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Amnesia Doll  作者: 黒宮杳騏
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ⅩⅠ 賢者

薄暗い森の中、獣道とも言えそうな悪路をひたすらに歩いていると、不意にそれまで続いていた木々が段々と密度を落とし、遠く光の射す前方に小さな建物が見えた。

「お兄ちゃん!あれ見て!」

思わず大きな声で叫んでしまい、それに驚いたのだろう小鳥達が慌しく飛び立つ音がしたけれど、私はそんなことおかまいなしにお兄ちゃんの腕を引っ張った。

「狩猟小屋にしてはデカイな…」

「きっと『賢者』の住む家だよ!」

『森の賢者』とも呼ばれるコッペリウスさんは、『人形(ペア)』を『人間』に変えることが出来るという。

喜びのあまりスキップでもしそうな勢いで駆け出そうとする私の腕をお兄ちゃんが冷静に引き留めた。

「ちょっと待て、落ち着け。本当にコッペリウスの家か分からないだろ。ただの(きこり)の家かも知れないし。きちんと確かめてから行け」

「そっか…じゃあ、大人しく訪ねてみよう」

「それが無難だな」

一度深呼吸をして気持ちを落ち着かせてから、私達は小さな家へ向かって歩きだした。


「近くで見ると思ったより大きいね」

「あぁ…誰かが住んでるのは間違いなさそうだな」

ぼんやりと家を見上げる私とは対称的に、お兄ちゃんは周囲を注意深く観察してからそう言った。

「誰か住んでるってことは、やっぱり『森の賢者』だよ!」

「そこまでは分からない。でも、家の周りの草が綺麗に刈られて手入れされてるところを見ると、通って来てるというよりは、やっぱり誰か住んでるんだろうな」

その時、ぎい、とかすかに軋んだ音を立てて扉が開かれた。

「おや、これは…お客様かな?」

中から出てきたのは壮年の男性で、私は慌てて頭を下げて自己紹介する。

「あっ、あのっ…私、この森に住む『賢者』さんに会いに来た者ですっ。あなたが『賢者』さん…えっと、コッペリウスさんですかっ?」

「はい、コッペリウスは私です。『賢者』と呼ばれる程のことは何もしていないのですが、外の人にはそう呼ばれているようですね」

物腰柔らかに微笑んだコッペリウスさんは、「私を訪ねて下さる方は久し振りです」と続け、大きく扉を開いた。

「さぁ、どうぞ。せっかくのお客様ですから、きちんとおもてなししなくては」


外観から想像していたよりもずっと広い室内で、ふかふかのソファーにお兄ちゃんと並んで腰掛け、どこか落ち着かない気持ちのまま出された紅茶を頂く。

緊張と不安と期待がごちゃ混ぜになった複雑な心境を汲み取ったのか、お兄ちゃんが「落ち着け、お前一人じゃない。俺がいる」と囁くように言うと、ぽんぽんと軽く頭を撫でてから手を握ってくれた。

そのお兄ちゃんの言動と手袋を見て、すべてを察したようにコッペリウスさんはテーブルの向こう側で微笑んだ。

「彼を『人間』にしたいのですか?」

「は、はいっ」

緊張のあまりひっくり返りそうになる声をなんとか宥めて返答する。

「そんなに緊張しなくても大丈夫ですよ。取って食べたりはしませんから」

おかしげに小さく笑うコッペリウスさんに、顔が赤くなってしまう。

「す、すみません…」

私が消え入りそうな声で謝ると、コッペリウスさんは「いいんですよ。私を訪ねて下さる皆さんは、たいてい貴女と同じように緊張なさっていましたから」と大して気にする様子もなく言った。

それから、ふっと表情から笑みを消したかと思うと、単刀直入にこう続けた。

「彼を『人間』にするためには、貴女が試練を乗り越えなければいけません。その覚悟はおありですか?」

そう問いかけるコッペリウスさんの漆黒の双眸に、どこか無機質で事務的な冷たささえ感じた私は、かろうじて身震いはしなかったものの、ほんの一瞬言葉に詰まった。

「…だいじょうぶ、です」

慎重に答えようと、カタコトめいたゆっくりさで一音一音を発する。

コッペリウスさんは、そんな私をじっくりと観察するように見つめ、やがてにっこりと微笑んで立ち上がった。

「いいでしょう。貴女にはそれだけの覚悟がおありのようだ。」

そう言って本棚へ近付くと一冊の本を抜き出し、それをテーブルの上へ広げて置いた。

「…これは?」

「誓約書です。試練を受けるにあたっての注意事項などが書いてあります」

「注意事項、ですか?」

「免責事項とでも言いますか…もし『ペア』を『人間』にすることができなかった場合でも責任は負わないだとか、そういったことです」

「なんだか『お役所』みたいですね」

わたしの言葉に曖昧な笑みを返すと、コッペリウスさんは署名欄を指した。

「こちらにサインをお願いします」

「分かりました」

一応、誓約書の内容を斜め読みしてから自分の名前を書き込む。

「…書けました」

書き終わった誓約書をコッペリウスさんに渡すと、彼は私の署名に僅かに目を細めて「ありがとうございます」と言ってその本を閉じると、再び本棚へ戻した。

「さて、では早速行きましょうか」

「行くって、どこへですか?」

私の質問に対し、真っ白く塗られた扉を開きながらコッペリウスさんが答えた。

「試練に、ですよ。あぁ、『ペア』の彼はここで待っていて下さい。これは彼女が一人で受けるべき試練なので」

「…じゃあ、行ってくるね」

ゆっくりとソファーから立ち上がった私の手が、お兄ちゃんに掴まれる。

「手、冷たくなってるぞ」

「え?うん…」

「それに震えてる…大丈夫か?」ソファーから私を見上げるお兄ちゃんは、険しい顔をして私を引き留めた。

「大丈夫…大丈夫だよ、お兄ちゃん。心配してくれてありがとう」

もう、お兄ちゃんを『お兄ちゃん』と呼ぶことはないかも知れない。

「ここで待っててね、お兄ちゃん。…また後で」

別れ際、お兄ちゃんが悲しそうな顔をした気がしたけれど、もう一度振り返って確かめる間もなく、無情にも扉は静かな音を立てて閉まった。


ようやく、私の試練が始まる。

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