第三十二話 新しい美のお披露目会を開催いたします
明日の投稿は、12時と17時になります。
翌朝。
パリス王国の首都中央広場に異変が起きていた。
普段は市場が立ち並ぶ石畳に、一夜にして巨大な黒い舞台が出現していた。
帝国の土木技術と魔法で一夜にして組まれた舞台は、灰色の服のまま暮らす市民たちにとって、あまりに異質で、抗いがたいほど魅力的だった。
噂は風に乗り、街の隅々まで駆け抜けていく。
「帝国の商人が平民でも買える美しい服を売るらしいぞ」
「来場者には服をタダで配るそうだ」
娯楽に飢え、美を禁じられていた市民たちが、吸い寄せられるように広場を埋め尽くしていく。
その数は数千人に及んだ。
彼らの服は一様に灰色か茶色。まるで石ころの群れのような光景だ。
正午の鐘が鳴り響くと同時に、舞台の幕が上がり、帝国の最新鋭音響魔道具が重厚な音楽を奏で始めた。
「市民の皆様、ごきげんよう」
舞台袖から拡声魔道具を使ったアイリスの声が響き渡った。
「長らくお待たせいたしました。これより帝国の最新技術が生み出した『新しい美』のお披露目会を開催いたします」
スポットライトが舞台中央を照らすと、そこにアレクセイが立っていた。
アレクセイは無表情のまま、ゆっくりと歩き出す。
身に纏うのは、昨日女王に見せつけたロイヤルブルーのジャケットと細身のパンツ。太陽の光を浴びて、青がいっそう冴え、民衆のどよめきが広場に広がる。
「な、なんだ、あの色は……!」
「青だ……! 王族しか許されない純粋な青だ!」
「あ、あの男は人間なのか……? まるで彫像のように美しい……」
アレクセイは、アイリスの命令通り、瞬き一つせず、呼吸を感じさせず、ただ服を見せるための生きたマネキンとして歩いた。
ソフィアでの実験で感情が摩耗した彼にとって、無心で歩くことなど造作もない。その虚無的な美貌が、人工的な素材の冷たい輝きと奇跡的な調和を見せた。
アレクセイは舞台の先端で立ち止まり、ターンを決める。
ジャケットが翻る。その動きの完璧さに、ため息が漏れた。
続いて、帝国の女性たちが次々と登場する。
彼女たちが着ているのは、花柄、水玉、幾何学模様。この国では下品とされてきた、複雑なパターンのワンピース。
だが、その軽やかさと鮮やかさは、灰色の服しか知らない民衆の目に強烈な毒として焼き付いた。
「綺麗だ……」
「あんな服を着て、街を歩けたら……」
渇望。抑え込まれていた装うことへの欲望が膨れ上がる。
そのタイミングを見計らい、アイリスは告げる。
「この服は王家が独占する絹ではありません。石と油から作られた、燃えない、切れない、色褪せない『魔法の糸』です。そして、お値段は――」
アイリスは、アレクセイが着ているジャケットと同じものを掲げた。
「一着、銀貨3枚です」
――静寂。
そして次の瞬間、一斉に歓声に包まれた。
「銀貨3枚だって!? 昼食代じゃないか!」
「う、嘘をつけ! ゼロが二つ足りないぞ!」
「か、買った!」
人々が舞台へと殺到する。
これまで服とは、一生に数回しか買えない財産だった。それが日用品の値段で売られている。
価値観の崩壊。
灰色の群衆が、色を求めて暴徒化寸前の熱狂を見せる。
だが、その熱狂を切り裂くように、蹄の音が轟いた。
王宮から続く大通りを深紅のマントを翻した一団が駆けてくる。
女王直属近衛騎士団である。
「鎮まれい!」
騎士団長が馬上から剣を抜き、威圧的に叫んだ。
「この広場での集会は許可されていない! そして、そこにいる帝国の商人ども!」
切っ先が舞台上のアイリスに向けられた。
「貴様らを『美意識撹乱罪』及び『禁制色販売』の容疑で拘束する! その下品な安物の服と共に、直ちに処分せよ!」
絶対王政のこの国では、女王の美学こそが法。
武装した騎士たちが、殺気を放ちながら民衆を蹴散らし、舞台へと迫る。
恐怖に駆られた人々が悲鳴を上げて逃げ惑う中、アイリスは一歩も引かなかった。
「野暮ですわね。お客様が怯えてしまいますわ」
「黙れ! 女王陛下の命である! 抵抗すれば斬り捨てる!」
騎士の一人がアイリスを捕らえようと手を伸ばす。
鉄の手甲がアイリスに迫る、その瞬間。
石畳に亀裂が走る。
馬が不自然に身を強張らせ、前へ進めずに嘶く。
騎士はバランスを崩し、慌てて手綱を引いた。
見えない境界線が、アイリスの前に引かれていた。
「……ほら、申し上げたでしょう?」
