第三十四話 超高級ブランドを作っていただきます
黒い革命の夜が明け、パリス花王国の朝は、かつてない色彩に包まれていた。
王宮広場から伸びる大通りでは、人々の装いが目に見えて変わっている。
昨日まで灰色の服を着て俯いていた平民たちが、鮮やかな青や赤のジャケットを羽織り、胸を張って歩いている。
一方で、貴族たちもまた、変化を受け入れ始めていた。
過剰な装飾やコルセットを捨て、アイリスが提案した『シンプルで動きやすい黒』を取り入れた若者たちが、颯爽と馬車に乗り込んでいく。
身分に応じて色を制限する『色彩取締法』は、たった一夜で守られなくなった。
誰が貴族で、誰が平民か、服の色だけでは見分けがつかない。残ったのは『センスが良いか、悪いか』という公平な基準だけだ。
◇
王宮の最上階『白薔薇のサロン』。
かつて、女王マダム・ロサが愛したその部屋は、今や抜け殻のように静まり返っていた。
豪華な調度品は片付けられ、床には書き損じのデザイン画が散乱している。
ロサは窓辺に立ち尽くしていた。
彼女が身につけているのは、飾り気のない黒いドレス。化粧も落とし、その顔には実年齢相応の疲れと、深い絶望が刻まれている。
「……終わったのですね」
背後で扉が開く音を聞き、ロサは振り返ることなく呟く。
「民衆は、わたくしの美学よりも貴女の安物を選んだ。貴族たちも、わたくしを見限って新しい流行に飛びついた。完敗ですわ……」
入室してきたのは、アイリスとルーカス。
アイリスは散らばったデザイン画の一枚を拾い上げ、興味深そうに眺める。
「女王陛下、退位の準備はよろしいですか?」
「……ええ、ギロチンでも毒杯でも好きになさい。美意識を否定されたまま生き恥を晒すくらいなら、死んだほうがマシです」
ロサは毅然として顔を上げ、ルーカスを見た。
この男の武力と、あの女の知略。勝てるはずがなかった。
「勘違いなさらないでください」
アイリスは拾ったデザイン画をテーブルに置く。
それは複雑な刺繍と大胆なカットが施された、独創的なドレスのスケッチだった。
「私は貴女の『美意識』を否定したわけではありません。否定したのは『独占』と『価格』です。むしろ、貴女のデザインセンス自体は高く評価していますの」
「え……?」
ロサが虚をつかれた顔をする。
「殺しなどしませんわ。死んでお詫びをする暇があるなら、働いて借金を返していただきます」
アイリスは懐から分厚い契約書を取り出す。
表紙には『帝国繊維公社・パリス支部:最高デザイン責任者雇用契約書』とある。
「働く……? このわたくしが? 平民のように?」
「ええ、大衆向けの安い服は帝国の工場が機械で量産します。ですが、それだけでは世界は退屈ですもの」
アイリスはロサの目を見据える。
「人は安物が普及すればするほど、逆の『本物』を求める生き物です。貴女には富裕層向けの『超高級ブランド』を作っていただきたいのです」
「……超高級ブランド?」
「素材は帝国の『錬金繊維』を使いますが、縫製は貴国の職人が手作業で行う。デザインは貴女が担当し、タグには『ロサ・モデル』と刺繍を入れる。……これなら、貴族たちは喜んで金貨を払うでしょう」
ロサの手が震えた。
アイリスは彼女のプライドを粉砕した上で、その破片を拾い集め、新たな玉座を用意している。国を治める女王ではなく、美を統べるデザイナーとしての玉座を。
「……屈辱ですわ。わたくしに貴女の手先になれと言うのですね」
「嫌なら断っても構いません。その代わり、この国はただの『下請け縫製工場』になりますが」
究極の選択。ロサは唇を噛み締め、契約書をひったくった。
「や、やってやりますわよ! わたくしのデザインが、貴女の量産品なんかより、遥かに美しいことを世界中に知らしめてやります!」
「ふふっ、契約成立ですわね」
アイリスは微笑んだ。
これでパリス花王国の『繊維産業』と『デザイン知的財産』は、帝国の管理下に置かれることになった。
◇
王宮の中庭では出発の準備が進められ、装甲車のトランクに、ロサが選定した最新の布地サンプルが積み込まれた。
車の横には『フォーマル・ブラック』のスーツ姿のアレクセイが立ち、周囲を貴族の令嬢たちが取り囲んでいた。
「アレクセイ様、もう行かれるのですか……?」
「その憂いを帯びた瞳……素敵ですわ!」
「どうか、私のスカーフを受け取ってくださいまし!」
黄色い声援が飛ぶが、アレクセイは無反応だ。
ただ虚空を見つめ、時折、機械的に「どうも」と呟くだけ。
だが、その冷たい対応が、逆に『クールでミステリアスな貴公子』として、令嬢たちのハートに火をつけていた。
「……罪な男だな、あれは」
テラスからその様子を見ていたルーカスが、呆れたように言った。
「中身が空っぽだからこそ、女性は勝手に理想を投影するのでしょう。……さて、そろそろ回収しますわ」
アイリスが手を叩くと、アレクセイは反射的に反応し、令嬢たちを押しのけて運転席に乗り込んだ。
アレクセイにとって重要なのは、愛の告白よりも、出発時間に遅れてボスに叱られないことだけなのだ。
車が動き出す。
色とりどりの服を着た市民たちが、沿道で手を振る。
灰色の街はもうどこにもない。
パリスは名実ともに『花の王国』へと生まれ変わった。
車内でルーカスが革張りのシートに深く身を預ける。
「資源、工業、知識、食料、そして衣服……。これで、人が生きるための基盤は全て帝国の手中だ。アイリス、次はどこへ向かうというのだ? いつまでも帝国を、宰相や大臣たちに任せきりにはできんぞ」
「ええ、承知しておりますわ。ですが、どうしても行かねばならない場所がございますの」
アイリスは膝の上の地図を広げた。
西の果て、砂漠と海に挟まれた一角に、毒々しいほど煌びやかな印が記されている。
「人間は衣食住が満たされると、次に何を求めると思いますか?」
「そうだな。……名誉か? それとも愛か?」
「いいえ、『刺激』と『夢』ですわ、陛下」
アイリスの指が新たな都市を指し示す。
――娯楽都市『ラスト・ベガス』。
大陸中の金が集まり、一夜にして億万長者が生まれ、一夜で路地裏の死体が生まれる場所。
巨大なカジノと華やかなショー。そして裏社会の闇が渦巻く、欲望の終着点。
「この世で最も効率の良い集金システム――それは『ギャンブル』です。そこを制圧すれば、大陸中の資金の流れを握れますわ」
「ラスト・ベガスか。噂程度でしか知らないが、支配者はイカサマと暴力で客から金を巻き上げていると聞いたことがあるな」
「ええ、まずはそのイカサマの種を暴きます。彼らの化けの皮を剥がして差し上げましょう」
「相変わらず、私の妻は最高だな」
目指すは眠らない街。
ルーレットとカードが支配する、賭場のテーブルだ。




