100万回死んだ悪役令嬢 ~ハッピーエンドの条件が、なぜか「戦闘中にプロポーズされること」でした。私を殺せる勇者から育てるほかありません~
私の首筋に、竜騎士の槍の追撃が来る。
見えていた。防げるはずだった。しかし、防御の詠唱は後衛の魔術師の魔封で遮られた。敵の完璧な連携。寸分違わぬ、いつもの手順。
膝が石の床に落ちる。
私は魔王軍『六芒星』の一角、「残虐の魔姫」スカーレット・ナイトブルーム。今日も予定どおり、討伐されている。
とどめの切っ先が、引き絞られる。目を閉じる。恐怖はとっくにない。あるのは、湯船に沈むときに似た、ちょっとした脱力感だけ。
「……かはっ」
前衛の騎士のレイピアに胸を刺し貫かれて、短い息が漏れた。
討伐、完了。
指の先から、体が黒い光の粒にほどけていく。
ただし意識だけは、体が消え切るまでのわずかなあいだ、床に残る。呪いの仕様は、妙なところで律儀にできている。
「ドロップどうだったー? いいのきた?」
「またきてない。紅玉、今週もなし!」
「こっちは耳飾り。うちの回復役の子が欲しがってたやつ。ラッキー」
「はーい、それじゃ今週もおつかれさまでしたー」
おつかれさまでした、じゃないのよ。
こちらはまだ消え終わっていない。死にかけの体で冷たい床に転がって、頭の上の戦利品チェックを聞いている。悔しさはとうに擦り切れた。擦り切れた痕が、それでもまだ薄く疼く。
誰もこちらを見ない。見る必要がないからだ。彼らにとって私は週に一度の作業で、言うなれば畑の芋掘り。芋に敬意を払う農夫はいない。
「そういや次の組、もう入り口まで来てたぞ」
「混んでんなあ、今週」
……並んでいるのよ。私を殺す、順番待ちが。
視界の隅に、灰色の光が滲む。文字だ。百万回、意味も分からず眺めてきた灰色。
――実績:『???』
表示は、いつまでも疑問符のまま。けれど三月前から、私はその裏に何が書いてあるかを知っている。
そこまで。
意識ごと、消滅。
目が覚めると、祭壇の上にいる。魔王城の最下層、私専用の「湧き場」。
祭壇の脇には、着替え一式を抱えた無表情の女が立っている。ノア。私の副官で、この城でただ一人、私の中身を知っている魔族。百万回の死の朝を、私はいつもこの顔に迎えられてきた。
「おかえりなさいませ」
「ただいま。今週これで三組目よ、信じられる?」
「門の外に、あと二組ほど並んでおります」
この城での湧き直しは、週に数度。数えるほうが野暮というものだけれど、数えてしまったものは仕方ない。死んだ回数、百万と少し。
髪を直し、ドレスを替え、何食わぬ顔で登城する。玉座の間に入ったところで、待ち構えていたように声がかかった。
「これはこれは。我らが誉れ高き〝最弱〟の魔姫殿におかれては、本日も人間どもへ施しを賜ったとか」
序列第二位、〝奈落の黒〟ヴァルグ。嫌味を敬語で包んで差し出すのが唯一の芸の男だ。施し――つまり、殺されて、ドロップ品を恵んでやること。
「ええ、尊い務めですもの。おかげさまで人間はよく肥えますわ。肥えた彼らが次にどの領地へ狩りに来るか、序列二位なら、とうにお考えでしょうけど」
彼の笑みの端が強張るのを見届けて、私は定位置に立つ。
ええ、ええ、殺されましたとも。
扇の陰で微笑んで、心の中でだけ悪態をつく。
――殺され損の週七勤務。前世なら労働基準監督署に駆け込んでいるところよ。
……と、こんな悪態が日本語で浮かぶようになったのは三月前。前世を思い出したからだ。とある残業漬けの会社員。ワンルームの記憶が戻った。それと、寝食を捧げたMMORPG『エターナル・サーガ』――通称エタサガの記憶。古典的なダークファンタジー小説を原作にして、百万人の冒険者がひとつの世界で狩りをするゲームだった。
この世界は、地形も、物価も、月の欠け方まで、何もかもそのまま。
そして今の私は、エタサガの「残虐の魔姫」スカーレット。魔王直属の大幹部『六芒星』の末席。六人がそれぞれ色の二つ名を冠していて、私のは緋。
