第三十話 芸術の都『パリス花王国』ですわ
聖樹の森で食料革命を成し遂げたアイリスたちは、さらに西へと進んでいた。
荒涼とした大地は徐々に色を変え、やがて視界一面に広がるのは、目も鮮やかな花畑だった。
赤、青、黄、紫。大地を埋め尽くす花の絨毯。
甘い香りが風に乗って運ばれてくる。
その花畑の向こうに、白亜の城壁に囲まれた美しい都市が、蜃気楼のように浮かび上がる。
――芸術の都『パリス花王国』。
大陸で最も華やかで、最も美しく、そして最も残酷な身分社会を持つと言われる国である。
「綺麗な場所だ。花畑の手入れも実に見事だ」
後部座席で、ルーカスが窓枠に肘をつき、感嘆の声を漏らした。
だが、隣に座るアイリスの視線は冷ややかだった。
「ええ、綺麗ですわ。あの花々が、全て『染料』の原料として管理されていることを除けば、ですが」
「染料だと?」
「この国の富の源泉です。独自の土壌で育つ花から抽出される鮮やかな染料。そして希少な『天空蚕』から紡がれる絹。それらを独占することで、この国は繁栄しています」
アイリスは事前に帝国の諜報部が集めた調査書に目を落とした。
「ですが、光が強ければ影も濃い。街に入れば分かりますわ」
◇
城門をくぐり、都の中に入った瞬間、ルーカスは違和感に眉をひそめた。
街並みは美しい。建物は白で統一され、窓辺には花が飾られている。
だが、行き交う人々の姿が、あまりにも極端に二分されていたのだ。
大通りを闊歩するのは、極彩色のドレスや外套を纏った貴族たち。
彼らの服は目の覚めるような真紅や、深い群青色で染め上げられ、陽光を浴びて艶やかに輝いている。
まさに歩く宝石そのものだ。
対して、道の端を縮こまるように歩く平民たちの服は灰色か、あるいはくすんだ茶色。さらに薄汚れたベージュ。
色がない。ツギハギだらけの麻袋のような服を着て、貴族の影を踏まないように俯いて歩いていた。
「アイリス、これでは、まるで別の生き物ではないか」
「『色彩取締法』ですわ、陛下。この国では身分によって身につけて良い『色』が法律で厳格に定められています。赤や青などの鮮やかな原色は王族と上級貴族のみ。パステルカラーなどの淡い色は富裕層。そして、平民に許されているのは染料を使わない『無彩色』のみです」
「服の色で人間を区別しているというのか?」
「ええ、ここでは『美しさ』こそが権力であり、正義なのです。醜い者、装えぬ者は人権すら認められません」
「話に聞いてはいたが、まさかここまでとはな」
アイリスの言葉を裏付けるように、車窓の外で騒ぎが起きた。
「おい、そこの娘! 止まれ!」
鋭い怒号と共に、深紅の制服を着た衛兵たちが、一人の少女を取り囲んでいた。
少女は灰色の服を着た、どこにでもいる平民の娘。ただ一つ、彼女の胸元には道端で摘んだと思われる、小さな赤い野花が飾られている。
「『色彩取締法』第八条違反だ! 平民の分際で『赤』を身につけるなど、王家への反逆とみなす!」
「ご、ごめんなさい! ただ、綺麗だったから……!」
「言い訳など無用だ! その花を捨て、今すぐ罰金として金貨1枚を支払え!」
金貨1枚など、平民が払える額ではない。
少女が泣き崩れると、衛兵は無慈悲に警棒を振り上げた。
「止めるか」
ルーカスの瞳に剣呑な光が宿る。
だが、アイリスはルーカスの腕に手を添えて、静かに告げる。
「おやめください、陛下。ここであの者を助けても、路地裏で百人が殴られるだけですわ」
「では、見捨てろと言うのか?」
「いえ、『ルール』ごと壊しますの」
アイリスは泣き叫ぶ少女と、それを冷ややかな目で見て見ぬふりをする貴族たちを、ガラス越しに睨み据えた。
「色が特権? 美しさが正義? あまりにくだらないですわ。そんな歪んだ価値観など、根底からひっくり返して差し上げます」
◇
アイリスたちは、宿を求めて街の中心部にある高級ホテル『ロイヤル・ローズ』へと向かった。
