絵を描くときには
「あなたをモデルに絵を描かせてちょうだい!」
美術部の詰川さんは大声で叫んだ。
「え、やだ」
トントン(自称)は即答した。
放課後の廊下で彼を待ち伏せていた詰川さんは、つかつかとトントンに詰め寄った。
もこもこの胸ぐらをつかみ上げる。
「なんでよ! 断るとは思わなかったわ! 戸山塔都くん!」
「えー」
「えーじゃない! おまえのいつも着ているパンダのきぐるみはなんなんだ!
可愛いと思ってやってるんじゃないのか!」
「パンダは……孤高の戦士だ」
もふもふの白と黒のファー生地をまとったトントンは、一体この人はなにを決意しているのだろう、そんなトーンでその言葉を発した。
だが詰川さんはそれを聞いてにやりと笑ったのだった。
「ふふん、つまりそれは戦闘服と言うわけだな。
ちょうどいいわ。
私の描きたいものはまさにそれなのだから……!」
テンションが上がった様子の詰川さんは、トントンの胸ぐらを手放して、その両手をばっと広げて高く掲げた。
「荒ぶる魂! 躍動する生命力! 飛び散る血肉! 揺れる大地!
野生の激しい命は大自然の脅威の権化たる荒れ狂うリビドー!
雄大な都会の夕日を独り占めするオーシャンビューのアーバンライフ!
洗練された頂きに、ガイアがもっと輝けと哀愁を誘う堕天使のモノローグ!」
「……おお」
とりあえずなにか言葉の羅列に気圧される。
中身はよくわからないながらに。
勢いだけで一瞬納得しそうになりながら、でもトントンは少し思案した。
「だけど、俺なんかより、この学園にはもっと絵になる人がたくさんいると思うけど……
あれじゃん、イケメンの何川先輩とか、よく美術部にモデル頼まれてる」
「あれはイケメンすぎて描けなくて落ち込む」
「あっ、ごめん」
「画力がね、画力がははははははははははははははははははは」
「ああ」
「悪いと思うんならモデルやらんかい?」
「待ってそれ、その発言は俺に悪いと思わない?
失敗しても大差ない顔面だって言ってるよね」
「おめーはファンシーだからどうとでもなるんだよおおお!
パンダらしく観覧者サービスしろやあああああ!」
再度ふわふわでもこもこの胸ぐらをぐいぐいつかみ上げてくる。
「パンダはそこにいるだけで大サービス! 俺プライスレス!
動物園では観覧マナーを守ってね! フラッシュはたいちゃ駄目!」
ゆるいバンザイポーズをとるトントンの横を。
くだんの何川先輩が通り過ぎて爽やかな風を撒き散らしていった。
さー。さやさやさや。間。
「イケメンすぎる。ごめんなさい俺なんかが調子に乗ってすみません」
トントンは頭を抱えてうずくまった。
「勝った……勝利の女神、いや勝利のイケメンは私に微笑んだ……
……私にじゃないですよねごめんなさい調子に乗ってすみません」
詰川さんも頭を抱えてうずくまった。
自己肯定感は同レベルのようで、その点に関してはお似合いのようで微笑ましい。
しばらくごめんなさいごめんなさいと上位存在的ななにかに向かって謝罪を繰り返し呟き続けたあと。
二人でため息を深く吐き、そして無言で連れ立って美術室のドアをくぐった。
◇
アクリル絵の具をぷしぷしとパレットに出して、詰川さんは準備をはじめる。
「適当に座って」
空のキャンバスに赤と青を雑に混ぜた鈍色から塗り出した。
「下描きとかしないの?」
「瞬間瞬間のイマジネーションを大事にするんだ」
「ねえ、だから画力あがらないんじゃない?」
「鋭いことを言ったつもりかおぬし……これはこれでいろいろやった結果のこのスタイルなのだ」
「そう。まあ俺だっていろいろやった結果のこのスタイルだからね。わかるよ」
「わからいでか」
少し考え込むようなパンダのきぐるみの横顔。
ぺちぺちと絵の具を叩きつける音がしばらくの間をつなぐ。
「ちょいと両手をあげて威嚇のポーズをしてくれ」
「がおー」
「怖くないな」
「えっ、本気でキレた方がいい?(暗黒微笑)」
これは、かっこあんこくびしょう、と表情のとくにない顔で言います。
「ちなみに彼女は as soon as possible(聞いてないw)」
かっこきいてないわら。わらわら。
「Kill it! Can I! Yeah! Party!」
「Year! Party!」
だいぶキャンバスが埋まってきたようなので、トントンは絵を覗き込んだ。
荒々しい筆跡で、渦巻くような赤色と明るい黄色が目を引く。
「ふむ、野獣派ですな」
「ははははははははははは! みんなそう言うよね! 言うよね!」
「激しい色彩とタッチ。まさに」
「私だって本当はダリみたいな緻密な絵が描きたいんだ!
でも人には向き不向きってもんがあるんだよ!」
唾を飛ばす勢いの詰川さんに、落ち着け落ち着けとトントンはなだめるポーズをして見せる。
「悪いとは言ってない悪いとは」
「写真みたいな写実絵が偉いのかこらああああ!
抽象概念の未発達なリアル至上主義者めええええ!」
「矛先どこいくの」
「現実とはもはや現実ではないんだ!
我々が! 見ているものは! すべて断絶された脳の閉ざされた壁の内側にすぎない!
そんなものは! ほとんど! 幻覚と変わらない! 故に絵画は意味を持つ!
故に!!!」
「暴れないで、ここじゃパンダちゃんに絵の具がついちゃうから落ち着いて」
「私の自尊心よりきぐるみが大事かあああああ!」
「えっ。うん」
「……真顔で肯かないでくれる?」
「君の自尊心は君自身で守るべきだ」
「真面目か! 人生相談か! 電話を誰につなげればいい!」
「ダリに。……ごめん」
たん、と大きな音を立てて詰川さんは飲み差しのペットボトルを机に置いた。
「……やる気出てきた」
「俺はダリぃ」
「いいぞ! もっとやれ!」
「もうネタがないだり」
「語尾かよ! ちっくしょう!」
「だーりんゆるさないだっちゃり」
「ははははは! 描ける! 描けるぞおあああ!
タイトルは『笹のない二つの目玉焼きを背に乗せ、ポルトガルパンダのかけらを犯そうとしている平凡なジャイアントパンダ』もしくは『位相幾何学的なよじれによってパンダ像が茹でた隠元豆になる柔らかいパンダ』だああああ!」
◇
そうして完成した絵は、その後小さなコンクールでなにやら賞をもらったらしい。
顧問の教師の一存によりタイトルを再考されて。
「恋するアライグマ」