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4、九条香織

 山下や千葉に昨日のことを話すべきか悩んだが、話さないことにした。無駄な恐怖心を煽るような真似はしたくなかったからだ。

「つまり、昨日の収穫はゼロでありますか」

 雲一つない晴れ渡った青空の下、僕らは二限目の体育の授業にいやいやながら参加していた。

「途中で見つかっちゃったから仕方ないだろ」

 僕は手の平に溢れるくらいの大きさの土色に汚れた球を千葉に投げ返した。球は千葉の黒のグローブに当たって前に落ちた。千葉はそれを素手で拾って指先で回転させた。

「言い訳は聞きたくないであります」

 千葉は振りかぶって球を思い切り投げ返してきた。しかも、制球が良いはずもないので、球は僕の頭上の遥か上を通り越した。何メートルも転がる球を追っていると、グラウンドの反対の隅で女子がソフトボールをしているのが視界に入った。女子もソフトボールしてたのか。全然気が付かなかった。

 僕は球足の遅くなった球を素手で拾い上げ、走って千葉との距離を詰めてから投げた。

 今日はキャッチボールを終えた後、二チームに分かれて試合形式の練習を行うのだそうだ。僕は佳奈に無理矢理ソフトボールの練習に付き合わされることが幾度となくあったので、それなりにプレイすることには自信がある。とは言え運動部連中(特に野球部)よりは上手くないだろう。

 しばらくしてキャッチボールが終わると男たちはそそくさとジャンケンでチーム編成を決める。僕はAチーム、山下や千葉はBチーム。

 攻撃順はAチームが先。Bチームはそれに伴い散り散りに守備位置に付く。千葉は山下に「頑張るであります」と心のこもっていないエールを送り、邪魔にならないように脇のフェンスに身を預け、座る。Bチームは10人であるため、一人余る。体力がかけらも存在しないこの男が控えに残るのは必然だった。僕もできれば千葉みたいに参加しないでいたかった。千葉が羨ましい。

 僕は千葉の隣に腰を下ろし、遠くで同じように試合をしている女子群を見遣る。ちょうど、佳奈の打席。

 佳奈は、残念ながらスポーツ向きした身体ではない。特に身長。明らかに低すぎる。

 それでも佳奈は諦めることなく、身長の差を努力で埋めようとした。佳奈の努力は凄まじかったが、それは身長差によるパワー差を埋めるものではなく、俊敏さや器用さを磨き上げるものだった。本人もパワー差を埋めることを半ば諦めている。佳奈はレギュラーを張ってたものの、上位打線に入ることは全くなかったらしい。

 遠くに、金属バットがボールとぶつかる心地よい音が聞こえた。佳奈が打ったボールは一塁手の頭上をライナー性の当たりで越えて行った。佳奈が得意とする、見事な流し打ちだ。

 遠くの女子ばかりを見ていると、隣の千葉が僕の肩を叩いた。

「守備につかないのでありますか?」

 千葉に言われて、Aチームが攻撃を終えたのに気づいた。

 僕は脇に置いていたグローブを嵌めて小走りで、空いていた右翼のポジションに入る。遠くの1番打者を見ると、頭上で派手にバットを振り回すパフォーマンスを見せて左打席に入った。最後にホームラン予告をしてバットを構える。

 Aチームの坊主頭の投手がウインドミルで球を放る。それを坊主頭の打者がバットの芯で捉えた。

 鋭く振り抜かれたバットは空高く宙を舞った。打者が格好つけて放り投げたのだ。

 打ち抜かれた白球は一直線にライト方向に、つまり僕の方向に飛んできた。

 幸い、白球が落ちるよりも早く、落下点に入ることが出来た。よかった。

 はるか上空の白球が加速度を失い、位置エネルギーを得て再び加速しながら僕に向かって落ちてくる。

「あれ」「うわあ」「避けろっ」「危ないっ」「川崎ーっ」

 何故か他の生徒のざわめきが聞こえてきた。一緒にグラウンドで守る男子や打順を待つ男子、後ろの女子の声も。

 そうか、僕がしっかり捕球できるか心配なのか。随分なめられたものだ。実際、そんな運動神経は良くないけど。

 僕は落ちてくる白球を捕ろうとグローブを頭上に構えた。

 ――ゴスッと音がした。視界にちかちかして星が無数に舞い散った。視界の端に地面を転々とする白球を見て、頭に直撃したことに気づいた。

 僕はふらふらして膝から地面に崩れてしまった。

 捕り損ねた? 違う。僕がボールの打撃を受けたとき、白球はまだ空にいた。ということは、後ろから?

