エルフさんのだいたいあってる関東戦国講座二時間目
※この話は、荒次郎にわかりやすいよう、単純化しております
ふう。いいお湯だなー。
やっぱり日本人ならお風呂だよなー。
温泉とかいいよなー。また入りたいよなー。
……なんて、ちょっと現実逃避しちゃってたけど。なんでお風呂に入ってきてんだ荒次郎。
ああ、またまつの仕業か。
いいよもう。慣れたというか、諦めたというか。
言っとくけど、一緒に風呂入るだけだからな。それ以上は一切なし。お触り厳禁だからな。
……そんなあからさまにしょげるなよ。
元気だせよ荒次郎。今度また、冴さんといっしょに風呂入ろう、な?
こほん。
まあなんというか、このままいっしょに裸でいるのもなんか貞操の危機を感じるし、ちょっと関東の現状についておさらいしてみよう。
だから夢と期待に膨らんだ股間のそれをおとなしくさせる努力をしてみようか荒次郎。
◆関東の諸勢力
以前にも説明したと思うけど、関東は関東公方(古河公方)の治める、中央から切り離された地域だ。
だが必ずしも、関東諸勢力が関東公方の振る旗になびいているわけじゃない。今回は、そんな関東諸勢力を説明していこうと思う。
●古河公方
言わずと知れた関東公方。名目上は関東の支配者だ。
腐っても公方。その影響力は関東一円に及び、関東のおおよそ東半分(下野、常陸、下総、上総、安房)を勢力下に置いている。
んだけど、度重なる戦争、内紛の末に、疲弊しまくり。全盛時から見れば、ずいぶん力を落としている、というのが現状だな。
○関東八屋形
平安、鎌倉以来の、関東土着の名家だ。
それぞれ在地の守護を出す家柄で、守護不介入の特権を持っていて、その支配圏には、古河公方とて容易に介入できない。
下野に那須、宇都宮、小山。
下総に千葉、結城。
常陸に小田、佐竹、大掾。
古河公方に味方したり敵対したりと、向背定かならぬ古狸たちだな。結城以外。
○上総武田氏、安房里見氏
古河公方と関東管領が争ったって説明したのを覚えてるか?
その当時の関東管領の守護領国は、上野・武蔵・相模・伊豆・上総・安房と、とんでもない広範囲に及んでた。
で、古河公方はこれを切り崩しにかかった。
狙いは上総と安房。古河公方はここに配下の武田信長と里見義実を送りこんだ。
ふたりは古河公方の権威のもと、在地の土着勢力を切り従え、それぞれの地に勢力を築いたんだ。
ちなみに、この上総武田氏の分家――つっても、本家の庁南武田よりでかいんだけど――の真里谷武田が、私の実家な。
●関東管領
こっちも説明したよな。古河公方の向こうを張って関東の西半分を勢力圏に納めてた大勢力だ。
もっとも、現在は支族の扇谷上杉や伊勢宗瑞に蚕食されて、上野と武蔵半国を押さえているにすぎない。それでもとんでもない大勢力なんだけど。
古河公方同様、戦争や内紛続きで疲弊しきっている。関東管領、古河公方という関東の大勢力の疲弊が、北条の関東介入を許したんだ。
○扇谷上杉
言わずと知れた私たちのボスだ。
古河公方と関東管領がガチンコやってる間に、相模と武蔵半国を支配下におさめた関東管領上杉の支族。
家宰で扇谷上杉躍進の立役者である太田道灌を殺しちゃったり、山内上杉と戦うために、北条家の手を借りちゃったりと、いろいろやらかして、やっぱり疲弊してる。
もう関東ボロボロだな。そりゃ嫌気さした国人たちも北条になびくわ。
●伊勢
こっちも、説明するまでもないよな。私たち三浦一族の仇敵だ。
現在山内上杉、および扇谷上杉と敵対している。
伊豆、相模半国を支配していて、関東全域規模から見れば、まだまだ小さい勢力だけど、今川と繋がってるのが厄介極まりない。
まあ、その今川も、甲斐や遠江に戦線抱えてるんだけど。
○駿河今川(関東外)
駿河守護、足利将軍家御一門にして、幕府の対関東戦略の要だ。当代氏親は伊勢宗瑞の甥に当たり、肝胆相照らす仲だ。今川家を戦国大名化したのもこの氏親だな。ちなみに今川義元の父親だ。
○甲斐武田
新羅三郎義光を祖とする源氏の名家で、甲斐源氏の嫡流。名門中の名門だな。