六芒星はどれも終盤の大ボス枠で、上の五人は最果ての塔や海淵に座る最難関。攻略は事実上手つかず。最初にリリースされた私だけが、数多の冒険者によって検証し尽くされた。おまけにレアドロップ「魔姫の紅玉」は確率が渋くて、取得は週に一度きり。だからみんな、出るまで毎週欠かさず通う。
攻略法が確立していて、旨みがあって、何度でも殺せる。金策ボスの三拍子よ。褒めてほしいわけではないの。
ちなみに、攻略サイトやSNSでのあだ名は「悪役令嬢」。夜会用のドレスに扇、高飛車な台詞回し。イベントのたびに高笑いする令嬢ボスなんて、そう呼ばれるに決まっている。
名誉のために言っておくと、あの「残虐」はメインシナリオの都合よ。ゲームの中の私は、村から攫った生贄を喰らうことになっている。
でも原作の小説では、魔姫は生贄を逃がしているの。ゲームに移すとき、そこだけ落とされた。
だから私は、シナリオどおりに攫って、高笑いつきで連れ帰って、原作どおりに逃がす。SNSで「魔姫は実は救済キャラ」説を唱えていたみなさん、原作を読んだのね。正解です。
断っておくけれど、善意じゃないの。そういう趣味なだけ。
前世を思い出した夜、百万回分の死の記憶が、頭の中で一斉に棚卸しされた。
あの灰色の文字は、プレイヤーに見せるためのものではない。開発者向けの実行ログの表示だ。死の瞬間だけ、世界の縫い目が緩むのか、視界の隅に滲む。一回分では掠れて読めない。でも、百万回分の死を重ねて透かせば、読める。
――特殊スキル『未実装の機能解読』を習得しました。
――実装されないままゲームに残置された機能を、読み取ることができます。
だから次の討伐で、真っ先にあれを読みにいった。百万回、視界の隅で滲んでいた『???』を。
隠し実績、『ハッピーエンド』。
添えられた一文はこうだ。
――「残虐の魔姫」を解き放ちし勇者に与えられる名誉。
解除の条件は、四つ。読み上げは、ノアに頼んだ。自分の口で言うには、あまりに間抜けな文面だったから。
「一、魔姫スカーレットが、討伐に来た冒険者の誰かに恋をしていること。好感度パラメーター、九十以上」
「……ええ。続けて」
「二、その冒険者から、戦闘中に婚約指輪『淑女の誓い』を授与され、スカーレット様がプロポーズをお受けになること」
「戦闘中に、指輪を。剣を握っているあの人たちが」
「三、その際、スカーレット様の体力が、残り一桁であること」
芋掘りの途中で手を止める農夫がどこにいるの。レイドボス討伐というのは、最短の手順と最小の犠牲で終わらせる作業のことよ。
「四、戦闘中に、冒険者がスカーレット様へ極大魔法――」
ノアが顔を上げた。
「ここが、空白になっております」
「私が書き写せなかったの。呪文の名前だけ、解読が通らなくて」
百万回分の記憶を重ねて、条文はどこもかしこも透けた。そこだけが、灰色のまま滲んでいる。
「名前の読めない極大魔法を、三度。それが条件の四よ」
「……三度」
「三度ですって」
極大魔法。詠唱に三十秒、消費魔力は回復薬に換算して金貨二枚。おまけに私の殻は極大級を撥ね返す。撃てば自分に返ってくるだけ――攻略サイトの禁止事項の、堂々たる筆頭よ。それを、金策ボス相手に、三度。
ノアが羊皮紙を巻き直して、長い沈黙のあとで言った。
「その神様とやらを、訴える手はないのですか」
「あったら、百万回目に訴えているわ」
達成された状態で私が死ねば、湧き直しは発生しない。呪いは解けて、魔王軍の籍から抹消され、私はその冒険者のパーティの一員として生き直す。
そう。ボツになった企画の中身は、おそらく「六芒星が仲間になる」ルートだ。けれど大幹部をまるごと仲間キャラにするには、専用のイラストも、声も、イベントもいる。会議室で予算の話が出た瞬間に、企画書が握り潰される音まで聞こえるようだわ。
そうして中身は消え、実績のロックだけが削り忘れられた。
