夢/現実/戦国時代
この物語は、歴史を下敷きにしておりますが、必ずしも忠実ではありません。特に一部人物については極端なキャラクター付けをしています。
登場人物の名前や地名は、特に意図がない限り、もっとも有名なものに統一しています。
関東。
戦国時代にひときわ異彩を放つ混沌の地。
鎌倉以来の独立の気風が、関東公方を、関東管領を、甲斐の武田を、駿河の今川を、越後の上杉を、混乱に巻き込み疲弊させ、誰にも勝利をもたらさなかった魔境。
ここに、ある一族が居る。
関東乱世の権化のような一族が。
相争う両上杉や、関東公方の血族。
風見鶏の大名小名、我利を貪る国人たち。
彼らはそのすべてを呑みこんで、関東に一大国家を創造した。
五代にわたり領土を広げ続け、そして戦国時代の終わりとともに散った、時代の寵児。
――北条一族。
その初代。北条早雲の晩年。
伊豆を盗り、小田原を奪った早雲は、相模平定に向け、最後の敵を平らげんとしていた。
相模三浦氏。
相模国の東半国を支配する小大名だ。
いや、支配していた、と言うべきだろうか。
長きにわたる早雲との戦いで、彼らは三浦半島の突端にまで追い詰められている。
平安時代より続く前時代の名門は、関東乱世の権化によって、風前のともしびとなっていた。
三浦一族、絶体絶命のとき。
物語は、まさにここから始まる。
◆
時は永正10年(1513)7月14日のこと。
荒次郎は3日ぶりに目を覚ました。
荒次郎は三浦家の当主だ。
7尺5寸(230㎝)の巨体の主で、戦となれば先頭に立って戦う猛将でもある。
それが、北条早雲の大軍に攻められ、いざ籠城、というときに、突然倒れて寝込んでしまった。
不安に沈んでいた城中は、当主の目覚めに喜び沸いた。だが、当の荒次郎はその様子を見て、きょとんとしているばかりだった。
しばらくして、事情を把握した荒次郎は、無表情のまま冷や汗を流した。
「なぜだ」
喜びに沸く人々を尻目に、荒次郎はぽつりともらす。
「――なぜ、平成の一般人である俺が、こんな場所にいるのだ」
三浦一族の存亡をかけた、新井城の攻防戦。
状況が“最悪”から“極悪”に変わったことに、まだ誰も気づいていない。
◆
「ひょっとして……俺は、とんでもない状況に置かれているんじゃないだろうか」
人払いをしてから、荒次郎はぽつりとつぶやいた。
目覚めてからの状況を思い返す。
まず目に入ったのは見知らぬ部屋。
驚きとともに出した声はまるで別人のもので、手足も、体も、プロレスラーを思わせるそれにすり変わっている。
さらには、見知らぬ人間が次々に現れては回復を祝っていく。しかも彼らはみな、自分のことを慕わしげに「若殿」や「御当主さま」などと呼ぶのだ。
この時点で卒倒ものの事態だが、そんな人々の話から、荒次郎は自分が置かれた状況が、さらにひどいものだと察してしまう。
「伊勢宗瑞が率いる七千の兵に攻められ、防衛中。こちらの兵は二千がいいところ、か」
伊勢宗瑞とは北条早雲のこと。
言うまでもなく戦国時代の人物だ。
すなわち、荒次郎も戦国時代に身を置いているということ。
しかも、下剋上の代名詞のような梟雄が率いる三倍以上の敵を相手に、籠城戦の最中。
三浦一族が滅亡の危機にあることは明白だった。
「おまけに、指揮をするのが俺。絶望的だ」
平成の世に生きていた人間が、戦争の作法など知るはずがない。
昔から「クソ度胸だけはだれにも負けない」と言われてきた荒次郎だが、度胸ひとつでどうなるものでもない。
「だが、逃げ場はない、か」
荒次郎は小さくため息をついた。
戦国時代について、荒次郎は教科書以上のことを知らない。
それゆえ、自分がどこへ逃げれば安全なのか、見当もつかなかった。
そもそも、敵軍に囲まれているらしい現状、城から脱出できるのか、それすらわからない。
「いったい、どうするべきか」
腕組して低く唸る。
答えは出ない。出せるほど情報がない。
しばらく首をひねってから、荒次郎はぽつりとつぶやいた。
「……喉が渇いたな」
夏だ。
照りつける日差しの熱は、薄暗い寝所にまで及んでいる。
にじむ汗をぬぐって振り捨てながら、荒次郎は人を呼んだ。
「――なにかご用でしょうか、御当主さまっ」
ひょこりと現れたのは、和服姿の幼い少女だった。
年齢は、十歳そこそこだろう。体も、顔の造りも小さな、愛らしい顔立ちの主だ。
「籠城中の城」のイメージを裏切る、ほんわかした存在に、荒次郎は思わずつぶやいた。
「なぜだ」
言葉の意味を察しかねてか、少女は不思議そうに小首をかしげた。
◆
「水が欲しい」と頼むと、少女は笑顔でうなずき退出した。
それから、いくらも経たずに、彼女は木碗に水を汲んで帰ってきた。
「ありがたい」
荒次郎は礼を言うと、手渡された碗を傾ける。
井戸が深いのだろう。喉を潤す水は、冷たい。
――海が近いのか。
かすかに塩気を感じて、荒次郎は思った。
そう思うと不思議なもので、いままで気づかなかった波の音が、耳にはいってくる。
「うまい」
「よかったです」
荒次郎が言うと、少女がほほ笑んだ。
保護欲を刺激する、無防備な笑みだった。
「きみは」
「まつですよ。奥方様の侍女の。お忘れですか?」
荒次郎の問いかけに、少女が不満げに眉をひそめる。
「すまん。まだボケている」
謝りながら、荒次郎は考える。
城の人間の、顔も名前も知らない、というのはまずい。
記憶喪失だと誤魔化す手もあるが、籠城中の城主が記憶喪失など洒落にならない。大混乱になるのが目に見えている。
――なら、どうすべきか。
しばし、考えて。
荒次郎は「まつ」と少女に声をかける。
「きみの主を呼んで来てくれ。込み入った話がある」
記憶喪失だと誤魔化して、信頼できそうな相手から、情報を得よう。
そう考えての言葉だったが、荒次郎の言葉をどう受け取ったのか、少女は顔を、ぱあっと晴らした。
「わかりました。奥方様もおよろこびになります。支度もありますので、少々お待ち下さいね」
まつは、そう言ってそそくさと退出していく。
少女の反応に、おや、と首をかしげて、待つことしばし。
「し、失礼いたします」
消え入りそうな声とともに入ってきた少女の姿を見て、荒次郎はわずかに目を見開いた。
高く結いあげられた、透き通るような金髪。
アーモンド形の目に、瞳の色は透き通るような青。
ぞっとするほど美しい顔立ち。耳が、人のものとは思えないほど――長い。
着物姿のエルフ。
荒次郎の前に現れた少女は、そう評すべき姿をしていた。
「なぜだ」
戦国らしからぬ不可思議な存在に、荒次郎は思わず、そうもらした。
◆用語説明
梟雄――謀略や残忍な手口を使う人物。
籠城――城に立て籠って敵を防ぐこと。
着物姿のエルフ――ツボである。
なにぶん時代背景がメジャーではありませんので、
説明不足なものがありましたら、「ここの説明が欲しい」と教えていただければ幸いです