とはいえ、古河公方の介入を受けて、領国支配は御破算。有力豪族小山田氏と協力体制をつくりながらも、いまだ甲斐一国をまとめきれずに居る。
当主は武田信虎。ご存じ武田信玄の実父だ。
○越後長尾(関東外)
越後守護代にして越後守護・越後上杉氏を補佐してきた家、というか、そもそも長尾家ってのがそういう家系で、山内上杉氏の執事も長尾家なんだけどね。
それが、主筋の上杉をぶっ殺して傀儡を祭り上げ、ついでに報復に来た山内上杉の当主もぶっ殺して、越後でヒャッハーしてる。
当主は長尾為景。上杉謙信の実父な。
◆三浦一族について
で、それを踏まえての私たち、三浦一族について、ちょっと説明しようか。
三浦氏は、坂東八平氏に数えられる、平安以来の家だ。源頼朝に従い、執権北条氏と肩を並べて、源平の合戦を、承久の乱を戦いぬき、そして権力争いの末に滅ぼされた。
その時、相手方について生き残った者が三浦の名跡を継いで足利家に従い、南北朝の混乱に勢力を減じたりしながら、永らえてきた。
荒次郎の祖父――三浦道寸の父は、扇谷上杉から三浦家に養子に入った人間だ。そのあたりでちょっとゴタゴタがあるんだけど、省くな。とにかく三浦道寸は、扇谷上杉の血を継ぎ、西相模の大豪族、大森氏を母に持ち、三浦の名と妻を授かった。
伊勢宗瑞と、時に轡を並べ、時に敵対しながら、相模の東半国を勢力下におさめた名将だ。
その道寸も、伊勢宗瑞に滅ぼされ、伊勢=後北条家は、関東に雄飛する……はずだった。私たちの活躍で、御破算になっちゃったけどな。
そう思うと、ざまあみろ、と思う反面、ちょっと怖いよな。
これから起こることは、私の知識にも一切ないんだから。
◆有名人の年齢について考えてみる
そういえば、戦国時代でも中期って、知らない人にはイメージしにくいだろう?
だから、ちょっと横道にそれて、戦国時代の著名人の年齢を見て行こうか。
といっても、だいたいマイナスになるんだけど。
挙げる人物は、そうだな、三英傑(織田信長、羽柴秀吉、徳川家康)、武田信玄と上杉謙信、今川義元に北条早雲。それに毛利元就あたりでいいかな。このあたりの名前なら、荒次郎もピンとくるだろ?
北条早雲(伊勢宗瑞)が58歳。
孫の北条氏康がマイナス2歳。
今川氏親が41歳。
息子の今川義元がマイナス6歳。
武田信虎が20歳。
息子の武田信玄がマイナス8歳。
長尾為景が25歳。
息子の上杉謙信がマイナス17歳。
織田信秀が4歳。
息子の織田信長がマイナス21歳。
松平清康が3歳。
孫の徳川家康がマイナス30歳。
羽柴秀吉がマイナス24歳。
毛利元就が17歳で私と同い年、荒次郎の一つ下だな。
逆に、桶狭間の戦いのときには、私たちは65だの66だのになってる。
どうだ、ちょっとはピンときたか?
◆
ふう。長湯しちゃったな。のぼせそう。今日はこの辺りにしとくか?
じゃあ、荒次郎。先に上がるよ。また疑問に思うところとかあったら言ってくれよ。その都度説明するから。
……開かないんだけど。
なにこれ。またまつの仕業?
ちょ、これ、このっ! だめだ開かない。
荒次郎、これなんとかならな……荒次郎、なにガン見してるんだよ。
や、やめろよ。そんなにあからさまにおっぱいとかお尻とかジロジロ見るなよ荒次郎。とっととこれを開けーーファッ!?
まてまてまってまって!
私湯船に入るから! 頼むからその戦闘体制万全な感じで、しかも無表情で近づいてこないで! 絵面がものすごく悪い! 本気で貞操の危機感じるから!
……よし、じゃあちょっと見てって、あれ? あっさり開いた?
建て付け悪かっただけ? というか、荒次郎、お前が馬鹿力で扉閉めたのが原因なんじゃ……ま、いいか。
にしても、いい加減まつには仕返ししたいよな。
いや、善意からだってのは、よーくわかってんだけど。
今度、荒次郎と一緒に風呂に閉じ込めてやろうか。流石に荒次郎は手を出さないだろうし、まつは荒次郎大好きだし、うふふ、ちょっと面白いもの見れそう。
さて、と。
荒次郎も出たころだし、私も上がるか。
……開かないんだけど。




