エルフさんのだいたいあってる関東戦国講座
この解説は、エルフさんの主観によるもので、超訳、勘違いがあるかもしれませんが、悪しからず
また、固有名詞は意図的に省略していますので、ご了承ください
◆その一 関東
関東の戦国時代を話す前に、まずその前提を話さなきゃならない。
荒次郎、お前が関東って聞いて、どのあたりをイメージする?
おい、なんで栃木抜いてんだよ。違えよ栃木は東北じゃねえよふざけんなよ足利家の本貫地だぞ喧嘩売ってんのか。
まあ、だいたいあってるんだけどね。
現代の関東――戦国時代の地名でいうところの相模・武蔵・安房・上総・下総・常陸・上野・下野。
それにプラスして武田信玄の甲斐。早雲の代での北条の本拠地伊豆。この十ヶ国と、あとは陸奥・出羽が、鎌倉公方の管轄下にある国だ。おい、やっぱり東北も含まれてるんじゃないかとか言うな栃木は東北じゃねえよぶち殺すぞ。
◆その二 鎌倉公方
……鎌倉公方ってのは、室町幕府の関東担当最高責任者みたいなもんだ。
さっき挙げた国々の統治権限を持ってる人な。
独立性が強くて、たとえば各国の守護職にある人間ってのは、基本的に在京する義務があるんだけど、関東の守護たちは、鎌倉公方のいる鎌倉府に出仕してたんだ。
当然、絶大な権力を持つ。
だから鎌倉公方には、成立当初は足利尊氏のほんた――弟や、嫡出の子供たちが選ばれた。
で、二代将軍の同母弟の血筋が鎌倉公方として代々関東に君臨していくわけなんだけど……うまくいかなかった。
尊氏の息子の世代ではうまくいった。
でも孫の世代、ひ孫の世代と、血が遠ざかっていくにつれ、軋轢が生じていく。どこの国にもあることだけどね。
ましてや場所が関東。
中央からの干渉を嫌い、源頼朝を押し立てて独立政権を作りだし、天皇陛下に公然と立ち向かって、しかもこれを打ち負かした坂東武者の巣窟だ。衝突は必然だった。
それでも、しばらくの間は、破局は避けられた。
なぜなら、関東管領、上杉氏が居たから。
◆その三 関東管領
関東管領ってのは、鎌倉公方の補佐役だ。
初期を除いては、上杉家が代々この要職を継いでる。
この上杉の中にもいくつか有力な家があるんだけど、いろいろあって、いまでは山内上杉家が関東管領を世襲するようになってるな。
で、関東管領は鎌倉公方の配下なんだけど、その任命権は、幕府に握られているんだ。
当然、幕府には強く出られない。だから自然と、幕府と鎌倉公方との折衝役みたいな役目を担うようになる。胃痛担当な。
で、いろいろあるうちに、対立軸が移ってくる。
鎌倉公方と関東管領が、しだいに反目しはじめるんだ。
関東管領のほうは、臣下でもあるし、まだしも融和的な態度を崩さなかったんだけど、鎌倉公方は関東管領を排除しようとした。これが、幕府介入の、格好の名分になったんだ。
◆その四 幕府との対立
鎌倉公方に対し、幕府軍が出動する。
先鋒となったのは今川義元の御先祖さまだ。
今川は関東に隣接する駿河国守護で、だからか、関東に事あれば即座に鎮圧できるよう、守護職にあるにもかかわらず、在京義務を免除されているんだ。
で、幕府軍が来るや、いままで鎌倉公方に従っていた関東の国人達が、雪崩をうって幕府側につく。
おかげで鎌倉公方は孤立無援となって、最後には自害する羽目になった。この辺の手のひら返しは国人のお家芸だな。
鎌倉公方が滅ぶのを黙認した関東豪族たちだけど、それでも幕府の介入は嫌った。
鎌倉公方の遺児を担いで蜂起してみたり、遺児の一人を鎌倉公方に、と運動して鎌倉公方を復活させてみたりと、あれこれ必死に関東の独立性を保とうとしている。
で、鎌倉公方になった遺児なんだけど、とーちゃんが死ぬ原因になった関東管領が気に入らない。
元々対立軸はあったけど、幕府が関東管領を通じて関東統治に色気見せ始めたから、余計に邪魔になった。で、攻め殺しちゃう。幕府介入の絶好の口実だ。
