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 ゆらゆらと焚き火が揺れる。

 獣よけや、食事の準備、季節によっては凍える体に暖を取るため。

 そして人が本能的に恐れる闇から、彼ら旅人の心を守るため。

 文明に遠い夜の森と比べると、その火はちっぽけであったが、それでも疲れきった旅人を優しく守ってくれた。

 凶悪な獣を遠ざけ、汗で冷えた体温を戻し、未知の巣窟である闇を祓ってくれたのだ。

 それなのに、焚き火を囲む三人の顔は明るくない。

 エルフの少女は目の端に涙を溜めて手の中、先程まで肉の刺さっていたはずの空の木の枝を見つめている。

 ドワーフは彼女と目を合わせないように逸らし、青年もそれに倣った。


――火の周りに立てられた最後の枝。炙った干し肉が一切れ刺さったそれを青年が掴み、口元に運ぼうとするのだが。


「うっ、ぅぅぅー、一切れじゃ足りないよぅ、ひもじぃよー。――なんで食糧を一纏めにしておいたのよー、ばかぁー」


 誰に対しての愚痴なのか。

 か細い声と一緒についに大粒の雫が溢れだす。

 食糧の入った荷袋を背負っていたのはエミリオだ。

 逃げ切るために少しでも身を軽くしなければならず、放棄したことはやむをえなかった。

 だがみっともないくらいに号泣する少女に正論を吐けるはずもなく、そっと焼けた肉を差し出す。

 泣きながら申し訳なさそうに、だが固辞することはなく、セラフィマはしっかり香ばしくなった肉を咀嚼する。

 荷物を種類によって分けるよう提案した本人であるゴズーは、自分の分が焼けたらさっさと短い食事を終わらせていた。

 幼少の頃からの付き合いの少女が泣き止んでくれればと、エミリオは己の腹から響く合唱を無視する。

 昼から数えて、計二食、抜いているのだ。

 なりふり構わずに走ったため道を外れ、重なった枝に空が遮られ、方角すら判断がつかない。

 このままいけば、明日も食事抜きが続く。

 ゴズーの荷袋に残っていた僅かな携帯食も今ので最後。

 先行きには不安しかない。


「のう、セラフィマ。お前、エルフじゃろ、茸や野草なんかの知識はないのか?」


 ゴズーの問いに、心なしか垂れた長耳で、セラフィマは首を振る。

 返ってくる答えはわかっていた。

 ゴズーはそれを理解して尋ねたのだろう。大して落胆はしていないようだ。

 このままここが旅の終着点になる可能性も無きにしもあらず。

 三人は何も言わず、しばらくじっと燃える火を見つめていた。

 そして、それぞれ木などに背を持たれ、交代で仮眠を取る準備を始めた。

 夜の森は人には危険過ぎる。

 明日も苛酷な森を行くことになるのだ、少しでも体力を回復させなければ。

 ようやく長かった一日が終わる。

 三人に弛緩した空気が流れた。


――だからその気配に反応するのが大分遅れてしまう。


 草むらから音がした。

 飛び出したのは最近見慣れた白い鬣の丸い猫の顔。

 最初に仮眠をとるはずだったエルフとドワーフは顔を青くして跳ね起きる。

 

「やあ、またあったね。君はどうしたのかな? 僕たちはこれから眠るところなんだけど」

 

 エミリオが呑気にも話しかけるのだが、とくに反応することもなく、白猫は焚き火に近づいていく。


「っち、次はどこからなの! 上等よ、いくら温厚なエルフでも、そろそろ我慢の限界よ!

こうなったら蜂だろうが、熊だろうが、皮を剥いで、私の可哀想な胃袋に放り込んでやるわ!」


「おお、神よ! われらに、困難に立ち向かう力、もしくは死の直前、生きたまま食い殺される痛みをやわらげたまえ――ううぅ、熊さんや、わしは見た目通り、歳はくっておるし、肉は固いし、美味しくなんかないぞぅ」


 残った二人は、白猫の出現と同時、周囲の警戒に最大限尽くす。

 蜂の群れは数が多く、剣では対処できなかったが、三人が的確に連携を取れさえすれば、一つ目熊ならばどうにか出来る。

 それが不意打ちであったり、疲労困憊であったり、閉じた足場の少ない森の中でさえなければ。

――つまり、状況を冷静に判断できる心持ちではなく、恐慌を引き起こしているドワーフとエルフでは戦況は危うかったりする。 

 エルフは細長い耳を上下に揺らし、落ち着きなく周囲に切っ先を向ける。

 ドワーフはエルフと背中合わせになって、これまた必要以上の力で戦槌を握りこんだ。

 

 だが、白猫に凶暴な連れはいないらしく、ドワーフとエルフの醜態を確認すると『ナァーーーフ』と馬鹿にしたような長い鳴き声を漏らす。

 それを聴いてようやく二人は緊張を解いてそこに崩れ落ちた。

 そんな二人に首を傾げたエミリオは、すぐに注意を戻し、猫の頭を撫でようと、手を伸ばしていた。

 彼に落ち度がないのは理解できる。

 加えて、彼がエルフ達よりも冷静な性質であるわけでなく、ただ状況の変化に対して鈍いことも。

 だけど、ここまで自分たちがみっともなく取り乱しているのに、そう平静でいられると、釈然としないものがあった。


「ナァ!」


 なので、彼が伸した手を、猫が払い落とした時には少し胸がすく思いだった。

 


