8.養護教諭の場合
養護教諭の若苗 拓巳視点です。
黒いです。丁寧な言動は猫かぶってらしい。どうしてこうなった。
胡散臭い。
水無月 紫に対して感じた印象はそれだった。
自分が抱えている心的外傷は自覚している。
弟を溺愛する母親に愛されなかったことだ。
その理由は簡単。
父との仲がうまくいっていない状態で、母親にそっくりな弟と、父親にそっくりな俺。俺を疎んじて弟を溺愛する理由は分かる。
とはいえ、ガキの頃の母親の存在は大きい。
精神的にも、肉体的にも。
父親は他所に女を作って殆ど帰ってこなかったから、余計に。
殴る蹴るの虐待こそ受けなかったが、食事に差をつけられたのは痛かったが、学校給食のおかげてかなり助かった。まあ、差をつけられただけで食べ物がもらえるだけマシだったんだが。
流石に焦ったのは、母の実家に遊びに行ったときか。
かなりの田舎で、俺は弟と一緒に外に遊びに行った。田んぼとか畑とか、ちょっと裏手にいくと山があったりして、物珍しかったんだ。
舗装されていない道を歩きなれていないから、弟が転びそうになったのは当然だったろう。俺だっていつ転んでもおかしくは無かったしな。
反射的に弟を助けようとして、俺が転んだ。
なんというお約束だ。
転んだだけならともかく、崖から落ちるなんて出来すぎだろう。
崖、と言っても子供視点から見ると崖に見えるというだけで、実際の高さはそんなにない。
運悪く落ちたときに足を怪我したりしなければ、子供だってなんとか上れただろう。
その程度の高さだったから、弟に人を呼んできてもらえば問題ないだろう、と判断した。
普通なら、その判断は間違っていないと思う。
普通じゃないのは、そこに駆けつけた母親の判断だろう。
まさか、俺が弟を突き落とそうとして失敗して自分が落ちたと判断するとは思わなかった。弟が違うと言っても聞き耳持たず、俺を一方的に責めたてて放置して弟を連れて帰るとは……完全に、予想外だった。
幸い、夕方になっても帰らない俺を心配した祖父母が、母に口止めされていた弟から事の経緯を聞きだして迎えに来てくれたんで助かったんだが。
おかげで、置いていかれる事に対しても、心的外傷が出来た。
俺が母親に愛されなかったのは、俺の所為ではない。
それは分かっている。
分かってはいるが、自分の根底にある自己否定と自己卑下がなかなか消えない。
だが、消えないと諦めるつもりはない。どんなに時間がかかっても、なんとかするつもりだ。
そんな心的外傷を、会って間もない女子生徒に指摘されるとは思わなかった。
あからさまに言われた訳ではないが、俺は非常に驚いた。
自慢じゃないが、俺のかぶっている猫はかなりのものだ。
おかげさまで「一緒にいると安心する」とか「ほっとする」とか良く言われる。
少しでも母親に愛されたかったガキの思いついた行動から始まったにしては、随分とたくましい猫に育ったものだと我ながら思う。
母親以外には猫のおかげで好印象をもってもらえるようになったしな。
その猫は強力で、心的外傷なんぞを他人に悟らせるようなことはまずない、筈だった。
それを、ほぼ初対面で見抜かれた。
感じた怒りは、悟られた自分の未熟さに対するものだったのか、それとも水無月に対するものだったのか。
俺は、水無月の情報をそれとなく集めた。
そして胡散臭いという思いは強まった。
水無月に絡む生徒会の面々と、水無月の担任。
彼らは心的外傷もしくはそれほどではないにしても、抱えている悩みや不満を水無月に救われたと思っている。
どう考えてもおかしいだろうが。
そんなものをあっさり見抜き、かつ解消できるのであれば、評判になっている筈だ。
試しに水無月に聞いてみたところ、俺のことだから分かるとぬかしやがっだ。
そんな言葉に騙されると思われているのか。それとも特別扱いに喜ぶと思われたのか。
どうやら水無月は心的外傷のことは分かっても、俺の猫に関しては分からないらしい。それで「先生のことだからです」と良く言えたものだ。
他の連中は、水無月の言動の矛盾やおかしさに気付いていないようだった。もしかしたらあえて気付かないようにしているのかもしれない。人間は自分の都合の良いように物事をとらえ、記憶するものだから。
彼らの水無月に対する態度は見ていて滑稽なものがある。恋人関係を望んでいると口にしているが、どちらかというとあれは依存だろう。自分を救ってくれた相手を手放したくない、という思いと。
俺が心的外傷を自覚して自力で治そうとし、かつ隠そうとしていなければ、ああなっていたかもしれないと思うと、うすら寒くなる。
彼らに指摘しようかとも考えたが、やめた。
どうせライバルを減らそうとしているとしか思われないだろうし、そこまでする義理は無い。
水無月に感謝し、つきまとうふりをしながら観察を続けていた俺は、彼女の様子がおかしくなったことに気付いた。