あっという間に朝敵認定されて、おまけに今川が飛んで来る。国人は寝返る。
鎌倉は落ちて、鎌倉公方は下総国の古河ってとこに逃げて、ここを本拠地としたんだ。
で、古河にいるのに鎌倉公方っておかしいじゃんってので、古河公方って呼ばれるようになった。
◆その五 鎌倉公方の対立。
古河に逃げた鎌倉公方は、そう簡単にやられなかった。
東関東の有力豪族たちが、古河公方を強力に支えたからね。
これに対抗するために、幕府は新たに鎌倉公方を立てて送りだすんだけど、この人は鎌倉に入れず、上杉氏の守護地、伊豆国の堀越に留め置かれた。だから堀越公方と呼ばれるようになる。
ちなみに、この人の息子を殺して伊豆を手に入れたのが、北条早雲な。
で、関東では幕府の後押しする堀越公方・関東管領と、古河公方が対決する。
関東を東西二つに割った戦いだ。この戦いは三十年に及び、両者は疲弊して、ついに講和を結ぶんだけど、その間に、逆に力をつけたヤツが居た。扇谷上杉だ。
◆その六 扇谷上杉
扇谷上杉は関東管領、山内上杉を宗家とする上杉の諸家で、相模守護に任命されたのをきっかけに、関東管領を助けて古河公方と戦いながらも、相模から武蔵半国――関東管領の支配圏の南半分を支配下に納めてしまった。
それをやったのが、扇谷上杉家の家宰で、かの有名な太田道灌。
足軽による集団戦術を考案し、江戸城を築き、古河公方との戦いで、これでもかってくらい活躍した名将だ。
ちなみに荒次郎、お前の姉婿のとーちゃんでもある。
関東管領が面白くないのは当然で、関東管領は扇谷上杉と対立する。
まず、扇谷上杉の当主に、太田道灌に対する疑いを抱かせ、謀殺させた。
これで扇谷上杉の声望が一気に落ちちゃう。家臣がつぎつぎに離反して力を失ったところで、関東管領は扇谷上杉を攻めた。
◆その七 両上杉の対立
とても勝てない、と判断した扇谷上杉は、仇敵の古河公方と結ぶ。
そしてひとりの名将が送られてきた。
長尾景春。
関東管領山内上杉家の家宰の家に生まれながら、家宰に就けず、これを不満に思い、反乱を起こして猛威をふるい、太田道灌に鎮圧されるまで、関東を引っ掻き廻し続けた人物だ。
うむ。言っててなぜか某軍神様を思い出した。
ちなみに私たちが居るこの時代、越後では軍神様のとーちゃんが関東管領ぶっ殺したりしてがんばってるから。この時代の関東カオスの元凶の一人な。
と、逸れたな。話を戻すよ。
扇谷上杉は、寡勢で関東管領勢を破るような戦いを続けるんだけど、古河公方が手を引くと、しだいに押され始める。
困った扇谷上杉が縋ったのが、対関東戦術兵器今川家の当主、今川氏親(義元の父)と、その義理の叔父。中央の政変に連動して伊豆に討ち入り、堀越公方を殺して伊豆をもぎ取った乱世の梟雄、伊勢宗瑞――北条早雲だ。
◆
と、すこし疲れたな。今日のところは、ここまでにしておくか。
ちなみにこのあと、古河公方も関東管領も内紛状態になって分裂したりしてさらにカオスになるから、これまでの状態を頭の中で整理しといて。
わからないところがあったら言ってくれよ。
私も人にモノを教えるのは得意な方じゃないから、十分じゃないところとかいっぱいあると思うし。
じゃあ、おやすみ、荒次郎。
……なんで戻って来たかって?
追い出されたんだよ。まつに。何やってんですか夫婦なんだから一緒に寝て来なさいって。
仕方ないから、今日ここで寝るから。
襲うなよ! 絶対に襲うなよ! フリじゃないから絶対に襲ってくるなよ! 夜の講義なんてねーよ! 正座してないでとっとと寝ろ! つーかお前、なんで丸太を枕にしてるんだよ雑兵かよ!
ああ、わかったわかった。気に入ったのはわかったから。
でも私は絶対そんなの枕にしないからな。自分の枕使うから――なんでそんな残念そうな顔するんだよ。
まあいい。荒次郎も疲れただろう。
いつ戦になるかわからないんだから寝とけ。
じゃあ、今度こそ本当に、おやすみ、荒次郎。