 駆け寄ってくる大小の足音を聞きながら、僕の意識は飛んでいってしまった。




 僕は近くの病院の薄暗いベッドの上で目を覚ました。ボールが当たった場所が頭だっただけに、精密検査を余儀なくされたのだ。ということで今日は検査入院だ。

 こんこん、と扉を叩く音がした。扉を開けて入ってきたのは、薄暗い病室を煌々と照らす赤い髪と両の瞳。『緋目』の橘美姫だ。

 橘さんは僕に近寄ってきて、近くの壁に寄り掛かった。何しにきたんだ?

 橘さんは白い壁を人差し指でかりかり引っ掻きながら、何かいいたげにときどきこちらを見る。

「えーと、何?」

 たまらず、こちらから聞いてしまった。

「だからっその、」

 橘さんはお腹の前で互い違いに指を組んでは解いてみたり、それをまた組み直したりした。

 橘さんは自分の爪先に視線を落としたまま、桜の花びらみたいな唇を開いた。

「だからっ謝りにきたのっ」

 僕は、橘さんに言われてようやく自分が橘さんの打球を受けて気を失ったのだと分かった。

「なんだ、そんなこと」

「そんなこと? わたしがどんな思いでこうして謝りにきてるのか……」

 だってまさか謝りにくるとは思わなかった。避けないほうが悪い、とか言いそうだし。

「謝りになんてこなければよかった」

 橘さんはそっぽを向いてため息をついた。

「じゃあ、帰るね」

 橘さんはばいばい、と手を振って扉から出て行ってしまった。

 僕はベッドに完全に身を預け、脱力した。

 天井を見上げる。白。

 こんこん、と扉を叩く音が聞こえた。橘さん? 忘れ物? いや、そんなものないか。

 扉を開けて入ってきたのは赤い髪ではなかった。

 猫みたいな釣り目が特徴的な女の子。同い年くらい。知らない人だ。部屋間違えたんじゃないの?

「今出て行ったの、『緋目』だよね」

 明るい口調で猫目の女の子は言った。

「そうですけど……あなたは?」

「あ、うちか? うちは、九条香織くじょうかおり。かおりんって呼んでや」

 誰が呼ぶか!

「ところで、あんた、『緋目』とどんな関係なんや? 付き合ってんの?」

「つ、付き合ってなんかないですよ」

 なんなんだこの人。いきなり現れて何しにきたんだ? 本当にこの部屋であってるの?

「なんかこないだ、『緋目』とおもろそうなこと話してたやん」

 独特の関西弁と標準語が混じったような話し方で僕に聞く。こないだって言うと、橘さんをつけてたときか。カフェでの話を聞かれていたのか。

「あんた、どこまで聞いたんや? どこまで知ってるん?」

 九条さんの猫目が細く、鋭くなった。そこにはいままでの一片の笑みもない。何故、この人は僕に会いに来た?

「うちはただ、『緋女』について知りたいだけや」

 九条さんの猫目と唇が一瞬で極上の笑顔に変わった。分からない、この人は。

 僕は様々な可能性を検証してみた。

 『緋女』に何か深い恨みをもっている。『緋女』に対して好奇心をもっているだけ。『緋女』となんらかの関係をもっている。例えば、九条さん自身が実は『緋女』だとか。

 どれだけ考えても答えはでない。出るはずもない。

「何をごちゃごちゃ考えとるんか知らんけど、うちはただ『緋女』と仲良くなりたいだけや」

 九条さんが何を考えているのかは分からないけど、九条さんが求めている答えは『緋女』ではなく、橘美姫、という人間についてということは分かった。そして、それは僕も全く知らないことである。

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