秘密③
その日の夕方に訪問者があった。
チャイムがなり、ドアを開けるとそこには恩田が居た。
「どうしてここが?」
おそらく、この場所を知っているのは山岡と私の他には居ないはず。
恩田はニヤッと不敵な笑みを浮かべて警察は来たかと聞いてきた。
何故警察が私を訪ねてくるのかよく分からなかったが、来ていないと答えると、安心した態度を見せた。
恩田は「そうか」と低い声で言ったあと、自分が山岡に頼まれてここに来たのだと言い、チェーンを掛けたままのドアの隙間から覗いている私の死角にあたる方向を振り向いて「なあ」と声を掛けた。
「山岡さん!?」
恩田の近くに山岡が居る気配がして、慌ててドアチェーンを外して廊下に出る。
でも、恩田の後ろにもアパートの下や、直ぐそこの道にも山岡らしき人影は見当たらなかった。
そして振り返ったとき、廊下に居るはずの恩田の姿もない。
開け放たれたドアに近づいて、恐る恐る中を覗くと、恩田は玄関先に腰掛けて靴の紐を解いていた。
「警察に指名手配されている人間が、そうノコノコと現れるものか」
ニヤニヤ笑いながらそう言う恩田に対して。玄関の扉を開けたまま、中に入らずに玄関から出て行くように「困ります。勝手に上がられては」と、少し声を荒げて言った。
その言葉に、恩田は嫌そうな顔をして「動けない山岡に代わって、わざわざ東京からお前さんを訪ねて来てやったというのに、そうつれない事を言うなよ」と言い返してきた。
返事をせずに玄関先に立ったままの姿勢で、何も言わずに睨め付けている私に根負けしたのか、恩田は解いていた靴ひもを結び直す。
「分かったよ。警察でも呼ばれたら敵わない。お前さんの勝だ」
そう言うと、スクッと立ち上が私の後ろにきて手で私を中に入るよう似合わない合図をした。
私が、部屋の中に入ると、恩田は訪問販売員のようにそこに腰掛け、戸を閉めようとするので開けておくように言うと「相変わらず用心深いな」と言って、おとなしく従った。
勝手に人の部屋に入ろうと企てた恩田に向かい合って座ると「そう何時までも、怖い顔をするなよ。美人が台無しじゃないか」と揶揄われて、更に怒りが増す。
恩田はそんな私をはぐらかすように、記憶は戻ったのかと聞いてきた。
戻らないと言うと、恩田は俯いて「そうか……」と、いかにも同情している様子を見せたあと、思い出したように鞄から保冷材に包まれた缶コーラを二本取り出し、そのうちの一本を私の前に差し出した。
「これ山岡からの差し入れだ。君が好きだったコーラらしい」
「私が好きだったコーラ?」
「なにか思い出すかも知れんぞ。なぁ~に、心配は要らんよ、炭酸飲料だから奴さんでも変な細工は出来まい」
そう言いながら、恩田はプシュッと言わせて缶を開けて飲み始めた。
暫く缶を眺めていたが、私が好きだったというその飲み物に興味を惹かれて、恐る恐るリングプルを引くと、小気味よい炭酸の圧力が外に放出される音がした。
小さく一口飲むと、恐ろしく不味い。
まるでコーラの中に薬草を付け込んだような味。
もしかして恩田が一服盛ったのかと思い睨み付けると、一服盛るくらいだったらもっと飲みやすい飲み物を選ぶだろうと笑われ、それもそうだと思った。
確かにこの毒々しい味のコーラは誰にでも飲めるものではない。
私が山岡のことを聞く前に、恩田は私のことを聞いてきた。
ここに来てどこか行ったのかと。
私は、育ててもらった児童養護施設に行き、そこで三枝美穂から聞いた話をした。
すると、恩田が山岡もそのことを一番気にしていたと言った。
「いったい山岡さんは何処に居るのですか? 何故研究所を、爆破しな・く・ては、いけなかった……の・で・す・か……?」
喋りながら急に呂律が回らなくなり、頭がボーっとしてきた。
この感覚は覚えがある……そうだ、東京を離れるとき恩田と行った喫茶店……。
目の前に居る恩田が何か言っている。
「大丈夫か!」と言っているようにも見えるが、違うようにも見える。
バタンとドアが閉まる音だけが最後に耳に届いた。




