異能棋戦血風録
最近流行りの将棋ラノベや将棋マンガは言うに及ばず、実際の将棋の対局の場においても、超トッププロ同士の『読み合い』や勝負の行方の『先読み』は、もはやSF小説顔負けのテレパシーや未来予知そのもののレベルに達していると言っても過言では無いだろう。
この作品はそういった観点に基づいて、「将棋の世界を舞台にすれば、本当にリアルな異能バトルが書けるのでは?」との発想を出発点にして、それに量子論や集合的無意識論を絡めると同時に、ラノベ風味のエンターテインメント性を付加して創り上げた、これまでにない一風変った『将棋SF小説』である。
一、くだんの娘。
東京ドームの地下に密かに設けられている、広大なる裏カジノ。
その一角のちょっとした体育館ほどの広さを占めている畳敷きの対局場には、ただぽつんと二つの将棋盤が置かれていて、それぞれ二名ずつの珍妙な格好をした者たちが相対して座っており、更にはその周囲にはまさにこの文章──いわゆる将棋の対局における『観戦記』を書いている僕自身を始めとした、大勢の人々が座っている観客席が設けられていた。
──我が国最大の賭け将棋大会、通称『オフ会』。
まさに今この時、その決勝リーグとして、準決勝戦と決勝戦とが行われようとしていた。
すでにこれまでインターネット上において国の内外を問わぬ凄腕の勝負師たち同士による『予選』が行われていて、その数多の激戦を制して勝ち残った真の強者四名のみが、こうして今度はリアルに顔を合わせて最終的にチャンピオンを決めるという段取りとなっているので、この決勝リーグはいつしか『オフ会』と呼ばれるようになり、今やそれが定着してしまったといった次第であった。
高額の賭け金を支払うことでこの場にいることを許されている多数の観客を前にして、まさに現在熱く激しい準決勝戦を行っているのは、この大会の前年度のチャンピオンの和服に身を包んだ壮年男性を始めとして、その対戦相手の白衣に緋袴といういわゆる巫女服に身を包んだ小学生くらいの日本人形そのままの美少女と、禍々しくも可憐な漆黒のゴスロリドレスに身を包んだ同じく小学生くらいの端整な小顔をした美少女と、そしてその対戦相手のこれまた巫女服に身を包んだ高校生くらいの子供と大人の狭間の危うい妖艶さを醸し出している美少女という、年齢性別からその装いに至るまでバラエティ豊か過ぎる、さすがは我が国きっての裏カジノの賭け将棋の決勝大会にふさわしい面々であった。
その中でも僕が注目しているのは漆黒のゴスロリJSとJK巫女さんとの対局なのであるが、それはとてもいまだ年若き女の子同士による単なる座興のコスプレ対局なぞといったレベルではなく、大の大人同士──それも、名人や竜王等のプロのタイトル保持者同士の真剣勝負すら彷彿とさせるほどの、鬼気迫るものがあったのだ。
「……愛明君、立派になって」
黒衣の少女──つまりは、東京都大田区立田園英雄小学校教師である僕こと明石月祐の教え子である、登校拒否児童の少女夢見鳥愛明のとても小学五年生とは思えないほどの闘志に燃えた姿を見るにつけ、僕はその時思わずほろりと落涙しながらつぶやいた。
「明石月先生、感激なさるのは結構ですが、手が止まっておられますよ?」
「あ、これは失礼!」
僕はすぐ隣に座っているパステルグリーンのタイトスカートスーツに身を包んだ三十絡みの眼鏡美人──愛明の実の叔母にして養母である夢見鳥乃明女史の声により我へと返るや、膝の上に乗せているノートパソコンに向かって、愛明の対局の一部始終をほぼリアルタイムに文字通り実況中継的にしたためて、そのままネット上の小説創作系サイト『SF的ミステリィ小説を書こう!』において『異能棋戦血風録』というタイトルを付けて公開している、毎度お馴染みのいわゆる観戦記──つまりはまさにこの文章の作成を再開する。
そもそもなぜに小学生の女の子が、裏カジノの賭け将棋大会なんかに出場して巫女装束の女子高校生と対局をしていて、しかもそれを保護者の叔母さんと一緒に担任教師が雁首揃えて観戦し、あまつさえこうして観戦記なぞをしたためているかと言うと、
すべては重度な引きこもり児童であった愛明を、完全に立ち直らせるためであった。
そう。実は愛明は新任教師である僕が受け持つ前の小学四年生時の二学期半ばから不登校状態となり完全に家の中の引きこもってしまい、それ以降一歩も外へ出ようとはしなくなっていたのだ。
その『原因』は御多分にもれずいじめの被害を受けたからであったが、ただしその『理由』のほうは少々変わっていた。
何でも愛明は去年のクラスメイトたちに誰彼構わず事もあろうに『不幸の予言』を行い、しかもそれが極めて高確率で的中したものだから気味悪がれて、何と当時の担任教師すらも含め露骨に腫れ物に触るかのような扱いを受け、クラスの中で完全に孤立してしまい、結局のところは不登校状態となってしまったのだと言う。
しかも何とその前年度の担任教師(ちなみに熟女)ときたら、保護者である乃明さんが自由業ならではにいいにつけ悪いにつけ大ざっぱな性格をしているゆえに、愛明に対しても完全に放任主義を貫いていて学校に対してまったくクレームをつけなかったことをいいことに、年度がまたいでしまうまで問題を放置していて、こうしてすべては何も知らず何の責任も無い、新任教師である僕へと受け継がれたといった次第であった。
そのようなとんでもないクラス事情を新任早々いきなり聞かされた僕は、取るものも取りあえず慌てて都内の高級住宅街に結構広々とした邸宅を構えている夢見鳥家を訪れ、保護者の乃明さんに向かって平身低頭して平謝りに謝ったのであった。
「誠に申し訳ございません! 愛明君に対する数々の謂れ無き仕打ちに対しては、学校を代表して心からお詫び申し上げます。──しかも『人の不幸ばかりを予言する不吉な魔女』などと言いがかりもはなはだしいことを言って、当時の担任すらも含めて愛明君のことをのけ者にするなんて、もはや言語道断であり、同じ教師として恥ずかしい限りです!」
そう言って深々と頭を下げた僕であったが、しかしその時聞こえてきた保護者様のお声は、案に相違してむしろどこか申し訳なさそうな苦笑混じりのものであった。
「……『不幸ばかりを予言する不吉な魔女』ですか? ある意味言い得て妙ですわね」
「はあ?」
思わぬ言葉に咄嗟に面を上げれば、目の前の眼鏡美人さん──愛明の実の叔母にして養母である夢見鳥乃明女史が、更なる驚きの言葉を言い放つ。
「実はですね、愛明と私は正真正銘、『幸福な予言の巫女』と呼ばれる予知能力者の一族の出身なのですよ」
はあああああああああああ!?
◇ ◆ ◇
その時乃明さんから聞いた驚天動地の話をかいつまんで述べれば、およそ次のようなものとなった。
夢見鳥家においては古来より予知能力を持った者がたびたび生を受けていて、そのため一族は代々時の権力者に重宝され、この国の歴史の裏舞台で暗躍してきたのであり、その結果現在においては並々ならぬ権力と財力を有することになり、政府公認の自治権を与えられた某県の人里離れた山奥の隠れ里にて人知れず暮らしていると言う。
不思議なことに一族において予知能力に目覚めるのは決まって女性に限られていて、彼女たちは『幸福な予言の巫女』と呼ばれていたのだが、もちろんすべての女性が異能を授かるとは限らず、中には予知能力を持たない女性もいて、他の一族の者からは『無能』と呼ばれて蔑まされて、その多くは里を追放されて世俗において一般人として暮らしていくのが常であった。
実は乃明さんもそんな不運な女性の一人で、一族における宗教的指導者で実質的な当主に当たる先代の『巫女姫』の実の妹でありながら『無能』として生まれたために、幼い頃に里を追い出されて、世俗で暮らしている一族の分家に引き取られて育てられたと言う。
……まあ、彼女自身はあまり物事にとらわれないサバサバとした性格だから、自分自身の悲惨な境遇を悲観することなぞなく、むしろ古き因習にまみれた旧家から自由の身となることで、気楽な一般人としての生活を大いに謳歌しているようではあるけどね。
これだけでも夢見鳥家がとんでもない異形の一族であることがわかろうというものだが、乃明さんの姪──つまりはまさしく先代の巫女姫の実の娘として生を受けた愛明に対する仕打ちは、更に想像を絶するものであった。
それというのも夢見鳥家には『無能』よりも更に稀な例として、予知能力を有しているもののなぜか自分や他人の『不幸な未来』しか予知できないという、あたかも伝説上の人面牛体の忌まわしき化物『くだん』の落とし子であるかのような女性が生を受けることがあって、一族においては『不幸な予言の巫女』とか『くだんの娘』などと呼ばれて蔑まれて、『無能』の女たち同様に追放の憂き目を見るか、事によっては闇から闇に葬られることすらあったのだが、実はまさに愛明こそそんな不幸な予言の巫女として生を受けた子供の一人だったのであり、物心がついてすぐに一族の長であった巫女姫たる実の母親の命令によって『処分』されてしまいそうになったところ、すでに乃明さんを引き取っていた有力な分家の当主が、「自分が引き取り世俗で一般人として育てて、けして予知能力を使わせないようにする」と申し出たことで、どうにか命拾いしたとのことだった。
とはいえ、当時すでに高齢であった分家の御当主殿はそれから数年後にあえなく亡くなってしまい、現在においては同じ分家の養女ながらもこちらはすっかり成人しプロの小説家となり独立していた、愛明にとっては実の叔母に当たる乃明さんが、自分の籍に入れて養女にして面倒を見てくれているといった次第であった。
──しかしたとえ異能の一族から縁を切られて世俗において一般人として育てられようとも、しょせん予知能力なぞを持っている限りは異形の存在でしかなかったのだ。
案の定小学校に上がって、同じ年ごろの子供たちばかりの環境の中にあっても、愛明は巫女姫である母親譲りの一族においても極めて強大な予知能力者としての片鱗を隠すことなぞできず、つい予言じみたことを口走ってしまい、その結果『不吉な魔女』として、担任教師を含むクラスの全員から恐れられ遠ざけられることとなってしまった。
そのような自分がこの春から受け持つことになった教え子の、あまりに数奇な生い立ちと不憫過ぎる現在の境遇を聞くにつけ、深い同情を禁じ得なかった僕であったが、同時に根本的な疑問も感じざるを得なかった。
「──いやいや、ちょっと待ってください。話の内容の深刻さのあまり危うく流されそうになったけど、そもそも『幸福な予言の巫女』だか『不幸な予言の巫女』だか知りませんが、未来を予知する力なんてあり得るわけがないでしょうが!?」
長々と続いた乃明さんの話を聞き終えるや否や、僕はいかにも堪らずといった感じで彼女に向かって問いただした。
しかしそんな僕の至極当然の言い分に対する目の前のSF的ミステリィ作家の眼鏡美人の返答は、更に意表を突くものであった。
「あら、そんなことはありませんよ? 何せいわゆる『集合的無意識』にアクセスすることさえできれば、予知能力はもちろん、どのような異能だって実現することができるのですからね」
「へ? 集合的無意識って……」
それって確か、心理学用語か何かだったと思うけど、なぜかSF小説やライトノベル辺りでよく取り上げられる割には、いまいち要領を得ないんだよな。
「ちなみに集合的無意識と言っても、最近とみに見かけるSF小説やラノベにとって都合のいいように曲解された、いわゆる『アカシックレコード』や『マヤ暦』もどきのいんちきな代物ではなく、ちゃんと量子論を始めとする現代物理学に基づいた、あくまでも現実的な真の集合的無意識のことですよ?」
「量子論に基づいているって、いや確か集合的無意識ってかの有名なユングが提唱した心理学における理論の一つで、すべての人間の精神世界のうち最も深層にある無意識の領域が繋がり合っているという──つまりは、この世のありとあらゆる情報が文字通り集合しているという、いわゆる超自我的領域のことじゃなかったですっけ?」
「確かに心理学的にはそうでしょうが、それじゃ何だかわけがわからないではないですか? 何です、超自我的領域って。そんなもの存在するわけがないでしょうが。……まあ、むしろだからこそ、SF小説やラノベなんぞに盛んに取り上げられているんでしょうけどね。つまり現在小説等の創作物において登場してくる集合的無意識もどきなんて、読者どころか作者自身もよくわかっていないものをよくわかっていないままに、御都合主義的に使い回しているだけなんですよ。しかし集合的無意識は量子論に基づきさえすれば、きちんと現実的に定義付けすることができるのです。──そう。実は集合的無意識とは、いわゆるコペンハーゲン解釈量子論の言うところの、『未来の無限の可能性』そのものなのです」
「集合的無意識が、未来の無限の可能性ですって?」
「ええ。この現実世界の未来に無限の可能性があることなんて、今や小学生でも知っている自明の理で、否定する人なんて誰もいないでしょう? つまり集合的無意識の本質が未来の無限の可能性であるとしたら、わざわざ心理学とか量子論とかを持ち出す必要もなく、普通に存在していて当然な十分に現実的な代物ということになるわけなのですよ。より詳しく申しますと、我々人間一人一人に始まりありとあらゆる森羅万象──ひいては世界そのものにとって、未来というものには無限の可能性があるわけなのですが、実はそれは個別の存在にとってけして別々のものではなく、すべての人にとっても、あらゆる森羅万象にとっても、ひいては世界にとっても、共通したものなのであって、そうなると当然その中には万物にとっての無限に存在し得る未来の分岐パターンがすべて存在していることになり、そしてまさにそのありとあらゆる存在にとってのすべての未来の分岐パターンの集合体こそが、集合的無意識と言われるものの正体なわけなのです」
「万物にとっての未来の可能性がすべて共通しているって……いやいや、そんなことはないでしょう。例えばAさんにはAさんの未来があって、BさんにはBさんの未来があるといったふうに、百人人間がいたら、その未来も百通りあるはずなのでは?」
「まあ普通に考えれば、その通りでしょうね。だったらもし仮に、そのAさんとやらがBさんになった夢を見ているとしましょう。当然今現在夢の中にいるBさんは、目が覚めるとともにこの現実世界においてAさんになるわけですよね?」
「ええ、まあ……」
Aさんが夢の中でBさんになろうがCさんになろうが、目が覚めたらAさんに戻るのは当然じゃないか。何を当たり前のこと言っているんだ……と思っていた、まさにその時。
続いての彼女の言葉に、僕はまるで脳髄に直接平手打ちを食らったような衝撃を受けた。
「それってつまりは、もしもこの現実世界そのものがAさんの見ている夢だった場合には、正真正銘Bさんだと思われた人物が、実はAさんだったことになるわけですよね? すなわちこの現実世界が何者かが見ている夢であることがけして否定できない限りにおいては、Bさんがほんの一瞬後にも──そう。未来において、Aさんとなってしまう可能性はけして否定できないことになるのです。その結果AさんとBさんの未来はこの一点において重なり合っていることになり、当然の帰結として二人にとっての未来の無限の可能性というものは共通したものになるといった次第なのですよ。もちろんこの現実世界を夢見ている可能性があるのは何もAさんやBさんだけに限らず、すべての人──ひいては、あらゆる森羅万象のどれでもあり得るのだから、未来の可能性というものは万物にとって共通したものになるわけなのです。そしてだからこそ、まさにその未来の無限の可能性の集合体である集合的無意識にアクセスすることさえできたなら、文字通り万物の未来の可能性をすべて知ることができるのであって、未来予知を実現できるようになるのも当然なのですよ」
実はこの現実世界そのものが何者かが見ている夢かも知れないという可能性に基づけば、万物にとっての未来はすべて共通していて、それこそが集合的無意識の正体だって!?