時期的には、そう。
水無月のクラスに転入生が来てからだ。
他の生徒からの評判はいい。特に女生徒からの評判が良かった。男前らしい。
女子に男前ってなんだと思ったが、情報を仕入れて納得した。確かに非常に男前だ。
生徒会の面々が水無月に夢中になっている所為で、女子からの評判が落ちている。そこへ登場した男前な存在。人気が出るわけだ。性別が女というところに不毛さを感じるが。
男子生徒からも、その転入生-雛月 咲良-は好意的に受け止められていた。女性の人気を集めていることに、嫉妬しているものも一部いるが。
女性らしからぬ言動ではあるが、良く気がつく上にでしゃばらない。周囲を見てのフォローも的確。積極的にリーダーシップを取るつもりはなさそうだが、役付きにした方がいいのではないかと思える人材だ。
そのあたりは担任兼生徒会顧問の竜胆にまかせるが。
しかし、調べても水無月が雛月を警戒する理由が分からない。行き詰っていたところに、水無月が行動を起こした。
雛月が水無月を苛めるとか階段から突き落としたとか訴えてきたが、俺は笑いををこらえるのに少し苦労した。
しかも、雛月が理事長の姪とか初耳なんだが。それを無条件で信じるとか、ありえないだろう。
なんでこんな稚拙な説明や、泣き落としにひっかかるんだ、あの連中は。
生徒会の面々は学生だから大目に見るとして。
竜胆……お前はれっきとした大人で、しかも担任だろう。受け持ちのクラスのことをもう少し把握しておけ。確かに生徒は教師に対して隠し事をするものだし、うまくやる連中であれば、いじめだってうまく隠すだろう。だが、人間のやることに完璧なことなんてまずない。
しかも、理事長の姪という立場を利用して……というような性格であれば、生徒だけではなく、教師に対してもそのような態度をとるだろう。
しかし、教師からも他の生徒からも雛月が理事長の姪だという話は一切聞かなかった。
水無月が勝手に言っているのか。
それとも別の情報を握っているのか。
もしかしたら、俺達の心的外傷も、気付いたのではなく知っていたのかもしれない。
俺は内心、溜息を吐いた。
随分と馬鹿なことを考えている。
そんな情報を知りえるところが、どこにあるというんだ。
とりあえず、俺は水無月の申し立てについて、否定も肯定もしなかった。勿論、保険の為にやんわりときちんと調べた方がいいとは言っておいたが。
そして、現在雛月を目の当たりにして思う。やはり見ると聞くとは大違いだと。
これは男前とかいうレベルじゃないだろう。
生徒会役員に、担任の教師。そんな彼らに責めたてられているというのに、怯えた様子もなければ、萎縮している様子も無い。流石に怒りは覚えているようだが、激昂せずに感情をコントロールしているように見える。
女子高生とは思えない態度だ。
生徒会長から順々に撃破していく様子は中々見ていて楽しいものがある。
「しいて言えば、ここに呼び出されて結構経つからな。椅子とお茶とついでに饅頭が怖い」
皆が黙った。
ここで笑いをとる方向に動くとは思わなかった。実に予想外で面白い。
声を上げて笑う俺を、雛月が見た。
「私はトラウマを抱えていたんですが、紫に救われたんです」
本当は救われてなどいないんだがな。
内心の思いを出さずに言った俺に、雛月は当然のことを聞いてきた。
学校内でカウンセリングを非公式に受け持つ教師のトラウマにあっさり気付き、解消するとは中々できることではないのではないか、と。
全くもってその通りだ。
「紫は私のことだから分かるのだと言っていました。他の誰でもない、私のことだから、と」
水無月が俺に対して告げた嘘くさい台詞。
「でも貴方の言うとおり、確かにおかしいんです。私を含めてここにる皆は紫に救われました。その時点で彼女の言う私のことだから、というのは私達のことだから、という意味になります」
俺は少し悲しげな表情を作って言った。これでも色々悩み相談を受けているので、人を見る目はある程度あるのだと。
「だから、紫が貴方に苛められ、怪我をさせられたということが嘘だと気づきました。気付いた上で、私は騙されようと思ったんです。理事長の姪を無実の罪で処罰しようとすれば、私達は何らかの罰を受けるでしょう。その時に紫がどのような反応をするのか、確かめたかったんです」
「紫が貴方に突き落とされたという階段はにはカメラがありますから、真偽はすぐに分かります」
他の皆が気付かなかったことを口にすると、雛月の顔が少しひきつった。おそらく腹黒いとか考えているんだろうと思うと何故か少し楽しくなった。
「彼女が何故貴方を陥れようとしたのかは分かりませんが、濡れ衣を着せて私達を動かそうとしたことは事実です」
俺の言葉に、雛月が少し考え込むそぶりを見せた。