念のため、わざと数回殺されて条文を読み直した。付き合わされたノアは、二回目の検証から溜息をつくのをやめた。呆れが振り切れると、魔族は無になるらしい。
でも、ロックは残っている。
扉は、ある。
問題は、と元社畜の頭が冷える。
この世界の冒険者は、手順から外れない。攻略が完成しているから、誰も彼も最短の型どおりにしか動かないのだ。余分な一撃も、余分な詠唱もない。あの四条件は、事故だ。この湧き場で待っている限り、宇宙が終わるまで起きない種類の。
……ただ、型から外れた冒険者が、ひとりだけいた。
いつの討伐だったか。数百回前か、数千回前か。前衛の壁の後ろで、馬鹿正直に三十秒の詠唱をやり切っていた。仲間たちが「無駄だ、やめておけ」と笑う中で。
右の手のひらに炎、左の手のひらに氷。相反する二つを、どちらへも傾かせないまま。あんな構えは見たことがなかった。攻略サイトにも、原作にも、百万回分の私の記憶にもない。
その冒険者が両手を打ち合わせる。炎と氷が互いを食い合って、一条の光になった。
光が私を呑む寸前、目が合った。
――そこから先を、覚えていない。
体が勝手に殻を張って、撥ね返したことだけは分かる。反射は呪いの仕様で、私の意思とは関係がないから。けれどその後がない。百万回、一度も欠けたことのない記憶が、あの一度だけ抜け落ちている。
気がついたとき、冒険者は床に崩れていた。魔力の底が抜けた顔で、それでも目を逸らさなかった。
そして、殻の芯が軋んでいた。呪いの鎖が軋む音を、私はあのとき初めて聞いた。崩れた冒険者から目を離せないまま見た、視界の隅の灰色の文字は、いつになく鮮明だった。
殻を軋ませたのは、あの魔法だったのか。それとも、まっすぐ見られたことだったのか。いまも、分からない。
その冒険者はそのまま戦線を離脱した。仲間に肩を貸されて運び出されて、それきり、私の湧き場に現れていない。名前も所属も知らない。知っているのは、詠唱のあいだ一度も逸らされなかった、目の色だけ。
あの魔法の正体を調べたのは、条文を読んだあとだ。
解読が届くのは、実績だけではない。未実装のものならなんでも透ける。開発の覚書――仕様書と呼ぶべきものの、切れ端まで。
「読めましたか」
「いいえ。名前は、最後まで灰色のまま」
「では、収穫は」
「脇に、四文字あったの」
「四文字」
「未実装、と」
ノアの手が、止まった。
「名前が読めないのではなくて、名前が入っていないのよ。作りかけで捨てられたから」
「では、条件の四は」
「未実装の魔法を、三度撃たせろと言っているの」
三度で殻は割れる。条文がそう言うのだから、そこは信じるしかない。
そして――多くの仲間が命を張ってチームプレイをしているさなかに、レイドボスへプロポーズする冒険者。
百万回で、ゼロ。
手順。手順が私の牢獄だった。
……そこまで考えて、一度だけ、床を見た。
百万回殺されたということは、百万回、誰にも見られないまま死んだということだ。
――一度を、除いて。
それから、顔を上げた。
来ないなら、こちらから行けばいいのよ。
探す相手なら、決まっている。あの目の色。生きているなら、いまもどこかの街で杖を担いでいるはずだ。
見つからなければ、冒険者は無数にいる。見込みのある誰かを一から探す。性根がまっすぐで、伸びしろがあって、できれば顔が好みだと嬉しい。最後のは打算じゃなくて乙女心。
本命の捜索と、保険の育成。両面作戦よ。
誰であれ、見つけたら鍛える。私の倒し方を手ずから教え込む。極大魔法が撃てるところまで育て上げて、体力の削り方の癖まで仕込んで、それから――惚れてもらう。
残る難所は、条件の四。この世界に存在しない魔法を、どうやって三度撃たせるのか。保険の育成では埋まらない穴よ。答えは、まだ出ていない。
……条件の一が、あの日から半分埋まっていることは、ノアにもまだ言っていない。
プロポーズは、必ず向こうから。そこだけは、どうやっても操作できない。人の心の動かし方だけは、どこの攻略サイトにも載っていなかったから。
