抽象ビースト
「……アライグマ」
「ごめんって」
「いやわかるよ、描いた本人の君がいちばん傷付いてるんだろうなってことはさ」
「そのとおりです」
賞をとったこと自体は喜ばしい。
祝賀会、絵のモデルをやってくれてありがとう会、のという体でふたりは美術室に集まりはしたが、空気は反省会というか落ち込み会というかそんな感じで、浮かない顔でため息を吐き合っては、飲み物をあおっていた。
ポテチとポップコーンがもりもり減っていって、空き袋がコンビニ袋をすでにいっぱいにしている。
パンダのきぐるみを着た男子、トントン(自称)と、もうひとりはちょっと目付きの悪い黒髪おかっぱの女子、美術部の詰川さんである。
「アライグマってさあ、海外では『ゴミパンダ』って呼ばれてるんだって」
「そうなんだ」
「つまり……俺は……ゴミだ……」
「まあ飲め、今日は私のおごりだ」
紙コップにオレンジジュースを注がれたので、トントンは一気に飲み干した。
「世の中ってやつはよぉ……」
「ああ、世知辛いよなぁ……」
「まったくだよぉ……」
ノンアルコールですよ、パンダさん。
「そういえばあんた、なんでその格好で許されてるの?
先生に怒られるでしょ。あと風紀委員とか。
いるよね? よく知らないけど」
トントンの丸々としたパンダのきぐるみを、詰川さんはもふもふした。
もふもふされ慣れているのかトントンはとくにもふもふを拒否はしない。
でも手に絵の具が付いてるときは全力で拒絶するんだけど。
「うん? 理由があれば大丈夫なんだよ?
俺はこの格好じゃないと学業に集中できないんですって言って、制服着てテスト受けたときより、パンダでテスト受けた方が、ぜんぜん成績がいいって、証明をして、校長に許可証を書いてもらったんだよ」
詰川さんは眉をひそめた。
「え、それっていくらでもズルできるじゃん。
制服着たときわざと悪い点取ればいいんじゃん?」
トントンはきょとんとして、素で、
「あっ。ほんとだ」
と声をあげた。
「……ほんとだ、いまのいままで気付かなかった。だって制服苦手なの本当だし」
心底感心した、というくりくりした丸い目で、
「えっ、詰川さんって実は頭いいの?」
「えっ、私そんなに馬鹿だと思われてたの?」
「えっ、馬鹿じゃないと思われてると思ってたの? そのキャラで?」
「うむ。えっ」
このキャラの自覚がないわけではないが、目の前にいるのはパンダのきぐるみだぞ?と詰川さんは、なにかうまい反論はあるのかと考えあぐねる。
待て待て。
ここでキレてはいけないのだぞ。それは悪手だ。
明らかに悪手だ。
「詰川さんはこちら?」
ぴょこんと美術室に顔を出したのは、なにやら美少女のようである。
ねじり上げるようにつかんでいたトントンのもこもこの胸ぐらから詰川さんは手を放した。
もきゅっと微妙な声を出してトントンは床にへたれた。
「ええと、はい、私……ですけど」
小さく片手を挙げて、不審げに返事をする詰川さんは、別に相手が美少女だから嫉妬の炎が燃え上がったわけではなく、単に人見知りなだけである。
基本的に他人との距離感がよくわからない、そんなところは絵描きあるあるだと思いたいと本人は思っている。
「まあ」
とてとてと、美少女は歩く様子まで可愛らしいものだ。
耳の高さでふたつに結わえたさらさらの髪を揺らして、キラキラした目で詰川さんを見上げてくる。鈴の鳴るような清らかな声音。
「私、あなたの絵を見てとても感動しました!」
「お、おう」
悪い気はしないものの、「恋するアライグマ」としてほのぼの感動されていた場合を鑑みて素直に喜べず、詰川さんはキョドる。
「色彩の躍動感、確かな生命力、激しく荒れ狂うリビドー……
『恋する』という言葉では生易しいほどのあふれるパッション……
脈打つ鼓動が聞こえるようでした……!」
あっ、これは、自分の描きたかったものが伝わっていたんだ、という感激が背中を駆け抜け、詰川さんはびっくりした猫みたいに目を縦に開けて一瞬跳ねた。
「本当に素晴らしい作品だと思いました……でもそれは私がいずれ世界を滅ぼすという運命を架せられている存在だからこそ感じ取ったものなのかもしれません、天碗を穿ち雪崩込む懐かしきケイオスの香りが私の本能を刺すように刺激し、筆致から感じる激しさは、あの硝煙燻るゲヘナの空気のようで、私の圧縮された億年の記憶を強く揺さぶったのです」
また猫みたいな仕草で詰川さんは背中を丸めた。
「どうしよう途中からなに言ってるのかよくわからないんだけど、そういう設定なのかしら?」
「よくわからないけどちゃんと喜んであげなよ、よくわからないけど」
「嬉しいけど扱いに困るこれ、私魔王にされたりしない?それとも生贄?」
「そのくらい、やってあげなよ、こんなに褒めてくれる人いないよ?」
似たようなふにゃっとした困惑顔を浮かべているトントンと、ひそひそと小声でやり取りをする。
「いないって言うな」
「だってアライグマじゃん!ゴミパンダじゃん!」
「おまえこそそうやっていちいち自分を傷付けるのはやめたまえよ」
「うう、ゴミパンダ……ゴミ……」
「泣きたいのはこっちだ!黙れ!」
「あの絵を目にした瞬間の没入感は、まるで忘却の泉に身体がすべて溶けてしまったかのようで、すなわち祝福、福音、私にとってそれは、この世界を……
……あら、すみません、少々しゃべり過ぎてしまいました……」
はっとして美少女は口元を恥ずかしげに押さえた。
「どうぞ」
新しい紙コップにお茶を注いで、トントンは美少女に差し出した。
「ありがとうございます、いただきます」
両手で受け取りこくこくと飲む。
そこでやっとトントンの存在に気付いたように、彼女は小首を傾げた。
「まあ、可愛らしい」
ちらちらと、不思議そうに顔をのぞき込まれると、トントンもオスなので多少どぎまぎしてしまう。
お人形さんのような整った顔をまっすぐ見返せずに、視線を明後日にうろうろさせていると、
「あなたがモデルの方ね?」
美少女は合点がいった、というふうに微笑んだ。
トントンはまぶしさに目がくらみながら、やっとのことで
「あ、はい」
とだけ返事を返した。
「やっぱり! よく雰囲気が出てる……
その瞳の輝き、野生の荒々しさが宿っているわ。
あの絵そのままだわ、素敵ね」
「あ、あざーっす」
少し気をよくして、トントンと詰川さんは、お互いににやにやを噛み殺すような表情で顔を見合わせた。
美少女はきらきらの目のまま、素直な疑問を口にした。
「それで、モデルのときは違うきぐるみを着用されてたのかしら?」
詰川さんもトントンもまたがっくりとうなだれた。