「……いや。集合的無意識にアクセスさえすれば未来予知ができるって言われても、文字通り未来の無限の可能性の具現である集合的無意識に、あくまでも現在に生きている者がどうやってアクセスすることができると言うのです? それにそもそもこの現実世界そのものが実は何者かが見ている夢であるなんてことが、あり得るわけがないじゃないですか!?」
「おやおや。明石月先生におかれては、かの荘子の『この世界は実は一匹の蝶が見ている夢かも知れない』とする、『胡蝶の夢』の故事は御存じではないのですか? それに中国においては『黄龍』という、それこそこの現実世界そのものを夢として見ながら眠り続けている神様が存在しているとする神話があるくらいなのですよ?」
「……馬鹿馬鹿しい。そもそもが『この現実世界を夢見ているという蝶』自体が荘子の見た夢の産物に過ぎず、『この現実世界を夢見ているという龍』自体も神話上の──つまりは、我々人間の想像上の産物に過ぎないのではないですか?」
そんな僕の至極もっともな反論に対して、しかし目の前の見目麗しき女性はむしろいかにも我が意を得たりといった感じで、表情を綻ばせた。
「そう、そうなのです! 黄龍なんているとは決まっていないことこそ──すなわち、確かにこの世界が夢かも知れない可能性は否定できないものの、当然その一方で間違いなく現実のものでもあり得るはずだという、存在可能性上の『二重性』こそが、ひいては万物の未来の無限の可能性そのものである集合的無意識へのアクセスを可能とするのですよ!」
「は、はあ?」
自分で話題に上げた黄龍の絶対性をいきなり否定したかと思ったら、むしろそのいるかいないか確かではないあやふやさこそが、集合的無意識へのアクセスを可能にするだと?
「ふふふ。公立小学校教師明石月祐にして、実は密かにネット上において数々のSF的ミステリィ作品を発表なさっている『上無祐記』先生におかれては、こう言ったほうがわかりやすいでしょうか? 『実はこの世界やその中に含まれている我々人間を始めとする万物は、形ある現実の存在であるとともに、形なき夢の存在でもあり得る可能性を常に同時に有している』──これって、何かを連想しません?」
──っ。まさか、それって!?
「そう。御存じ現代物理学の根幹をなす量子論における基本的理論である、『我々人間を始めとするこの世のすべての物質の物理量の最小単位である量子というものは、形ある粒子と形なき波という二つの性質を同時に有していて、形なき波の状態においては、次の瞬間に形ある粒子となってどのような形態や位置をとるかには無限の可能性があり、そのため量子のほんの一瞬後の形態や位置を予測することすら不可能なのである』そのまんまでしょう? つまり私たち人間には観測できないミクロレベルにおいて形なき波の状態にある量子は、次の瞬間に形ある粒子としてとるべき無数の形態や位置の可能性が同時に重複している状態──いわゆるこれぞ量子論で言うところの『重ね合わせ』状態にあるという独特の性質を有しているとされているのですけど、あくまでも現実世界の存在である私たち人間には、このような微小世界における量子ならではの特異な性質は適用されないというのが、これまでの量子論における主流的見解だったけど、人間も量子同様に夢等の形なき世界の存在でもあるという二重性を常に持ち得るとしたら、まさにその量子ならではの特異なる性質──すなわち、『形なき「夢の世界の自分」においては、夢から目覚めた後に無限に存在し得る形ある「現実世界の自分」になり変わる可能性があり得る』という性質を有することになるのです。確かに常識的に考えればあなたのおっしゃるように現在の現実世界に生きる我々が、未来の無限の可能性の具現たる集合的無意識にアクセスすることなぞできないでしょう。しかしもしもこの現実世界そのものが夢であったとしたら、ほんの一瞬後に目が覚めることによって真の現実世界たる別の世界の別の自分となる可能性があり、そしてその『世界』や『自分』は実際に目が覚めるまではどのようなものになるかはけしてわからない──つまり文字通り無限の可能性があるわけなのであって、まさにこれこそが『自分や世界そのものにとっての未来には無限の可能性がある』ということなのであり、言わば現時点の自分を夢の存在として見なせば、ミクロレベルの量子同様にどんな『目覚めた後の未来の自分』になるかの無限の可能性が『重ね合わせ』状態に──すなわち、無限に存在し得る『未来の自分』のすべてと総体的にシンクロしている状態にあるわけで、そして未来の無限の可能性とはまさに集合的無意識そのものであるからして、これこそは集合的無意識へのアクセスを実現していることにもなるといった次第なのです」
な、何と、この現実世界そのものが夢でもあり得ることはけして否定できないゆえに、現時点の自分を夢の存在と見なすことによって、量子論における『重ね合わせ現象』に則る形で、集合的無意識にアクセスすることは必ずしも不可能ではなくなるだと!?
「実は我が一族の女たちは別名『黄龍の巫女』とも呼ばれていて、いわゆる『夢の主体』たる黄龍の存在可能性をわきまえていて、それゆえに自分自身についても現実の存在でも夢の存在でもあり得るという『二重性』を常に自覚しているからこそ、現時点の自分を夢の存在でもあり得る『夢遊病』状態──まさしく巫女ならではのトランス状態にすることによって、一瞬にして集合的無意識にアクセスし、無限の未来の情報を閲覧して、未来予知を実現しているといった次第なのです。もっとも黄龍なぞといったものが本当に存在しているなんて信じているわけではなく、先ほども申しましたように誰もがこの現実世界という夢の主体になり得る可能性があるのであり、まさにその夢の主体となり得る万物が『重ね合わせ』状態──すなわち総体的シンクロ状態となっての、あくまでもいわゆる『集合体』的存在こそが黄龍の正体なのであり、けして中国のどこぞの山奥の中に黄色い龍や、どこかのビール会社のトレードマークのごとき龍と馬のあいの子のようなものが、れっきとした個体として存在しているわけではないのです」
……つまり黄龍って、いわゆる首の長いのじゃないほうの、『麒麟』のことだったのか。
そんな豆知識を最後に披露するとともに長々と続いた蘊蓄解説をようやく終えてくれる乃明さんであったが、それに対して僕のほうはと言えば、あまりにも奇妙きてれつな話の連続にすっかり面食らいつつも、どうにも納得し切れていない点もまだ多々残っていた。
「……ええと。あなたの一族の方々が未来予知ができるということについては、いまだ半信半疑ながらも一応のところ理解できなくもないのですが、もしもあなたのおっしゃるように、幸福な予言の巫女である方々が黄龍等の『夢の主体』の存在可能性をわきまえ、自分自身を始めとするこの世の万物の『二重性』を自覚しているからこそ、集合的無意識にアクセスすることによって未来予知を実現できていると言うのなら、何で同じ一族の一員として基本的に同じ力を──つまりは集合的無意識へのアクセス能力を持っているはずの愛明君は、『不幸の予言』だけしか実行できないのですか?」
そのようにいまだ説き明かされていない最大の疑問をぶつけてみたところ、返ってきたのは、更にこちらのことを煙に巻くような言葉であった。
「それはですね、実はまさにその『不幸の予言』こそが、すべての未来予知の行き着く到達点だからですよ」
「は? 未来予知の到達点って。自分や周りの人たちの不幸な未来しか予知できないなんて、むしろ片手落ちで未熟な能力じゃないのですか?」
「あら、そうとは限りませんよ? むしろこの不幸の予言を真に効果的に使わせてこそ、現在の愛明を──すなわち自分自身を含めてすべてに絶望し心を完全に閉じてしまった哀れな引きこもり娘を、立ち直らせることだってできるのですからね」
え。
「愛明君を立ち直らせることができるですって!? しかも、あえて不幸の予言を積極的に使ってですか?」
あまりにも予想外の言葉を聞かされて思わず問い直せば、にっこりと微笑む眼鏡美人。
「ええ。実はそのためにも是非とも先生にも、御協力していただきたいのですよ」
「へ? そ、そりゃあ、愛明君のためなら担任教師として、どんなことでもするつもりではいますけど……」
「いえいえ、担任教師であられる『明石月祐』としてのあなたではなく、元『高校生竜王』というアマチュアとはいえかつての名うての将棋指しにして、ネット上における人気SF的ミステリィ作家であられる『上無祐記』としてのあなたにこそ、御協力を賜りたいのです」
「──っ」
僕が公立小学校という兼業絶対禁止の職場に黙って密かにネット小説を作成していることはおろか、今となっては文字通り『昔取った杵柄』でしかないとはいえ、かつては高校生竜王としてアマチュア棋界で名を馳せていたことまでつかんでいるなんて。
いったいこの人、何者なんだ!?
「……失礼ですが、受け持ちの生徒の保護者であられるので一応担任教師として、あなたがプロの小説家であられることは把握しているのですが、よろしければペンネームをお聞かせ願いませんか?」
「いやですわ、まだお気づきになられませんの? あんなに熱烈なファンレターや御自身の著作のネット小説を送ってきてくだされたくせに」
──!! そ、それって!?
「まさか、あなたは……」
「これは申し遅れました。私こと夢見鳥乃明は、一応現在世間様から身に余る多大なる御支持をいただいております、SF的ミステリィ作家の『竜睡カオル』でもあるのです」
──って、やはりそうだったのか!
……道理で。やけに量子論とか集合的無意識とかに詳しいと思ったけど、まさか自分が最も敬愛している商業作家様が、受け持ちの生徒の実の叔母にして養母だったなんて。
「……それで、愛明君を立ち直らせるために僕にやらせたいことって、いったい何ですか?」
「先生にはまず最初に、愛明に将棋に関する基本的なルールと基礎的な戦法──いわゆる各戦型ごとの代表的な『定跡』を教えていただき、それが一通り済んだ後には実際にネット将棋を使って、実践的な指導を行ってもらおうかと思っております」
「ネット将棋って。基礎的なことしか教えないのに、いきなり実戦をやらせるおつもりなんですか?」
「ええ。それも一局ごとにお金が動くいわゆる『賭け将棋』をやっている、非合法な対局サイトが望ましいですわ。そういうところこそ凄腕の勝負師はもちろん、場合によってはタイトル保持者すらも含むプロ棋士の方々がお忍びで参加することがあり得ますからね」
「ちょっと。小学五年生の姪御さんに、賭け将棋をやらせるですって? しかもそんな初心者が、凄腕の勝負師やプロ棋士に太刀打ちできるわけがないでしょうが!?」
あまりにも無謀な提案を受けて泡を食ってまくし立てたものの、返ってきたのはあくまでも落ち着き払った微笑のみであった。
「いいえ、あの子に限っては、極基本的なルールや定跡をマスターするだけで十分なんですよ。何せ賭け将棋等のお金や下手したら人生や命そのものが懸かった文字通り真剣勝負の場においてこそ、『不幸の予言』の力を最大限に活かすことができるのですからね」
「はあ?」
「そんなことよりも、実は先生には、もう一つお願いしたいことがあるのです」
「──え。この上まだ何かあるんですか!?」
今度はどんな難題をふっかけられるのかと戦々恐々と問い返す僕を見て、若干苦笑混じりにその女性は言った。
「愛明がネット将棋を十分にやりこなせるようになった暁には、いよいよ実際に相手と対面して行うリアルの賭け将棋を行わせようと思っているのですが、その際には先生にも私と共に保護者として立ち合っていただき、勝負の一部始終をいわゆる『観戦記』としてリアルタイムにしたためて、そのままネット上で公開してもらいたいのです」
「……それってつまりは、僕に愛明君の賭け将棋における闘いぶりを文章化して、ほぼ同時にネットにアップしろってことですか?」
「とはいえ、何も公式の観戦記というわけでもございませんので、別に客観的立場に徹する必要なぞなく、例えば大いに愛明に肩入れした偏向した内容にされようが構いません。言うなれば『小説』のようなものと思ってくださって結構です。それだったら、名うてのネット作家であられる『上無祐記』先生ならお手の物でしょう? とにかくこのようにして、新たなる担任の先生が自分の一挙手一投足に注目なされていることを知れば、愛明にとっても何よりの励みになることと思いますしね」
──うっ。そんなふうに言われたら、とても断れないじゃないか。
「……わかりました。どこまで力になれるかわかりませんが、そんなことで愛明君の再起の一助になると言うのなら、やるだけやってみますよ」
「まあ、さすがは先生。ネット作品を拝見した折に、お見込みした通りでしたわ。こちらこそ何とぞよろしくお願いいたします」
そう言って僕に向かって深々と頭を下げる夢見鳥乃明女史──いや、竜睡カオル先生。
自分が崇拝していた作家がこんな好みのタイプの年若き美女で、しかも受け持ちの生徒の保護者でもあり、その上僕なんかのことを頼りにしてくれているなんて、もちろん悪い気はせず、少々浮ついた気持ちとなり冷静な判断に欠け、つい安請け合いをしてしまった。
だからその時の僕は、まったく気がつかなかったのだ。
まさしく目の前のプロの小説家の描いた筋書きによって、僕と愛明との運命が大きく変わって行こうとしていたことを。
二、異能殺し。
確かに乃明さん改め竜睡先生のおっしゃっていた通りに、ほんの基本的なルールや定跡をマスターさせただけだというのに、愛明はタイトル保持者をも含むプロ棋士すらも参加していると噂されている、ネット上の世界最大の賭け将棋サイト『SHINKEN』において初参加して以来、完全に負け知らずで凄腕の勝負師やプロ棋士たちを次々と屠っていき、いつしか『不敗の女王』とも呼ばれるようになった。
実は僕が愛明に将棋に関するレクチャーを行う際においては竜睡先生の提言に基づいて、積極的に盤面を主導する『攻め将棋』ではなくあくまでも守り優先の、いわゆる『受け将棋』の技術を中心に指導したのであるが、先生のお話では何でも愛明の『不幸の予言』は受け将棋においてこそ、その力を最大限に発揮できるとのことであった。
事実彼女の文字通りの負け知らずの快進撃ぶりは、賭け将棋サイト『SHINKEN』における『観客』たちは言うに及ばず、僕が彼女の対局の一部始終を小説形式で文章化し『異能棋戦血風録』というタイトルを付けてリアルタイムで公開している、小説創作サイト『SF的ミステリィ小説を書こう!』においても、大いに絶賛されていた。
その『不敗神話』は、年に一度だけ行われるネット上の賭け将棋の世界大会においてもとどまることを知らず、優に四桁を数える参加者の中であっさりとベスト4入りを果たし、まさしく今現在はこうして東京ドーム地下の裏カジノにて設けられている特設会場の通称『オフ会』において、上位四名による準決勝戦が行われているといった次第であった。
言わばこの場に会している四名が四名とも数千人の凄腕の勝負師を相手に勝ち上がってきた、超天才級の精鋭揃いであることには間違いないのだが、その顔ぶれがあまりにも一般的な『将棋指し』のイメージからかけ離れているのは、すでに述べた通りである。
「……前年度チャンピオンの和服姿の壮年男性はともかくとして、確かにゴスロリJSの愛明君もかなりのものだが、残るこれまたJSとJKのお二方ときたらいったい何なんだ? 白衣と緋袴からなるいわゆる巫女服に身を包んでいるなんて、場違いにも程があるだろうが? しかもJS巫女のほうなんて、その上更に目隠しなんかしているし」
現在の状況を見たまますべて膝の上のノートパソコンに向かって観戦記兼ネット小説『異能棋戦血風録』として入力しながら、いかにも思わずといった感じにつぶやけば、僕のすぐ隣の席から打てば響くように返ってくる、愛明の保護者夢見鳥乃明にしてプロのSF的ミステリィ作家竜睡カオルでもある、眼鏡美人の驚くべき言葉。
「──ああ、まさにあの子たちが、件の私や愛明の同族である、幸福な予言の巫女ですよ」
「なっ!?」
思わぬ台詞に咄嗟に対局場へと見やれば、同族の巫女を前にしてこれまでになく緊張し、顔面蒼白となってしまっている愛明の姿が目に飛び込んできた。
「ど、どうして、その存在自体が我が国における最大級の国家機密で、原則的に山奥の隠れ里に身を潜めているはずの幸福な予言の巫女たちが、匿名性を守れるネット将棋ならともかく、こんなリアルの賭け将棋大会なんかに参加しているんですか?」
「それはもちろん、この大会に愛明が参加していることを知ることによって、あの子と勝負するためにこそ、わざわざこんなところまで出向いてきたってところでしょうよ」
簡潔なる回答を示してくれる竜睡先生であったが、僕のほうはむしろ幾重の意味からも首をひねるばかりであった。
「……いやでも、このリアルの決勝リーグはもちろんのこと、ネット対局においてさえも、本名等の個人情報の類いは一切さらしていないというのに、何で愛明君が参加していることがわかったのでしょうか?」
「はあ? 何をおっしゃっているんですか。今あなた自身が、『愛明君』と口になされたばかりではないですか? そしてそれは──そう。あなたや私の言動を始めとして現在の状況のすべては、まさにあなた自身の手によってパソコンに入力されて、観戦記形式の小説『異能棋戦血風録』としてリアルタイムにネット上に公開されて、世界中の人々の目にさらされることになるのだから、いかな隠れ里であろうとパソコンの一台くらいはあるだろうし、幸福な予言の巫女たちが愛明のここ最近の賭け将棋の勝負の場における行動のすべてを知り得たとしても、おかしくも何ともないでしょうが?」
あ。
「そ、そうだ、そうだった。僕の自作の観戦記兼ネット小説『異能棋戦血風録』──つまりはまさにこの文章には、愛明君の本名どころか、『幸福な予言の巫女』とか『不幸な予言の巫女』とかいった国家機密級のNGワードが当たり前のようにして記述されているからして、ほとんどの人たちにとってはSF小説の類いの創作物としか思えないだろうけど、『関係者』からすれば一目で事実であることがわかってしまうんだった!」
……つまり僕の小説こそが、現在のこの状況を招いてしまったわけなんだ。
おそらくはあの幸福な予言の巫女たちは、俗世間へと追放した愛明が本来なら秘匿していなければならない不幸な予言の巫女の力を、裏社会の賭け将棋の勝負の場とはいえ公然と使っているのをやめさせるために、自分たちもあえて同じ土俵に上がって幸福な予言の巫女の力によって愛明をこてんぱんに叩きのめして心を折って、二度と不幸な予言の巫女の力を使わせないようにするつもりなのだろう。
確かに片手落ちとはいえ一応は予知能力である不幸の予言は、一般の将棋指しに対しては十分なるアドバンテージを誇り連戦連勝を可能としてきたものの、より完璧な幸福な予言の巫女を相手取っては、一方的に叩き潰されるだけに違いない。
……何てことを、僕ときたら、何てことをしてしまったんだ!?
