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初処理

 夜、相馬悠斗は宿舎のベッドで身体を丸めていた。

 休もうと思っても、休まらない。


 目を閉じると、浮かびあがってくる。

 事故現場の男の顔。

 階段の踊り場に立っていた女の子の姿。


 そして、遺族が向けてきた、人殺しを見るような視線。


 忘れようとしても、忘れられない。

 頭の奥に貼り付いて、剥がれてくれない。


 耳のすぐ横で、未終死体たちの囁きが続いている気がする。

 相馬は震えながら膝を抱えて、指先に力を込めた。


「なんで……

 みんなはこの社会を受け入れてるんだ……」


 その時、机の上の携帯が鳴った。

 その音に相馬は跳ねるように肩を上げた。


 恐る恐る画面を見ると、菜緒という名前が表示されていた。


「仕事の調子はどう?

 明日、久しぶりのデート楽しみにしてるね!」


 相馬は画面を見つめたまま、指が止まった。


「ああ……

 約束してたっけ……」


震える指で文字を打つ。


「ごめん。

 疲れてるから、また今度で」


 相馬は携帯を伏せて、ベッドに横になった。


 返事が来たのか、もう一度携帯が鳴った。

 だが相馬の耳には届かなかった。


 相馬は先輩たちの言葉を思い出していた。


「死者を守る。

 それが処理官の誇りだ。」


守屋恒一の言葉が、真っ直ぐに刺さっている。


「最初はそんなもんだ。

 俺や先輩だってそうだ。」


 久保直人の声も思い出す。


 先輩たちは、何を思って処理官を続けているのだろう。


 処理官は、何を守る仕事なのだろう。


 そして夜が明ける。

 相馬は結局、眠れなかった。



 時計は、まだ五時を回ったばかりだった。

 相馬は誰よりも早く局へ出勤していた。


 初日の緊張した顔とは違う。

 目の下に影を落とし、疲れが皮膚の外に滲んでいる。


 それでも足が動いたのは、止まると壊れそうだったからだ。

 相馬は黙って掃除を始めた。


 しばらくして、足音が廊下を近づいてきた。

 扉が開き、守屋と久保が並んで入ってくる。


「おはようございます」


 相馬の声は、自分の耳にも細く聞こえた。


「おはよう」


 守屋は短く返した。久保がすぐに相馬の顔を覗き込んでくる。


「新人、大丈夫か?

 顔色悪すぎるぞ」


相馬は反射で答える。


「大丈夫です……」


 久保は守屋へ振り返った。


「先輩、今日はこいつ帰らせましょう。

 明らかに無理してる」


 相馬は慌てて首を振った。


「だ、大丈夫ですよ!

 少し、寝れなかっただけなんで……」


「でもよ……」


 久保の声が続きそうになったところで、守屋が相馬の前に立った。


 守屋の目は、静かだった。


「本当に大丈夫なのか?」


「はい!」


 相馬は勢いで返してしまった。


「そうか」


 それ以上は言わず、守屋は自分の席へ向かって書類に目を通し始めた。

 そこに、久保が食い下がる。


「先輩!

 少し冷たくないですか!」


 守屋は書類から目を離さない。


「本人が言ってるんだ。

 本当にダメならすぐに帰らせる」


 久保は歯を噛んで、息を吐いた。


「わかりました」


 久保は相馬へ向き直る。


「新人!

 無理なら素直に言えよ!」


 相馬は頭を下げた。


「ありがとうございます……」


 相馬は下を向いたまま席についた。

 守屋は横目で相馬を見ていたが、何も言わなかった。



 その日、通報はなかった。

 パトロールも、報告書も、単調に終わった。



 夕方、喫煙所。

 守屋がタバコを吸っていた。

 久保は壁にもたれ、遠慮がちに口を開く。


「今日は何もありませんでしたね」


「そうだな」


 久保は少し迷ってから続ける。


「新人、大丈夫ですかね?

 飯も食ってないみたいですし」


 守屋は煙を吐き、間を置いた。


「どうかな。

 ただ、見切りをつけるなら早いほうがいい」


 久保の顔が強張る。


「先輩!

 それはいくらなんでも──」


 守屋は淡々と言う。


「俺たちもそうだっただろ?

 適正があるかないかは本人が決めることだ」


 煙の向こうで、守屋の目は揺れない。


「やめれずに続けて、退官してからも一般の生活に戻れない奴もいる」


 久保は言い返せず、唇を噛んだ。


「そうですけど……」


 守屋は短く続ける。


「あいつは空気が読める奴だろ。

 俺たちがおせっかいをかけすぎても、あいつの判断を遅らせるだけだ」


 久保は肩を落とす。


「わかりました……でも──」


 その言葉を遮るように、無線が鳴った。


「恒常生命管理局、通信です。

 板橋区集合住宅、自殺とみられる事案を確認。

 対象は高齢男性一名。

 首吊り状態で発見。

 現場はすでに安全確保中。」


 守屋がタバコを地面に落とし、踏み消した。


「いくぞ!」


 守屋と久保は局へ駆け戻る。

 未終死体処理課の部屋へ入ると、相馬は机に伏していた。


「相馬!