だが、エントランスに車を寄せたところで、すぐさまドアマンに制止された。
「お引き取りください」
ドアマンは運転手であるアレクセイのボロボロの作業着と、アイリスたちが着ている『旅装』を一瞥し、鼻で笑った。
「当ホテルは一流の紳士淑女のための場所です。そのような『地味で薄汚れた色』の服を着た方々をお通しすれば、他のお客様の目が汚れてしまいますので」
アイリスたちが着ているのは、帝国の最高級素材で作られた機能的なトラベルコートだ。
だが、色は汚れの目立たない濃紺や黒。
この国の基準である『派手さ』『光沢』『装飾の多さ』から見れば、それは平民の服と同義だった。
「中身よりも外見で判断する。徹底していますわね」
「金ならある。最上階を貸し切れるほどな」
ルーカスが懐から帝国金貨の袋を取り出そうとしたが、ドアマンは侮蔑の表情を隠そうともしなかった。
「成金の方でしたか。ですが、お金があっても品位のない方はお断りです。三つ先の通りにある、木賃宿へどうぞ」
ピシャリと扉が閉ざされると、ルーカスに青筋が浮かぶ。一国の皇帝に対し、この無礼。帝国であれば即座に打ち首ものだが、ここは他国。そして何より、彼らの基準では、ルーカスたちはダサい田舎者なのだ。
「行きましょう、陛下。三流のホテルに用はありません」
アイリスは静かに車に戻った。
その横顔は笑っていた。ただし、その笑みは極寒の吹雪のように冷たい。
「品位がないと言われましたわね。……ええ、よく分かりました。では貴方たちが誇る、その『品位』とやらが、いかに脆く、あやふやな砂上の楼閣であるか、思い知らせて差し上げましょう」
◇
結局、アイリスたちは下町にある古い宿屋の一室に落ち着いた。
窓からは華やかな王宮とは対照的な煤けた灰色の街並みが見える。
部屋の隅ではアレクセイが荷物を下ろし、床に座り込んでいた。
アレクセイの服は、これまでの過酷な旅路で擦り切れ、油と泥にまみれている。この国では間違いなく『最下層の不可触民』として扱われる格好だ。
「ボス、外は歩きにくいです。皆が俺をゴミを見るような目で見てきました」
「慣れなさい。ですが、アレクセイ。今回の作戦の主役は貴方ですよ」
アイリスはトランクケースから一枚の布を取り出した。
それは帝国の化学プラントで極秘に製造された『錬金繊維』の試作品だ。
鮮烈なロイヤルブルー。
天然染料では決して出せない、目が痛くなるほどの高彩度。そして絹をも凌駕する人工的な光沢。
「陛下、この国の女王マダム・ロサについて、諜報部の報告はありますか?」
ルーカスが、粗末な木の椅子に腰掛けながら答える。
「徹底した美至上主義者だ。自国の『天空絹』と『花染め』を愛し、それ以外の外国産の布を『粗悪品』として輸入禁止にしている。閉鎖的な独裁者だな」
「独占企業の典型ですわね。競争相手を法で排除し、価格を吊り上げ、国民に高い服を強制する」
アイリスは布をアレクセイの肩に当て、採寸するように目を細めた。
「彼女は『美しさ』を盾にしています。ならば、私たちはその盾を叩き割る『矛』を用意しなければなりません」
「矛? 武力制圧か?」
「いいえ。『価格破壊』と『多様性』ですわ。美しい服は特権階級のための一点物であるべきか? それとも、誰でも買える既製品であるべきか? ……その答えを民衆に出してもらいましょう」
アイリスはアレクセイに向き直る。
虚ろな目をした、泥まみれの元王太子。
彼こそが、この国の価値観を転覆させるための最強の兵器となる。
「アレクセイ、明日から貴方はただの荷物持ちではありません」
「では、何になるんです?」
「『アイドル』ですわ」
アイリスの宣言と共に、芸術の都に向けた侵略計画が動き出した。
剣も魔法も使わず、ただ圧倒的に美しく、圧倒的に安い服をばら撒くという、最も華やかで残酷なテロリズム。
灰色の街が、極彩色に染まる日は近い。