そのように僕が自分のうかつな行為を心から後悔していたら、思いも寄らずお気楽な声をかけてくる、当の不幸な予言の巫女の保護者殿。
「まあまあ先生、そんなにお気になさらずに。そもそも先生に観戦記兼ネット小説を作成していただいているのも、こうして彼女たちをおびき寄せる狙いもあったのですから」
「えっ? で、でも、相手が幸福な予言の巫女ともなれば、いかな『不敗の女王』の愛明君と言えど、分が悪いのでは?」
「あらあら、もう少しあの子のことを信用なさってくださいな。──大丈夫、心配には及びませんわ。あの子が先生の教え通りに『受け将棋』に徹している限りは、相手が幸福な予言の巫女だろうがどんな異能者だろうが、けして負けることなぞ無いのですから」
「は? 『受け将棋』に徹している限り、負けることは無いって……」
「まあ、ご覧になっていれば、じきにおわかりになりますわ」
その言葉に促されるようにして対局場へと視線を向ければ、確かに愛明はJK巫女がどのような攻めを仕掛けてこようが辛抱強く受け続けるばかりで、自ら軽率に攻め急ぐ様子なぞ微塵もなく、まったく危なげなくノーミス状態を堅持していた。
「……しかしそれにしても、巫女さんのほうが攻めあぐねているのは、なぜなんですか? 何と言っても不幸な予言の巫女なんかよりよほど完璧な未来予知を実現できる幸福な予言の巫女なんだから、いくらでも有効な攻めの手を算出できそうに思えるんですけど」
「だから言っているではないですか? 不幸な予言の巫女である愛明は受け将棋に徹している限りは、何者に対しても無敵だって。それにあの巫女の子は確か、特に読心能力を得意としていたはずだから、愛明との相性は最悪だと思いますよ?」
「えっ、読心能力ですって? いやでも、彼女たち幸福な予言の巫女って、予知能力者じゃなかったんですか!?」
「もちろん幸福な予言の巫女のメインの異能は予知能力ですが、それとは別に読心や別人格化や時間操作等々といった、それぞれの巫女ごとにオプションの固有能力も持っているのですよ」
「何そのここに来ての、サイキックパワーの大安売りは? それじゃまるで将棋の勝負ではなく、異能バトルそのものじゃないですか? もしかして今まさに執筆させられているこの文章って、将棋の観戦記なんかじゃ無く、SF小説やラノベの類いだったわけ!?」
「何を今更。そもそも幸福な予言の巫女とか不幸な予言の巫女とかが登場している段階で、ただの将棋の対局の観戦記ではあり得ないでしょうが?」
「だって先生のお説では、彼女たちが実現している予知能力は、量子論──つまりは現代物理学に則った、あくまでも現実的なものだって話だったではないですか? それが読心や別人格化や時間操作すらも実行できるとか言い出したら、もはや量子論も現実性もへったくれも無くなるのでは!?」
「いいえ、よく思い出してください。私はこう言ったのですよ? 『集合的無意識にアクセスさえすれば、どのような異能でも実現できる』と。そう、それは何も未来予知や読心のようなシミュレーション系の異能に限らず、人格の入れ替わりや前世返り等の別人格化系の異能だろうと、タイムトラベルや異世界転移等の多世界転移系の異能だろうと、場合によっては世界そのものの改変といった文字通り『全知』なる神すらも超えたいわゆる『全能』系の異能だろうと、およそSF小説やライトノベル等の創作物に登場してくる異能の類いはすべて、集合的無意識へのアクセスによって実現できるのです」
………………は?
「集合的無意識へのアクセスによってこそ、SF小説なんかに登場するすべての異能を実現できるですってえ!?」
「そもそも集合的無意識へのアクセスによる各種異能の実現における根本的理論背景は、『実はこの現実世界そのものが何者かが見ている夢であるかも知れない可能性は、けして否定できない』ということでしたが、その肝心の夢を見ている主体は何も自分自身であるとは限らず、赤の他人であったりそれこそ『胡蝶の夢』のように蝶だったりする可能性もあるのであり、つまりはいわゆる『目覚めた後の自分』とは、自分自身とか赤の他人とか蝶とかに限定されず、この世の森羅万象すべてはもちろん、時代や世界の範疇すらも問わず文字通り『何者であり得る』のであって、極端なことを言えばこの現実世界そのものが実は、数百年前の戦国武将が見ている夢かも知れないし、数百年後の未来人が見ている夢かも知れないし、異世界人が見ている夢かも知れないし、私たちが小説や漫画やゲームの登場人物であると見なしている存在が見ている夢かも知れない──といった可能性だってあるわけで、言わば我々はほんの次の瞬間にでも、『この現実世界という夢から覚めて、真の現実世界へと目覚める』ことによって、戦国時代や数百年後の未来へのタイムトラベルや異世界転移や小説や漫画やゲームの世界へのダイブといった、いわゆる多世界転移系の異能を実現してしまう可能性があり得るわけなのですよ」
──あ。
「しかもこれまた前に述べましたように、『形なき夢の中の自分』は無限に存在し得る『形ある目覚めた後の自分』と常に『重ね合わせ』状態──つまりはお互いにアクセスし合っているような状態にあるのですから、もしもこの現実世界が夢だとすると、過去や未来や異世界や創作物すらも問わず無限に存在し得る『目覚めた後の世界』の中に無限に存在し得る『目覚めた後の別の可能性の自分』と、常にアクセスすることができるので、例えばあくまでも可能性の上では自分の『前世』ともなり得る、戦国武将や異世界人の記憶や知識を集合的無意識を介してアクセスすることで、まさにこの現実世界においていわゆる『前世返り』等の別人格化系の異能を実現できるのであり、更にはまさに今自分の目の前に存在している人物であろうとも、この現実世界を夢として見ている主体──つまりは『目覚めた後の未来の自分』である可能性があり得るゆえに、自分にとっての未来の無限の可能性の集合体である集合的無意識にアクセスすることによって、その記憶や知識を参照することができ、まさしく『読心』を実現し得ることになるといった次第なのですよ」
な、何と、ただ単にこの現実世界が何者かが見ている夢かも知れないという可能性があり得るだけで、集合的無意識には我々人間を始めとするありとあらゆる森羅万象の情報が文字通り集合していることになるゆえに、そこにアクセスさえすればどのような異能だろうが実現可能になるってことなのか!?
「ただしこれは、とにかく話をわかりやすくするために、あくまでも極端な理論に拠って立っているわけなのであって、いくら可能性的にはけして否定できないとはいえ、普通に考えたらこの現実世界が戦国武将が見ている夢であるなんてことはあり得ず、読心や未来予知はもちろん、多世界転移や別人格化などという異能の類いは、結局のところは自分自身の脳みそで算出しているに過ぎないのですよ」
「へ? 異能を自分の脳みそで算出しているって……」
「読心なんてものは結局のところ、ただ目の前の相手の人となりを始めとして現状やこれまでの経緯を基にして、これからの言動を自前の脳みそを使って予測計算しているに過ぎないのであり、ある意味未来予知をも兼ねているようなものなのです。それに対して特に幸福な予言の巫女のように集合的無意識にアクセスできるのであれば、そこには自前の脳みそにはストックされておらず本来なら知り得なかったはずの対象人物の情報も存在しているので、それを材料にして計算することによってより精密な読心を実現できるだけで、最終的には自分の脳みそで解答をひねり出すことには変わりないのです」
「えっ、でも、集合的無意識って文字通りこの世の森羅万象に関するすべての情報が集まっているんだから、ただアクセスするだけで計算なんか必要とせず、ある人物の心のうちだろうがこれからの言動だろうが、何でもわかるんじゃないですか?」
「すべての情報が集まっているっていうことは、まさに集合的無意識においては情報の大洪水状態にあるようなものなんですよ? ただ単にアクセスしただけでは、欲しい情報のみを的確に取得することなんてできるわけがないではありませんか? より具体的に言えば、ある人物に関する情報がすべて集まっているということは、コペンハーゲン解釈量子論で言うところの『別の可能性の自分』の情報──多世界解釈量子論で言い換えれば『パラレルワールドの自分』の情報すらも集まってきているわけで、そんなものを一緒くたに参照したところで捌き切れるはずがなく、結局のところは対象人物の人となりや現状やこれまでの経緯に基づき、文字通り無数に存在している情報を自分の脳みそで取捨選択することによって、適切な解答をひねり出すしかないのですよ」
そりゃそうだよな。ただ単に集合的無意識にアクセスしさえすればどんな異能でも実現できて『何でもアリ』なんてことになれば、SF小説やラノベのような単なる『おとぎ話』に堕して現実性もへったくれもなくなってしまうのであって、『結局は自分の脳みそで計算することによって答えをひねり出している』というのは、非常に正しい在り方だよな。
「そしてこれは別人格化や多世界転移等の他の異能についても同様なのです。前世となり得る戦国武将や異世界人なんて普通に考えれば、自分自身の脳みそによって生み出された『妄想』のようなものに過ぎません。それに付け加えて集合的無意識にアクセスすることができるのなら、本来自分の知識にはない人物はもちろん史実的に実際には存在していない人物の知識や記憶をも参照できるだけのことで、それらの情報を自分の脳に刻み込み本人そのものになり切ることによって、いわゆる『前世返り』を実現したり、今まさに目の前にいる人物の人となりや現在の状況やこれまでの言動等に付け加えて、これまた自分には知り得ない知識や記憶を含む情報を集合的無意識にアクセスして取得し自分の脳に刻み込むことによって、『人格の入れ替わり』を実現したりできるわけであり、更にはこれらは言ってみれば、一時的とはいえ自分では本気で、戦国武将や未来人や異世界人や小説や漫画やゲームの登場人物になりきって、その一生や半生をまっとうしたようなものであるからして、まさしく戦国時代や未来へのタイムトラベルや異世界転移や小説や漫画やゲームの世界へのダイブ等の多世界転移系の異能を、集合的無意識で得た本来なら自分の記憶や知識に無い情報をも加えた、脳内の演算作業によって実現したことにもなるのです」
それって、読心や未来予知のようないわゆる計算型の異能だけでなく、別人格化や多世界転移すらも、結局は自分の脳みそで創造している妄想のようなものに過ぎず、集合的無意識にアクセスできたなら、それが比較的正確な妄想になるに過ぎないってわけなのか!?
「まあそうは言っても結局のところ、たとえ量子コンピュータ並みの計算能力があろうが、集合的無意識にアクセスしてありとあらゆる情報を取得できようが、これまで何度もお伝えしてきたようにこの現実世界の『未来には無限の可能性があり得る』のだから、百%正確な読心や未来予知なんて実現不可能なんですけどね。──とはいえ、実はそれで構わないのです。確かに不完全ではありますけど、例えば将棋の勝負の場においては、対局相手の人となりや現状やこれまでの経緯を踏まえてお互いに『読み合い』を行って、自身の脳みそによる計算力や長年培ってきた勝負勘等のみに基づいて、相手の出方やこれからの勝負の行方を見極めることができてこそ、真の将棋指しとしての正しい在り方なのですから」
「へ? それってつまりは、プロになれるような一定以上の実力を持つ棋士さんたちは、不完全ながらも量子コンピュータ並みの読心や未来予知を実現しているってことですか!?」
「ええ、それというのも実は、集合的無意識って将棋で言うところの、『脳内将棋盤』のようなものとも言えるのですよ」
「脳内将棋盤って、プロ棋士や凄腕のアマチュア棋士の皆さんなんかが自身の脳内において見ることができるという、いわゆる現在の盤面の未来予想図のことですか?」
このように言うと何だか予知能力の一種みたいにも聞こえるが、別に特別なものではなく、ある程度の将棋の腕前があればプロアマを問わず誰でも持ち得る、現在の盤面を踏まえてこれから先の対局の推移をあれこれと検討するための、言わば脳内に設けた仮想的な『思考実験用の将棋盤』のようなものに過ぎなかった。
「そう。将棋指しは誰でも一つは自分の頭の中に将棋盤を持っていると言われていますけど、実は名人や竜王等の超トッププロ級の達人においては一つや二つにとどまらず、何と数え切れないほどの将棋盤を脳内で一度に展開することができ、凡人があれこれ必死こいて考えを巡らせて目の前の難局の打開策を講じようとするのに対して、ただ脳内の将棋盤を見るだけで、唯一絶対の解答──いわゆる『最善手』を見定めて、あっけなく難局を切り抜け一気に勝負を制することすら為し得るのです。──まさにこの数え切れない未来予想図って、無限の未来の可能性の集合体である集合的無意識そのものとは思われません?」
「──!!」
『集合的無意識にアクセスさえできれば、現実性を維持しながらどんな異能でも実現できる』と懇切丁寧に解説されて、一応理屈上は理解したものの、あまりにもオカルトめいていていまいち鵜呑みにはできなかったのだが、将棋の超トッププロたちが対局の場で普通にやっていることに過ぎないだって? まさか将棋の達人って、全員超能力者なのかよ!?
