第28話 暗唱
次の日の朝。一ノ谷中学校の児童玄関で、週番である羽生かおるは、せっせと掃除に励んでいた。
「さて、掃除始め。」
羽生かおるは、そういうと、ほうきを持って玄関を掃き始めた。数分間、児童玄関は、靴を掃き変える生徒達と、玄関を履いている週番数人だけだったが・・・。
「ちょっと!羽生!」
一人の女の人がいきなり児童玄関にかけこんできて、一人の少女に怒鳴りこむ。
「橘さん!」
かおるは、びっくりしてほうきを構えたままそちらを見る。橘さんと呼ばれた女性は、続ける。
「いい?箒を使う時は、」
「ちょっと、橘さん、学校は?」
「今日は創立記念日で休み。さあ、箒を使う時は、きっちりこうするのよ!」
橘さんは、かおるの箒を掴み取ると、箒を素早く左右に動かす。土砂が、高く舞い上がり、玄関中に広がる。玄関中の人という人は、みな咳をしだした。
「ちょっと、ゲボ、やりすぎ、」
かおるが橘さんを止めようとしても、橘さんは箒を素早く動かす手を休めない。
「何よ!こんなにたくさんごみがあったのね!多すぎ!」
「あの、ゲボ、あ、あなたが、ゲボ、あなたが一生懸命過ぎると思いますんで、ゲボ、」
週番の担任をしていた田中真吾先生が、橘さんに声をかける。
「きっちりしなさい!」
大人にまて怒鳴りつける橘さんに対し、田中先生も怒鳴り返す。
「そもそもあなたは誰ですか!」
「橘沙織里です!」
橘さんはそれだけ言うと、まだほうきで履く手を再開する。
「部外者は手伝わないでください!」
田中先生がそう言っても、沙織里は掃除の(強行)手伝いをやめない。
「ゴホ、ゴホ、何よ、これ!」
ハルスが、玄関に入らんとする時に、内部の異変に気付き、杖を振り回す。
「ゴホ、俺にも分かんねえよ。」
横にいる治も反論した。二人とも、土砂が入るので目が開けられない。目をつぶったまま児童玄関の硝子戸へ至る5段の階段を登り終わった頃、何かにぶつかった。
「何!」
一人の大人が、箒を極端に速く動かす手を休め、後ろを向く。二人の中学生がいると認めた彼女は、怒鳴る。
「誰!」
それに対し、周りの土砂が薄れたことに気付いた治が、目を少し開けると、目の前に一人の大人がいるのを認め、少し上を向く。
「お前こそ誰だよ。」
「あたしは橘沙織里!あんたこそ誰!」
「俺は零時治だよ!っていうか、お前中学生じゃないだろ。」
「高校生よ。」
沙織里がここまて言ったところで、ハルスも目を開け、沙織里の方を見上げる。杖を向ける。
「あんた、ちょっとやりすぎ!」
「お前もな!」
と、治がハルスの杖を取り上げる。ハルスは、治に向かって怒鳴る。
「返して!」
と、治の左腕に手を伸ばす。治は、そんなハルスの腕を掴む。
「知らない人にはするな!」
「う・・・・・・」
ハルスはうなると、目の前にいる沙織里とかいう人に向かって怒鳴る。
「砂が舞い上がって死ぬじゃないの!」
「死んだ時はあたしがきっちり供養します!」
「あ、今あたしが考えた、」
かおるが、二人の会話に割り込む。治も、4人目としてこの会話に参加する。
「きっちりに関しては、あたしの方が上ですから!」
かおるが、続けて沙織里に怒鳴りつける。
「あら?あたしのほうが几帳面だと思うわ!」
沙織里は、かおるを見下げて勝ち誇った声で言う。
「ううん!絶対あたしの方が上だもん!」
「あたし。」
「こっち!」「こっち!」と、二人は言い合い始めた。
「とりあえずな、」
治が二人の怒鳴りあいに割り込む。
「二人はどれだけ几帳面かで競っているんだ。」
治の言葉に最初に反応したのは、かおるであった。かおるは、いきなり治の股間を蹴り上げる。治は、後ろに転んだところをハルスが体で受け止めた。治が立ち上がると、ハルスの腕を引っ張って言った。
「ハルス、行こう。」
教室にて。
ハルスと治が手をつなきながら机の椅子に座ると、それまて話していた二人の少女が、一斉に治へ話しかける。
「おはようございます・・・。」
