秘密②
次の日、アパートの保証人である三枝美穂を訪ねるため児童養護施設に行った。
初めて見る児童養護施設は幼稚園に似ていると思った。でも初めて見るわけではなくホンの数年前までここで暮らしていたはずなのだ。
玄関を潜り、スリッパに履き替えて事務所に行く。
名前を名乗り、三枝美穂への面会を依頼する。
事務員は、まるで私を幽霊でも見るような顔をして応接室で待つように言い三枝美穂を呼びに行った。
ここでも懐かしさは無かったが、何か一度来たような気のする古びた応接室を眺めていると扉がノックされ五十代前半の三枝美穂らしき人物が扉を開き、そこで驚いたような眼を向けて立ち止まっていた。
私は三枝美穂が何故中に入って来て座らないのか、何故そのように驚いた目で私を見るのか不思議に思いながらも、立ち上がって水川千恵子の名を名乗った。
入り口で立ち止まって……いや、固まっていた三枝美穂は、私の言葉を聞くと、まるで魔法を解かれたように動き出して「そうだったわね」と独り言を呟きながら椅子に座った。
私は、まず記憶を失っていることを話し、私がこの児童養護施設の出身者であることを確認した後、どのような人物であったのか聞いた。
三枝美穂は直ぐに書棚からアルバムを抜き取ると、それを私のほうに向けて開いて見せた。……しかし、開いたどのページにも私らしい人物の写真はなく、ショートカットで日焼けした肌が印象的で、男勝りな女の子の写真が多く貼られていた。
「それが水川千恵子さん。貴女よ」
「えっ!?」
見ていたアルバムから顔を上げ三枝美穂を見た。明らかに私と異なる容姿を持つ人物の写真を見せて、それを私だと言う。
一体どういうことなのだろう?
驚いている私に優しく、そして哀しそうに微笑みながら三枝美穂はもうひとつ呟く。
「そう……記憶まで無くしてしまったのね」と。
言っている意味が分からなくて三枝美穂の目をジッと見つめている私に気が付いた彼女は、ハンカチで涙を拭ったあとアルバムの最後のページを開いて説明してくれた。
最後のページには英語で書かれた新聞の切り抜きがあった。小さな切り抜きだけど事故らしい写真が添えられていた。
今年三月に施設を訪れた水川千重子は、東京にある定時制の大学を卒業して地元に帰って来ると元気に報告してくれた。
施設の子たちは経済的な理由があり進学するのも、その進学先で無事に卒業することも難しいのによく頑張ったものだと、アパートの保証人も喜んで引き受けた。
ところが、四月になると就職予定だった会社から入社式はおろか、それ以降の出社もしていないので、どうなっているのかと問い合わせがあり、心配してアパートに何度か行ったが留守だったので気になっていた。
そして五月になると海原と名乗る医師が、この新聞の切り抜きを持って訪ねてきた。用件は水川千重子の件だった。
海原の話によると、水川千重子は海外で全身の骨を数十カ所も骨折する大きな交通事故に遭い現地で入院中だと言っていた。本人は危篤状態から回復に向かい、命の心配はなくなったものの未だ意識は回復していない。意識が回復していない理由のひとつには頭蓋骨の複雑骨折があり、その手術を行うことによって外見が以前と全く異なってしまう。
海原が遥々海を渡って訪ねて来たのは、その手術の承諾も兼ねてだと言っていたらしい。
あらためて新聞の切り抜きを見ると、乗用車とトラックの悲惨な衝突現場が写っていて、これでよく命が助かったものだと思った。
「千恵子ちゃん。もう、大丈夫なの?」
顔も体型も声も全くの別人に代わってしまい記憶さえも失ってしまった教え子を心配して、三枝美穂が声を掛けてくれる。
私は、私を育ててくれた恩人の前で、私が私でなくなったことと、お世話になった記憶も失くしてしまったことを申し訳なく思い、俯いたまま「大丈夫です」と答えることしかできなかった。
アパートに戻ると、どっと疲れが出て直ぐにベッドに身を投げて蹲る。
ベッドの暖かさに包まれて、気持ちが落ち着いてくると何故だか止めどなく涙が溢れた。




