影武者/政治屋/白頭巾
「エルフさん」
「エルフ言うな。なんだよ」
荒次郎が呼びかけると、金髪の少女は目を眇めて返してきた。
薄暗い寝所。遠くに波の音が聞こえる。
そんな中、向かい合って座る巨漢と美少女和装エルフ。
妙な組み合わせのふたりだが、話題はしごく深刻なものだ。
「現状、詰んでいる。それは分かったが、エルフさんはこれからまず、どうすべきだと考えている?」
「だからエルフ言うなって……私の意見か? できれば降伏したいけどなー。それなら一気に勝ち組だし」
少女の意見は正しい。
北条家は、のちに関東の覇者となるとわかっている。これほど明確な勝ち馬はない。
しかし。
「その口ぶりでは、降伏は望めんか?」
無表情のまま、荒次郎は問う。
「わからない」と少女は首を左右に振った。
「だけど三浦氏は、相模全域に影響力を及ぼす有力豪族だ。それを雪隠詰めにしてるこの状況で、北条早雲が簡単に許すかというと、まあ、見込みはないんじゃないかな? 大森、三浦という大豪族を滅ぼして、相模国衆を直接統治できるようになったことが、のちの北条一族の発展に繋がるわけだし」
「……ふむ。では、逃亡は?」
「逃げ場所は、あるにはある。たとえば私の実家、真里谷武田。あるいはお前の姉婿が当主をやってる江戸太田。それに、血が繋がってる主筋の扇谷上杉。現状なら三崎から船で逃げるのも不可能じゃない。だけど、同族の横須賀氏が裏切ってる以上、江戸湾を渡るにはどうしてもリスクが生じるし――」
「生じるし?」
「……ややこしいからおいおい説明するけど、このあとの関東情勢ってのが、現状に輪をかけて混沌としていくんだよ。三浦にしろ真里谷にしろ、私たちの身は、政治的に利用されざるを得ない。無力な状態で、まな板の上に身を置くってのは、ぞっとしないな。私の場合、貞操の危機再びだし」
「ふむ。では、どうすべきか……」
相槌をうち、考え込む荒次郎。
その様子を見ながら、初音はひとつ、ため息をついた。
「ま、なんにせよ、これからのことを考えるなら、会ってもらわなくちゃならないヤツが居る……気は進まないけど」
最後に、小さくつぶやいてから。
エルフの少女は立ち上がると、荒次郎を部屋の外にいざなった。
外に出ると、どこに控えていたのだろうか。まつがハタハタと近づいてくる。
「お姫さま、いかがでした?」
「まつが期待した用事じゃなかったけど、主さまと仲良くしていたよ」
誰だ、と問いたくなる柔らかな笑顔を浮かべ、エルフの少女は答える。
すると、まつが、こちらも花のような笑顔を浮かべた。
「それはよろしゅうございました」
「ごめん、まつ。ちょっと頼めるかな。大殿に“火急の”御用があるのだけれど」
「わかりました。さきに行って、御機嫌を伺ってまいります」
「……エルフさん、大殿とは?」
とてとてと小走りに行く少女の背を見ながら、荒次郎は問う。
初音は短く答えた。
「三浦道寸」
◆
三浦道寸。
荒次郎の実父。そして三浦一族の先代当主だ。
扇谷上杉家の重臣として、北条早雲と、時に轡を並べ、時に相争い、関東の戦国に名将として名を為した男。
史実において三年にわたる新井城の籠城戦。
三年間、一切の内部崩壊を起こさせず、死闘を続けられたのは、この男の力によるところが大きい。
御殿の奥座敷に向かいながら、初音は三浦道寸に関して、ごく簡単に説明した。
ほの暗い部屋の中、待っていたのは僧形の男だった。
裏頭の隙間から覗く目の淵には、深い皺が刻まれており、しかし瞳は歳不相応につぶらだった。
「“火急の”。と聞いた、であれば――」
よく通る声で、老人は言う。
「ようこそ御同輩。吾輩、三浦道寸義同。貴様の同類である」
「おい、エルフさん」
道寸の名のりに、荒次郎は横に居る初音の裾を引っ張った。
