第三十五話 娯楽都市『ラスト・ベガス』ですわ
パリス花王国でのファッション革命を終えたアイリスたちは、大陸をさらに西へと進んでいた。
車窓の景色は色とりどりの花畑から一変し、荒涼とした砂と岩の砂漠地帯へと変わる。
夜の帳が下り、月明かりだけが頼りの暗闇の中、突如として、地平線が輝き始めた。
砂漠の真ん中に浮かぶ、不夜城。
無数の魔導ランプが煌めき、強烈な光を放っている。
娯楽都市『ラスト・ベガス』。
大陸で賭博が合法化された唯一の自治区であり、一攫千金を夢見る者たちが吸い寄せられる、欲望の終着点。
「それにしても眩しいな、夜だというのに昼間より明るいとはな」
後部座席でルーカスが目を細めた。
装甲車が市街地に入ると、そこは光の洪水だ。
巨大な黄金の女神像、噴き上がる噴水、通りを埋め尽くす着飾った人々。
彼らの目は異様にギラつき、どこか熱に浮かされたようにカジノへと吸い込まれていく。
「この街の動力源は『欲望』ですわ。楽をして富を得たいという人間の業が、この巨大な都市を動かしています」
車が路地裏の角を曲がった瞬間、光景は一転する。
華やかな大通りから一本入っただけの場所に、光が届かない闇が広がっていた。
そこにはボロ布を纏った人々が、ゴミのように転がっていた。
「金貨一枚……あと一枚あれば取り返せるんだ……」
「頼む! 賭けさせてくれ! 俺にはまだツキが残ってるんだ……!」
彼らは皆、痩せこけて目は窪み、それでもカジノを拝むように見つめている。
全財産を毟り取られ、心まで壊された敗者たちの末路。
「……噂以上にひどいものだな。これが娯楽の街の実態か」
「ええ、この街は『夢』を売っているように見せかけていますが、その実態は『搾取工場』です。客から金を吸い上げ、吸い尽くせば借金を背負わせ、地下の鉱山や、闇ギルドへ労働力として売り飛ばす。効率的な人間牧場ですわね」
アイリスの瞳に、計算機のような冷たい光が宿る。
ギャンブルそのものは否定しないが、胴元が暴利を貪る『不公正なゲーム』は許さない。
やがて街の中央にそびえ立つ、巨大なカジノホテル『ロイヤル・フラッシュ』に到着した。
天を衝く尖塔を持つその建物は、この街の支配者である、カジノ王『ジラルド・スパーダ』の居城でもあった。
「いらっしゃいませ! 夢と魔法の王国へ!」
入り口では燕尾服を着たドアマンが満面の笑みで迎えてくれた。
だが、アイリスたちが車を降りた瞬間、ドアマンの目が値踏みするように細められた。
アイリスたちの服を見る。
パリスで作らせた最高級の黒いスーツとドレス。
車を見る。
ドワーフ製の未知の装甲車。
そして、アレクセイを見る。感情のない、よく訓練された使用人。
(カモだな)ドアマンの目に、欲望の色が浮かぶのが見えた。彼らは上客としてではなく、脂の乗った獲物として歓迎された。
広大なカジノフロアに足を踏み入れると、熱気と騒音が押し寄せる。
ルーレットが回る音、カードが配られる音、そして客たちの歓声と悲鳴。
アイリスはフロアの中央にあるルーレット台の前で足を止める。
そこに小太りの商人が、大量のチップを赤に賭けて祈っていた。
「赤だ! 赤来い!」
ディーラーが球を投じる。
カラカラカラ……。球は勢いよく回り、赤のポケットに落ちそうになるが、不自然に弾かれ、隣の黒に入った。
「あああああっ! なんでだぁぁぁ!」
商人が崩れ落ちる。
ディーラーは「残念でしたね。次はきっと当たりますよ」と、同情するような顔でチップを回収していく。
だが、球が落ちる瞬間、ディーラーの指先から微弱な風魔法が放たれたのを、アイリスとルーカスは見逃さなかった。
「……胴元の取り分どころの話ではありませんわね」
アイリスは扇子で口元を隠し、ルーカスに耳打ちをした。
「勝率が操作されているようだな」
「ええ、ここは賭場ではありませんから」
「だろうな。ただの『集金装置』といったところか。卑劣な真似を……」
「ですが、証明できなければ『不運』で片付けられますわ」
その時、フロアの奥から黒服の男たちが静かに近付いてくる。
彼らの中心にいるのは、長身で細身の男。
撫でつけた黒髪に、細い口髭。仕立ての良い白いスーツを着こなしているが、その目は冷たく、感情がない。
この街の支配者、ジラルド・スパーダ本人だった。
「おや、珍しいお客様だ。……帝国皇帝と、噂の『帝国の女神』とお見受けする」
ジラルドは優雅に一礼したが、その目は二人を舐めるように観察していた。
「パリスの女王を破産させ、エルフの森を買収したという噂は聞いておりますよ。……その莫大な資産を、我がカジノで増やしに来られたのですかな?」
慇懃無礼な言葉。
彼は知っているのだ。アイリスが莫大な金を持っていることを。そして、その金を骨の髄までしゃぶり尽くすつもりで、自ら出迎えに来たのだ。
「ええ、少し余興を楽しみに参りましたの」
アイリスは微笑んだ。その笑顔はジラルド以上に冷たく、そして鋭かった。
「ですが平場のゲームでは退屈ですわ。……もっと、高レートで、スリリングな遊び場はありませんこと?」
挑発。
ジラルドの口元が三日月型に歪む。
カモが自ら鍋に飛び込んできたと思ったのだろう。
「もちろんですとも。……貴女方のような特別なゲストのために、最上階に『VIPルーム』をご用意しております。そこでは賭け金の上限はありません」
「素敵ですわ。ご案内いただけます?」
アイリスはルーカスの腕を取り、ジラルドの後に続いた。
背後には、トランクケースを持ったアレクセイが無言で従う。
エレベーターが上昇していく。
それは天国への階段か、地獄への落とし穴か。
「アイリス、勝算はあるのだな?」
ルーカスが小声で尋ねる。
「100%ですわ。彼らは『魔法』という不確定要素でイカサマをしています。ならば、こちらは『数学』という絶対的な法則で対抗するまでです」
「ふっ。数学とは、お前らしくて最高だよ」
彼女の視線が、アレクセイの虚ろな背中に向けられた。
イカサマを見抜く目と、動じない心を持つ最強のプレイヤー。
確率の神を殺す戦いが始まる。




