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Amnesia Doll  作者: 黒宮杳騏
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ⅩⅤ 悪夢の走馬灯

「あなたなら愛せるのにね」


私がまだ『お兄ちゃん』に馴染めずにいた頃、そう言ってしまったことは今でも鮮明に覚えている。

抱きついた『お兄ちゃん』の首筋から匂い立つ、何だか懐かしいような香りを嗅ぐたび、私はこの言葉を思い出す。

優しい花のような、温もりに満ちた森のような、不思議な香り。

世間では簡潔に「ウッディフローラル」と一言で表してしまうのかも知れないけれど、私にとってのそれは他でもない『お兄ちゃんの匂い』だった。


私の所に『お兄ちゃん』が来てから、もう随分長い時間が経った。

それはつまり、私が壊れてからの歴史だ。

壊れた私の心を「常人」のそれに近付けるために与えられた『人形』、それが『お兄ちゃん』だ。


切り離された「自分」の「複製品」、『人形』は『マスター』の精神崩壊を防ぐための『精神安定剤』でもある。


もう『人形』では手遅れな人達は『収容所』に入れられ、それ相応の対処が個別になされる。

私はかろうじて『収容所』行きを免れたギリギリの人間で、最初は『お兄ちゃん』にも警戒心を抱いて心を閉ざしていた。

けれど、『お兄ちゃん』は「絶対にお前を裏切らないし、傷付けたりもしない」と約束して、少しずつ私の警戒心を溶かし、最終的には『お兄ちゃん』にべったり甘えるほどの現状に至っている。


私が壊れた理由なんて、どれだけ話しても無意味だ。

だって、もう諦めてしまっているから。

だから私は何も言わない。

ただ、すべてを「知っている」『お兄ちゃん』から与えられる優しさを享受するだけ。

それだけでは何の変化も期待できないと知っていながら、私はただ惰性で甘える日々を送っていた。


月日が流れ私が成長し、少しずつ、でも確実に『お兄ちゃん』との年齢差が縮まるにつれて、このままではいけない、と思い切って旅に出ることを決めた。

『お兄ちゃん』に反対されるのは分かっていたけど、いつかは自分から動かなければならない。

それなら早い方がいいと思ってのことだった。

案の定、『お兄ちゃん』には猛反対されたけど、私が無理矢理押し切った。

だから、最終的にはこうして『試練』を受けている。


それは、『試練』なんて表現が妥当なのか分からない体験だった。

まず、カチューシャに良く似たヘッドギアを装着させられて、それから繭の様な形状のポッドに入れられ、最後に目隠しをされる。

ヘッドギアが直接脳に電磁波を送る事で記憶にアクセスし、同時に視覚と聴覚を騙して、よりリアルに記憶を呼び起こすのだと説明を受けた。

難しくてよく分からない部分もあったが、大まかに言うとそういう仕組みらしい。

実際、機械によって走馬灯のように目まぐるしく変わる情景は、微に入り細に入り執拗に、私の過去の記憶を巡り続けた。

それらはすべて積み重なって、結果私の心を壊した出来事達だ。

目をつぶって耳を塞いで今すぐここから逃げ出したいのに、私を閉じ込めた装置は機械的に淡々と忘れていた記憶まで掘り返してそれを私に流し込み続けた。

私は翻弄される様に心を侵されて、声にならない悲鳴を上げる。

黒い目隠しは私の涙を吸い込み、両手両足の拘束は泣き喚く私の声に混じってガチャガチャと耳障りな音を立てながら、決して逃げる事を許さない。


「助けて…助けて、『お兄ちゃん』…!」


やはり私は、『試練』に勝てない弱い人間なのだろうか。

この場で口にしてはいけない、助けを求めてはいけない『人形(存在)』を呼んでしまった。

私は、過去の痛みに打ち勝って、『人形(お兄ちゃん)』を解放しなければいけないのに。

例えそれが、『お兄ちゃん』との別離になるとしても。

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