低い声が背後から落ちる。
「私の妻に指一本触れるな」
いつの間にか、アイリスの前にルーカスが立っていた。
帝国の儀礼用軍服を纏い、漆黒のマントが風に靡き、その身から立ち昇る覇気が、広場の空気を震わせた。
ルーカスは剣を抜き放つことすらなく、鞘に手をかけたままの姿勢で、数十人の精鋭騎士団を睨みつける。
「こ、皇帝……ルーカス……!?」
「我々は正規の商談を行っている最中だ。気に入らないからといって、武力で商人を排除するつもりか? ……ならば、帝国への宣戦布告と受け取るが」
静かな問いかけ。だが、そこに含まれる殺気は本物だった。
百戦錬磨の近衛騎士たちが、その圧力に押されて馬を後退させる。彼らは本能で悟ったのだ。この男と剣を交えれば、一瞬で斬られると。
「ひ、怯むな! 相手は一人だ! 囲んで捕らえろ!」
騎士団長が震える声で号令をかける。
騎士たちが恐怖を振り払い、一斉に剣を抜いてルーカスへと殺到する。
ルーカスは、ふっと笑う。
それは戦場を知り尽くした捕食者の笑みだった。
「アイリス、下がっていてくれ」
「ええ。……あまり派手に壊さないでくださいね? 会場が汚れますから」
「善処しよう。少しだけ掃除の時間だ」
ルーカスが一歩踏み込むと、誰も剣の軌跡を見ることはできなかった。
ただ、凄まじい衝撃波が巻き起こり、襲いかかった騎士たちの鎧の留め具だけが弾き飛ばされた。
鎧がバラバラになって地面に落ちる。
下着姿になった騎士たちが、無様に地面に転がっていく。
誰も斬られてはいない。血の一滴も流れていない。だが、彼らの騎士としての誇りと戦意は、完全に両断されていた。
「な、なんだ、今の剣技は……!」
「ば、化け物だ……」
圧倒的な武力差。
ルーカスは音もなく剣を納め、優雅にアイリスへと手を差し出した。
「待たせたな。さあ、ショーの続きを」
「ええ。……本当に貴方を敵に回さなくてよかったですわ」
アイリスは頬を微かに染め、夫の手を取った。
その光景は広場の民衆にとって、どのような演劇よりも劇的で、美しい力と美の象徴として焼き付いた。 その背景では、アレクセイが衝撃波で髪型が崩れたままポーズを取り続けていたが、誰も気にしていなかった。
◇
騎士団が敗走した後、広場は解放区と化した。
アイリスは、次なる一手を打つ。
「皆様、お待たせしました。この服を、今すぐ皆様にお届けしますわ」
彼女が指を鳴らすと、広場の脇に設置された巨大テントの幕が落とされた。
そこにはドワーフの国で量産された百台の『魔導ミシン』と、帝国の針子たちが並ぶ。
「女王陛下は『服は職人が一か月かけて縫うもの』とおっしゃいました。ですが、私の工場では違います」
ダダダダダ!
凄まじい音が響き渡る。
魔導ミシンの針が目にも止まらぬ速さで上下し、錬金繊維の布を縫い合わせていく。
人間の手縫いの百倍の速度。
数分で一着のドレスが完成し、次々と民衆の手に渡されていく。
「これが『既製服』です。現状のサイズは四通り。S、M、L、XLと、今すぐ着て、今すぐ美しくなれますわ」
灰色の服を脱ぎ捨て、鮮やかな青や赤の服に着替える人々。
広場が色に染まっていく。
鏡を見て涙を流す少女。
新しいジャケットを着て胸を張る青年。
それは単なる流行ではない。「美しさ」という特権が、王族の手から民衆へと解放され、不可逆的な変化を遂げた瞬間だった。
◇
王宮のテラス。
女王ロサは、眼下の広場が青く染まっていく様を、震えながら見下ろしていた。
「おのれ……おのれ!」
彼女の自慢の『天空絹』のドレスが色褪せて見えた。
希少価値など、圧倒的な『量』と『笑顔』の前では無力だった。
武力でも負け、経済でも負けようとしている。
「許さん……。わたくしの国をあんな下品な色で汚すなど……!」
女王の目が血走る。
まだだ。まだ手はある。この国の貴族たち、つまり『富と権力を持つ層』は、まだ安物を軽蔑しているはずだ。
彼らを掌握している限り、国は揺るがない。
「……舞踏会だ。明日、緊急の夜会を開く! 国中の貴族を集めよ! わたくしの至高のコレクションを披露し、あの安物が『貧乏人の服』であることを決定づけてやる! 美の格付けを行うのだ!」
最後の抵抗。
女王は自らの土俵である社交界にアイリスを引きずり込み、公開処刑にするつもりだ。
だが、彼女は知らない。
アイリスが貴族階級すらも籠絡する『毒』を用意していることを。