「ああ、勘違いしないでくださいよ? 別にこれは異能でもインチキでもありませんから。──言ったでしょ、どんな異能であろうが結局のところ、自分自身の脳みそによって創出している妄想のようなものでしかないって」
あ。
「言わば対局中に集合的無意識にアクセスできるということは、まさに超ハイスペックのコンピュータを使いながら将棋を指すようなもので、すべての定跡や過去の棋譜をいつでも参照できるのはもちろんのこと、これから先の展開の予測計算をすることすらも造作なく実現可能となりますが、けして事実無根で非現実的な異能でも反則技的なズルでもありません。なぜならあくまでもこれは、超トッププロ級の達人自身がこれまで培ってきた膨大な知識や勝負勘があってこその話なのですから。無数に存在している定跡や過去の棋譜をほぼすべて記憶しているのは当然本人の努力の賜物だし、更には自分自身を含めてこれまで誰も知らなかった『まったく新しい定跡』すらも導き出すことを可能にしているのも、元々己が有していた無数の情報を材料にして己の脳みそのみを使って予測計算することでひねり出しているに過ぎないのですよ。つまり達人たちだけが対局中に使用できる超ハイスペックのコンピュータとは、まさしく我々凡人では及びもつかないほど高度に将棋の勝負のためだけに特化された、達人たち自身の脳みそそのもののことなのです。これまで私は幸福な予言の巫女の各種異能の実現の仕方について、『集合的無意識へのアクセス』論を主体にしてあれこれとくどくど述べてきましたが、言うなれば実はこれって、将棋の超トッププロの皆様が対局の場で普通に行っておられる、あたかも魔法そのものの先読みや鬼手や妙手に対する、現実的かつ論理的な解説を行ったようなものでもあるのですよ」
そのようにある意味SF小説等に出てくる論理性皆無の異能の全否定的な大変危ないお話を、実際の将棋の対局における超トッププロの達人たちによる華麗なる超人業の種明かしへときれいに軟着陸させた、竜睡先生のお言葉に促されるようにして再び対局場へと視線を戻すや、今やゴスロリJSとJK巫女との勝負は、更なる白熱した展開を迎えていた。
一見JK巫女のほうが怒濤の攻めを続けていて、ゴスロリJS──つまりは愛明のほうが、一方的に圧倒されているかのようでもあった。
しかしよく見ると、JK巫女のほうが焦りを隠せずさも苦々しい表情をしているのに対して、愛明のほうは涼しげな表情を保ち続けて、いかにも余裕綽々といった有り様であったのだ。
「何で防戦一方の愛明君のほうが平然としていて、攻め手の巫女さんのほうが焦りまくっているんだろう? ──ていうか、そもそも読心能力を持っているんだから、愛明君の出方なんて事前にすべて手に取るように知り得て、一方的な展開にだってできるだろうに。どうしてこんな拮抗した状況に──いやむしろ、愛明君のほうが優勢な戦況になっているんだ?」
「それはまさに、防戦一方だから──つまりは、あの子が先生の言いつけを守って、辛抱強く『受け将棋』に徹しているからですよ」
「え? 受け将棋だからこそ、読心能力者に対して、優位に立てるですって?」
「だって『受ける』ということは、終始相手の出方に合わせているだけなのであって、自分から何らかのアクションを起こすわけではないし、極端な言い方をすれば、『何も考えていない』ようなものだから、いくら心を読もうが何の意味も無いってことなのですよ」
「!!」
た、確かに、読心能力者に対しては、『何も考えない』ことこそが、最強の対抗策と言えるよな。
「つまり、不幸な予言の巫女であるとともに受け将棋に徹している現在のあの子こそ、まさしく『読心殺し』──いえ、あらゆる『異能殺し』とも呼び得るのですよ」
「……『読心殺し』というのはともかく、あらゆる『異能殺し』、ですか?」
竜睡先生の意味不明な台詞に、至極当然のようにして疑問を呈する僕であったが、
それと時を同じくするかのようにして、対局場より唐突に響いてくる、当の読心能力者であるJK巫女の、とても聞き捨てならない言葉。
「……ふうん。あなたって、自分の受け持ちの先生のことが好きなんだあ」
「──っ」
なぜだかその途端顔を真っ赤に染め上げて、完全に言葉に詰まり、これまでけして見せることの無かった動揺をあらわにするゴスロリJS。
……いやちょっと待て。愛明の受け持ちの先生って、つまり──
「まったく、まだ小学生のくせに、おませさんだこと」
「〜〜〜〜〜〜っ」
「あら、もしかして、この会場にいるの? えっ、あそこの観客席のノートパソコンを抱えた、スーツ姿の男の人がそうなの? 確かにお若いし真面目そうだけど、あなたのような可愛らしい女の子が惚れ込むにしては、いまいちパッとしない感じよねえ」
ほっとけ!
「──つうか、何ですか、あれって!? 何であの巫女さんってば、読心能力を使っているのかどうかは知らないけれど、勝負の行方とは全然関係ない、とんでもないことを言い出しているのですか!?」
隣席へと向かって泡を食って問いただせばその眼鏡美人は、まるで大ピンチに陥ったネ○フの作戦部長であるかのような真剣極まる表情を浮かべながら、厳かに所見を述べた。
「さすがね。正攻法が効かないとわかったとたん、すぐさま自らの読心能力の使い途を、盤外戦術に切り替えるとは」
「盤外戦術って、あれが!?」
お年ごろの女の子同士の、恋バナじゃなかったのかよ?
「だって完全に図星を突かれてしまって、愛明ったら見るからに手筋が乱れてしまっているじゃないですか?」
「ほんとだ! これまではまったくノーミスだったのに、何だか緩手が増えてきて………………って、いやいや、ちょっと待ってください! 何ですか、図星って。いったいいつ僕なんかが、愛明君から想いを寄せられることになったと言うんです!?」
あまりにも心外な話に慌てて物言いをつけるや、心底あきれ果てたかのようにため息を漏らす竜睡先生。
「……まさかここまで、女心に鈍かったとは。あのですねえ、これまでずっとクラスメイトはおろか担任の先生にまで忌み嫌われてすべてに絶望して引きこもっていたところに、新しく担任になったあなたが颯爽と現れて救いの手を差し伸べてくださったのですよ? まさに女の子にとって、『理想の王子様』の登場以外の何物でもないではありませんか。しかも自分自身の教師としての本分を優先して無理やり学校に登校させようとしたりはせずに、何よりもあの子を立ち直らせることこそを第一にして、一文の得にもならないというのに自分の時間や生活を犠牲にして将棋の指導をつけてくれたりして。これで惚れなければ、嘘でしょうが!?」
「い、いや、だって愛明君はまだ小学生なんだし、それにあくまでも僕は、彼女の担任教師に過ぎないんだし……」
「恋する乙女にとっては、相手との年齢や立場の違いなんて、まったく関係ありません!」
ええー。つまり僕って自分でも知らない間に、小学生の教え子との間に、『恋愛フラグ』でも立てていたってわけなのかよ?
……ひょっとしてこれって教職員にとっては、『死亡フラグ』でもあるんじゃないの?
そのように僕が焦りまくっているうちにも対局場のほうでは、JK巫女による『攻め』が更に勢いを増していた。
「だけど、お気の毒よね。彼のほうはあくまでも教師として、受け持ちの生徒であるあなたの力になってあげているだけで、あなた個人のことは何とも思っていないのよ?」
「……え」
「そりゃそうでしょう。大の大人が小学生なんて、恋愛対象にするものですか。──むしろ対象にしたりしたら、そっちのほうがヤバいしね」
「くっ」
もはやそれは『精神攻撃』とも呼び得るものとなっており、盤面においてもどんどんと、愛明の駒のほうが押され始めていた。
「──いけない!」
「へ?」
振り向けば竜睡先生が、先ほどより切迫した表情をして僕のほうを見ていた。
「このままでは愛明は勝負に負けてしまうどころか、精神そのものを壊されてしまいかねません!」
「な、何だってえ!?」
「もはやこの窮地を救えるのは、先生の心よりの『お言葉』だけです。さあ、今こそ思いの丈をぶちまけてください!」
「僕の言葉って、いったい何と言えばいいのです?」
「決まっています! 『愛明、僕はけして教え子としてではなく、あくまでも君自身のことを、心から愛しているんだ!』です!」
「はあ? そ、そのような心にもないことなんて、言えるわけないじゃないですか!?」
下手するとこの場で、通報されてしまうぞ?
「そんなこと言ってる場合ですか!? もうすでにあの子のほうも限界ですよ!」
その言葉に慌てて視線を向ければ、確かに今なお続く精神攻撃そのままな盤外戦術によって、愛明は身も心も崩壊一歩手前となっていた。
くそっ。──ええい、ままよ!
その時僕はほとんど一瞬とも言える短い間──将棋で言うところの『秒読み』の間で、自分の社会的地位と教え子の想いとを秤にかけて、熟考の末断腸の思いで決断を下し、対局場に向かって叫んだ。
「愛明! 僕は君が自分の生徒であるとかには関係なく、心から愛しているからこそ力になろうと思っているんだ! もちろん君の僕への想いも嬉しく思っている! だからこれからも二人で力を合わせて、一日も早く完全に立ち直ろう!」
その瞬間、まるで世界そのものが凍りついたかのように静まり返る、賭け将棋大会会場。
今この場に集まっている文字通りの裏社会の人間たちが皆一様に、僕に対して完全に『引いた』表情を浮かべていた。
……いいんだ。これでいいんだ。僕は教師として、正しい選択をしたのだ!
そんな自己犠牲の甲斐もあってか、しばらくの間呆気にとられていた愛明の顔が、みるみるうちに輝き始めて、今やすっかり活気を取り戻していた。
そして将棋盤の向こうのJK巫女に対して、きっぱりと言い放つ。
「……すみませんが、この勝負、私が勝たせていただきます」
「──っ。な、何をちょこざいな。あんなのあなたを元気づけようとするための、方便に決まっているじゃない!?」
「へえ、あなた巫女のくせに、知らないのですか? 言葉には『言霊』というものがあって、いったん口にしたことは、現実となってしまう可能性が非常に高いことを!」
えっ、そうなの!?
思わず一応は幸福な予言の巫女の一族の出身者である眼鏡美人のほうへと振り向けば、いかにも『してやったり』といった表情で、にっこりと微笑んでいた。
……もしかして、嵌められた?
「くっ。読心能力者である私に向かって、何を偉そうなことを。あの男の本心なんて、すっかりお見通し……………………な、何ですって!? 表層的には否定しているくせに、自分自身でも気づいていない深層心理的には、あなたのことを憎からず想っている、だと?」
おいっ、いきなり何てことを言い出すんだ、このインチキ巫女が!
人の心の深淵を覗いたために戦々恐々となってしまっているJKに対して、畳みかけるようにして力強く宣言するJS。
「たとえ読心能力があろうが、本当に人の心というものがわかるわけがないでしょうが! 私の心がわかっているのは、私だけよ! 私の先生に対する想いは、正真正銘本物なの!」
──ぐはっ! やめろ! もうやめてくれ!
おまえら、僕のことを殺す気か!? ──主に社会的に!
とはいえ、お陰で確かに愛明のほうはすっかり立ち直ったようで、ほとんど勝勢にあったJK巫女の猛攻を受け切り、今やその攻めを完全に切らさんとしていた。
「ちっ。さすがは不幸な予言の巫女とはいえ、腐っても予知能力者。こうなればこっちも読心能力だけでなく、本家本元の幸福な予言の巫女としての、予知能力こそを使うのみ!」
そう言うや、もはや形振り構わず、あの手この手の奇手や妙手を繰り出してくるJK。
しかしそれに対して少しも慌てず、完全に受け切り、とうとう相手の攻めを切らせてしまう愛明。
「ど、どうしてなの? どうして出来損ないの不幸な予言の巫女ごときが、予知能力を使っての読み合いで、幸福な予言の巫女である私に競り勝つことができるのよ!?」
「──これが、愛の力というものよ!!」
その大喝とともに、この対局において初めて攻めへと転じ、王手をかける『不敗の女王』。
もはや指す手を完全に失ってしまっているJK巫女のほうはついに心が折れて、力尽きたようにうなだれるや、『投了』の合図として、自分の駒台に右手をかざす。
この瞬間、愛明の決勝戦進出が決まったのであった。
観客たちの大歓声に沸く、賭け将棋大会会場。
……良かった。これで教師生命を懸けた甲斐もあったというものだ。
「それにしても、精神攻撃によって動揺してしまった場面があったとはいえ、不幸な予言の巫女である自分よりも完璧な予知能力者であり読心能力までも有する幸福な予言の巫女に、ああも一方的に勝つことができるなんて、それほどまでに『不幸の予言』は、将棋の勝負の場においては有効だとでも言うのですか?」
確かに予知能力を持つ愛明が、凄腕の勝負師やプロ棋士とはいえただの人間に過ぎない人たちを圧倒し、これまですべての勝負に勝ち続けて『不敗の女王』とまで呼ばれるようになったことには納得していたけど、まさか同じ予知能力者で他の異能をも使いこなせる幸福な予言の巫女にまで、完勝してしまうとは。
「だから何度も言っているでしょう? 愛明の勝因は何よりも、『受け将棋』に徹しているからなのだと。何せ受け将棋こそ、予知能力を最大限に活かすことができるのですしね」
僕の今更ながらの根本的な疑問の言葉に答えを返してくれたのは、当然当の不幸な予言の巫女の保護者殿であった。
「……それって確かに何度もお聞きしましたが、そもそもどうしてなんです? 一応かつては高校生竜王であった経験から言わせてもらえば、将棋の勝負においても結局は、『攻撃こそ最大の防御なり』なのであって、どんなに自玉の防御を固めようが、自らも積極的に相手の玉を攻めなければ、当然のごとく勝利を手にすることはできないのですが?」
「だったらお聞きしますけど、元高校生竜王さん? たとえ量子コンピュータを使おうが将棋の神様の力を借りようが構いませんが、絶対この手なら勝てるという、『必勝の策』というものを生み出すことができると思いますか?」
ある意味これぞ将棋指しにとっての最大の命題とも言える質問であったが、僕はきっぱりと即答した。
「いいえ、けしてできません」
「ほう、それはまた、どうしてですの?」
「一言で言えば、将棋とは文字通り『筋書きの無いドラマ』だからです。たとえ『必勝の策』なんてものが存在していたとしても、必ずしもその通りに盤面が展開するとは限りません。──何せ、将棋のみならずすべての勝負事には、『相手』というものが存在していますから、まさしく相手の出方次第では──特にいきなり思わぬ奇手を繰り出されたりした場合には、その瞬間必勝の策も定跡もへったくれもなくなってしまうだけなのです」
「御名答。さすがは元高校生竜王殿、百点満点の解答です。よく『コンピュータがチェスの世界チャンピオンに勝った』なんてニュースが忘れた頃に世間を騒がせたりもしますが、別にチャンピオンに勝てたところで、そのコンピュータがチェスの勝負において最強の存在となったことが実証されたわけではなく、そもそもその人間のチャンピオン自身がほんの数日後にでも他の誰かに王座を奪われる可能性もあって、けして『絶対的な王者』なんかではないし、コンピュータ自体もチャンピオンどころかただの素人と勝負してあっさりと負けてしまう可能性だってあるのです。つまりたとえコンピュータだろうが神様だろうが、それこそ創作物の中の話でもない限り、けして『すべての勝負に勝つことなぞできない』のですよ。よってたとえあらゆる情報が存在している集合的無意識へのアクセスを為し得て、まさしく未来の無限の可能性をすべて予測計算できる幸福な予言の巫女が、将棋の対局に当たって編み出した必勝の策であろうとも、どこかに齟齬が存在している可能性があって、けして『必勝』なんかではなく、負けてしまう可能性があることも否定できないのです。そもそも集合的無意識には無限の情報が集まっているのであり、たとえ幸福な予言の巫女がそのすべてにアクセスできようとも、そこに存在している情報のるつぼを完全に把握して真に理想的な必勝の策を見極めて取捨選択することなぞ、どだい無理な話なのですよ。言わば幸福な予言の巫女は全知であるからこそ、むしろ真に必要な情報を選り出すことができないでいるのです。それに対して不幸な予言の巫女である愛明が、本来なら不可能なはずの『すべての勝負に勝ち続ける』ことを為し得て『不敗の女王』とまで呼ばれるようになったのは、なぜだと思います? 実はそれはあの子が、『自分が負ける未来』しか予知できないからなのですよ」
は? 愛明が文字通り『必勝』を実現できているのは、むしろ『負ける未来』を予知できるからだって?
