最後の弾
その兵士の手に残されたのは、一発の弾丸だけだった。
上官も、戦友も、部下ももういない。皆この島の守備を任され、そして死んでいった。
病気や飢えで死んだ者が多い。戦って死んだ者はいない。戦いとは呼べないような、一方的な爆撃で死んだ者だけだ。美化できるような死に方した者は、一人もいない。
怪我か、病気か、飢えか、或いはその全てかで死にかけた最後の上官が、その兵士の手に握らせたのがこの弾丸だ。
自決。或いは、最後の一矢。
どのような思いを込めて、最後は碌に口もきけなくなった上官が、その兵士に弾丸を託したのかは分からない。
上官は弾丸を兵士に手渡すと、妻の名を口にしてこと切れた。この島唯一の美談だったかもしれないが、あのような悲壮な死に顔は、その妻に語るには忍びない。
そして兵士と弾だけが残された。
兵士は弾丸をピストルに込める。
兵士は酷い臭いのする塹壕から、海岸を覗き見る。臭いはもちろん、数日前までは仲間だったものの臭いだ。埋めてやることすら、この兵士にはできない。
敵の上陸部隊は反撃も何も受けずに、この島に接岸した。反撃する部隊などいないのだ。
兵士はピストルを撫でる。せめてライフルの弾丸なら、あの上陸部隊の一人ぐらいはしとめられたかもしれない。
だがピストルではどうしようない。一矢報いんと近づけば、その射程外から返り討ちに遭うだろう。この戦場で、ピストルで狙えるものなど、己のこめかみ以外は何もない。やはりこれは、自決用なのだ。
いやそれでもやはり、ピストル一つで、弾丸一発で敵に突撃する玉砕の精神こそが、求められているのかもしれない。
上官は妻の名など口にする暇があれば、兵士に命令すべきだったのだ。死ねと。もしくは突撃せよと。
兵士は塹壕を出た。死ねとは命令されていない。突撃せよとも号せられていない。
だが考えてみれば簡単だ。
敵上陸部隊に、弾丸一発で突撃する。それは自殺行為だ。どちらにせよ死ぬのだ。なら、一矢報いて死を選ぶ。それが自分に残された、唯一の道だろう。兵士はそう思う。
数人の敵斥候部隊に出くわした。幸い相手の横につくことができた。
この島に配置され、何十回と爆撃に曝され、やっと敵の姿を拝むことができた。
敵は岩場を進む。兵士は岩陰に隠れる。
敵は兵士に気づかない。僥倖とでも言うべきだろうか。兵士は焦らない。敵が歩いている岩場は、自分の周りを迂回するように道が延びている。敵は暫く兵士に向けて、横っ腹を向けたまま進むことになるだろう。
当然敵は、辺りを警戒している。怯えるように腰を屈め、周囲を神経質に見回している。
兵士は余裕を取り戻す。弾丸は必要ないのかもしれない。そう、敵が進む先には、上陸に備えて地雷を埋めた地点があるからだ。
あれだけの事前の爆撃にもかかわらず、奇跡的に生き残っていた地雷原だ。上陸の緊張からか、敵は地雷原に気づいていないようだ。
あの地雷原は、敵を肉の塊にするだろう。
敵は兵士に脇腹を見せて前に進む。地雷原に向かっているとは知らずに、前に進む。
兵士は岩陰にひそみ、弾丸を撃ち込みたいという衝動と戦う。地雷になど任せたくない。今撃てば、敵の一人は倒せるかもしれない。
どうせなら自分の手で戦友達の仇を取りたい。自分の手で弾を撃ち込んでやりたい。
だが一発でも弾を撃てば、生き残った全ての敵が足を止める。そうなれば、生き残った敵が、兵士を蜂の巣にするだろう。
いやそれどころか、一度足を止めてしまえば、敵は冷静になって地雷原に気がついてしまうことだろう。
敵は辺りを見回しながら前に進む。元の色素は違っていても、目に浮かぶ怯えの色は同じなのだろうか? 遠目で分かるはずもない敵の目の色を、兵士はうかがう。
敵は進む。地雷原に進む。死へと進む。
あの地雷原は敵を肉の塊にするだろう。
兵士は見守る。一発の弾丸を心に浮かべる。
敵は進む。一歩一歩怯えながら。
進む。進む。進む。進む。進む。進む。
兵士はピストルを握り締める。もはや敵は背中を見せている。見守るもよし、そっと後ろから撃つもよし。兵士は後は死ぬだけだ。
兵士は岩陰をそっと抜け出て、息を殺して敵の背中で銃を構えた。だが敵は気づかない。
敵はやはり進む。死へと進む。
敵は地雷原に進む。
あの地雷原は敵を肉の塊にするだろう。
先に撃つべきか? 撃たずに地雷原に任せるべきか? それとも……
彼は最後の弾を――