6.庶務の場合
庶務の濡羽 芳久視点です。
俺は、怖がられる事が多かった。
自分では良く分からないが、威圧感があると言われたし、口数が多くないということも理由の一つのようだ。
言葉というものは、一度口にしたら元には戻せないのだから、気をつけるように、と子供の頃から親に言われていた。不用意に口にした言葉で友達を泣かせて、それを実感した。
だから良く考えてから喋るようになったのだが、弊害があった。
考えているうちに、話が流れてしまうのだ。
話を戻すわけにもいかず、相槌を打つだけ、ということが増えた。
そのうち口数が少ない人という認識となり、話すこと要求されることが少なくなった。そしてますます会話が減り、いつしか無口だの寡黙だの言われるようになった。
成長して体が大きくなると、更に怖がられるようになった。
寂しくないと言えば嘘になる。
けれどそれを周囲に告げることはなかった。
自分の望みを口にするということすら、殆どしなくなっていたのだ。
考えすぎる、と言われればそうなのだろう。
自分のしたいこと、して欲しいことを伝える前に、それを口にすることによって周囲がどう思うか、どのような反応をするのか考えて、結果伝えることをあきらめてしまう。
自分は臆病なだけなのだろう、と思う。
自分の望みを伝え、呆れられたり失望されたりするのが怖いのだ。
怖がられるのは嫌だし、遠巻きにされるのは寂しいが、傷つけて泣かせてしまうよりはましだ。
そう自分に言い聞かせて過ごしてきた。
だから、水無月 紫には驚いた。
当然のように話しかけ、他の人に対するのと同じように俺に接するその姿に、覚えたのは困惑。
次いで感じたのは恐怖だった。
今まで人付き合いをしてこなかったツケなのだろう。
俺は、人との距離のとり方が良く分からなかった。
少し手を伸ばせば触れられる距離にも、向けられる笑顔にも、慣れずに戸惑いと恐怖を覚えたのだ。
いや、違う。
怖かったのは、人の温もりに慣れてしまうこと。
だから水無月から逃げよう、そう思った。
けれど、行動に移せなかった。
俺が怖くない、と笑う彼女の傍にいたかった。一度覚えてしまった温もりを、手放すことはできなかった。こんなに人と関わる事に飢えていたのかと自嘲した。
水無月はあまり喋らない俺を否定しなかった。とりとめのない話を楽しそうにして、それを俺が黙って聞いているだけでも楽しかったと言ってくれた。
そんな彼女と、少しでも近くに、少しでも長く一緒にいたかった。交際を申し込んだ理由はそれ。
自分の感情が愛とか恋とかいうものなのかは分からない。ただ傍に居たかったし、居て欲しかった。
水無月はいつも楽しそうに笑うから、泣いている姿を見て動揺した。
彼女を虐げ、傷をつけたという存在は許せない、そう思った。
けれど、水無月を傷つけた相手、雛月を見て俺は困惑した。
意味も無く他者を傷つけるような人間には見えなかったからだ。
真っ直ぐな姿勢。
凛としたその姿は、何か武術を嗜んでいるのことが分かる。
こちらを見据えるその瞳は、自分がふるう力を自覚し、律することが出来る目だ。
間違っても階段から突き落とすような真似をするとは思えない。だが、水無月が嘘をつく理由も思いつかない。
俺は混乱したまま、雛月達のやりとりを聞いていた。
そして、雛月が嘘を言っていない事を確信した。彼女の言葉は、その立ち振る舞い同様にまっすぐで綺麗だった。それが分かり、俺は気付きたくなかったことに気付いてしまった。
水無月の言葉が、偽りにまみれていたことに。
真実も確かにあった。
俺が怖くない、そう告げた言葉に嘘はなかった。
偽りは、雛月が水無月を傷つけた、ということ。
そして。
水無月が俺達の誰か一人を選ぶ、という約束。
本当はずっと前に気付いていなければいけなかった。
『皆が好き』
その言葉は真実。
『皆が好きだけれど、誰か一人を選べない』
その言葉が、偽り。真実を交えた、嘘。
そして、俺を怖くない、そう言った雛月の言葉も、真実。
俺が雛月の立ち振る舞いからその人柄を判断したように、俺の所作から雛月も判断したのだろう。
皆の前で、水無月は今までの事について色々と話をした。
正直なところ、乙女ゲーというものは良く分からなかったが、おそらく男性向け恋愛ゲームの女性向けのものなんだろう。
ここがゲームの世界で、俺達がその攻略キャラだ、と言われたときには驚いたというよりは、憤りを感じた。
彼女の言葉の真偽を確認する術はない。
分かるのは、彼女が真実そう考えている、ということ。そして彼女の言うゲームの知識が、かなり当てはまるということ。
自分がゲームのキャラクターだと言われて喜べる訳がない。俺は生きて、自分の意思で行動している。
それら全てが他者の考えた設定だと言われて、納得できるか。
目の前で泣いている水無月は、自分の言動の矛盾に気付いているんだうか。
ここがゲームの世界だから、俺達が攻略キャラクターだから、そう言っているが、それが真実だとしたら水無月もゲームのキャラクターだということになる。
ゲームの知識があろうとなかろうと、俺達がキャラクターだというなら彼女も同じ。それなのに、どうして自分は違う、特別なんだと言えるのだろう。
特別な存在などではないというのに。
もしかしたら、水無月が縋れるのは彼女の言うところの前世の記憶と、自分は特別だという思いだけなのかもしれない。
重い記憶に押しつぶされそうな心を、それで支えていたのかもしれない。
だが、それは想像に過ぎないし、もしそうだったとしても彼女が行った行動の免罪符にはならない。
