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籠城/日常/人間模様

 薄暗い部屋の中、荒次郎は「ふむ」と唸る。


 すっ、とまっすぐに伸びた胴。美しく、なめらかな肌。

 触ってみると、手になじんだそれよりも、わずかに湿りを帯びている。



「湿っているな」


「それは、致し方ございませぬ」



 荒次郎に見下ろされ、ほほを紅潮させながら、少女は返した。

 年のころは、十五、六。鼻筋の通った細身の美少女だ。



「――荒次郎さまは、性急に過ぎます」


「ふむ」



 荒次郎は鼻先を寄せ、匂いを嗅ぐ。

 その仕草に、少女が息をのんだ。



「どうした? さえ


「荒次郎さまの仕草が――いえ、なんでもありませんっ!」



 耳元まで真っ赤になりながら、耐えるように叫ぶ少女。

 荒次郎はかまわず、肌理きりにそっと指を這わせ。



「……なにやってんの?」



 急にふすまが開いた。

 その奥から、顔をのぞかせているのは、和服を着た金髪の美少女。

 アーモンド形の目に、青い瞳。ぞっとするほど美しい顔立ちながら、その耳は、人のものとは思えないほど長い。


 真里谷初音まりやつはつね

 荒次郎と同じ、未来からの珍客にして、荒次郎の妻でもあるエルフの少女だ。中身は男だが。



「ふむ」



 荒次郎は初音に目をやりながら、言った。



「丸太だ」


「いやそれは見ればわかる」



 先程までさすり、匂いを嗅いでいた丸太を指差した荒次郎に、初音が突っこむ。

 一緒にいた少女、冴が手配してくれた丸太を見ていた。といえば、十分に通じただろうが。

 その様子を見ていた冴が、顔の火照りを手で冷ましながら、とりすました顔で口を挟んできた。



「あら、奥方さま。奥方さまは、荒次郎さまの深謀遠慮がお分かりになりませんの?」


「いや、どうせまた丸太が欲しいとか言い出して、主さまが冴さんの父上――出口殿に無理言ったんでしょ?」



 初音の指摘に、冴がぐっ、と詰まった。



「ふ、ふふん。さすが荒次郎さまの伴侶。そうでなくては」


「いや、そんな好敵手ライバルを認める少年誌主人公のような台詞セリフを吐かれても……」



 冴には一切伝わらない例えである。


 ちなみに、出口茂忠でぐちしげただは、三浦家の重臣で、新井城の南の守り、三崎城の城代だ。

 冴は茂忠の娘で、ここ新井城に詰めている。人質のようなものだが、まわりは知人ばかりだ。彼女に悲壮な陰は無い。むしろ城に来てから絶好調である。

 それが荒次郎への好意ゆえだということに、初音は気づいているのだが、「なんだか悔しいから。リア充死ね」という私怨により、荒次郎は教えられていない。

 三浦猪牙ノ助ちょきのすけはそれをネタに、「荒次郎くんも若いんだから、女の好意に気づかんでも仕方ないではないか、それともあれか? なにやらコンプレックスを刺激されるものでもあるのか? ちなみに吾輩、若い頃は半端なくモテたぞ? うりうり」などと初音をいじめている。



「で、主さま。その丸太をどうするの」


「うむ。つぎの作戦に使おうと思ってな」



 呆れたように問う初音に、荒次郎が答える。



「具体的には?」


「直属の部下に持たせて、戦わせようかと……」


「流石ですわ! 荒次郎さま!」



 突っ込もうとした初音をさえぎるように、冴が絶賛した。



「荒次郎さまと同じ得物を用いる栄誉に預かった者たちは、きっと死戦奮闘することでしょう!」


「いや、重くてろくに動けなくなると思う……」


「ふむ」



 初音の力ないツッコミに、荒次郎がうなずく。



「――やはり、半年は乾かさねばいかんか。水分を含んだ丸太は重すぎる。ここは、城内で枕に使われている丸太を」


「やめてあげて可哀想じゃないか兵士たちに湿った丸太を枕に使わせるつもりかよ!」



 この時代、出番となれば飛び起きられるよう、戦時中の兵士は長い丸太を枕に何人もが並んで眠る。

 有事の際には、丸太を叩いて兵士たちを起こすのだ。そのため、丸太の数は、ある程度確保できるが、これを武器に使ってしまえば、残るのは湿った丸太だけである。初音の抗議はもっともだった。