「これまた何度も何度も申してきましたが、この現実世界には無限の可能性がございますので、幸福な予言の巫女だろうが不幸な予言の巫女だろうが、『絶対に勝つ』未来や『絶対に負ける』未来を予知することなぞ不可能なのです。厳密に言えば、幸福な予言の巫女においては『勝てる可能性』を予知し、不幸な予言の巫女においては『負ける可能性』を予知しているだけなのであって、実は『幸福の予言』──つまりは勝てる可能性の予知を行ってみたところで、何とそこには負ける可能性も潜んでいるのであり、いくら幸福の予言ができたところで、絶対に勝負に勝つことなぞできないのです。それに対して『不幸の予言』──つまりは負ける可能性の予知においては、工夫次第で幸福を──すなわち絶対の勝利を獲得することが可能となるのです。例えばポーカーの勝負において、不幸の予言の力によって現在の持ち札に関して負ける可能性を予知したなら、必ず勝負を降りればいいのです。もちろん可能性はあくまでも可能性に過ぎないのだから、そのまま勝負を続けていても勝った可能性もあったでしょう。しかしたとえそうであろうとも、事前に『負ける可能性』をすべて潰しておけば、少なくとも負けることは絶対に無くなり、逆説的かつ必然的に、すべての勝負に勝つか最悪でも引き分けるかといった、幸福な結果をもたらせることになるのであり、特にそれこそ将棋等の原則的に引き分けの無い勝負においては、けして負けないということは絶対に勝てることになるのです。実際将棋の勝負の場においては、愛明が次の手を頭の中で選んだ瞬間に、王手をかけられたり自滅したりといった敗北の未来が脳裏に浮かんでくるそうなのですが、それは具体的には超トッププロ級の将棋の達人の方々と同じように脳内将棋盤の形をとってはいるものの、ただしあの子の場合はあたかも自分側の王将のほうこそを攻略対象とした詰将棋であるかのように、次に指す手を頭の中で選択するごとに自玉が詰まされる有り様が脳内将棋盤において展開していき、そのような選択を極短時間の間で繰り返しているうちに、脳内将棋盤がまったく自玉の詰みへと動こうとはしない一手が──つまりは、まったく敗北の未来を脳内で描写することのない手が見つかるのですが、まさしくその手こそがけして負けに繋がらない一手として、安心して打つことができるといった次第なのですよ。とはいえ将棋の対局においては重要な局面ごとに、それこそ無数の分岐が存在し得るので、自ら勝ちを狙って盤面を主導する『攻め将棋』に徹していては、まったく敗北の危険性の無い手なぞあり得ず、不幸の予言の使い途はありません。それに対してあくまでも相手の出方に合わせた専守防衛を旨とする文字通り受動型であるゆえに、選択すべき分岐が限定されている『受け将棋』に徹するのであれば、むしろ不幸の予言の独壇場ともなり得るのです。それと言うのも、相手が主導的に繰り出してくる『攻め』をもれなく『受け』凌いでいくということは、常に『ノーミス』を維持できなければ、たちまち相手の思惑に嵌まってしまいそのまま押し切られてしまいかねないわけなのですが、そもそも将棋の対局という長丁場においてたった一度の失策も犯さないでいられることなぞ、まずもって不可能と言えるでしょう。だって人間だもの。『失敗をしない人間』なんていやしないもの。──そう。そのような不可能を可能に変えて、徹頭徹尾ノーミスを貫き相手の『攻め』を切らせてむしろ失策すらも引き出し勝負を制してこそ、真の『受け将棋』なのであって、それを実現するには攻め手よりも更に完璧なる『大局観』や『勝負勘』が必要となるのです。まさにこれぞ『受け将棋こそ、すべての棋士にとっての究極の理想的戦法』とも言われるゆえんなのですが、実は『自分の負ける可能性』を予知できる不幸の予言こそ、受け将棋において最もうってつけな異能なのでございます。確かに将棋の対局全般においてノーミスを貫くのは非常に困難ですが、将棋というものは『最後にミスをした者が敗者となる』と言われるくらいに、ノーミス状態を堅持していれば最終的に勝者となり得るのです。それは言わば、どんな『攻め』の手に対してもけして失策を犯さず落ち着いて対処すれば、むしろ自らのほうが有利になれる適切なる『受け』の手が必ず存在しているということであって、『受け』の達人たちは現下の盤面とこれまで培ってきた膨大な知識と勝負勘とに基づきこれから先の勝負の行方を予測計算することで、まさしくその『適切なる受けの一手』を見いだし、相手の怒濤の『攻め』を凌いでいるのですよ。つまり『受け将棋』という戦法に徹している限りは、必ず『自分の負ける可能性』の無い手が存在していることになり、だからこそ『自分の負ける可能性』をすべて予知できる不幸の予言を使うことで逆説的にまさにその『自分の負ける可能性の無い手』を特定することによって、けしてミスを犯すことなく相手の攻めを切らせて最終的に勝利を手にすることができるといった次第なのです」
「なっ。不幸な予言の巫女は未来の無限の可能性をすべて予知できる真の全知たる幸福な予言の巫女に対して、自分が負ける未来しか予知できないという片手落ちの予知能力者だからこそ、むしろ受け将棋のように専守防衛に限定した戦法においては、必勝を実現することができるですってえ!?」
「言ってみれば、実は不幸の予言のほうこそ、真に人に幸せをもたらすことができるということなのですよ。つまり愛明が『不吉な魔女』などと呼ばれてもなお、クラスメイトたちに不幸の予言を行うことをやめなかったのは、彼らが実際に不幸に見舞われる前に、未然に回避するための警告を与えていたようなものなのです。──だってあの子は、本当は誰よりも思いやりに満ち溢れた、心優しい子なのだから」
「──っ」
……そうか、そういうことだったのか。
なんて馬鹿な奴らなんだ、去年の愛明のクラスメイトや担任教師ときたら。
愛明による不幸の予言を気味悪がったりせずに、親切なアドバイスを与えられたものと感謝すらしてちゃんと従っていたら、不幸なアクシデントを事前に防げたというのに。
つまり竜睡先生が愛明に賭け将棋なんかをやらせているのも、不幸の予言はけして災いを呼ぶものではなく、しっかりと役に立つことを実際に示させて、不幸の予言にも──そして愛明自身にも、ちゃんと存在価値があることを思い知らせて、自信を取り戻させようとしていたってわけなんだ。
「……だったら、もう十分ですよね。すでに愛明君のほうも不幸の予言の有用性を認識できているだろうし、別に次の決勝戦に挑む必要もなく、この際賭け将棋自体から足を洗ってもいいのでは?」
そのように珍しく小学校教師らしいことを、保護者さんに提案してみたものの、返ってきたのは思わぬ言葉であった。
「いいえ、あの子を真に立ち直らせるためには、是非とも『彼女』に打ち勝たねばならないのです」
そう言って並々ならぬ決意を秘めた表情を浮かべる竜睡先生の視線を追うようにして振り向けば、そこにはもう一人の準決勝戦の勝者の姿があった。
そしてここに来て初めて、端整な小顔を覆っていた目隠しを取り払う、巫女装束をまとった十一歳ほどの年ごろの少女。
「……愛明、君?」
そう。そこに現れたのは、自分の教え子そっくりの、黒水晶そのままに煌めく二つの瞳であったのだ。
三、幸福な姉と不幸な妹と。
「……あなたは、いったい」
まさしく鏡の中から抜け出してきたかのような、自分と瓜二つな巫女服姿の少女の登場に、呆然となり思わずつぶやく、漆黒のゴスロリドレスの少女。
「初めまして、愛明さん。私は夢見鳥魅明と申します。よろしければ『お姉ちゃん』と呼んでくださっても、構いませんことよ?」
「なっ!?」
いたずらっぽい笑みを浮かべた深紅の唇から飛び出してきた、あまりに思いがけない台詞に、完全に言葉を失ってしまう我が教え子。
「──ちょっと、竜睡先生。あの巫女服の子って、まさか!?」
慌てふためいて問いただす僕に対して、これまでになく苦々しき表情を浮かべながら答えを返す、愛明の保護者にして実の叔母。
「ええ。あの子こそ、私の姉にして先代の巫女姫夢見鳥真夜の娘──つまり、愛明の双子の姉であり、当代の巫女姫たる、夢見鳥魅明その人なのですよ」
「夢見鳥家の巫女姫が、愛明君の双子のお姉さんですって!?」
「……しかし驚きました。ただでさえ夢見鳥家の存在自体が国家的重要機密だと言うのに、すべての予言の巫女の要的存在であり、出生と同時に本家の屋敷内に密かに設けられている『聖域』に隔離されて親兄弟とも見えることなく、生涯一族の里の中で門外不出を旨とするはずの巫女姫御自ら、こんな裏社会の賭け将棋大会なんぞに御出馬遊ばせられるとは」
つまり幸福な予言の巫女の一族においてはそれだけ本気で、不幸な予言の巫女である愛明のことを潰そうとしているというわけなのか!?
そんなこんなの騒ぎの中でもいよいよ今大会の決勝戦が、図らずも何やら因縁浅からぬ実の姉妹対決という形で始まったのだが、本来自分のテリトリーのはずであった俗世の賭け将棋の大会に、同族の幸福な予言の巫女がエントリーしてきただけでも十分驚きだったのに、事もあろうに己の実の姉にして一族の重鎮たる巫女姫までもが登場してきたものだから、愛明のほうは今やこれまでの冷静さをすっかり失ってしまい、何とも危なっかしい手つきで駒を進めていた。
それに対してあくまでも落ち着き払いほのかな微笑すらも浮かべながら、ただ粛々と定跡通りの手を指していく巫女姫の少女。
少なくともこうして見ている限りは、彼女の所作には何らかの思惑や策略なぞ微塵も見受けられず、ひたすら対局のみに全力を注いでいるかのようであった。
そんな彼女と相対しているうちに、愛明のほうも次第にいつもの落ち着きを取り戻していき、これまで通りの完璧なる『受け』の冴えを示し始める。
まさしく『防御こそは最大の攻撃』を地で行く愛明に対し、巫女姫のほうもついに定跡を放棄しあの手この手の猛攻を仕掛けるものの、竜睡先生の言うところの『鉄壁の専守防衛』を為し得る不幸な予言の巫女の力を駆使して、そのすべてを受け切っていく愛明の辛抱強き様に、このまま例のごとく巫女姫の攻めの手が完全に切れてしまうものと思われた、
その刹那、であった。
唐突に手を止め、盤面へ屈み込むようにしてうつむく、巫女装束の少女。
……まだまだ打つ手がありそうにも思えるけど、これまで散々愛明の完璧なる『受け』の力を見せつけられたゆえに、すでに闘志を失い心が折れて、ここは潔く投了するつもりなのか?
