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【完結】【連載版】断罪された悪役令嬢ですが、真実の愛よりも大切なことを教えてさしあげますわ  作者: 上下サユウ
第三章

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第三十六話 私の代打ちですの

 カジノホテル『ロイヤル・フラッシュ』の最上階。

 選ばれた富裕層のみが入室を許されるVIPルームは、下層の喧騒とは無縁の重厚な静寂に包まれていた。

 床には深紅の絨毯が敷き詰められ、壁には名画が飾られている。

 だが、その空気は澱んでいた。

 甘い香水の匂いと、焦げつくような金への執着。そして敗者たちの絶望が染みついた、独特の気配が漂っている。


「ようこそ、私の聖域へ」


 部屋の中央に置かれた緑のテーブルの奥で、カジノ王ジラルド・スパーダが待ち構えていた。

 彼は革張りの椅子に深く腰掛け、細い指でコインを弄んでいる。

 その背後には、武装した黒服の護衛たちが彫像のように控える。


「レートはいかがいたしましょう? 帝国の『女神』に恥じない額をご用意せねばなりませんが」


 ジラルドが挑発的に微笑む。

 アイリスは優雅に席に着くと、隣に立ったアレクセイがトランクケースを開いた。

 中には帝国銀行が発行した高額小切手の束がぎっしりと詰まっている。


「とりあえず、金貨10億枚相当から始めましょうか」

「ほう……」


 ジラルドの眉が動いた。

 何せ国家予算レベルの金額。だが、彼の目には怯えではなく、蛇が獲物を飲み込む前の歓喜が浮かんでいた。


「素晴らしい。では種目は『ポーカー』でよろしいかな? 互いの腹を探り合う、最も知的な遊戯だ」

「ええ、構いませんわ。ただし……」


 アイリスは扇子を閉じ、後ろに立っていたアレクセイを見つめる。


「プレイヤーは私ではなく、彼ですわ」

「ん……?」


 ジラルドが目を丸くする。

 そこに立っているのは、仕立ての良いスーツを着ているものの、目は死んだ魚のように虚ろで生気のない従者。


「彼は私の『代打ち』ですの。私は計算と指示はしますが、カードに触れるのは彼。構いませんわよね?」

「ふっ、なるほど」


 ジラルドは鼻で笑った。

 素人を盾にするつもりか。あるいは負けた時の言い訳作りか。どちらにせよ、カモが増えただけだ、と。


「よろしい。では始めよう」

 

 ジラルドの低い声でゲームが始まった。

 ディーラーがカードを配る。その手つきは洗練されているが、アイリスの目には、彼が指先に微弱な魔力を纏わせているのが見えていた。


 『すり替え』の準備だ。

 そしてジラルド自身もまた、特殊な魔道具を使っていた。

 彼の左目に嵌められたモノクル。それは高位の『透視魔法』と『読心魔法』が付与された、禁断の魔道具。

 これがあれば相手の手札はおろか、次に何をしようとしているのか、思考さえも読み取ることができる。


(さて、帝国の従者よ。その薄汚い頭の中を覗かせてもらおうか)


 ジラルドはモノクル越しに、対面に座ったアレクセイを凝視した。

 読心術の発動。相手の思考が、声となって頭に流れ込んでくる……はずだった。


『…………』


 何も聞こえない。

 ジラルドは焦点を合わせる。

 恐怖、焦り、欲望、勝利への渇望。ギャンブラーなら必ず持っているはずの感情が一切ない。

 聞こえてくるのは砂嵐のような音だけであり、強いて言語化するのであれば、それは――


『帰りたい……』

『腰が痛いな』

『今日の夕飯はなんだろうか?』

『ボスに怒られないようにしなければ』


(な、なんだ、この男は……!?)


 ジラルドは戦慄した。

 目の前の男は、10億枚の金貨がかかった大勝負の席にいるというのに、緊張も興奮もしていない。

 ただ、工場のライン作業でネジを締めるのと同じ感覚で、淡々とカードを持っているだけなのだ。

 ソフィアでの過酷な実験により、アレクセイの感情中枢はすでに焼き切れている。

 恐怖を感じる機能が麻痺し、欲望など、とうに枯れ果てている。

 今やアレクセイは人間ではない。命令通りに動く、生きた『機械』だった。


(読めない……ブラフか? それとも本当に何も考えていないのか……!?)


 ジラルドの額に汗が滲む。

 読心が通じないなら、透視でカードを見るしかない。

 彼はモノクルのモードを切り替え、アレクセイの手札を透かして見た。

 『ハートの7』と『クラブの2』。

 役なしだ。


(ふん、手札はクズだ。これなら勝てる)


 ジラルドは強気にレイズ(賭け金の上乗せ)に出た。

 だが、アレクセイは眉一つ動かさず、機械的にコール(同額を出して勝負)した。

 カードが開かれる。

 場に出たカードと合わせても、アレクセイは役なし。ジラルドのワンペアの勝ち、そのはずだった。


「……フラッシュだ」


 アレクセイがカードをめくった瞬間、そこにあったのは真っ赤なハートの絵札だった。


「なんだと……!?」


 ジラルドが椅子を蹴って立ち上がる。


(透視では確かにクズ手だったはずだ! いつの間にすり替わったのだ!?)


「イ、イカサマだ! 貴様、今カードを……!」

「おやおや、オーナー」


 背後で見ていたアイリスが、冷ややかに声をかけた。


「証拠はありますの? まさか、『透視魔法で見た時は違うカードだった』。なんて、おっしゃるつもりではありませんわよね?」


 ジラルドは言葉を詰まらせた。

 それを言えば、自分がイカサマをしていたことを認めることになる。


(馬鹿な……。私の透視を欺いただと? いつ? どの瞬間だ?)


 ジラルドはアレクセイを見る。

 アレクセイは相変わらず、虚ろな目で宙を見つめている。

 勝った喜びもない。

 ただ、配られたカードを処理しただけだが、アレクセイの目は、ドワーフの工場で高速回転するベルトコンベアを見続けた結果、異常なまでの『動体視力』を身につけていた。


 ディーラーがカードを配るコンマ数秒の指の動き、カードが空気を切る音、それらがスローモーションのように見えていた。

 アレクセイにとって、カードのすり替えなど、『見え見えの手品』に過ぎない。

 そしてアイリスの指示通り、相手がイカサマを仕掛けてきた瞬間に、さらに上を行く速度で、袖口に隠したカード(アイリスが事前に確率計算して用意させたもの)と入れ替えていた。


 魔法を使わず、純粋な物理の超絶技巧(ゴリ押し)。


「次です。配ってください」


 アレクセイが抑揚のない声で催促する。

 その顔は何も映さない。

 まさに『ポーカーフェイス』。


「お、面白い……受けて立とう」


 ジラルドが座り直す。

 だが、彼の手は微かに震えていた。

 魔法という安全圏から一方的に狩りをしてきた捕食者が、初めて理解不能な怪物と対峙した恐怖。


 勝負の流れは、確実に変わり始めていた。

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