「そうか……」


「荒次郎さま。気を落とされませぬよう」



 妙にしょぼんとした荒次郎を、冴が励ます。

 励ましながら、この少女は、初音に鋭い目を向ける。



「ちょっと、奥方さま、先程から厳し過ぎるんじゃございませんこと?」


「いや、ちゃんと言っとかないと主さま、実行しちゃうし……」


「いいじゃありませんの。荒次郎さまのなさることなら、間違いなどありませんわ」


「一連の会話を聞いて、まだ主さまを信じられる冴さまはすごいと思う……」



 つっかかる冴に、疲れたように返す初音。

 図としては、恋のさや当て的な何かに見えなくもない。



「それから」



 初音に身を寄せて、冴が小声で話しかける。



「――噂はきいておりますわ。妊娠中くらい、荒次郎さまの火遊びを、黙認されてもよろしいのでは?」



 意訳すると、「わたしも大好きな荒次郎さまとラブラブしたい」である。

 エルフの少女は、頭をかきながら答えた。



「いや、妊娠とかしてないし――なんか腹立つからヤダ」



 この言葉が相手にどう捉えられるか、初音はまったく気づいていない。







 それから、しばらく経った昼下がり。

 ふらと御殿の外に出た荒次郎は、見張番役の男たちに話しかける猪牙ノ助を見た。



「やあ、藤九郎とうくろう又太郎またたろう。元気にやっとるか!」


「はっ!」


「大殿のお陰をもちまして!」



 背筋を伸ばす男たちに、猪牙ノ助は呵々かかと笑う。

 三浦道寸みうらどうすんを装っているのだろう。普段の猪牙ノ助よリも威厳のある態度だ。



「そうかしこまるな。役目御苦労。これからも荒次郎を支えてやってくれい!」



 その光景を眺めながら、荒次郎はおやと首をひねる。

 道寸復帰後の体制維持を考え、影武者は一歩引いて、荒次郎の当主としての権限を強化しておく方針で合意してある。

 いまの場面なら、「息子は頼れる男だから、これからは自分よりも荒次郎を頼りにするべし」くらいに言って、荒次郎を押し上げておくべきではないか。


 しかし。荒次郎は疑念を振り払う。

 人づき合いや交渉ごとなどは、猪牙ノ助のほうが上手である。

 荒次郎が考えるようなやり方では性急に過ぎると判断してのことだろう。



「おう、我らが頭領よ」



 と、荒次郎に気づいた猪牙ノ助が、言いながら歩み寄ってきた。



「父上」



 人前なので、荒次郎はそう返した。

 猪牙ノ助は「すこし歩きながら話すか」と、人気のない場所へと誘う。



「たまには、道寸の姿を見せておかぬと、城の中が不安に思うのでな」



 歩きながら、呵々と笑う猪牙ノ助。

 そこに陰など一切ない。



「ふむ」


「そういえば、荒次郎くん。以前の話だが、新井城と三崎城をつなぐ道を広げんかね?」



 相変わらず道路にこだわっているのか、裏頭かとうの老人はそんなことを言い出した。

 荒次郎は、首を横に振る。



「いま、そんなことをしている時間的余裕はないだろう。もちろん、その方がいいことは、理解できるが」


「そうか、考えてくれるか! もちろん急がぬわ。余裕のある時でよい。吾輩が日本一美しい道路に仕上げてやろう!」



 やる、と言ったつもりはないのだが、老人は言質を取ったとばかりまくし立てる。

 その場は反論をあきらめて、荒次郎はふと思う。



「猪牙ノ助さん。道寸ちちの具合はどうだ」


「うむ。良くも悪くも、といったところか。むしろ八重やえの消耗がな……」



 道寸が病気で寝込んでいると知る数少ない人間であり、なおかつ、真里谷初音に代わって、奥向きのことを任されている彼女である。憔悴するのも無理はない。



「そうか」



 うなずきながら、しかし荒次郎はわずかな違和感を覚えている。

 言葉に表せないほど、わずかな違和感だ。それが形を為す前に、遠間から声がかかった。



「大殿、若殿!」



 佐保田さほた河内守だ。

 痩せた初老の武者は、胃のあたりを手で押さえながら、駆け寄ってくる。



「荒次郎くん。また何かやったのかね?」


「ふむ?」



 荒次郎は首をかしげる。

 しかし、彼の胃痛の原因は、やはり荒次郎だった。



「若殿! あの、船で運ばれてきた大量の丸太はなんですか!?」


「ふむ、あれか。出口殿に頼んで調達してもらった」


