男の部屋④
憂いていても仕方ないので、部屋の掃除をすることにした。部屋を汚いままにしていると、安っぽい女だと思われてしまうのが癪だった。
先ずはテーブルの上のモノを片付けて、コップを洗う。脱ぎ散らかされた衣服と湿ったシーツを洗濯機に入れてスイッチを入れる。
掃除機を掛けたあと床を雑巾がけして磨いているうちに洗濯機の脱水が止まり、干そうと思ってベランダに出てみると、そこには物干し竿も無ければ洗濯用のハンガーや洗濯バサミすらなかった。仕方ないのでコインランドリーで乾かそうと思い洗濯物をビニール袋に詰め込んだ。
戸締りを済ませ玄関まで出たところで財布がないことに気が付いて、男の使っている事務机の引き出しをユックリ開けた。
“ピンポーン、正解!”
引き出しを開け始めた瞬間に玄関の呼び鈴が鳴り、飛び上がるほど驚いた。
『ピンポーン♪ピンポーン♪ピンポンピンポンピンポンピンポン』
短い間をおいて二度目が鳴り、次いで連打される。ドアの向こう側にいる人間の神経質な感じが伝わってくる。
“怖い……”
動くことも息をすることも出来ない。心臓の鼓動さえ、相手に気付かれはしないだろうかと心臓に両手を当てがい、なるべく聞こえないように、早鐘を打たないようにと強く押さえた。
不思議と、この部屋の主ではないと思った。
“第三の男……”
『ドスン!』
ドアを蹴る衝撃音のあと「ちっ」という低い男の声がしてカツカツと足音は遠ざかって行く。私は、その足音が遠のき、聞こえなくなるまで息をひそめたまま注意深く耳で追っていた。
漸く体を動かせることが出来るようになりドアモニターの再生ボタンを押すと、そこに映し出された男は私の印象通り神経質そうな男だった。
頭の禿げかけた、キツネ目の男。
このアパートの主ではない事は確かだろう。
主なら鍵を持っているはずだし、もしも持たずに出て行ったとしても、怒りにまかせてドアを蹴るような男ならこの部屋がこんなに整理整頓されている訳がない。
もっともベッドの脇に服が脱ぎ散らかされて、テーブルにはビールや煙草が置かれたままではあったけれど、昨日はたまたま散らかっていただけで普段は小奇麗に使っているだろうと思われる清潔さがあった。
さっきのキツネ目の男が、まだ近くをうろついているかも知れないので用心して十分ほど経ってから部屋を出た。
テーブルに、お財布を勝手に持ち出していることと、外出の用件と大凡の帰宅時間をメモに書いて残しておく。
通りを駅に向かって歩くとコンビニエンスストアの前に、さっきのキツネ目の男がいた。180センチくらいは有りそうな大柄な骨格だけど、肉は付いていなくて痩せている。
怖くて足が竦みそうになるけれど、変な動きをしたら直ぐに感付きそうなタイプだから如何にも平然を装いながら何食わぬ顔で歩く。
しかし、表情とは反対に、心臓は緊張の鐘を鳴らすように早鐘を打つ。
キツネ目の男は煙草を吸いながら、携帯で電話をしていてこちらには気付いていない。
通りの反対側に移動したいけど、今ここで進路を変えるのは余りにも不自然だと思ったから、私は目が合わないように俯いて足早に歩いた。
男との距離が5メートル程になった時、私に気が付いた男が顔をこっちに向けた。
男の吊り上がった目が、私の足のつま先から、ふくらはぎ、太もも、下腹部、ウエスト、バスト、首から唇、鼻、目、眉、額、髪と私の体に着いている様々なパーツを舐め回すように鑑賞していた。
気持ちが悪くて鳥肌が立つ。
おまけに私を馬鹿にするように、通り過ぎざまに『ヒュー♪』と気の抜けた口笛と歯周病のような嫌な口臭を吹きかけられた。
その目から逃れるように速足で逃げるように歩いた。
屹度、キツネ目の男は私が通り過ぎた今も、お尻を見てニヤニヤして見ているに違いない。
辱めに、目から涙が溢れた。
コインランドリーに向かうために、次の角を曲がる。
曲がるときに一瞬だけ男を睨み付けてやると、案の定私のお尻から下をニヤニヤしながら見ていた。そして角を曲がり切るギリギリの所で一瞬目が合った。
迂闊だった。睨み見たことで、あのキツネ目の男と目を合わす状況を作ってしまったのだ。
そして次に、呼び止められるかも知れない恐怖心が襲い、慌てて駆けだした。