タクシーの男②
絶望の気持ちで振り向くと、警察官のような帽子を被った背の高いサングラスの男が立っていた。あのキツネ目の男ではないことにホッと胸を撫で下ろすが心臓の鼓動はなおも早鐘を打ったままだ。
「どうされました?」と男に聞かれたが、咄嗟に何の返事も返せない。
サングラスの警察官なんて映画かドラマの中でしか見たことがない。ビルなどの警備員だってサングラスは掛けてはいない。
相手が何者であるか窺っている私に気が付いたのか、男はタクシーの運転手であると職業を名乗った。丁度この先にお客を降ろしたところ、いつまでも電柱に身を寄せたまま動かない私が気になって声を掛けたのだという。
私は自分の今の状況を、どう説明していいか分からず、少し体調が悪くなり休んでいたのだと言って誤魔化すしかなかった。すると運転手さんは家までサービスで送って行ってあげると言ってくれた。直ぐそこなので構わないと断ると、運転手さんは近いならサービスではなく、ついでになるので好都合だと言い、停めてある車に走って行き、そして車をまわしてくれた。
運転手さんは私の直ぐ傍に車を停めると、運転席から降りて、後ろのドアを開けてくれた。ここまでされても頑なに断るのも失礼だと思い、相手の好意にお礼を言って後ろ座席に腰掛けた。
「どちらまで参りましょう」と聞かれ、前のコンビニエンスストアを右に曲がって直ぐだと答えると、運転手さんは直ぐに車を発進させた。
コンビニエンスストアを右に曲がるとき、まだあのキツネ目の男が居やしないか気になって振り向いた。
もしも待ち伏せをしていたらと思うと、鬼のような形相で車を追い駆けて来るキツネ目の男の想像が頭をよぎり怖かったけれど、曲がり角の向こうにはキツネ目の男の姿はなくて、ホッと胸を撫で下ろし後部座席の背もたれに深く体をあずけて目を瞑った。
そして、直ぐにハッと気が付いた時には、車はもうアパートの横まで来ていた。
「ここです!」と、慌てて運転手さんに声を掛けると、車は速度を落していたらしくゆっくりと止まる。
乗ったときと同じように、若い運転手さんは車から降りると、私の居る後ろのドアを外から開けてくれ「お荷物をお部屋まで持ちましょうか?」とまで言ってくれたが、大して入っていないレジ袋を持ってもらう訳にもいかない。
それに気分が悪いと言う理由も仮病なのが、この親切な運転手さんに申し訳なくてレジ袋からミネラルウォーターを取り出して運転手さんに渡そうとすると
「体調の悪い貴女に必要な物を、たとえ気持ちと言っても頂くわけにはいきません」
と丁寧に断られ、ここでも仮病で乗せてもらっている疚しい心がチックっと痛む。
俯いてレジ袋を見ると飴の袋が有ったので、それを開いて三粒渡すと「有難うございます」と、今度は笑顔で快く受け取ってくれた。
別れ際に深く頭を下げてお礼を言った私に、運転手さんは名刺を取り出して
「何かあったら呼んで下さい。他のお客さんを放っておいてでも直ぐに参ります」と、笑って名刺を渡すと直ぐに運転席に戻り車は発進して行ってしまった。
初めて会ったのに、なんだか懐かしい人のように感じる。
それは、あの若い運転手さんが優しくしてくれただけじゃない。
でも、それが何かなのかは、今の私には分からない。