岡田檸檬と五十嵐由美、二人とも同じ文面であった。
「何よ!」
ハルスが立ち上がると、檸檬はそれをはやしたてるように言った。
「何よ、あんたまたキスしていないんじゃないの。」
「昨夜したわよ!」
ハルスが怒鳴り、治の体へ抱きつく。由美が、ハルスの背中を蹴る。
「痛い!何すんのよ!ロボット!」
ハルスが後ろを向いて怒鳴ると、今度は平の手が飛んできた。
「痛!」
ハルスの右頬が真っ赤になると、由美は黙って左頬もぶつ。ハルスが左頬を押さえて、由美に怒鳴りつける。
「治はあたしのもの。誰にも渡さない。」
「お、おい、」
治が顔を真っ赤にするのと、葛飾先生が教室のドアを開けるのと、ほぼ同時であった。葛飾先生の後ろには、羽生かおるがついている。
葛飾先生は、羽生かおるを含め全員が着席するのを確認し、教壇に立つと、言った。
「では、これより朝のHRを始めます。」
「では、これより国語の勉強を始めます。」
富岡先生が教壇に立って、生徒達の前で言う。
「まず、前回の授業で、春暁の詩を暗唱する宿題を出しましたが、暗唱できる人は手を挙げてください。」
富岡先生が言うと、つぎつぎと生徒達が手を挙げる。
「おや、零時ハルスと零時治。この二人だけは手を挙げていませんね。」
富岡先生が言うと、生徒達の視線は、一斉にこの二人に集中する。ハルスが焦って言った。
「ゆ、ゆうべは、何もやってませんでした!」
それに、治が一言付け加える。
「ハルスの暴力の所為です。」
ハルスは、顔を真っ赤にして立ち上がり、治に杖を向ける。
「何よ!人の所為にして!自分がその前にやったことも弁えて!」
「だからさー、」
「立ちましたね。自信ありますね。」
伊勢田由香が、二人の怒鳴りあいに口を挟む。富岡先生もそれに同調する。
「では、今立った零時ハルス、あなたに春暁暗唱第1号をやってもらいますね。」
「えっ!?ち、ちょっと・・・」
ハルスがこう言ったが、もう後の祭り。周りからは拍手喝采。顔を真っ赤にしてうつむくハルスに対し、玲子が一言添えてやった。
「自業自得。」
「うっ・・・。」
頭に血がのぼったハルスは、怒鳴るように言った。
「春眠暁を覚えす!しょ、し・・・?う・・・・・・」
「やっぱり覚えてないのね。」
伊勢田由香がそれに割り込んで、立ち上がる。富岡先生が言った。
「伊勢田由香。」
「はい。春眠暁を覚えす、処処帝鳥を聞く、夜来風雨の声、花落つること知りぬ多少ぞ。」
「合格。」
先生がそう言うと、クラス中からは拍手が由香に浴びせられる。ハルスは、不機嫌な顔をして座った。富岡先生が生徒達に問いかける。
「他の挑戦者は?」
そう言うと同時に、多くの生徒達が手を挙げる。
「では、羽生かおる。」
「はい。春眠暁を覚えず、処処帝鳥を聞く、夜来風雨の声、花落つること知りぬ多少ぞ。」
「合格。」
拍手。その後にも、いろいろ合格不合格が繰り返され、最後に5人、ハルスと治と檸檬と玲子と由美が残った。由美はもともと無口で喋ることを嫌い、玲子はケアレスミスで不合格を繰り返す。
「岡田檸檬。」
「はい。春眠暁を覚えず、処処帝鳥を聞く、夜来風雨の声、花落つること知りぬ多少ぞ。」
「合格。あとは4人だな。」
富岡先生がこう言うと、4人はお互いの顔を見合わせる。
「誰からやる?」
富岡先生が再び言うと、由美がゆっくりと手を挙げる。
「五十嵐由美。」
富岡先生が指名をすると、由美はゆっくりと立ち上がり、言った。
「春眠暁を覚えず、処処帝鳥を聞く、夜来風雨の声、花落つること知りぬ多少ぞ。」
「ほい。合格。あと3人。」
富岡先生がカウントダウンすると、3人の緊張はさらに強まる。我慢できずに玲子が手を挙げ、今度は珍しくケアレスミスなしで合格してのけた。
「あと二人だな。」
富岡先生がこう言うと、二人の体はぶるぶるし始めた。ハルスが、やっとのことで声を絞り出した。
「し、し、僕、い、行きなさいよ・・・。」
「し、僕扱いかよ。」
二人の体は硬直している。