 



 突然の珍客の訪れになけなしの体力をごっそりと持って行かれたエルフとドワーフ、そしてどうにかこうにか白猫と遊ぼうとするが、袖にされたエミリオ。

 彼らはしばし呆けたように何をするでもなし、焚き火と白猫を眺めていた。


 そんな三人の視線を気にすることなく、白猫は温度を確かめるよう、前足の肉球を火にかざした。

 野生の獣ならば火を忌避しそうなものなのだが、特に怯えもせず、再び、草むらに飛び込んで消えた。

 今度はそう時も経たないうちに、魚を咥えて戻ってくる。

 そして白猫の背、丸められた長い尾には蜂の巣が器用に引っ掛けられていた。

 白猫は地面に巣と魚を下ろすと、先ほどセラフィマが捨てた枝の端を咥えた。

 そして、これまた器用に前足で抑えた魚の口に刺し込んでいく。


 六角形の巣から漂う蜜の香りに空腹をやられたセラフィマが、焦点の合わぬ目つきで尋ねた。


「――ねえ、魚を焼いているように見えるのだけど、あれって何をしているのかしら?」


 魚の刺さった枝を咥え、焚き火の近く地面に立てた白猫を見て、目をこすりドワーフが答える。


「――ふむ、わしの目にもそのように写っているのだが、猫が焼き魚を作るなどそんな馬鹿なことがあるはずもない。今日は精神的にも肉体的にも疲弊しきっておる。いたずらな妖精につけこまれることもあろう。明日のこともある、さっさと寝て、少しでも体調を整えねば持たなくなるぞ」


 白猫は木の根に肩肘を持たれかけ横になると、腹の前に置いた巣を爪でほじくる。

 そして、蜜のついた幼虫を小さな口の中に放り込んでいく。


「ふぅ、厄介な幻覚ね。蜜に混ざって、皮が焼ける香ばしい匂いまでしてきたわ。本当、こんな幻を浮かべるなんて、妖精ってやつは根性が腐っているわ!」


 精霊や妖精と生きる森の人としては、いささかどうなのかと思う発言は、先程から鳴り止まない腹の音に掻き消される。


「――でもちょっと待って。魚を焼いているのは幻だとしても、よ。さんざん私達を追い回してくれた翡翠蜂の巣まで幻ってことはないでしょう。だって、調理されていないわけだし、甘い匂いがするし」


 セラフィマは目を細め、じっと猫を見つめる。

 白猫は爪についた蜂の蜜を丁寧に舐めとっていた。


「そういえば、この猫は私達を囮にして、この蜂の巣を手に入れたわけよね。そうなると、分前を寄越すのは人として常識でしょう?」

 

 そう問いかける相手は声の向きを考えると、エミリオではなく、ゴズーでもない。

 白猫がエルフの視線に気づき、一人と一匹が見つめ合う。


――セラフィマの白く細い手が、熟練のスリのごとく動いた。


「フナァ!」


 いきなりのことに愕然とする白猫。


「うーん、とっても甘いわ! 村の養蜂のものとは比べ物にならない。それでいてしつこくなくて、いくらでも舐めていられそう――って痛い! もう少し食べたら返すわよ。おとなしくしていなさい」


 悲痛な鳴き声で我が子を取られた母のように、白猫は必死で取り返そうとする。 

 セラフィマの服に爪を立てよじ登り、彼女の手から奪い返すと、巣を咥え、距離を取る。

 巣を後ろに置き、耳を後ろ気味に立て、唸るように威嚇をする。


 再び見つめ合う一人と一匹。

 今度は一触即発といった空気。

 それを破ったのは呆れたようにエルフを窘めるドワーフだった。


「まったく、セラフィマよ。嫁入り前の身で、そのような卑しい態度。おぬしは女として恥ずかしくないのか? それで、よくわしのことを下品などといったものだ。――ふむ、幻の割にしっかりと火が通っているのう。脂も乗っている。惜しむらくは、塩がないことか」


「――フナァ!」


 説教をするゴズーのその手の中、香ばしく焼けた魚に愕然とする白猫。

 白猫は飛ぶように、焼き魚を齧る盗人に突っ込む。

 大した抵抗もなくドワーフから魚を奪い返すと、先ほどの場所に戻ってきた。



「――フナァアァ!」


――今度は、蜂の巣が消えている。


「私、幼虫って食べたことがないのよね。でも何事も経験って言うし、よーし!」


 白猫は激怒し、エルフに飛びかかる。


――その背中、また魚に伸びる太い丸太のような腕に気づくことはない。



 ちなみに、焚き火の番をしているエミリオはそれらをただ傍観する。

 青年の目の中には、餌を取られた可哀想な白猫が。


――そして、小さな獣の食事を卑しく奪う、人の尊厳を捨ててしまった旅の仲間が写っていた。


 貧すれば鈍する。

 青年の瞳から涙は溢れなかったが、彼の腹が小さく鳴いた。



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