結局巫女姫と言っても、世間知らずの深窓のお嬢様に過ぎず、裏社会の賭け将棋大会における真剣勝負なぞ、少々荷が重かったといったところか。
しかしそんな僕の甘い予想をばっさりと切り捨てるかのようにして、再び面を上げた巫女姫は、満面の笑顔であった。
そして鮮血のごとき深紅の唇から飛び出す、思わぬ言葉。
「──それでは皆様、お目覚めを」
そう言い放つとともに、彼女が一度柏手を打つや、
──文字通り、世界が一変した。
「……あ、あれ?」
ほんの一瞬、今がいったいいつで、ここがいったいどこなのか、わからなくなってしまった。
そう。あたかも何かしら、長い夢でも見ていたかのように。
慌てて隣へ振り向くと、竜睡先生が先ほどよりも更に鋭い目つきで、己の姪っ子たちに挟まれた、将棋盤のほうを睨みつけていた。
その視線を追って、目を向けてみると、
「なっ、まさか!?」
何と、今にも終局寸前だったはずの盤面が、双方共すべての駒が初期配置に──すなわち、対局開始時点の状態へと舞い戻っていたのだ。
「……これって、いったい」
思わず口をついて出た疑問の声に答えてくれたのは、更なる驚愕の言葉であった。
「ループ、ですよ」
「る、ループう? それってあの、SF小説やラノベなんかによく登場してくる、一定の期間の同じ日時を延々と繰り返すやつのことですか!?」
「ええ。まさしく以前述べたように、この現実世界を夢として見ながら眠り続けていた『夢の主体』たる黄龍が、ついに目覚めてしまったのですよ。そしてその結果私たちは、あくまでも夢に過ぎなかった愛明たちの熱き対局が行われていた世界から目覚めて、まだ対局は一秒たりとて行われていない真の現実世界へと戻ってきたのです」
「……黄龍が、目覚めたって」
「実は我が夢見鳥家にあって、その長たる巫女姫こそが、現世における黄龍の憑坐なのであり、そしてまさしく夢の主体そのものとも呼べる存在なのですよ」
「はあ? ちょっと待ってください。夢の主体と言っても実際に黄龍なぞという黄色い龍とかが中国の山奥辺りにいるわけではなく、あくまでもあらゆる世界のあらゆる森羅万象が総体的にシンクロ化したもの──つまりは集合体的存在なのであって、いわゆる『集合的無意識』を象るための仮想の枠組的な存在に過ぎなかったんじゃないのですか!? それに仮に黄龍なんかの夢の主体が存在していたとしたら、そいつが目覚めたりしたらこの現実世界そのものが、文字通り夢幻のようにして消え去ってしまわなければおかしいのでは?」
そんな僕の至極当然の反論に対し、ここでおもむろに表情を引き締め、滔々と語り始める竜睡先生。
「ええ。確かに黄龍──つまりは、あらゆる世界を夢見ながら眠り続けている夢の主体とも呼び得る者なぞ、確たる個体として存在してはいないのであり、前にも申しましたがあくまでも仮想的な存在でしかなく、物理学上で言えばあくまでも思考実験上の存在である『シュレディンガーの猫』のようなものに過ぎません。よって『あらゆる世界を夢見ながら眠り続けている神様』である黄龍は、あくまでも永遠に『あらゆる世界を夢見ながら眠り続けている』ので、我々が一般的に言うところの『目覚め』を迎えることはけして無いのでありますが、それでもあえて黄龍にとっての『目覚め』とは何かと言えば、無限に存在し得る世界の夢のうち、現在見ている世界の夢から別の世界の夢へと変わること──例えるならゲーム等で言うところの、いわゆる『ルート分岐』を行うようなものでしょうね」
「はあ? 黄龍の『目覚め』が、ノベルゲーやギャルゲーで言うところの、ルート分岐のようなものですって!?」
「つまりですね、もし個体としての黄龍が存在していたとしたら、ただ『目覚める』だけで、過去の世界へでも未来の世界へでも異世界へでも派生世界へでも遠宇宙へでも小説や漫画やゲーム等の創作物の世界へでも、いつでもどこでも行き放題ということなのです」
「過去の世界って…………あっ、つまりさっきいきなり世界そのものが対局開始時点に──つまりは『過去』に戻ってしまったのって、そういうからくりだったわけなのですか!?」
ようやく合点がいき思わず興奮気味にまくし立てるものの、目の前の女性は苦笑を浮かべるばかりであった。
「いいえ、そうではありませんわ。何度も申しますように、黄龍なぞ実際にはいやしない仮想的な存在に過ぎず、どのような形であろうと『目覚め』たりはしないのです。それに仮に夢の主体たる黄龍が目覚めて過去の世界へのルート分岐を為し得たとしても、過去の世界へと『目覚める』のは黄龍ただ一人であり、あくまでもこの世界こそに従属している存在である我々この世界の森羅万象は、そのままこの世界に存在し続けるのみなのです」
「……ということは、こうして我々を含む世界そのものが対局開始時点に後戻りしてしまったのは、夢の主体の『目覚め』に基づくルート分岐によるものでは無かったわけなのですか?」
「いえいえ、夢の主体の『目覚め』に合わせて、みんなで一斉に『目覚めて』ルート分岐しさえすれば、まさしく先ほどのような、全員参加型のループを実現し得るのですよ」
「みんな、って?」
「もちろん我々人間を始めとする、文字通りこの世の森羅万象すべてですよ。──言ったでしょう黄龍のような夢の主体とは実は万物の集合体的存在なのであり、この世界の誰もが──それこそ人間に限らず何物であろうが、この世界を夢見ている主体である可能性があり得るのです。まあ言ってみれば、この世界に存在している森羅万象は皆この世界を夢見ているようなものなのであり、一斉に『目覚める』ことによって、みんな一緒に別の世界にルート分岐する形で、過去や未来へのタイムトラベルや異世界転移や小説や漫画やゲーム等の創作物の世界へのダイブをしてしまう可能性があり得るというわけなのですよ」
「え、それってつまりは、例えばこの僕にも、いつでもタイムトラベルしたり異世界転移したりできる可能性があるってことですか!?」
「………だから、『みんなで一斉に目覚めさえすれば』と言っているではないですか? あなたも私もあくまでも夢の主体たる黄龍を構成している一端末に過ぎないのだからして、自らの意志で『目覚める』こと──つまりは世界のルート分岐などという大それたことを、実現したりはできないのです」
「いやでも、さっきのループ現象って、そこの巫女さんの仕業だったんでしょう? 何で彼女は一個人でありながらあのようにして、恣意的に世界のルート分岐をすることなんかができたのです? まさか彼女にだけ黄龍そのものの、特別な力が備わっていたりするわけなんですか?」
「おや、中々いい勘をしてられますね。実はそうなんです。彼女──すなわち夢見鳥の巫女姫こそが、いわゆる『黄龍の象徴』とも呼び得る存在なのです」
「黄龍の象徴、ですって?」
「確かに黄龍は集合体的存在ですが、最近流行りの大所帯のアイドルグループにリーダー──いわゆるその集団における『顔』が存在しているように、黄龍のような集合体的存在においてもいわゆる象徴的な存在がいても、別におかしくはないでしょう? つまり魅明は我々同様に黄龍の一端末でありながら、同時に象徴として黄龍そのものの役割をも担っているようなものなのであって、この世の森羅万象すべてからなる大集団の構成員全員を代表して、黄龍そのものの力を行使することによって、世界そのものをルート分岐させることを為し得ているのですよ」
「な、何ですってえ!?」
たかが小学生の女の子一個人が、この世の森羅万象を代表して、世界そのものを別の世界へと入れ替えることができるだと!?
「……そんなことまでできるなんて、いったい夢見鳥の巫女姫って、何者なんですか!?」
「え? もちろんただの女の子ですよ? 『もしかしたら黄龍等のこの世界を夢見ながら眠り続けている神様がいるかも知れない』なんて思い込んでいる、少々可哀想な妄想癖の」
「はあ? 妄想癖の女の子って。いやいや、だって現に彼女は、こうして時間を巻き戻して見せたではありませんか!?」
竜睡先生のいきなりの手のひら返し的発言に泡を食って物申せば、その眼鏡美人さんはむしろほとほとあきれ果てたかのようにため息をついた。
「……やれやれ、お忘れになっては困りますよ。『あらゆる異能は集合的無意識へのアクセスによって──つまりは突きつめれば、自分自身の脳みそでのシミュレーションによって創出されている、妄想のようなものに過ぎない』ということを」
……あ。
「言わば我々はほんの一瞬だけいわゆる白昼夢状態となり、未来の無限の可能性の集合体である集合的無意識にアクセスして、文字通り無限の可能性の一パターンを垣間見ただけなのであり、実は先ほどのあの熱き対局は実際には行われていなかったのです」
「へ? この場にいる大勢の人たちが、一斉に白昼夢状態になるなんてことがあり得るのですか?」
「だからそれを実行したのが、黄龍の象徴たる夢見鳥の巫女姫である魅明なのですよ。実は黄龍の象徴たる巫女姫は、他の一般の巫女たちのように自ら一瞬だけトランス状態となって白昼夢的に集合的無意識にアクセスすることができるだけでなく、何と他人を強制的に集合的無意識にアクセスさせることが──つまりは、自分を含む万物を恣意的に総体的シンクロ化させることができ、ほんの一瞬の間において自ら算出した疑似的演算世界を体験させることを為し得るのです。言わば先ほどの対局も、魅明自身が脳内で創造した仮想世界を私たちにも無理やり体験させたわけで、しかもそれはほんの一瞬の出来事に過ぎず、現実世界においては何事も起こっておらず、一秒も時間は進んでいないのですよ」
そんな馬鹿な!? さっきのあの大熱戦が、実は仮想世界での体験のようなものに過ぎなかっただって?
「まあ言ってみれば、将棋の超トッププロ級の達人たちが己の頭の中で展開することのできる脳内将棋盤の、世界そのものを仮想演算した拡大版のようなものなんですよ。そもそも脳内将棋盤とは、将棋の達人が己がこれから指そうと思っている手に何らかの齟齬がないかを、脳内で事前に仮想演算することによって確認するためのものなのなのであり、それに対して黄龍の象徴たる魅明は単なる脳内将棋盤上での仮想演算にとどまらず、対戦相手である愛明を始めとする人や物やひいては空間すらもすべてひっくるめて、対局そのものを仮想演算することによって、『本物の世界』を構築してしまったという次第なのです」
「……つまり僕たちはみんな、彼女によって幻覚を見せられていたようなものなのですか?」
「と言うよりも、言わば私たちはまさしく疑似的に、いわゆる『現実世界という夢からの目覚め──すなわち、世界そのもののルート分岐』を体験させられたようなものなのです。ただしここで何よりも留意していただきたいのは、先ほどの仮想的な対局中に存在していた私たちも、けして夢の産物や疑似的演算世界における仮想人格なんかではないことなのです。何せたとえそれが夢の世界であろうが疑似的演算世界であろうが、現代物理学を代表する量子論──中でも特に多世界解釈に基づけば、皆等しく『別の可能性』と言う名の本物の世界なのであって、そこに存在していた私たちも『別の可能性の自分』と言う名の本物の自分だったのであり、だからこそ魅明が算出した疑似的演算世界内にあっても、何よりも肝心な対局相手の愛明を始めとして、誰もが自分の意思で言動できていたわけなのですよ。まさに今現在の私たち同様にね。──いえ、ひょっとしたら私たちはいまだ、魅明による疑似的演算世界の中にいるのかも知れませんよ?」
「……え」
「だって魅明としては愛明に勝つためにこそ、こんな七面倒なことをやっているわけなのであって、あらかじめ仮想的な勝負に勝つまでは、シミュレーションによるループををやめることはないでしょう。何せ一度でも現実に負けてしまえば、その時点ですべてはおしまいなのであり、いかに黄龍の象徴たる巫女姫とはいえ、あくまでも本物の現実世界においては、すべてを無かったことにして過去をやり直すことなんてできないのですからね」
「いやでも、いくら疑似的演算世界の中の対局で勝ったところで、それこそ現実に勝負がついたわけではなく、まったくの無駄ではないのですか?」
「もしかしたら魅明は勝つこと自体が目的ではなく、愛明の心を折ることこそを狙っているのかも知れませんね」
「え、心を折るって……」
「これからも今やったように延々とループを繰り返して、すべての対局を無かったことにすることによって、愛明に無駄な徒労を繰り返させることで、闘志をへし折ってしまおうとしているのではないかと思われるのですよ。そのようにたとえ疑似的演算世界の中の出来事とはいえいったん完膚なきまで心が折れてしまえば、現実世界に戻ったところでもはや勝負を続けることなぞできないでしょうからね」
なっ。愛明の心を折るために、これからも無限にループを繰り返すつもりだと!?
そのとても肉親の為せる業とは思えない情け容赦ないやりように、僕は完全に言葉を失ってしまうものの、まさにそんな竜睡先生の言こそが正しかったことを裏付けるようにして、その巫女姫の少女はそれからも延々とただひたすらにループを繰り返し、毎回同じようにして後一歩で愛明が勝利を得ようとした寸前に、すべてを御破算にしていったのだ。
そうなると愛明はすっかり己の手口を読まれてしまったことになり、魅明のほうはそれを踏まえてこれまでとは異なる戦法を選んで勝負に挑むことができるわけであって、つまりはループを繰り返すごとに愛明のとるべき手段が減っていき、魅明のほうが一方的に有利になっていくといった次第であった。
──そう。そのはずであったのだ。
しかし愛明のほうはと言えば、普段通り相も変わらず、ただ相手の指した手を『受け』続けるだけで、そこにはほんのわずかの焦りも動揺も疲労もまったく存在していなかった。
もちろん魅明のほうはループするごとに、矢倉、角換わり、一手損角換わり、相掛かり、横歩取り、中飛車、三間飛車、四間飛車、向かい飛車、相振り飛車──等々と、居飛車系振り飛車系を問わず文字通りあらゆる戦法を繰り出してきたのだが、それに対して愛明のほうは淡々と『受け』続けるばかりであったのだ。
それも当然であろう。
竜睡先生もおっしゃっていたように、『己の負ける未来の可能性』をすべて予測し得る不幸な予言の巫女である愛明は、ただその場その場において相手の指す手に対して『己が負ける可能性がまったく無い手』を指し続ければいいのであって、別に自分のほうから戦法を決めているわけではなく、いくらループを繰り返されることで対局を御破算にされようがどんな戦法を繰り出されようが、文字通りその場その場で凌いでいくだけであった。
──そう。ループを繰り返すごとに使える戦法が無くなり苦しくなっていくのは、むしろ魅明のほうであったのだ。
実際に僕らの予想と反して今や疲労の色を濃くし焦燥感に駆られた表情を隠そうともしないのは、ループなどという超常の反則技を繰り返し一方的に『攻め』続けていたはずの、巫女姫の少女のほうであった。
「──どうして、どうしてなの? どうしてあなたは、私がループを繰り返すことで何度も対局そのものを御破算にされて、それまでの苦労がまったくの無に帰しているというのに、けして心折れることなく、闘い続けることをあきらめないの!?」
あたかも悲鳴のような実の姉の疑問の叫びに対して、対面に座している禍々しき黒衣の少女は盤面に視線を落としたまま、ぼそりとつぶやいた。
「……あなたには、わからないでしょうね」
「え?」
そこでいきなり顔を振り上げる、不幸な予言の巫女の少女。
その端整なる小顔の中で鋭く煌めいていたのは、怒りと憎しみに燃える黒水晶の双眸であった。
「生まれた時から幸福な予言の巫女として──しかも将来の巫女姫として、人生のすべてにおいて祝福され続けてきたあなたに、物心がつくと同時に不幸の予言をしてしまったために、出来損ないの『くだんの娘』として蔑まされ忌み嫌われて、実の母親から処分されそうになり生まれた里を追い出されてしまった、この私の気持ちがわかってたまるかあ!!」
「──っ」
まるで鬼神のごとき裂帛の大喝を浴びせかけてきた実の妹に、完全に気圧されて言葉を失ってしまう双子の姉。
「私はもう、将棋で勝ち続けるしかないの。それも受け将棋に徹することによって、不幸の予言の力を──つまりは私自身の存在価値そのものを、示し続けるしかないのよ! 全知そのものの幸福な予言の巫女の無限の未来の可能性の演算能力によって実現される、シミュレーション系の異能だろうが別人格化系の異能だろうが多世界転移系の異能だろうが恐れるものか! 将棋の達人ならではの無数の脳内将棋盤──すなわち集合的無意識へのアクセスによって導き出された将棋の勝負の場における、『大局観』や『最善手』や『定跡』や『先読み』なんて知ったことか! 私はあくまでも不幸の予言による『己の負ける未来』の予知能力を信じて、ただひたすらその場しのぎの『受け将棋』に徹することで、幸福な予言の巫女にして真に全知なる黄龍の巫女姫たるあなたに、必ず勝ってみせる!」
そんなSF小説界が誇る代表的な各種の異能はおろか、将棋界における最も根本的かつ絶対的なセオリーすらも全否定するみたいなことを言い放つや、まるでその決意の程を示すようにして、全力で駒を盤面に叩きつける不幸な予言の巫女の少女。
その瞬間、巫女姫の少女のほうの攻めの手が、ついに完全に切れてしまう。
「……ま、まだよ。まだ勝負はついていないわ! 私だってあきらめるものですか。私は巫女姫なのよ! 出来損ないの不幸な予言の巫女なんかに、負けてたまるものですか! ──いいでしょう。こうなったら私が勝つまで、無限にループを繰り返すのみよ!」
そう言ってこれまで同様に、ループ能力発動の合図として柏手を打とうとした魅明であったが、
生憎とそれは、果たされることはなかった。
なぜならその少女はいきなり力尽きたかのようにして、盤面へと倒れ込んでしまったからである。
四方八方に駒をまき散らしながら四肢を投げ出し意識を失う己の姉の無様な様を、冷ややかな表情で見下ろす双子の妹。
──まさしくこの瞬間、出来損ないとも不吉なるくだんの娘とも呼ばれ蔑まされてきた不幸な予言の巫女が、一族の最高実力者である巫女姫に、真正面からのガチの異能勝負において勝利したのである。
そして術者であった魅明が倒れたために、この場にいる我々全員が今度こそ間違いなく、疑似的演算世界から現実世界へと帰還できたのであった。
「……いやそれにしても、何でループを実行していたはずの巫女姫のほうが、力尽きて倒れてしまったんだ? いくらループの中で対局を繰り返そうがそれはあくまでも仮想的な出来事に過ぎず、ループを行うごとに気力体力共にリセットされるのだから、倒れてしまうまで疲労が蓄積したりはしないはずなのに」
僕は目の前で起こったことがいまだ信じられず、思わずうめき声を漏らした。
「まあ『将棋体力』と言うものは、実際の身体的体力とはまた別のものですからね。ループによってリセットされること無く、蓄積されることだってあり得るでしょう」
「将棋体力、ですって?」
こちらの疑問の言葉にすかさず答えてくれた竜睡先生の一応はもっともらしい台詞に、しかし僕は怪訝な表情を隠さなかった。
「だったら愛明君だって倒れるまでとは行かないとしても、それなりに疲労が蓄積されていないとおかしいのでは? 確かに彼女は攻め手側の巫女姫に対して常に受けに徹していたから負担が比較的少ないとはいえ、あれだけループ中に対局を繰り返しておいて、実際の肉体的疲労はともかくとして、あなたが言うようにループごとにリセットされることが無いらしい将棋体力とやらに関しては、もっと疲労を感じているはずでは?」
「それはですねえ、実は不幸な予言の巫女たる愛明こそは、特に効率化を果たすことで幸福な予言の巫女の弱点を完全に克服した、『進化した幸福な予言の巫女』とも呼び得る存在だからですよ」
なっ!?