 無線聞いたか?」


 相馬は跳ね起きる。


「は、はい!」


 守屋は短く命じる。


「行くぞ。

 処理具持ってこいよ」



 守屋たちは久保の運転で現場へ向かった。

 

 久保はいつもの軽口を叩かない。

 守屋は腕を組み、目を閉じたまま何も言わない。

 相馬は槍状の処理具を持ち、ただ震えていた。



 現場に着くと、集合住宅の前は警察が封鎖していた。

 赤いテープが張られ、警官が立っているだけで、日常が別物に見えた。


「恒常生命管理局の者です」


 警官がすぐに姿勢を正した。


「お待ちしておりました。

 現場へ案内します」


 三人は警官の後ろについて階段を上る。

 足音がコンクリートに響く。


 警官は淡々と説明を続ける。


「住民は全員避難させました。

 念のため、半径二棟分を封鎖しています。

 高齢の男性が一人。

 室内で首を吊っていました」


 警官は息を整えるように、言葉を足した。


「……死亡は確認しています」


 守屋は頷く。


「わかりました」


 相馬は下を向いたまま、震えながら後をついていく。

 久保は相馬の様子に気づいているのに、声をかけられずにいた。


「こちらです」


 集合住宅の三階の一室。

 扉はすでに開いていた。


 部屋の奥から、呻き声が聞こえてきた。

 守屋たちは土足のまま上がり込み、奥の部屋へ進んだ。



 そこに、自殺した高齢男性の未終死体がいた。


 天井付近から伸びるロープ。

 首元に食い込んだ影。

 身体は前に垂れ、手足は力を失ったように下がっている。


「動いてない……」


 相馬は思わず呟いた。


 その瞬間だった。

 死んでいるはずの身体が、激しくもがいた。

 空気を掴むように腕が跳ね、脚が床を探すように暴れる。

 喉の奥から、潰れた音が漏れる。


「う……うぅ……」


 相馬の足から力が抜けた。


「やっぱり……

 生きてる……」


 守屋の声が、冷たく切る。


「いや、もう死んでる」


 守屋は久保へ目を向けた。


「久保、頼む」


 久保は目を伏せる。


「わかりました」


 久保は準備していたバンド状の拘束具を取り出した。

 鉄と強力な繊維で補強された、未終死体を拘束するための道具。


 久保は近づき、手足に巻きつける。

 四肢が固定され、動きが封じられていく。


 完全に動けないことを確認してから、久保はロープを切った。


 守屋が相馬の前にしゃがみ、目線を合わせた。

 そして、静かに告げた。


「相馬。

 あの未終死体はお前が処理するんだ」


「っえ……」


 相馬の喉が鳴る。


「処理官として生きていくなら、覚悟を決めろ」


「でも……」


 守屋は、あの言葉をもう一度置いた。


「死者を守る。

 それが処理官の誇りだ」


 相馬の口が震える。


「死者を……守る……」


 守屋は頷く。


「そうだ。

 俺たちがやらないとダメなんだ」


相馬は息を吐いた。


「わ、わかりました」


 相馬は立ち上がり、槍状の処理具を構えた。


 相馬が未終死体へ近づくと、久保が肩を叩いた。

 何も言わず、ただ、一度だけ強く叩いた。


 相馬の胸が激しく上下する。

 呼吸が荒い。


 その時、未終死体が小さく呟いた。

 声になりきらない声だった。


「妻を……かえ……せ……」


 相馬は槍を頭上に振り上げた。

 だが、振り下ろせない。


 身体が拒み、呼吸だけが荒くなる。


 そこに、守屋の声が飛ぶ。


「相馬!」


 相馬は声を搾り出した。


「うあぁぁーーー!」


 槍が振り下ろされ、首元を貫いた。


 抵抗が手の中に残る。

 相馬の腕が震え、膝が崩れそうになる。


 未終死体は何かを呟いていたが、相馬の耳は、もうそれを拾えなかった。


 相馬は槍から手を離し、両手を見た。


「俺が……

 俺がやったのか……」


 相馬は振り返り、守屋たちに告げた。


「処理……完了しました」


 その顔は、目が死んでいた。

 涙が流れているのに、表情が動かない。

 目の下のクマが、酷さを強調していた。


 守屋が近づき、相馬を強く抱きしめた。


「よくやった。

 こんなやり方ですまない」


 相馬の肩が、小さく震えた。


「主任……

 おれ……おれが……」


 声が途切れ、言葉にならない。

 守屋は相馬の頭に手を置いた。


「何も言うな。

 お前が、この方を守ったんだ」


 相馬の呼吸が一瞬止まり、次の瞬間、崩れた。


 守屋の胸に顔を押しつけ、声を殺しきれずに泣いた。


 久保は相馬の肩を一度叩き、それから高齢男性の遺体を袋に詰め始めた。


 袋に収められる顔は、死にながらも怒りに満ちている気がした。



 室内の机の上に、遺書が置かれていた。

 その横に、封筒が一通。


 封筒の表には、恒常生命管理局、予期死管理課と印字されていた。


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