「一人の女に複数の男が入れあげた挙句、調べもしないでその女の証言だけで他生徒を処罰したとなれば、罰を受けて当然。そんなことも分からない程に愚かなのか、それとも罰を受けさせることが目的なのか。自分もただではすまないだろうに、道連れにする気だったのか」
ああ、その発想はなかった。
俺達に罪を犯させるのが目的。
確かに選択肢としては上げられるが、おそらく違うだろう。
そこまで恨まれるようなことをした覚えはない。しかも、俺だけならいざ知らず、この人数だ。
生徒会の人間と、その顧問であればまだ生徒会に恨みとも考えられるが、俺が入る理由が無い。
正直なところ、水無月が絡まなければ殆ど接点がなかった連中だ。
「愚かなんだと思う」
竜胆の言葉は意外だった。
あんなに入れあげていた水無月に対して容赦ない言葉。
いや、そうでもないのか。
真赭に対する言葉は殆ど竜胆に対する言葉でもあった。それで目が覚めたんだろう。
「紫の嘘がばれて私達が処罰を受けることになったと言えば、きっと色々と喋ってくれるでしょう。紫の所為でクビ……自主退職になりそうだと言ったら、どんな反応をするんでしょうね」
そう告げながら、俺は自分で内心溜息を吐いた。
今回の事に関する思考の根底に、心的外傷が影響していることに気付いたからだ。
いくら水無月の言葉を肯定せず、この吊るし上げの場で雛月を責めることをしなかったとしても。同席し、雛月を擁護しなかった時点で俺は同罪だ。
雛月が水に流すと言ってくれたおかげで助かったが、クビの危険性はあった。
女子生徒に血迷って愚かな行動してクビにるような男が兄では、弟の評判も下がるだろう。それを知った母はどんな顔をするのか。
情けないことに、そんな昏い思いがあったことに、今の今まで自分でも気付かなかった。とっととこの心的外傷を解消しなければ、今後の人生に悪影響がでそうだ。
目の前で水無月が泣きじゃくっている。
乙女ゲー云々に関しては、真偽を確かめる術は無い。
分かるのは、水無月がそれを真実と思っていることくらいだ。
妄想にしては俺達に関する情報が高すぎるが、俺がかぶっている猫に関しては一言もなかったことから、その情報とやらの精度も完全ではないのだろう。
俺はちらりと雛月を見遣った。
乙女ゲーに関する言動に対しての、彼女の反応が気になったからだ。
やっぱり、というような表情。
おそらく、彼女も何かしらの情報を持っているのだろう。
水無月と違ってその情報を元に行動している様子はなかったが。
今回皆を撃破していたが、彼らの話を聞いてから色々と言っていた。情報として知っていても利用するつもりはないのか。それとも自分が生きている以上別物だと割り切っているのか。
そのあたりも含めて、色々と聞いてみるか。同じ情報を持っているのであれば、俺の心的外傷も知っている筈だ。どこまでの情報なのか確認したい。
それに、今までにいないタイプということもあるが、雛月は面白い。俺を腹黒認定しているようだが、丁寧な口調や柔らかい物腰が、俺がかぶっている猫によるものだとは気付いていない。
雛月を責めることこそしなかったが、連中を止められなかったと謝罪して。そこから距離をつめるか。
ああ、楽しみだ。
俺はひそかに笑みを浮かべた。
そういえば、楽しみだとか楽しいとか思ったのは、随分久しぶりだ。
心的外傷解消を目指していたが、俺も随分と余裕がなくなっていたらしい。それに気付かせてくれた雛月には感謝だな。
俺はこれからどうやって雛月と親しくなるか、じっくりと考えることにした。
養護教諭 若苗 拓巳
ゲーム:丁寧な言動と柔らかな物腰。大抵笑みを浮かべており、どこかおっとりとした雰囲気の癒し系キャラ。
母親に愛されなかったことに起因する自己否定が強い。拒絶されることを恐れ、嫌われにくそうな存在になろうと努力した結果が癒し系キャラだった。
そんな彼を肯定し、癒してくれた主人公に思いを寄せるようになる。
間違っても腹黒でもなければ、猫かぶりでもない。
髪の毛はやわらかい黄緑色。
現実:抱えているトラウマと、原因は同じ。自分で治そうとしてなかなか克服できないでいる自分に苛立ちを覚えている。そんなトラウマを指摘してきた水無月に対して良い感情を持っていない。何故指摘できたのか探る為に、感謝しているふりをして、他の皆とおなじような態度をとっていた。
現在、他の皆を軽くあしらった雛月に興味津々。ターゲットロックオン状態。
咲良ちゃん、逃げてーー。
髪の毛は緑味を若干帯びた黒。
--------------------------------------------------------------
一番謎な進化をとげたキャラです。当初、素で丁寧語なキャラでした。
なのに何故か猫かぶりキャラになってました。結構ガラが悪いと思います。小学校高学年あたりからかぶり始めた猫は、今ではしっかり成長して九尾くらいになってます。
お読み頂き、ありがとうございました。