力加減を間違ったのか、彼女は「おわっ」と体勢を崩してつんのめる。
「危ないな!」
抗議してから、エルフの少女は頭をかいて答える。
「そうだよ。こいつは私たちの同類だ。だけど、不幸中の幸いというか、なんというか……幸いにも、こいつは三浦道寸本人じゃない」
「……どういうことだ?」
「影武者だよ」
荒次郎の疑問に、エルフの少女は答えた。
「――三年ほど前に、この時代に迷い込んだところを、道寸本人に見出されたらしい……自己主張の強い影武者だけどな」
「かかっ」
初音の説明に、道寸の影は笑う。
「――前職が前職だからのう! 知っておるか? 吾輩、先だっては国会議員をやっておった三浦猪牙ノ助という。荒次郎くん。元の時代に戻れたら、選挙では猪牙ノ助をよろしく頼むぞぉ」
「三浦猪牙ノ助って……」
「たぶん当たってるよ。参議院議員で道路族。悪い意味で有名な政治屋」
「馬ぁ鹿を言うな!」
初音の説明に、猪牙ノ助はばばっ、と両手を交差させてポーズをとり、主張する。
「――吾輩が興味を持つのは、効率的に整備された美しい道路、それ以外に無ぁい! 吾輩のありとあらゆる政治活動は、一片の私心もなく、すべて吾輩の愛する道路のためにあるのだぁ!」
「汚職もか?」
「それはさておきっ!」
勢いよく腕を振り上げ、猪牙ノ助は誤魔化した。
「――吾輩、影武者と言った。その影が、いまは表に出ておる。この意味がわかるか? 荒次郎くん」
その、質問の意味を、考えてから。
荒次郎はぽつりと答えた。
「怪我か、病気か。三浦道寸は、表に出られる状態にない、ということか」
「そう。そうなんだよ荒次郎くん。我が主、道寸殿は現在病で伏せっている。吾輩も困っておるのだよ。なにしろ、あれだ。有権者と話を合わせるのに、歴史は存分に学んでおるつもりだが、吾輩、戦などからきしだからのう。かかっ!」
「……ってわけだ。私たちは、少なくとも三浦道寸の病が癒えるまで、お前や爺さんの指揮で、北条早雲と渡り合わなきゃならない」
初音が乾いた笑いを浮かべながら、肩をすくめる。
「――正直詰んでる」
「そうか?」
初音の言葉に、荒次郎は首をかしげる。
「そうかって、お前、気楽な」
「猪牙ノ助さんは政治家だ。人の心を掴む術、人を操る術。そのあたりは心得ているだろう」
荒次郎は猪牙ノ助を指差し、言う。
たしかに。現代の政治家の、人心掌握や多数派形成などの洗練された手法は、籠城中の一族をまとめるのに、有効だ。
二人がうなずくを待って。
荒次郎は、指先を初音に転じる。
「エルフさんは歴史をよく知っている。これから何が起こるか、先の先まで」
「エルフ言うな」
うなずきかけて、初音が抗議の声をあげた。
しかし、これも的を射ている。
これから時代がどちらへ向かうか。その大きな流れ。
近い未来に誰がどういった行動を起こすかといった、小さな動き。
エルフの少女が知っている、これらを押さえるメリットは、とてつもなく大きい。
先の見通し、という一点においては、当代一流の武将である北条早雲をしのげると言っていいほどだ。
「そして――」
「でっ、伝令! 伝令! 敵方に大きな動きあり! 伊勢方、菊名の陣場より大軍を動かし、力攻めの模様!」
あわただしい伝令の叫びを尻目に、親指で自らを指示し、荒次郎は言う。
「俺が、戦おう。三浦の兵を率いて、北条早雲と」
自らの言葉が何を意味するかを、知ってか知らずか。
すっくと立った荒次郎の表情には、一片の揺らぎもなかった。
◆用語説明
轡を並べる――馬の首をそろえて並べること。
御殿――城主の住まい。公邸と私邸の機能を持つ。
裏頭――弁慶が頭につけている白い布。
影武者――権力者や武将が、自衛などのために用意する、本人そっくりな装いをした身代わり。
道路族――道路利権に絡んだ族議員。
それはさておき――さておくべきでない。