「進化した幸福な予言の巫女ですって!? それに幸福な予言の巫女の弱点って……」
思わぬ言葉に呆気にとられる僕を尻目に、まさに水を得た魚そのままに嬉々として語り始める、蘊蓄大好き眼鏡美人。
「実はですね、まさしく真に理想的な量子コンピュータや全知なる神様そのままに未来の無限の可能性を常にすべて予測計算できる幸福な予言の巫女って、むしろ自分が負ける未来等しか予知できない不幸な予言の巫女よりも、非常に非効率な存在でしかないのですよ。しかもそうやって苦労して導き出した『幸福の予言』が百発百中当たるとは限らないのだから、まったくもって報われないのです」
「へ? 幸福な予言の巫女が、量子コンピュータどころか神様そのままな全知の力を有するのに、予言を必ずしも的中させることのできない、非効率で報われない存在ですって?」
「巫女姫を始めとする幸福な予言の巫女たちは、幸福の予言を行う際には常に未来におけるあらゆる可能性を予測計算することによって、我が国の財界のトップ等の相談人に対して、経営戦略等において彼らが最も望むと思われる成功の方策を授けているのだけど、何度も何度も言うようにこの現実世界の『未来には無限の可能性があり得る』のだから、『絶対に成功する方策』を予言することなんて絶対に不可能なのであり、特に今回のような将棋の対局の場で言えば、受け一本槍である愛明に対して魅明を始めとする幸福な予言の巫女たちのほうは、常に攻め手側に立ち盤面を主導するために幸福の予言を使っていたのですけど、対局の途中において重要な岐路に差しかかるたびに、そのつどあらゆる分岐の可能性を予測計算して戦法の選択をしているものの、それによって導き出されるのはけして『必勝の策』なぞではなく、常に負けに繋がる可能性さえも秘められているのであり、非常に非効率と言うか、むしろ『幸福の予言なんてするだけ無駄じゃね? それよりも普通に将棋の腕を上げたほうが早くね?』とすら言えたりもするのです。しかもこれまた先に述べたように、未来予測を含むすべての異能は現実的には自前の脳みそでの計算処理によって弾き出されているようなものだからして、重要な分岐点ごとにあらゆる可能性を予測計算するという幸福な予言の巫女のやり方では、将棋の対局という長丁場においては心身共に耐え切れるはずがなく、特にループなんかの仮想的とはいえ世界そのものを創り出すなぞという大技を何度も繰り返していたのでは、個人の脳みそのキャパシティ的に限界を迎えて倒れ込んでしまうのも当然の仕儀なのですよ」
な、何と。常に真面目に未来の無限の可能性をすべて予測計算しているからこそ、片手落ちの『不幸の予言』なんかよりもむしろ間違いが起こりやすくなって、しかも気力体力共に使い果たしてしまうことになるってわけなのか。
……確かにそれじゃ、割が合わないよな。
「それに比べて不幸な予言の巫女のほうは、一見自分や他人の負ける未来や失敗する可能性等のマイナスの未来しか予知できないので、予言を与える相手に対して幸福をもたらすことができないようであるけれど、実は『リスク対策』という観点からすると、幸福の予言と違って的中するかどうかにかかわらず、予言を授ける相手に対して多大なるメリットを与えることができるのです。例えば我が国の財界のトップ等に経営戦略上の助言を与える場合においては、どこぞのインチキ占い師みたいに結局のところ当たるか当たらないか定かではない『幸福のお告げ』なぞではなく、企業内の専門の部署が作成した各種の戦略案に潜んでいる『不幸な未来』を洗いざらいえぐり出して、あまりにもリスクが多い案に関しては丸ごと却下し、それほどリスクの無い案に対しては十分なる対応策を講じることによって、具体的な経営戦略における欠点を事前にすべて潰し、必ず成功に導くことを可能にできるのですよ。更には何と言っても現下のような将棋の対局の場においては、『己の負ける可能性のある未来』をすべて予知できる不幸の予言を使うことによって、ほんのわずかでも負ける可能性のある手を指してしまうことを完全に防止でき──つまりは、最初から最後までノーミスを貫くことができ、その上特に『受け将棋』に徹していれば、『攻め手』側のように自ら盤面を主導する必要も無く、常に相手の出方に合わせてその場その場で不幸な予言を使うことですべての『敗着の可能性』を回避すればよく、幸福な予言の巫女や将棋の超トッププロ級の達人が行っているような、すべての未来の可能性の予測計算による、『大局観』や『最善手』や『定跡』や『先読み』なぞまったく必要とせず、最小限の不幸な未来の予測計算だけで勝利を得ることができるという、非常に効率的な未来予測を実現しているのですよ。──そう。言わば不幸な予言の巫女こそ、何かと心身に負担をかけがちな幸福な予言の巫女の弱点を克服し、しかも真の意味での『幸福の予言』の実現すらも為し得た、『進化した幸福な予言の巫女』とも呼び得る存在なのです」
そ、そうか。不幸な予言の巫女って、完璧な『リスク対策』を真に効率的に実現できて、実際のところは不完全で非効率でしかない幸福な予言の巫女なんかよりも、よほど『優れ物』だったってわけか。
確かにこの世のあらゆる出来事のあらゆる局面において必ず何らかの『リスク』が存在していることを鑑みれば、そのすべてを事前に把握して排除あるいは回避することができる『不幸の予言』こそ、人々に必ず幸福な未来をもたらすことができる、『真の幸福の予言』とも呼び得るかも知れないな。
竜睡先生のお説に心から納得しうんうん頷きながら、ふと対局場のほうを見やれば、愛明とどうにか無事に復活を果たした魅明が、対局後恒例のいわゆる『感想戦』を行っていた。
いや、あれは感想戦と言うよりも、むしろ──
「……これまで生き別れとなっていた実の双子の姉妹による、人生初の語らいか」
闘い終わりお互いの間にわだかまっていた軋轢も忘れ、この世に二人しかいない姉妹同士で素顔になって言葉を交わす姿は、やはりそこはかとなく微笑ましいものがあった。
「『巫女姫』だ『不敗の女王』だと言ったところで、あいつらはまだほんの小学生の幼い女の子に過ぎないんだしな」
そんなことを思いながら、耳をすまして二人の会話を拾ってみれば、
「──しつこいわね、先生は絶対に渡さないと言っているでしょう? 負け犬巫女姫さんはとっととしっぽを巻いて、山奥の隠れ里にお帰りあそばせ!」
「そういうわけには参りませんわ。何よりも巫女姫である私がこのような俗世の場に赴いたのも、あなたから明石月先生を奪い取るためなのですから」
……なぜだか僕のことを引き合いにして、姉妹が激しく口論していたのであった。
終章、『作者』と『ヒロイン』。
「──ちょっと待って。何であの子たちって、僕のことを巡って言い争いを始めているんだよ!?」
つうかそもそもどうして、夢見鳥家の巫女姫様が、僕なんかのことを知っているんだ?
あまりに予想外の展開に、思わず疑問の声を上げれば、当然のごとく答えを返してくれたのは、もはや僕専属の解説役となっておられる、隣の眼鏡美人さんであった。
「そりゃあ『ヒロイン』たちが『作者』を取り合うのは、当然ではないですか?」
……はあ?
「な、何ですかいきなり、『ヒロイン』とか『作者』とかいかにもメタっぽいことなんか言い出して。──ていうか、まさかその『作者』って、僕のことじゃないでしょうね!?」
言うに事欠いて人のことを『作者』なぞと言い出した、自分のほうこそベストセラーSF的ミステリィ作家様に向かって猛抗議した、まさにその時、
「だってあなたは、自分の小説に書いたことを現実のものとできる力を持っておられるではないですか。──まさしくこの現実世界における、『作者』そのままにね」
──っ。
「まさか、御存じだったとは……」
「ええ、もちろん。何せあれだけネット上で『上無祐記の作成しているSF的ミステリィ小説は、何と実際に怪事件となっていて、作者自らが探偵となって解決に当たっているらしい』などと噂されているのですし。実はだからこそ私は、何よりも愛明を真に立ち直らせるために、あなたの『作者』としての力をお借りしようと思って、愛明に将棋の指導をしていただいたり、観戦記兼ネット小説の『異能棋戦血風録』を作成していただいたりしていたのですからね」
「……僕の自作のネット小説が現実の事件になっているなんて、それこそネットにありがちな与太話を、本当に信じているのですか?」
「ふふっ。与太話だなんて、何を御謙遜を。何せ『作者』としての力があれば──つまり、『多重的自己シンクロ』体質の持ち主なら、十分実現可能なのですから」
「多重的自己シンクロ? いやそもそも、その『作者』としての力って、いったい何なのですか?」
「前にすべての大前提として、この現実世界そのものが夢である可能性があり、人は誰でも『目覚める』ことによって、あらゆる世界のあらゆる森羅万象になり変わる可能性があると申しましたが、実は『作者』の素質を持つ方だけはいくら『目覚め』を迎えようと、『まったく同じ状況の中のまったく同じ自分』であり続けるのであり、すべての情報が集まる集合的無意識に対しても、自分自身に関連する情報にしかアクセスできず、つまりは幸福な予言の巫女や不幸な予言の巫女のように集合的無意識にアクセスを為し得たところで、未来予知を始めとするシミュレーション系の異能か別人格化系の異能か多世界転移系の異能かを問わず、すべての全知系の異能を振るうことは一切できないのです」
な、何だよ、それって!?
つまりこの広い世界の中でただ一人僕だけが、可能性の上でも何らかの異能を使えるようになることは、まったく無いってわけなのか!?
「あらあら、何を不満そうな顔をなされているのです? 私はこう申しているのですよ、『作者』であるあなたは、けして全知なる神にはなれない。──なぜならあなたは、全知をも超越した、全能なる存在なのだから──と」
…………は?
「な、何ですか、僕が神をも超越した存在であるって!?」
「つまりそれこそが、あらゆる世界のあらゆる森羅万象が総体的にシンクロし合うことで全知そのままの力を実現し得る黄龍等の集合体的存在と、現実と夢との垣根を越えて──ひいてはあらゆる世界の境界線を越えて、『まったく同じ自分』といわゆる『多重的自己シンクロ』をすることで全能の力を実現できる『作者』との、格の違いというものなのです」
「あらゆる世界の境界線を越えた、まったく同一の自分同士でのシンクロですって!?」
「何せ現実と夢との垣根を始めとしてあらゆる世界の境界線を越えて、『まったく同じ自分』とシンクロすることができるということは、例えば夢同様に小説等の創作物という形なき世界の中に存在している『まったく同一の自分』ともシンクロできるということでもあり、これこそが多重的自己シンクロならではの特徴であり最大の特長なのであって、例えばあなたが、『自分を主観にして現実の出来事をそっくりそのまましたためた小説』を創ったとしましょう、何とただそれだけで生まれつきの多重的自己シンクロ体質であるあなたは、この『現実世界のあなた』と『小説の中で作成した登場人物としてのあなた』の両方共が、形ある『現実の存在』であると同時に形なき『小説の存在』でもあるという二重性を有することになり、小説を作成した主体であるあなた自身すらも単に現実の存在であるとは限らなくなって、この世界そのものも現実世界であると同時に小説の中の世界でもあり得ることになるのです。よってこの状況下で現実世界のあなたが『自分自身を主観にして現実世界のありのままをしたためた小説』を作成しているということは、当然その小説の中の『あなた』もまた『自分自身を主観にして現実世界のありのままをしたためた小説』を作成していることになり、更にその小説の中の『あなた』も──といった具合に、現実と虚構を超えた無限の連鎖関係が生じることになるわけなんですが、何よりも多世界解釈量子論に基づけば『あらゆる世界同士はあくまでも等価値の関係にある』ことにより、たとえそれが『小説の中の世界』と『その小説を作成した現実世界』との間であろうとも、因果関係や時間的な前後関係等はまったく存在し得ないのであり、ゆえにこの無限の連鎖的状況下においては、あなた自身は現実の出来事を基に小説を作成しているつもりでも、今まさにあなた自身が世界を生み出していることになり、過去の事実と異なることを記せばすべての連鎖世界が書き換えられて最初からその過去のみが正しいことになり、好き勝手に未来の出来事を記せばそれが現実のものとなってしまうという次第なんですよ。なぜなら時間的な前後関係を取っ払ってしまえば、あなたが小説の記述を書き換えれば同時にすべての連鎖世界の小説が書き換えられることになり、そしてそれはその小説内に記述されている者にとっての現実世界がみんな一斉に改変されるということなのだから、初めからすべての連鎖世界においては改変された過去のみしか存在していないことになるので、何とSF小説等においては絶対に不可能だと見なされていた、すでに確定されていた過去の改変が実現できることになるのです。──まあつまるところは、まさに今現在のあなたは、この現実世界の『作者』とも呼ぶべき存在となられているというわけなのですよ」
「え、僕が今や、この世界の『作者』になっているですって? そんな馬鹿な! 世界の垣根を越えて『まったく同一の自分』と多重的自己シンクロとやらをすることのできる体質であるというだけで、小説に書いたことが現実のものとなり、その記述を書き換えたり書き加えたりすることで、実際に過去の出来事を改変したり未来の出来事を決定できたりするなんて、もはや現実性もへったくれもないではありませんか!? そもそもあなたのお説ではいかなる異能も結局のところは、自分自身の脳みそで創出している妄想のようなものに過ぎなかったはずでしょうが? なのにこの『作者』としての力に関しては、もはや脳みそでの計算処理とか妄想とかで実現できるレベルでは無いではありませんか!?」
あまりにもとんでもない話を延々と聞かされたことにより、思わず我を忘れて食ってかかる、他称『作者』の青年。
「そんなことはありませんよ? 何せ『作者』としての力を有する方は、別に小説を書き起こすまでもなく、夢の中で集合的無意識にアクセスして『未来の自分』の姿を垣間見るだけで──すなわち、『正夢』とか『予知夢』などと呼び得るものを見るだけで、それがそっくりそのまま現実のものとなることすらあり得るのですからね」
「はあ? 予知夢で見たものがそっくりそのまま現実のものとなるって。いやでもあなた自身、未来には無限の可能性があり得るのだから、必ず的中する未来予知なぞ絶対に実現不可能だっておっしゃっていたではありませんか?」
「確かに量子コンピュータや本物の神様のような全知の力による未来予知ならそうでしょうが、全能なる『作者』であられるあなただけは違うのです。予知夢ということは夢の中で『未来の自分』の有り様や周囲の状況を見ているわけですが、ここですべての大前提を思い出してください、──この世で『作者』の力を有する方のみは、もしもこの現実世界そのものが夢であったとしても、真の現実世界へと目覚めた後も『まったく同一の自分』であり続けるということを。つまり極論すれば、たとえ文字通り夢でしかない『予知夢』の中で垣間見た『未来の自分』に過ぎなかったとしても、すべての大前提である多重的自己シンクロの法則に則れば当然のごとく目覚めた後の現実世界の自分も、まさにその夢の中で見た『未来の自分』とまったく同一の言動をすることになるといった次第なのですよ。──まさしくあたかも、自分が見た『予知夢』に呪縛されているかのようにね」
──!!