ここがゲームの世界、もしくは類似した世界であろうと。
彼女が特異能力者で普通では分からない事柄を知り、それをゲームだのなんだのと思い込んだととしても。
妄想と現実を混同して喚き散らしているだけだとしても。
理不尽な理由で他者を陥れて良いわけがない。
「泣いている子供を慰めようとして近寄ったら怖がられたってショックうけて、落ち込むようなへたれが怖い訳ないじゃない」
俺を怖くない、という理由を泣きながら叫ぶ水無月。
他にも色々ゲームの知識とやらを披露しているが、その内容はかなり酷い。
誰だって嫌なことや、苦手なことはある。
他の人が平気なことでも、別の人は怖かったりすることも多い。
そんな苦手な事や心に抱えた傷を知っているから、好ましいと思える言動が出来たのだと言う。
だが、その言動の裏で。
俺達を馬鹿にしていたのか。
いや、違う。
見下していたのだろう。
所詮はゲームキャラクターだと。
ちょっとした言動であっさりと自分になびく愚かな輩だと。
俺は勿論、皆の水無月を見る目は、とても冷たい。
それはそうだろう。
ちやほやされることを望み、逆ハーレムとやらを狙っていたというが、俺達に対する好意は、対等なものではなかったのだから。自分達を見下しながら、愛情と奉仕を要求するような相手に好意を抱けるわけがない。
「すまなかった」
俺の謝罪を、雛月はあっさりと受け入れた。
そして、土下座している俺にそこまでする必要はない、と言った。
だが、この程度の謝罪では俺の気がすまない。どうやって償えば良いのかと考える俺に、雛月はどこか呆れたような笑みを浮かべた。
「庶務……濡羽、お前はもう少し喋った方がいい。いきなり土下座されてもこっちは困るんだ」
中々言葉を紡げない俺を、雛月は笑うこともせずにただ次の言葉を促し、待った。
途切れ途切れになんとかあまり喋らなかった理由を告げたが、彼女の表情には軽蔑も失望もなかった。
「確かに言葉は大事だ。大事だからこそ、慎重になるのも頷ける。だが、いや、だからこそ、言葉を惜しむな。言わずとも良いことなどいくらでもあるが、言わなければならないこともあるだろう。それを告げずにすまそうとするのは、怠慢だ」
俺を見つめる真っ直ぐな眼差し。
「有り難う」
俺は、なんとか言葉を発した。
本当は言いたいことはもっと沢山ある。
雛月にとって俺は、証拠もないのに無実の罪で糾弾した相手だ。怒られ、蔑まれ、憎しみを向けられても不思議ではない相手だ。
それだというのに、雛月は俺を思って助言をしてくれたのだ。
真っ直ぐで潔いだけではなく、とても優しい人なのだろう。
「まぁ、すぐにがんがん喋るのは難しいだろうが、お前なら大丈夫だろう」
雛月の言葉に、俺は首を傾げた。
いや、それだけでは駄目だ。きちんと言葉にして伝えなければ。
「何故、そう言いきれる?」
雛月は笑った。
とても優しい笑み。思わず見惚れてしまうような。
「苦言なんぞ余計なお世話だと言われる事が殆どだが、お前は礼を言った。だからだ」
俺はもう一度、礼を言った。
そして、ずうずうしいとは思いながら、喋る練習に付き合って欲しいと頼み込むと、雛月は自分が言ったことだからな、と承諾してくれた。
雛月の優しさに甘えているという自覚はある。
けれど、雛月が羨ましい、そう思ったのだ。
その優しさも、強さも、器の大きさも。
俺は逃げてばかりだった。水無月に縋ったのも、逃げだ。臆病な自分を変えずに、そのまま肯定し、受け入れてもらえると思ったからだ。
水無月の偽りに気付かないようにしていたの、縋る相手を失いたくなかったから。
雛月はそんな俺を怠慢だ、と言った。逃げるな、とその眼差しは言っていた。
喋ることに慎重になったのは、人を傷つけたくなかったからだというのに、結果酷い事をした。俺が臆病にならず、周囲に思いを伝えることをしていれば、あんなふうに水無月に縋ることはなかった。
感じた疑問を、きちんと伝えていれば今回の事は起きなかったかもしれないのだ。
確かに告げた言葉で相手を傷つけてしまうことはある。けれど、伝えないことで相手を傷つけることもある。
それに、言葉は人を傷つけるだけではない。
雛月が、俺を思い遣って言葉をかけてくれたように。
彼女のように、相手を思いやり、支えとなるような言葉を発することが出来るようになりたい。
今は、雛月はただ眩しくてとても遠い。
それでも、少しでも近づきたい。
そして、彼女にもらったもの以上のものを返したい。
感謝と、喜びを。
濡羽 芳久
ゲーム:寡黙キャラ。自分を怖がらない主人公に惹かれる。
台詞は少ないが、その分主人公に優しい行動は多かった。
ルートに入った後の数少ない甘い台詞は非常に糖度が高く、萌えて悶絶する女性多数だったとか。
髪の色は名前通り烏の濡羽色。つまり黒髪。
現実:寡黙というよりへたれで臆病なコミュ障。言葉に込められた感情に敏感で、嘘を見抜くのが得意。
自分を怖がらず傍に居てくれた紫の存在が嬉しかったので、嘘や偽りを無意識に見て見ぬふりをしていた。
紫が怖がらなかった理由が酷いものだったので、紫に対する好感度はほぼ0に。
拙い言葉を辛抱強く聞いてくれた上に、忠告までしてくれた雛月に感謝……というより、雛月を尊敬するようになった。
他の皆と違って、責めることを殆ど言わなかった上に、土下座して謝罪した為、雛月から濡羽に対しての評価はそこまで低くない。だからこその助言だったのだが、それで懐かれる事を想定していなかった雛月は結構うっかりさんだと思われる