Ⅶ 提案
「…い…おい…こら、起きろ!」
お兄ちゃんが私の肩を揺さ振りながら何度も呼ぶ声で、私の意識はようやく目を覚ます。
「んー…」
なんだか寝た気がしない。
きっと、あんな「夢」を見たからだ。
「起きろ、朝だぞ」
そう言われてぺちぺちと軽く頬を叩かれても、眠いものは眠い。
「あと三十分…」
欲を言うならあと三時間位は寝ていたい。
「朝飯どーすんだよ。ほら、寝ぐずってないで起きろ」
「うー…んー…」
私は半ば寝たまま会話ができる。
それを知っているお兄ちゃんは、私を起こす時に手加減はしない。
「だから寝るなって…」
お兄ちゃんの手が布団にかかる。
「言ってるだ、ろ!」
ばさり、と力づくで布団が剥ぎ取られ、温もりと安心を失った私は反射的に小さくうずくまった。
「さむ…おふとんかえして…」
「起きろ」
「おふ…」
「起きろ。マジで怒るぞ」
お兄ちゃんの声が本気モードに切り替わったのを察し、仕方なく私はベッドの上で身を起こす。
「ふぁ…ぁ、おはよー…」
いまだ覚醒しきらない頭をゆらゆらと揺らしながら、重たい目蓋をこすって強引に開く。
「よし、起きたか」
もう、お兄ちゃんの声にさっきのような鋭さはない。
「…御起床致して御座候」
「ん、頭も働いてきたみたいだな」
私がぼーっする頭で変な言い回しをすると、お兄ちゃんは微かに笑って私の頬を優しく撫でた。
「やめてくすぐったいー」
首をすくめて逃げる私を見下ろして、お兄ちゃんは改めて言う。
「おはよう」
最大級の慈しみを込めた、優しく響く言葉。
私があの「夢」を見た翌朝、お兄ちゃんは必ずこうやって私を慰めてくれる。
「今日はちょっと休んでいくか?」
普段は予定が狂うことを嫌うお兄ちゃんも、私がどんな「夢」を見たのかを知っているから先を急かすようなことはしない。
「この辺りに有名な湯治場があるらしいからさ、温泉にでも浸かって嫌なこと忘れてこいよ」
その間に俺は『診療所』で診てもらうから。そう続けたお兄ちゃんを見上げると、わずかに右目の色が薄くなっているような気がする。
紫水晶は直射日光に弱い。
「っ、ごめん!気付かなくて…ちゃんと見えてた?」
私はおそるおそる手を伸ばしてお兄ちゃんの右頬へ触れた。
「…ん、見えづらいとか、そういう自覚症状はなかったな」
「でも…」
お兄ちゃんは片目しか見えない。その大事な目に何かあったら大変だ。
「大丈夫だよ。左目があればお前のことは分かるし、お前を通して世界も見える」
お兄ちゃんはさらりと前髪を掻き上げて左目を示す。
「やっぱり、不便…?」
当然、隻眼では視野が狭くなる。
けれどお兄ちゃんは頬にあてがわれたままの私の手を握って、ゆっくりと言い聞かせるように言った。
「さっきも言っただろ?これのおかげで俺はお前と深く繋がっていられるし、多分そうするためには必要な代償だったんだよ」
一般的に『核』は外見からはすぐに分からない場所、うなじや背中、胸、腹部に納められていることが多い。
頭部だと『診察』の際にいちいち頭を開く必要があるので、よほどの思い入れがない限りは避けるのが無難だ。
お兄ちゃんは『核』が眼球なことと、見える片目に陽の光で退色しやすい安価な宝石を使っているせいで、ちょっとした『診察』でも頭を開くことになる。
だから、『診察』してくれる『人形師』によっては露骨に嫌な顔をする人もいたりするけど、お兄ちゃんは「その分、お前の記憶とか感情が鮮明に分かっていい」と言って気にする様子はない。
けれどいくらお兄ちゃんが良くても、最終的に『人形師』にすべてを任せるのは私なのだ。
『診察』の間はどうしても強制スリープさせる必要があるので、お兄ちゃんには意識がない。
だから『診察』には常に不安が付きまとう。
その間に何かされたらと考えるとキリがないのは分かっているし、『人形師』の資格がある人は人間心理にも通じているというから、私の心配を察して安心するような言葉を投げかけてくれる優しい『人形師』もいない訳じゃないけど、結局は信頼関係なのだ。納得して委ねるしかない。
「じゃあ、お兄ちゃんが『診療所』で『診察』してる間、私は温泉に行ってくるよ」
「よし、決定だな」
いい『人形師』だといいな、と思いながら、私達は『診療所』へ向かった。