「もちろんそもそも予知夢なんかを見てしまう仕組みについても、これまで通り現実的に説明することが可能です。何せ夢の中にいる限りはあくまでもそここそが自分にとっての現実世界なのだから、これまでの自分の在り方や周囲の状況はもちろん、夢の中ゆえにアクセス可能な集合的無意識がもたらしてくれた本来なら記憶や知識には無いはずの、これから未来で見えることになる人物や状況の情報をもデータとして加味し、自分自身の脳みそで己の取るべき言動を算出していっているわけなのですよ。──まあそうはいっても、結局のところ『作者』の力を有する方は、未来の無限の可能性の共通体──すなわち黄龍等の夢の主体が見ている多元的夢の世界たる集合的無意識のうち、『まったく同一の自分』の情報にしかアクセスできないからこそむしろ、単なる『正夢』レベルではなく絶対に的中する『予知夢』を見れることになるわけなのであって、例えばあなた自身がこれまで散々経験してこられたようにミステリィ小説そのままの夢を見れば、それがそのまま現実に怪事件となってしまうといった次第なのですよ。つまりは小説の作成と事件の現実化の間には直接の関係は無いのですが、あらかじめ実際の事件の推移をそのまま小説にしたためておけば、今度は現実と小説との間で多重的自己シンクロ状態を構築できるので、小説の記述を書き換えたり書き加えたりすることで、現実に過去や未来の出来事を思いのままに改変や決定できるようになるってわけなんですけどね」
そのようにしたり顔で御高説を宣われる竜睡先生であったが、こちらとしてはとても納得できるような内容ではなかった。
「いやいやいや、そのように屁理屈ばかり述べられても。だいいち僕自身には、この世界の『作者』になっているなんて、そんな大それた自覚なんぞまったく無いんですけど!?」
「そんなことはないでしょう。何せ今回の賭け将棋大会においてこれまで愛明が、並み居る凄腕の勝負師やプロ棋士や真に全知なる幸福な予言の巫女たちとの激戦を制し、すべての勝負に勝利してこられたのは、受け将棋に徹するとともに不幸の予言の力を効果的に使ってきたからでもあるけれど、何よりもあの子が、『作者』であるあなたの『ヒロイン』だからこそなのですよ?」
「ちょっ、何ですか、愛明君が僕の『ヒロイン』とかって! 各方面にあらぬ誤解を生むようなことは言わないでください! そもそも僕は別に、『自分を主観にして現実の出来事をそっくりそのまましたためた小説』なんて創っていませんよ!?」
「何をおっしゃっているのですか、この文章ですよ」
「へ? この文章って……」
「まさしくこの、あなたに愛明の将棋の対局の一部始終をリアルタイムに書き綴ってそのままネット上に公開していただいている、観戦記兼ネット小説の『異能棋戦血風録』のことですよ」
「なっ!?」
た、確かにこの文章って、他ならぬ竜睡先生に頼まれて、これまでずっとまさに『実況中継』そのままに、愛明の将棋の対局における闘いぶりを中心にして現実の出来事のすべてを、僕の主観でもって観戦記兼小説としてしたためていたんだっけ。
「愛明の担任教師であられて、何よりも現在においてはあの子を立ち直らせることこそを第一としているあなたは、自分自身では無自覚に、本来は現実そのままに描写しなければならないところを、『僕は必ず愛明が勝つことを信じている』とか『このままでは対戦相手のほうは、愛明の張った罠に嵌まってしまうに違いない』などといったふうに、どうしても愛明をひいきした書き方をしてしまい、それを『作者』の力で知らず知らずのうちに現実化していたというわけなのですよ」
うっ。そう言われてみると、確かにそのような若干偏った文言をしたためたことが多少なりとあったことは、認めざるを得ないよな。
「そしてまさに巫女姫たる魅明を始めとする夢見鳥の幸福な予言の巫女の娘たちも、そんな『作者』ならではの力に惹かれたからこそ、あなたを愛明から奪い取るためにこのような世俗の裏社会の賭け将棋大会なぞに参加してきたのですよ。何せ、この現実世界には無限の可能性があるゆえに本来なら必ずしも的中させることのできない『幸福の予言』であろうとも、あなたが自作の小説の中で的中するように書くだけで絶対に的中することになるのですからね。言わば幸福な予言の巫女たちはあなたの『ヒロイン』となることさえできれば、一族にとっての最大の悲願である、幸福の予言の絶対的的中を実現することができるわけなのであって、そりゃあ必死になることでしょうよ。実は我が一族はそれこそ千年来ずっと『作者』の力を有する者を求め続けてきたのであり、ネット上で『上無祐記の作成しているSF的ミステリィ小説は、何と実際に怪事件となっていて、作者自らが探偵となって解決に当たっているらしい』という噂が流れて以来、夢見鳥家においてはあなたのことをマークして徹底的に調べ上げて、間違いなく『作者』の力を有していることを確信して、こうしてわざわざ巫女姫様御自身が隠れ里から出てきて、このような賭け将棋大会に参加したって次第なのですよ。──といったわけで、良かったですね♡ つまりこれからもあなたの許には、JS、JC、JKを問わず、幼くも見目麗しき幸福な予言の巫女の少女たちが、わんさかと押しかけてくるといった寸法なのですよ!」
な、何だと?
「ちょ、ちょっと、何が良かったですか! 僕はけしてロリコンなぞではなく、むしろ年上好みなのであって、例えばまさに、あなたのようなアラサーの眼鏡美人さんこそが──」
「おや、まさかあなた、愛明のことを見捨てるおつもりなの?」
「え?」
な、何だ? 急に聞き捨てならないことを言い出したりして。
「かつてはすべてに絶望して自分の殻の中に完全に閉じこもってしまっていたあの子が、これほどまでに立ち直って前向きに行動するようになったのは、『受け将棋』において不幸の予言を大いに役立たせることによって、不幸の予言というものにも──つまりは自分自身にも、ちゃんと存在価値があることを自覚し始めたからであるのはもちろん、『作者』であるあなたに『ヒロイン』にしてもらうことによって、少々御都合主義なところがあるとはいえ、万事が万事あの子を中心にしてすべての状況が推移していくようになったからなのですよ? それに不幸の予言というものはその名の通りに、常日ごろから不幸な状態にある者にとってこそ最大限に役立たせることができるのであり、まさしく御自分のネット小説が現実に怪事件となってしまうことで、何の罪も無い人が『被害者』や『加害者』として不幸になり続けているのを何とか食い止めたいと思っているあなたこそ、他の誰よりも不幸な予言の巫女である愛明の助力を是非とも必要としているのではないのですか? ──そう。全知たる不幸な予言の巫女のあの子と、全能たる『作者』であるあなたとは、お互いに欠けたところを補い合おうと本能的に惹かれ合っているのであり、こうして担任教師と引きこもり生徒として出会いながらも、結局のところ『作者』と『ヒロイン』の関係となったのも必然なのです。別にJSやJCやJKの幸福な予言の巫女なぞ相手にする必要はありませんが、担任教師としても、そして何よりも『作者』としても、ただ一人愛明こそをあなたの唯一の『ヒロイン』と定め、これ以降もずっと共にあるべきなのです!」
そのように高らかと人のことを勝手に『ロリコン教師』として認定してしまう、当の元引きこもり生徒の保護者殿。
「だからやめてくださいってば! 現職の小学校教師が教え子を、自分の『ヒロイン』にしたりできるわけがないじゃないですか? ──それから周りの裏社会の住人の皆様におかれても、何で一斉にスマホなんか取り出しているんですか? どこぞの怖いお役所に通報なんかしたら、あなたたちも賭博罪でしょっぴかれてしまいますよ!?」
そのように謂れ無き風評被害の拡散を、何とか食い止めようとしていた、
まさに、その刹那であった。
「……先生は、そんなに私のこと、嫌いなの?」
突然耳朶を打ったか細き声に振り向けば、いつしか漆黒のゴスロリドレス姿の少女がすぐ側に寄り添っていて、いかにも心許なさそうな表情で僕の上着の裾を握っていたのであった。
「あ、いや。別に君のことを嫌ってなんかいないよ? ……そ、そう。もちろん生徒としての君のことは、心の底から愛しているくらいだからね!」
ナイーブな元引きこもり少女のガラスのハートを下手に傷つけたりしたら、せっかく立ち直りかけているのにまた元の木阿弥になってしまいかねないので、いささかオーバーなリップサービスを行う担任教師の青年。
「──はい、しっかりと言質をいただきました!」
するとその瞬間嬉々とした表情となって、これ見よがしにワインレッドのスマートフォンを見せつけてくる竜睡先生。
『──もちろん君のことは、心の底から愛しているよ! 愛明♡』
そしてそこから再生されたのは、ほんの数秒前の僕の言葉………………あれ?
「いやあ、それにしても、大胆な熱愛宣言ですなあ。良かったわね、愛明」
「おいおい何勝手に人の発言を、加工なんかしているんですか!?」
「いいではありませんか。こうして今回の『賭け将棋編』も愛明の優勝にてめでたく終了したわけで、いよいよこれから展開される予定の『ミステリィ編』においては、全面的に愛明の不幸な予言の巫女としての力を借りなければならないことですし。それに何と言ってもこの子のほうも、先生のことを大いに慕っているようでもありますしね」
……確かに愛明ってばいつの間にか、僕の腰回りにぎゅっと抱きついていたりして。
「いやだから、こんなのまずいですってば。周囲の皆さんも何さっきから、スマホで写メばかり撮っているんですか!?」
「──そうです、ずるいですわ! 明石月先生は我々予言の巫女全員の、共有財産であるべきなのです!」
「独り占めは赦しませんわよ!」
そう言って乱入してくる魅明を筆頭とする幸福な予言の巫女たちによって、僕はあれよあれよと言う間にJSJKを問わず、幼い少女たちからもみくちゃにされてしまう。
……どうして、こんなことになってしまったんだ。
もしも本当に僕がこの世界の『作者』だと言うのなら、こんなふざけた小説なぞ、今すぐにでも終わらせてやる!
……いや、確かに僕は自分でも知らないうちに、愛明を自分の『ヒロイン』に選んでいたのかも知れない。
しかしそれは、彼女が全知なる不幸な予言の巫女だからでも、可哀想な引きこもりの生徒だからでもない。
何よりも、彼女が『優しい』からだ。
そう。いくら『不吉な魔女』として忌み嫌われようと、クラスメイトたちが不幸になるのを見過ごすことができず、あくまでも不幸の予言を告げ続けるほどに。
──たとえその結果、自分自身の世界を壊してしまうことになろうとも。
だから僕が側にいることによって彼女の助けになるというのなら、少しもやぶさかではなく、むしろ光栄に思えるほどであった
……とはいえ、『ロリコン教師』呼ばわりは、謹んで御免こうむるけどね。
そんな想いを胸に秘めて、少女たちのじゃれ合いを見守りながら、この小説の『作者』である僕は愛用のパソコンに向かって、そっと『了』を記したのであった。
初めまして、881374と申します。
このたびは私の記念すべき『小説家になろう』初投稿作品、『異能棋戦血風録』をお読みくださり、誠にありがとうございます。
本作は最近流行りの将棋ラノベの皮を被った超論理的本格SF作品であり、読者の皆様におかれては本編途中で非常に面食らわれたことかと思います。
それというのもこの作品は前書きでも述べたように、フィクションである将棋ラノベや将棋マンガは言うに及ばず何と実際の将棋の対局の場においても、超トッププロ同士の『読み合い』や勝負の行方の『先読み』はもはやSF小説顔負けのテレパシーや未来予知そのもののレベルに達していると言っても過言では無いと思われることより、いっそのこと「将棋の世界を舞台にすれば、本当にリアルな異能バトルが創れるのでは?」という発想こそを出発点としているからです。
そして、そんな基本的作成方針に基づいての今作における何よりのメインテーマである、「完璧なリスク回避を実現できる『不幸な未来の予知能力』こそ、実は最強の異能なのではないのか?」についても、実際の対局シーンと竜睡先生による盛りだくさんの蘊蓄コーナーで微に入り細に入り実証いたしましたので、読者の皆様におかれても十分納得していただけたかと思います。
実はほぼ同じ登場人物かつ同じテーマで創られた、長編シリーズ作品『最も不幸な少女の、最も幸福な物語』もすでに完成しておりますので、そう遠くない将来に投稿する予定でおります。
ちなみに冒頭で名乗りました881374は、『ハハ、イミナシ』と読みます。
もちろんこれは本名ではなくペンネームですが、実は私はかつてニュースにしろドラマにしろテレビに名前が出てくる回数が最も多い、日本で一番有名な某お役所に勤めていた経験があったりするのですが、この881374といういかにも意味不明な数字の羅列は、その当時の激務の日々の思い出にまつわるものであります。(※あまり詮索すると、怖いおじさんたちにしょっぴかれるかも知れませんので、ご注意を!)
それにちなみまして(?)、次回作である長編シリーズ作品としてはこれまた『小説家になろう』初投稿作品となる『人魚の声が聞こえない』は、古今東西すべてのミステリィ小説における『日本の警察機構』のあきれ果てるほどの事実無根さに鋭くメスを入れる、アンチミステリィの最高傑作にして、平成最大の奇書となる予定です。乞う御期待!