男の部屋⑤
曲がって直ぐのところにあったコインランドリーには怖くて入れなくて、駅前通りの手前にある二軒目のコインランドリーに入った。
入って直ぐに、恐る恐る外の様子を窺う。
キツネ目の男が追って来ていないか心配だった。暫く様子を窺い、安全なことを確認してからシーツと衣類を乾燥機のドラムに押し込んだ。乾燥機が回っている間に、近くにあったスーパーの二階の衣料品コーナーで下着とストッキングとサンダルを買い、直ぐにトイレに入り下着を着けサンダルを履き替えた。
駅前の百貨店に入り一階で化粧品を買い、二階でシャツなどのトップスやボトムスとスカートを買った。
購入しているときはウキウキするほど楽しい気分になったけれど、コインランドリーに預けてあった洗濯物のことをスッカリ忘れていて、それを回収すると手が荷物で一杯になり困った。
漸くアパートに辿り着くと「ただいま!」と部屋の奥に向かって元気に声を掛けたあと、買ってきた袋を玄関に散らかしたまま、自身もそこで俯けに倒れこんだ。
暫くそこでそのままにしていたら急に可笑しくなってきた。だって、どんな男がいるか分からない部屋に戻って来て、いつも通り元気な声で「ただいま」と言う自分……。
逃げ出すはずなのに買ってきた物の半分は生活用品……。
自分の行動が可笑しくて少しだけ声を出して笑い、そして泣いた。
いつの間にか、そこで寝ていた。起きて直ぐ玄関の鍵が閉まっているか確認すると、どうやら部屋に入って直ぐに鍵を閉めたようでチェーンもちゃんと掛かっている。
私は何故かそのチェーンを不思議に思い、指を絡めてなぞってみた。
急いで乾いた洗濯物を取り出してタンスに仕舞う。アイロン掛けは後まわし。
買ってきた新しいコップに新しい歯ブラシを洗面所に置いて、早速歯を磨いてシャワーを浴び、髪を乾かしながらお化粧をして昼に買ってきた服に着替える。
安物だけど新しい服が嬉しくて姿見の前でポーズをとってみた。
我ながらスラリと伸びた細い足に引き締まった腰のくびれ、その細い体とは逆にわりと豊かな胸の膨らみが印象的だと思った。
顔立ちも、芸能人っぽくもあり、家庭的でもあり愛らしくて可愛い。
買ってきたトートバックを手に引っ掛けて「夕ご飯の買い物に行ってくるけど何か食べたいものってあります?」
誰に言うでもなく呟いてみた。当然返事はない。
気分が軽くなり、これから夕ご飯の買い物に行くことにした。
自分が誰だか分からなくて、住んでいるところも思い出せない以上、ここに住むしかない。
こう見えても、女は結構逞しいのだ。
スーパーに着いて買い物かごを手に取った時、お店の広告が目についた。
<本日九月十一日月曜日ポイント三倍デー>
「今日は九月十一日の月曜日」……こんな日常の根本的なことまで忘れていたと思うと、悲しくなって鼻がツンとして目から涙が溢れそうになる。
早く記憶を取り戻さなければ。
一体何故、記憶を無くしてしまったのだろう。
買い物をしているとついアパートの男は“どんなものが好きなのだろう”とか、“嫌いなものは何だろう”とか、“食物アレルギーは有るのか無いのか”など色々考えながら食材を選んでしまう自分に気が付く。
私を拉致して、玩具のようにこの体を弄んだ憎い男だと言うのに……。
そして、部屋に炊飯器が無かったことに急に気が付いた。
“自炊はしていないのだろうか? それとも白米は嫌いなのだろうか?”
トースターはあったのでパンは食べるのだろうと思い、サンドイッチの具材を買い求めた。
男が戻って来た時に、下着姿で寝るのは無防備なので、別の店に寄り安物のジャージを買ってから帰る。