「この忙しい時に、出口殿の手を煩わせて……今度はなんに使うというのですか!?」



 河内守の剣幕にも、荒次郎はまったく動じない。



「ああ、あれはもう済んだことだ。いや、強いて言えば、並べて天日干しにする役目が残っているか」



 その言葉に。

 猪牙ノ助は「なるほどなぁ」と笑い、河内守は「ああ胃の腑が痛い」と胃の上を押さえた。







 8月。

 外の引橋付近では、相変わらず散発的な戦いが続いている。

 荒次郎も時に陣頭に立ち、防戦を指揮する。これは初音や猪牙ノ助の提案で、指揮しながら戦法を実地で学んでいるのだ。


 そんなある日の昼、荒次郎の部屋に、初音が駆けこんできた。



「荒次郎! ちょっと水軍強化案を考えてみた!」


「ふむ?」



 なぜか顔が真っ赤な初音が勢いよく広げた図面を、荒次郎はのぞき込む。



「これからの戦いに、水軍の強化は必須だ。水軍力で負けると、海上封鎖されて詰んじゃうから。だから、ここに力を入れる。幸い、まだ伊豆水軍はそこまでの力はないから」


「どうやって強化するのだ。丸太か?」


「違うよ。なんでだよ。丸太いかだでも作るのかよ帆船だよ。この時代の帆なんて切り上がり性能スカだし、三角帆や縦帆を使って機動力で勝つんだよ。素材もむしろから木綿帆に替える。さいわい三浦は木綿の産地だ。三浦木綿は、城の中にも蓄えてあるはずなんだ。荒次郎は猪牙ノ助の爺さんみたいに、結局戦の時は櫓櫂ろかいを使うのだから意味ないであろう? とか言わないよな!?」



 どうやら自信の案を、猪牙ノ助に貶されてきたところらしい。

 エルフの少女は、両手を振りまわして主張する。



「それはいいが、エルフさん」


「エルフ言うな」


「船は、新造するのか? だとすれば、材木の乾燥のこともある。相当時間がかかると思うが。すくなくとも、つぎの作戦には間に合わないだろう」


「……ほ、ほら、いまある船を改造して――」


「海の男たちに、持ち船を出させて、未知の改造をするなど、全力で喧嘩を売る行為だと思うが」


「……」


「あと、素人知恵だが、同じ木綿布といっても、帆布の厚い布を作るには、加工の段階で手を加える必要があるのでは? 城にあるのは加工済みのものだぞ?」


「……オマエ嫌い」



 完膚なきまでにノックダウンされたエルフの少女は、畳に突っ伏したまま、悪態をついた。



「そうか」



 荒次郎は真顔のまま、少女に話しかける。



「――俺は好きだぞ。エルフさんの豊富な知識はすごく助かっている。この案も、いま使えないとしても、将来役に立つことは確実だ」



 その言葉に、エルフの少女はぴたりと動かなくなる。

 それから、ゆっくりと仰向きになった少女は、ひどく微妙な表情になった。



「そうまで言われて黙ってるのも、大人げないと思うから、正直言うけどさ……荒次郎、お前には、すっごく感謝してる」



 気恥かしいのか、頬を染めながら、少女は続ける。



「――私一人だったら、きっとなんにもできなかった。怖くてガタガタ震えながら、家が滅びるのを待つしかなかったと思う。

 お前は平然とした顔で、いつもとんでもないことをする。正直すごいと思う。まだ若いのに、私なんかより、よっぽど肝が練れてる。マジ何者だよって感じで。お前が居るから、私も自分が出来ることをめいっぱいやろうって思えた」



 だから、少女は照れくさそうに話す。



「お前のことは、まあ、好きだ」


「そうか」



 表情を変えず、荒次郎はうなずく。

 そして言った。



「――では、今夜一緒に寝るか」


「なんでだよ。やだよ。死ねよ」


「なぜだ」







 そして半月後、待望の連絡が来る。

 扇谷おうぎがやつ上杉の援軍。約束の日は、一月後。

 それが、三浦側での作戦決行の日となる。


 東相模を盤上に置いた、北条早雲との命をかけた遊戯が、始まろうとしていた。





◆用語説明

湿っているな――主語は大切である。

三角帆、縦帆――前方からの風を受けて前に進める帆。

櫓櫂――櫓や櫂。舟を漕ぐための木製のオール。

筵――藁やイグサで編んだ敷物。

エルフさんの作戦――コンボイの「私にいい考えがある」とほぼ同義である。


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