はそれしかないのだ。それしか出来ないのだから。
レイはエル婆を見た。それは逆説的に言うと、エル婆がレイを見たということになる。そんな枕はどうでもいい。喉へ唾を流し込む。エル婆が口を開いた。
「いつか。いつか、わしのこの力を持ってしていれば、お主はわかるはずじゃ。どうして、わしやシンドロがお主をそれほど信用し、信頼するのかを。どうして、わしがお主にこの力を託すのかを。そして」
──どうして、お主がこの世界に呼び出されたのかを。
レイはその言葉に目を見開く。口を開きかける。けれどもう遅い。エル婆の腕から、レイの体へ向けて、熱い何かが注がれる。それは、レイの心臓に食らいつき、離さない。エル婆は、ニヤリと笑った。
「──お主が、あの人と同じであらんことを」
そういって、エル婆はソファに倒れ込んだ。レイはそれを寝かせてあげると、掌を握り締めて息を吐く。心に巣食う決意が、レイの中で満ち溢れている。その感覚を味わい、レイは村長室を飛び出した。
──それが、エル婆との最後の邂逅だった。