この世界に勇者はいない。いるのは効率のいい芋掘り農夫だけ。
いないなら、育てればいい。私を殺しきってくれる、世界にたった一人の勇者を。
計画を打ち明けると、ノアは長い沈黙のあとで言った。
「整理させてください。プロポーズしてくださる相手を、これから探して、鍛えて、ご自分の倒し方を教え込むと」
「ええ」
「正気の沙汰ではありませんね」
「百万回死んで、まだ正気でいられるほうがどうかしているのよ」
「……荷物は二人分でよろしいですか」
「あら、来てくれるの」
「お一人では、初日に身元が割れます」
乾いた女で助かる。湿っぽいのは、百万回分でもう足りている。
ちなみに、元の世界へ帰る方法は探していない。終電と、床寝と、目覚ましに死んだ顔を起こされる日々。生きている実感なんて、このゲームの中にしかなかった。神様が手違いで寄越したこの席を、返す気はないの。座り心地は、最悪だけれど。
言っておくけれど、解放だの救済だの、そんな上等な話ではないの。
私はただ、死に直したいだけ。数え直しのきかない、一度きりの命として。
転生前の自分が、クソみたいな会社と世間に、その一度を使い切ったみたいに。
支度は、とうにできていた。
私が消えれば、紅玉を目当てに通う冒険者の列は、空の湧き場の前で途方に暮れるでしょうね。
……知ったことではないわ。
一度でも「よくやった」と言われていたら、迷ったかもしれない。
同僚の誰かが一度でも「最弱」以外の名で呼んでいたら、迷ったかもしれない。
死んだ私に、誰かひとりでも手を合わせていたら――ええ、きっと迷った。
百万回あって、一度も無かったけれど。
「……未練は、と訊かないのね」
「訊く必要が、ございますか」
「無いわね。荷物は軽くして、ノア」
出立の朝。旅装に袖を通した瞬間、体が軽くなった。
湧き場の呪いは、私を「討伐される側」に固定していた。経験値は入るのに、いくら積んでもレベルには乗らない。配る側が強くなってしまったら、金策ボスとして欠陥品だもの。
けれど、自分の意志でフィールドへ出ると決めた女に、その枷はもう働かない。百万回分の雀の涙が、まとめて反映されはじめた。
――レベルが上がりました。
――レベルが上がりました。
――レベルが上がりました。
同じ一行が、目で追えない速さで流れ続ける。全部が片付くまで、ずいぶん待たされた。
――レベルが上限に達しました。
……こういうところだけ、この世界の仕様は律儀なのよ。
玉座の間へ入る。玉座は空だった。百万回の死に一度も立ち会わなかった席が、今朝も空いている。
旅装の私を見て、同僚たちが笑った。
「最弱が、何をしに行く」
「どうせすぐ死ぬ。湧き場が変わるだけだろう」
「なんなら見送って差し上げようか、最弱の魔姫殿。道中、人間に攫われでもせぬように――」
「――『クリムゾンバインド』」
ヴァルグの声は、そこで途切れた。
緋色の鎖が床から噴き出し、彼の四肢と口を縛り上げたからだ。本来なら三十秒の詠唱がいる縛鎖の魔術を、名前ひとつで。
……百万回。私は百万回、この身で覚えてきたのよ。人がどう詠唱を潰すか。どう関節を極め、どう口を塞ぐか。殺された回数だけ、殺し方を知っている。
玉座の間が、静まり返る。誰も、次の言葉を継がなかった。
私は空の玉座に向かって裾をつまみ、腰を落とす。原作どおりの、完璧なお辞儀。
顔を上げて、原作にない台詞をひとつ。
「ちょっと冒険者討伐してきますわ」
行き先は、決めてある。
あんな魔法を組み上げる冒険者が、名もない街に埋もれているはずがない。大陸中の魔術師が生涯をかけて魔法を修める場所は、ひとつきりよ。
目指すは――王立アストラル魔術学院。
魔王軍の大幹部が、入学願書から始めるのよ。笑いたければ、どうぞ。
作品を読んでいただき、ありがとうございました。少しでも楽しんでいただけましたら、ブクマ・評価で応援していただけると嬉しいです!




